もうずいぶん昔のことになるさかいに、覚えてはるひとも少ないかも

しれへんのですけど、今、壬生京極商店街の真ん中あたりにある

一色整形外科さんのある場所は、その前は、三船整形外科さんいう

お医者さんがやはって、その前のことなのですが、同じこの場所に

<九十九(つくも)>いう名前の、スーパーマーケットが、ありました。

 

今ようある、ライフやとかイズミヤ、とかいうような大型店舗やのうて

ほんまにお肉や魚、野菜といった食料品や調味料、お菓子に日用品

まで、そうや入口には、お花までもがゴチャゴチャと、なんでも置いてある

そんな<昔ながら>のこじんまりした、スーパーマーケットで、

 

晩御飯の支度に、なんか足りひんもんがあったときには、すぐさま母に、

    <ほれ、つくも、行っといない!>

いうて、小銭を渡されることが、ようありました。つくもは、家から子供でも

歩いて3分の距離、ほんのひとっ走り、です。

 

<スーパーつくも>さんは、今の一色整形外科さんと、奥行きは、同じ

ことやから、玄関から、細長う、奥へと進んでいくつくりになっていて、

 

お遣いに行ったときには、とりあえず、ぐるっと奥まで一周しながら

あれこれ、頼まれてへんもんも、見たり、ときに買うたりするのが、楽しい

時間でした。

 

こんな<スーパーつくも>さんのような、こじんまりとしたスーパー、

いうのが、昔は町なかのあちこちに、ありました。

 

そうそう、西新道錦商店街の中にも、ありましたね。

前に、お好み焼き屋さん、そうそう名前は石田さん、でした。

その、石田さんのお好み焼き屋さん話のなかで、ちょっとふれた

 

2階建ての<リーダーストアー>いう、スーパーマーケット、

その他にも、西新道通りから四条通りに出る、ちょっと手前の左側にも、

こちらはかなり大きい、<シミズママセンター>いうスーパーマーケットも、

ありましたねぇ。

 

<シミズママセンター>は、野菜やお肉、果物など、生鮮食料品もぎょうさんあって

しかも値段が結構安うて、種類も豊富やったので、いつも、ぎょうさんの

ひとでごったがえしていて、店内放送も大きな音でうるそうて、ほんまに、

にぎやかな場所でした。

 

そうそう、そういえば、<シミズママセンター>の隣の店舗は

衣料品のスーパーマーケットみたいな<岸本屋さん>がありましたし、

 

衣料品のスーパーいうたら、仏光寺通りを、中新道通りから西新道通りに

向かう途中に、<バンビ>いう名前の、これまた安うて、タオルから

服から、なんでもありの便利なお店も、ありました。ビッグTシャツなんて

300円くらいで、買えたものです。ほんまにありがたかったんやけれど

ずっと前に閉店されて、今は、ダンスホール(?)になっています。

 

どのお店も、決して、今みたいに、広うて、綺麗で、清潔で、は

あらへんかったけど、いつもの馴染みのレジのおばさんやおじさんや

お店の中で、よう話しかけてくれはる店員のお兄さんがやはったりして、

ちょっとした時間でぐるっと、ひと通り、店の中を見て回れるのは

助かります。

 

もちろん大型スーパーのように、そこへ行きさえすれば、なにもかも揃う!

いうような便利さとは、ほど遠くはありましたが、

なんといいましょうか、あのくらいの、大きさやったり、品数やったり、

が、ちょうど、ひとには、<ころあい>のもん、のように、思えて

 

また、今はスーパーでの買い物は、ひと言も、ひとと言葉を交わさんでも

できますが、昔のスーパーマーケットのように、行けばそこで、自然と

お店の店員さんやら、レジのおばさんやら、はたまた近所のひとやらと

話をせんわけにはいかへん、いうのも、また、なんとのう、あったかい

感じがあって、

 

急いでるときなんかは、煩わしいなぁ~と思う時も、ときには

ありながらも、自然と、いろんなひとと<つながって>いく場を

この、昔のスーパーマーケットは、作ってくれてたんやなぁ~と、思います。

 

もう今は、みんな閉店してしもて、そんなお店があったことを

示すもんは何も残ってなくて寂しいですが、こうやって思い出していると

 

<昭和>いうのは、今みたいには便利な時代ではなかったけれど、

さびしいと思う暇がないほどに、望もうが、そうでなかろうが、

リアルな世界でつながらんことには生きていけへんかったんは、

結構、幸せな時代、やったんやなぁ~と、思います。