
誰でも、
<むしょうに懐かしいて、急に、どうしても食べとうなる味>いうのが、
あると思いますが、私にとって、それは、その昔、西新道錦商店街で、
揚げもん屋さんをやってはった、田中さんのおばあちゃんとこの、
<イカメンチとポテトサラダ>です。
とはいえ、、かなり前に閉店してしまわはったので、今となっては、
<幻の味>なのですが。。。
田中さんとこの揚げもの屋さんは、いつもほんまに繁盛していて
お昼時や夕方には、お店の前に、何重にもお客さんがやはって
イカメンチと、ポテトサラダだけやのうて、他にも、こころ持ち
ラグビーボールのようなかたちに似た、素朴な味のコロッケやとか
ぎょうさん、美味しい揚げもんが、ありました。けれど、
なんというても、あの、イカのゲソがぎょうさん詰まった、なんともいえへん
噛み応えのあるイカメンチ!と、ほんで、一見なんでもないふつうの
ポテトサラダのように見えながら、田中さんとこでしか、他のどこでも
絶対に、食べられへん、えも言われへん美味しさのポテトサラダ、
この2つが、私の大のお気に入り、でした。
そもそも、私が、田中さんのおばあちゃんと知り合うたのは、
これまた、今年の春で閉院してしまわはった、近くの整形外科の待合室で
よう会うたことでした。二人とも、膝が悪うて、通院してたのですが、
おばあちゃんは、いつ会うても、にっこりと優しい笑顔で、私の膝のことを
<大丈夫か? 膝、痛うないか?>と心配してくれはって、
それから、待合室だけやのうて、お店のほうにも、会いにいくように
なったのでした。
おばあちゃんは、ほとんどいつもお店の店先にやはって、
私が行くと、揚げもんを、包んでくれはったのですが、
後ろで、揚げてはる息子さんやお嫁さんのほうをうかがいながら、
ここだけのお話ですが、いつも<内緒>で、そっと、コロッケをいくつか
オマケに包んでくれはったのです。遠慮しても、<ええから、ええから!>
いうて、包んでしまわはって。。。お言葉に、甘えさせてもろてました。
私は、イカミンチとポテトサラダが好きなんと同じくらい、おばあちゃんに
会うのが、楽しみで、いつもお店に、通わしてもろてました。
それが、母の入院やらなんやらで、しばらく行けへんあいだに、ある日、
通りかかると、お店が閉まってしもててたんです。ほんで、しばらくすると
もう、揚げもん屋さんの店先やったとこが、ふつうのおうちの玄関に
変わってしもてて。。。それはもう、ほんまに、言葉にならへんほど
ショックでした。
あれからもう、何年も経って、今はもう、おばあちゃんがやはった
お店はなくなって、ふつうのお家になってしもてるのですが、
今でも、田中さんのおばあちゃんのあの、まるっこい、なんとも言えへん
優しい笑顔と、こっそりコロッケをおまけしてくれはるときのいたずらっぽい
表情やとか、膝を心配してくれはる優しい声音とか、みんな、みんな
はっきりと、思い出すことができます。
実は、私のように、長いことうちで介護をしていると、仕方ないことやけれど
友達やとかお知り合いやとか、自然と、どうしようものう、疎遠になって
いってしもて、しだいに、ひととのつながり、みたいなもんが、ぷつり、ぷつり、と
切れてしまうことが往々にしてあるのですが、
そうしてできた、こころのなかの寂しさの空間みたいなもんを、この
田中さんのおばあちゃんやとか、メガネのイハラさんのおじさんやとか
そういう皆さんと、ちょっと、お店に寄って、買いものをしながら、お喋りさしてもらう、
その時間が、埋めてくれてたおかげで、わたしは長いこと<さびしい>と
感じんでもええように、してもろてたんやなぁ。。とこうして、会えへんように
なって、あらためて、その大きな存在に感謝する気持ちになったのでした。
皆さんがいてくれはって、ほんまに、ありがたかったなぁ~って、心から思います。
いつか、此岸でも、彼岸でも、田中さんのおばあちゃんに再会した
ときには、あのポテトサラダの隠し味、<いつか教えてあげるしな!>って
いつも、言うてはったこと、当ててみたいと、思うてます。
ここだけの話やけれど、わたしは、<山葵>やって、思うんやけど、
おばあちゃん、違うてますか?