壬生京極商店街が、今年も、ミブナまつりを開催されることを聞いてから

こうして、その昔、商店街のみなさんからいただいた、数々の想い出を

書き綴らせてもろてきました。

 

とてもプライベートな物語ばかりでしたが、お読みいただいた皆さんには

心から感謝申し上げます。

 

今朝の京都新聞の市民欄にも、ミブナまつりの関連記事が掲載されて

いましたし、数々の、懐かしい写真の展示も紹介されていましたので

きっと、たくさんのみなさんが、お運びくださるにちがいないと思います。

 

私はただ、近所に住むだけの者ではありますが、今はもう会えへんように

なってしもた皆さんから、幼い頃からもろてきた沢山の想い出、それを

自分の記憶のなかにだけ留めおくのは、なんやもったいのうて、いつか、

 

  その昔、こんな温かい交流のできる商店街がありました。

  こんなに、温かい人たちのなかで、育ちました。

 

と、どこかで綴ってみたいと、思っていましたので、とても良い機会を

いただけたと、感謝しています。

 

どうぞ、10月27日、壬生京極商店街へ、お越しください。

古い写真のところで、じっと懐かしそうに眺めている、おばさん(?)が

目についたら、たぶん、それは、私です。(笑)

 

ミブナ入りの焼きそばも、焼き栗も、ミブナ入りのチヂミも、

ソフトクリームも、みんな美味しいです。おすすめです。

 

それでは、長いことおつきあいいただいて、ありがとうございました!

 

さようなら。

 

 

 

上の写真は、ムラサキツユクサ、小さめの花ですが、とても繊細な

紫色の花です。

 

さて、いよいよ壬生京極まつりも、日曜日と迫ってきて、ワクワク

してきましたが、このブログも、いよいよ終わりに近づいていると思うと、

なんや、寂しい、ような複雑な心持ちがしています。

 

まずは、日曜日が、どうか、いいお天気になりますように!

 

今日はお店の話ではあらへんのですが、その昔、今、消防団の本部に

なっている中新道の仏光寺を少し北へ上がったところには、<交番>が

あったんです。その交番の想い出を書きたいと思います。

 

交番には、いつも二人、警察官の方が昼夜を問わず、常駐されていて

交番所の上には、赤いランプが、ついていました。そして、

 

通りに向かった机に、おまわりさんのどちらかが、たいていは

座ってはって、子供の目にも、その姿は頼もしい映っていました

 

小学校に上がったぐらいやったか、ある日のこと、

壬生京極商店街のなかの道で、100円玉を拾ったことがありました。

 

母にそのことを伝えると、

 

  ほな、おまわりさんに、届けておいない。

 

と言うもので、さっそく、交番をたずねて、おまわりさんに握った手の中の

100円玉を見せたところ。。。

 

  ありがとう、えらかったね~! けど、これ、もらっておいてええよ。

 

と言わはったので、ビックリ!! 

 

なにせ、小さい頃から、落し物を拾うたら、交番に届けんとアカン!

半年して、誰も取りにきゃはらへんかったら、拾うたひとにくれはるんやって

 

そう、言われてきたので、届けるやいなや、おまわりさんから

<もらっとき>と言われるやなんて、子供の頭では、混乱の極みで(笑)

 

  半年して、誰も取りにきゃはらへんかったら、もらいます!

 

言うて、100円玉を、おまわりさんに渡して帰ってきたのですが、

家へもどる道すがら

 

  半年したらもらえるかもしれへん!覚えとかんと!! 

  半年したら、その日に、交番に行ったらええんかな~と

 

半年後が楽しみで、妙にワクワクしたのを、今でも覚えています。

 

子供の頃は、いつも、かっこええ、頼りがいのあるお巡りさんのやはる

あの交番の前を通るのが、とても、とても、楽しみでした。

 

 

 

西新道錦商店街のなかに、今はシャッターが下りているお店ですが

その昔、<ハリス>いう名前の洋品店さんが、ありました。

 

小さいお店やけれど、とてもおしゃれな服がたくさんあって

近隣の皆さんだけやのうて、以前、壬生に住んではって、遠方へ

引っ越された方も、買いにきてはりました。

 

実は、この<ハリス>さんは、中学の同級生のご両親が営んで

おられたお店やったので、お店の店番をしていた彼女とお喋りを

しに、ようお店のほうへも、寄せてもろてました。

 

少し小柄の静かな感じのお父様に、とてもおしゃれで社交的な

お母様とがいらして、いつ行っても、お客さんが、やはる、そんな

お店でしたが、残念なことに、病気をされて、お店を閉めはるように

なったのでした。

 

中学を出てから、長いこと会うことのなかった同級生でしたが、

数年前に、お互いの親が入院していた病院で偶然再会したことが

あって、それから何度か電話で話をしたのを最後に、その後は、元気に

してはるのかどうか(今はご両親ともに鬼籍に入られたのですが)

まったく音信が途絶えて、わからへんようになったままです。

 

今も、お店の前を、自転車で通るたびに、

 

   元気なんかなぁ~。幸せなんかなぁ~。。。

 

と、思います。なにかの用事でもあって、偶然もどってきゃはってて

シャッターが開いて、ふらっと出てきてくれはらへんかなぁ~と、

お店の前を通るたびに、思うたりもします。(笑)

 

中学の同級生に尋ね歩けば、ひょっとしたらわかることなんかも

わからへんけれど、もし、連絡してみる気にならはったときには

うちの番号は知ってはるのやから、いらんことはせんほうがええやろうなぁと

思ったりして。。。ただ、

 

どこにやはっても、笑顔で、日々、暮らせてはりますように!!と、

<ハリス>のシャッターの前を通る時には、いつも、念じています。

 

そうそう、10月27日の壬生京極まつりに、来てくれはったらええのになぁ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<これが、最後やからな、もう終うね。>

 

いつものように<洗濯もん>を出しに行ったとき、唐突に言われたので

うん??と最初、意味がわからへんで、

 

<なにが、最後??> ともりみさんのおじさんに尋ねると

 

<そやから、店が最後、昨日、決めたんや。

 こう暑いと、死んでしまうさかいな。ボイラも壊れたことやし。。。

 いつか、近いうちには、と思うてはいたんや、突然のことやけど。>

 

との、お言葉にあ然。なにせ、母の代からずっと、半世紀以上、ずっと

お世話になってきたお店やのに、こんなにもあっけなく<おしまい>の時が

やってくるやなんて。。。というわけで、ずっとお世話になっていた、

壬生京極商店街のなかにあるクリーニング屋さん、もりみさんは

今年の夏、唐突に、ほんとうに、突然、お店をたたまはりました。

 

これは、私にとっては、晴天の霹靂!というのも、

いつも、洗濯もんをお店に出しにいくときに、ちょっとした世間話を

してくれはるのが、日々の息抜きになっていて、また、どんなに落ちひん

汚れも、親切に、色々と試しては、とってくれはって、またあるときには

 

いつもクリーニングに出している父のズボンに、食べこぼしの染みが

前より増えてきてるように思うけれど、大丈夫か?と、ちょっとした

家族の変化も、せんたくもんから気づいて、教えてもろたり、していたからです。

 

そんな。。。急に。。。やめてしまわはるやなんて。。。ショックのひと言。

 

今では、前を通ると、いつもあった、大きな看板が取り外されて、外から

カーテン越しに、もりみさんのおじさんが、洗濯もんにアイロンかけを

してはる姿が、見えることもあらへんようになって、なんとうのうやっぱり

今でも、寂しい気持ちがします。

 

定期的に、洗濯してもろてたので、できていた世間話の機会もなくなり

ときどき、御仲間と出かけていかはる姿を、商店街で見かけるくらいしか

遭うこともなくなってしもうたのですが、

 

おかげさんで、お知り合いのクリーニング屋さんに、ちゃんと引き継ぎを

してもろてたおかげで、これまた親切なクリーニングやさんにお世話になれる

ことになりました。ありがたし、ありがたし!

 

新しい寄せてもろたそのお店のほうも、ほんまにええひとで、

ついつい、また、世間話を長うしてしもてます。(笑)

 

あらためて思うに、

商店街の良さいうのは、もともと買い物するのが、主目的ではありながら

こうやって、いろんなひととお話する機会が自然と生まれる、いうところに

あると思います。

 

社会との接点、やとか、人と絆づくり、やとかいう、最近よう言わはるような

大仰なもんではのうても、ほんまに、自然に、あたりまえのように、

そこで、暮らしていけば、そのまま、ひととつながっていく、いう、

商店街というシステム(?)は、生まれた時にはそこにあって、

私らの世代のもんにとっては、ごくごくふつうのことやったんですが

 

実は、知らず知らずのあいだに、ひとが幸せであるために大事なもん

必要なもんを、わたしらに与えてくれていたんやなぁ~と、

 

こういう時代になって、初めて、ありがたく、また懐かしく。。。

そして、復活してもらえたらどんなにええかなぁ~と思う、

今日この頃です。

昨日書かせてもろた、壬生京極商店街の<ミツハ洋品店>さんの隣には、

その昔、<テーラー・イシダ>さんが、ありました。

 

壬生京極商店街や西新道錦商店街、いうのは、日常のお買い物のための

庶民的なお店がほとんどなのですが、その中にあって、このお店は、子供心

にも、少し周りのお店とは、雰囲気がちがうように、感じていました。

 

オーダーメイドの服の仕立て屋さん、やったと記憶しているのですが、

お店の中をのぞくと、落ち着いた照明のなかに、ぎょうさん大きくて太い

布地のロールが並んでいて、そう、ひとことで言うと<シック>なお店でした。

 

今でも、たまに母親が笑い話として話すことがあるのですが、

私が、まだ赤ちゃんの頃、同居していた祖父が、私を連れてこの

<テーラー・イシダ>さんのお店へ行って、

 

  この子に、服、作ったって! なんぼかかってもええさかいに!

 

と頼んだそうで、ご主人から、もうちょっとお嬢ちゃんが大きいなったら

作ります、と言われて、ブーブー怒って帰ってきゃはった、そうです。

 

うちの祖父は、とてもユニークな、日頃、ちょっと考えられへんようなことを

平気でするひとやったので(笑)、この話をきいたとき、

あ~、おじいちゃんらしいなぁ~と、笑ったものでした。

 

今はもう、<テーラー・イシダ>さんのお店は、あらへんのですけれど

残念なことに、その後大きいなってからも、服を仕立ててもらうことはのうて

(というか、服を仕立てる、いうこと自体が、私の暮らしのなかには

 あらへんかったのですが)

あの、ぎょうさん並んでいた上等そうな生地で、スーツとか誂えて

みたかったなぁ~と、今では、思います。

 

さて、いよいよあと、壬生京極商店街の<ミブナまつり>まで

あと1週間となりました。リビング新聞の中央版、10月12日号の特集でも

イベントを企画された皆さんのインタビュー記事が掲載されているのを

昨日、見ることができました。

 

古い、昭和の時代の商店街の様子、懐かしい市電やバスの写真など

たくさん見られるそうなので、とても楽しみにしています。

 

 

 

 

 

壬生京極商店街のある仏光寺通りが中新道通りにあたる少し手前、

今でいうたら、田中州鶴医院さんのちょうど向かいに、今はシャッターが

下りてしまっていますが、その昔、ミツハさん、いう洋品店さんが、

ありました。

 

お店をやってはったのは、小さい頃から、というか、母の小さい頃から

よう知ってくれてはる洋品店さんの店主さんで、うちでは、いつも

<ミツハさんのおばちゃん>と呼ばせてもろてました。

 

こじんまりとしたお店の店先に、そして店内にも、

洋服から、下着、パジャマ、ソックスと、ぎょうさんの商品が

掛けてあったり、並んだりしてる陳列ケースの奥に、ひとつ椅子が

おいてあって、そこにいつも、どっしりと、腰かけてはるのが、

<ミツハさんのおばちゃん>で、とても貫禄(?)が、ありました。

 

うちで、なにか足らんもんがあると、いつも母は、

<ほな、ミツハさんとこ行って買うといない。>言うのですが

一番よう買いにいったのは、そうそう店先に並べてあった

グンゼの<パンスト>でした。

 

パンストを買いにいくといつも、<お母さんは、元気にしてはるか?>

と、ミツハさんのおばちゃんは、気にかけてくれてはって

それが、とても嬉しかったことを覚えています。

 

そして、もひとつ印象に残っているのは、具合が悪うて

田中州鶴先生のとこへ診てもらいにいくと、

ちょうど待合室が、ミツハさんとこの、お店の正面にあたり

 

医院の玄関のガラス越しに、お店の奥にど~~んと腰かけてはる

ミツハさんのおばちゃんの姿が、見えたんです。

 

お店にお客さんがきゃはって、戸が開くたびに、

ミツハさんのおばちゃんが、こっちを見てはるのと目が合うて、

(と、私が勝手にそう思うてたんかもしれへんけれど)

なんや、しんどいときでも、<あっ!!おばちゃんや!>

と、嬉しかったことを、思い出します。

 

もうお店が閉まってから、ずいぶん時間も経つのですが、

今でも、田中州鶴先生とこへ行くことがあって、同じように

待合室の、おばちゃんとこのお店の正面の場所に陣取って

診察を待っていると、シャッターのあるとこに

 

可愛らしいブラウスがぎょうさん掛ってたお店の奥のほうに

どっしりと、腰かけてはる、ミツハさんのおばちゃんの、あの

なんともいえへん貫禄ある姿が、浮かんできて、懐かしい

思いがするのでした。

 

 

先日、書かせてもろた、壬生京極商店街のなかにあるおでん屋さん

<てんたつさん>とこへ行く、四つ角の一角に、その昔、カワミさん

いう、日用品や衣料品を売ってはったお店が、ありました。

 

木枠のガラスの引き戸を<こんにちは~!>と開けて、声をかけると

家の奥のほうから、おばさんが、ゆっくりと、出てきてくれはって、

 

一番よう買いに行かせてもろた記憶は、なぜか、台所で使うてた

<ホーミング>なのですが(笑)、他にも、日用品はひととおり揃うていて、

しょっちゅう、お遣いに行ったもんです。

 

カワミさんのことで、今、一番想い出として心に残ってるんは、

今でこそ、服いうたら、<買う>もんやと思われていますが、

私の子供の頃は、ブラウスから、カーデガン、スカート、マフラーまで

服は、母親が、仕事の合間に、縫うてくれたり、編んでくれたりした

もんでした。

 

そやから、服についているボタンも、家の裁縫箱の中の

ボタンの中から、選んで、母がつけてくれたもんばかりですが、

遊んでるうちに、よう、飛んでって気が付いたら、あらへんようになって

いたりして、そんなときは、いっつも母から

 

  <カワミさんとこ行って、これと同じようなボタンください、いうて

   買いにいっといで!!>

 

と、言われて、カワミさんとこまで、走っていったもんです。

 

カワミさんのお店には、入ってすぐの左手のほうに、大きな

ガラスの陳列台があって、おばさんに、ボタンを見せながら、

これと同じもんはありませんか、と尋ねると、

 

いつもおばさんは、眼鏡をちょっと上げてボタンを見ながら、

ちょっと待ってやと、そのガラスの陳列台の上に、いろんなボタンの入った

小さな引き出しみたいなもんを置いては、ひとつひとつ、

 

  <これは、ちょっと大きいな。。。これは色がちょっと薄いやろ?>

 

と、合わせてみてくれはるのでした。

 

たいていは、白い、穴の2つ開いているごくふつうのボタンなんやけれど、

なかなか、まったく同じボタンいうのは、案外、見つからへんもんで、

たいていは、よう似たボタンで、良しとすることになるのやけれど、

 

色も形もまちまちの、ぎょうさんのボタンを見るのが、とても楽しいて

カワミさんのおばさんと一緒に、<よう似たボタン探し>をする時間は

とても、楽しいひとときだったのです。

 

小学生の頃は、大きいなったら<ボタン屋さん>になれたら

毎日楽しいやろうなぁ~と考えたりしたことも、あったほどです。

 

そやから、カワミさん、と言えば、今でも、私の脳裏には、

<ホーミング>と<ボタン>!!が、最初に頭に浮かぶのでした。

 

今でこそ、証明写真を撮らんなんときには、あのライフの駐輪場にある

小さな部屋というか、ボックスというか、カーテンをしめて、セルフサービス

で写真を撮る、ことがほとんどなのですが、

 

その昔、証明写真いうのは、町中にある<写真館>へ行って、

写真屋さんに撮ってもらう、いうのが、ふつうのことでした。

 

壬生京極商店街の中にも、今はもう、やってはらへんけれど、その昔

お風呂屋さん<盛好湯>さんと、昔、映画館やった<壬生館>

の後の一色整形外科さんの前に、<細見写真館>さんいう写真館が

あったのでした。

 

子供の頃から、受験やらなにやらの証明写真を、撮ってくれてはったのは

細見写真館のおばさんで、近視のせいか、どうも私は姿勢が悪うて、

不愛想な子で、自分の身なりにも普段から、無頓着やったせいで、

 

いざ、写真を撮るまでに、胸を張って、あごをあげて、襟を直して、

ほら、もっと笑うて!と、ちょっとでも、ええ写真に映るようにと、

おばさんが、何度も三脚に据えたカメラと、私の椅子のとこまでを往復しながら

細かいところまで、時間を惜しまんと、アドバイスしてくれはったことを

今でもよう覚えています。

 

そして、最近では、写真いうのは、なんぼでも撮り直しもできたり、後から

修正が出来たりもするのがふつうになっていますが、昔、写真館で

証明写真を撮るときには、大きな三脚のカメラに、乾板を差しこんで

写真を撮るやり方で、それも数枚しか、一度に、撮らはらへんかったので、

 

一回、一回、が、真剣勝負、みたいな緊張感があって、

しかも、その出来具合は、後日、写真が出来上がって

取りに行くときまでわからへん、いう、とてもスリリング(?)なものでした。

 

とても丁寧なアドバイスをもろてたおかげで、顔の出来は別として(笑)

姿勢やら、視線やら、身だしなみやらは、きちんとした写真が出来上がって

細かいところまでよう見てくれてはった、おばさんに、いつも感謝したもの

でした

 

今風のデジカメやスマホのような、何回でも、気に入るまで撮り直しが

できたり、写真を簡単に加工できたりするのも、たしかに便利なもんでは

あるけれど、

 

ときどき、ふと昔のような、シャッターチャンスは一回きりで、

出来上がってくるまで、どんなふうに映っているのかわからへんのを

ワクワクして待って、ドキドキしながら写真を見る、いう

 

やり直しのきかへん感じ、出来てきたもんが、気に入ろうがいるまいが

結果を受け止めるよりない、いう厳しい感じが、懐かしい、思いがします。

 

また、そやからこそ、極上の一枚、を手にできたときの喜びも

今よりもいっそうのもんやったように、思い出されます。

 

このブログの初めには、どのページも家の庭で撮った花の写真をあげさせて

もろてるんですが、なんとか、そのお花の見せてくれてる、ええ表情を映せたら!と

ひとつひとつのお花に向けて、何十回とシャッターを押したなかの、わたしなりの

ですが、最高の一枚の写真なもので、それだけに、どのお花にも、それぞれに

深い想い入れがあって、愛おしいものばかり、です。

 

 

 

 

 

もうずいぶん昔のことになるさかいに、覚えてはるひとも少ないかも

しれへんのですけど、今、壬生京極商店街の真ん中あたりにある

一色整形外科さんのある場所は、その前は、三船整形外科さんいう

お医者さんがやはって、その前のことなのですが、同じこの場所に

<九十九(つくも)>いう名前の、スーパーマーケットが、ありました。

 

今ようある、ライフやとかイズミヤ、とかいうような大型店舗やのうて

ほんまにお肉や魚、野菜といった食料品や調味料、お菓子に日用品

まで、そうや入口には、お花までもがゴチャゴチャと、なんでも置いてある

そんな<昔ながら>のこじんまりした、スーパーマーケットで、

 

晩御飯の支度に、なんか足りひんもんがあったときには、すぐさま母に、

    <ほれ、つくも、行っといない!>

いうて、小銭を渡されることが、ようありました。つくもは、家から子供でも

歩いて3分の距離、ほんのひとっ走り、です。

 

<スーパーつくも>さんは、今の一色整形外科さんと、奥行きは、同じ

ことやから、玄関から、細長う、奥へと進んでいくつくりになっていて、

 

お遣いに行ったときには、とりあえず、ぐるっと奥まで一周しながら

あれこれ、頼まれてへんもんも、見たり、ときに買うたりするのが、楽しい

時間でした。

 

こんな<スーパーつくも>さんのような、こじんまりとしたスーパー、

いうのが、昔は町なかのあちこちに、ありました。

 

そうそう、西新道錦商店街の中にも、ありましたね。

前に、お好み焼き屋さん、そうそう名前は石田さん、でした。

その、石田さんのお好み焼き屋さん話のなかで、ちょっとふれた

 

2階建ての<リーダーストアー>いう、スーパーマーケット、

その他にも、西新道通りから四条通りに出る、ちょっと手前の左側にも、

こちらはかなり大きい、<シミズママセンター>いうスーパーマーケットも、

ありましたねぇ。

 

<シミズママセンター>は、野菜やお肉、果物など、生鮮食料品もぎょうさんあって

しかも値段が結構安うて、種類も豊富やったので、いつも、ぎょうさんの

ひとでごったがえしていて、店内放送も大きな音でうるそうて、ほんまに、

にぎやかな場所でした。

 

そうそう、そういえば、<シミズママセンター>の隣の店舗は

衣料品のスーパーマーケットみたいな<岸本屋さん>がありましたし、

 

衣料品のスーパーいうたら、仏光寺通りを、中新道通りから西新道通りに

向かう途中に、<バンビ>いう名前の、これまた安うて、タオルから

服から、なんでもありの便利なお店も、ありました。ビッグTシャツなんて

300円くらいで、買えたものです。ほんまにありがたかったんやけれど

ずっと前に閉店されて、今は、ダンスホール(?)になっています。

 

どのお店も、決して、今みたいに、広うて、綺麗で、清潔で、は

あらへんかったけど、いつもの馴染みのレジのおばさんやおじさんや

お店の中で、よう話しかけてくれはる店員のお兄さんがやはったりして、

ちょっとした時間でぐるっと、ひと通り、店の中を見て回れるのは

助かります。

 

もちろん大型スーパーのように、そこへ行きさえすれば、なにもかも揃う!

いうような便利さとは、ほど遠くはありましたが、

なんといいましょうか、あのくらいの、大きさやったり、品数やったり、

が、ちょうど、ひとには、<ころあい>のもん、のように、思えて

 

また、今はスーパーでの買い物は、ひと言も、ひとと言葉を交わさんでも

できますが、昔のスーパーマーケットのように、行けばそこで、自然と

お店の店員さんやら、レジのおばさんやら、はたまた近所のひとやらと

話をせんわけにはいかへん、いうのも、また、なんとのう、あったかい

感じがあって、

 

急いでるときなんかは、煩わしいなぁ~と思う時も、ときには

ありながらも、自然と、いろんなひとと<つながって>いく場を

この、昔のスーパーマーケットは、作ってくれてたんやなぁ~と、思います。

 

もう今は、みんな閉店してしもて、そんなお店があったことを

示すもんは何も残ってなくて寂しいですが、こうやって思い出していると

 

<昭和>いうのは、今みたいには便利な時代ではなかったけれど、

さびしいと思う暇がないほどに、望もうが、そうでなかろうが、

リアルな世界でつながらんことには生きていけへんかったんは、

結構、幸せな時代、やったんやなぁ~と、思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰でも、

<むしょうに懐かしいて、急に、どうしても食べとうなる味>いうのが、

あると思いますが、私にとって、それは、その昔、西新道錦商店街で、

揚げもん屋さんをやってはった、田中さんのおばあちゃんとこの、

イカメンチとポテトサラダ>です。

 

とはいえ、、かなり前に閉店してしまわはったので、今となっては、

<幻の味>なのですが。。。

 

田中さんとこの揚げもの屋さんは、いつもほんまに繁盛していて

お昼時や夕方には、お店の前に、何重にもお客さんがやはって

 

イカメンチと、ポテトサラダだけやのうて、他にも、こころ持ち

ラグビーボールのようなかたちに似た、素朴な味のコロッケやとか

ぎょうさん、美味しい揚げもんが、ありました。けれど、

 

なんというても、あの、イカのゲソがぎょうさん詰まった、なんともいえへん

噛み応えのあるイカメンチ!と、ほんで、一見なんでもないふつうの

ポテトサラダのように見えながら、田中さんとこでしか、他のどこでも

絶対に、食べられへん、えも言われへん美味しさのポテトサラダ、

この2つが、私の大のお気に入り、でした。

 

そもそも、私が、田中さんのおばあちゃんと知り合うたのは、

これまた、今年の春で閉院してしまわはった、近くの整形外科の待合室で

よう会うたことでした。二人とも、膝が悪うて、通院してたのですが、

 

おばあちゃんは、いつ会うても、にっこりと優しい笑顔で、私の膝のことを

<大丈夫か? 膝、痛うないか?>と心配してくれはって、

 

それから、待合室だけやのうて、お店のほうにも、会いにいくように

なったのでした。

 

おばあちゃんは、ほとんどいつもお店の店先にやはって、

私が行くと、揚げもんを、包んでくれはったのですが、

 

後ろで、揚げてはる息子さんやお嫁さんのほうをうかがいながら、

ここだけのお話ですが、いつも<内緒>で、そっと、コロッケをいくつか

オマケに包んでくれはったのです。遠慮しても、<ええから、ええから!>

いうて、包んでしまわはって。。。お言葉に、甘えさせてもろてました。

 

私は、イカミンチとポテトサラダが好きなんと同じくらい、おばあちゃんに

会うのが、楽しみで、いつもお店に、通わしてもろてました。

 

それが、母の入院やらなんやらで、しばらく行けへんあいだに、ある日、

通りかかると、お店が閉まってしもててたんです。ほんで、しばらくすると

もう、揚げもん屋さんの店先やったとこが、ふつうのおうちの玄関に

変わってしもてて。。。それはもう、ほんまに、言葉にならへんほど

ショックでした。

 

あれからもう、何年も経って、今はもう、おばあちゃんがやはった

お店はなくなって、ふつうのお家になってしもてるのですが、

 

今でも、田中さんのおばあちゃんのあの、まるっこい、なんとも言えへん

優しい笑顔と、こっそりコロッケをおまけしてくれはるときのいたずらっぽい

表情やとか、膝を心配してくれはる優しい声音とか、みんな、みんな

はっきりと、思い出すことができます。

 

実は、私のように、長いことうちで介護をしていると、仕方ないことやけれど

友達やとかお知り合いやとか、自然と、どうしようものう、疎遠になって

いってしもて、しだいに、ひととのつながり、みたいなもんが、ぷつり、ぷつり、と

切れてしまうことが往々にしてあるのですが、

 

そうしてできた、こころのなかの寂しさの空間みたいなもんを、この

田中さんのおばあちゃんやとか、メガネのイハラさんのおじさんやとか

そういう皆さんと、ちょっと、お店に寄って、買いものをしながら、お喋りさしてもらう、

 

その時間が、埋めてくれてたおかげで、わたしは長いこと<さびしい>と

感じんでもええように、してもろてたんやなぁ。。とこうして、会えへんように

なって、あらためて、その大きな存在に感謝する気持ちになったのでした。

 

皆さんがいてくれはって、ほんまに、ありがたかったなぁ~って、心から思います。

 

いつか、此岸でも、彼岸でも、田中さんのおばあちゃんに再会した

ときには、あのポテトサラダの隠し味、<いつか教えてあげるしな!>って

いつも、言うてはったこと、当ててみたいと、思うてます。

 

ここだけの話やけれど、わたしは、<山葵>やって、思うんやけど、

おばあちゃん、違うてますか?