今でこそ、証明写真を撮らんなんときには、あのライフの駐輪場にある
小さな部屋というか、ボックスというか、カーテンをしめて、セルフサービス
で写真を撮る、ことがほとんどなのですが、
その昔、証明写真いうのは、町中にある<写真館>へ行って、
写真屋さんに撮ってもらう、いうのが、ふつうのことでした。
壬生京極商店街の中にも、今はもう、やってはらへんけれど、その昔
お風呂屋さん<盛好湯>さんと、昔、映画館やった<壬生館>
の後の一色整形外科さんの前に、<細見写真館>さんいう写真館が
あったのでした。
子供の頃から、受験やらなにやらの証明写真を、撮ってくれてはったのは
細見写真館のおばさんで、近視のせいか、どうも私は姿勢が悪うて、
不愛想な子で、自分の身なりにも普段から、無頓着やったせいで、
いざ、写真を撮るまでに、胸を張って、あごをあげて、襟を直して、
ほら、もっと笑うて!と、ちょっとでも、ええ写真に映るようにと、
おばさんが、何度も三脚に据えたカメラと、私の椅子のとこまでを往復しながら
細かいところまで、時間を惜しまんと、アドバイスしてくれはったことを
今でもよう覚えています。
そして、最近では、写真いうのは、なんぼでも撮り直しもできたり、後から
修正が出来たりもするのがふつうになっていますが、昔、写真館で
証明写真を撮るときには、大きな三脚のカメラに、乾板を差しこんで
写真を撮るやり方で、それも数枚しか、一度に、撮らはらへんかったので、
一回、一回、が、真剣勝負、みたいな緊張感があって、
しかも、その出来具合は、後日、写真が出来上がって
取りに行くときまでわからへん、いう、とてもスリリング(?)なものでした。
とても丁寧なアドバイスをもろてたおかげで、顔の出来は別として(笑)
姿勢やら、視線やら、身だしなみやらは、きちんとした写真が出来上がって
細かいところまでよう見てくれてはった、おばさんに、いつも感謝したもの
でした。
今風のデジカメやスマホのような、何回でも、気に入るまで撮り直しが
できたり、写真を簡単に加工できたりするのも、たしかに便利なもんでは
あるけれど、
ときどき、ふと昔のような、シャッターチャンスは一回きりで、
出来上がってくるまで、どんなふうに映っているのかわからへんのを
ワクワクして待って、ドキドキしながら写真を見る、いう
やり直しのきかへん感じ、出来てきたもんが、気に入ろうがいるまいが
結果を受け止めるよりない、いう厳しい感じが、懐かしい、思いがします。
また、そやからこそ、極上の一枚、を手にできたときの喜びも
今よりもいっそうのもんやったように、思い出されます。
このブログの初めには、どのページも家の庭で撮った花の写真をあげさせて
もろてるんですが、なんとか、そのお花の見せてくれてる、ええ表情を映せたら!と
ひとつひとつのお花に向けて、何十回とシャッターを押したなかの、わたしなりの
ですが、最高の一枚の写真なもので、それだけに、どのお花にも、それぞれに
深い想い入れがあって、愛おしいものばかり、です。
