異国のキャンパスで“ルーツ”を履く

インター校スニーカー事情

東京のインターナショナルスクールの休み時間。校庭を見渡すと、足元に各国のカラーがちらほらと見える。日本の生徒はオニツカタイガーやアシックス、スイス人はON、ドイツ系の子はアディダスやプーマ、フランス人はサロモンやルコックスポルティフ、アメリカ人はニューバランスやナイキ、中国の生徒はアンタやLi-Ning。

 

「みんな、自分の国のブランドを履いているんです。特に意識してるわけじゃないけど、気づいたらそうなってた」(カナダと日本のダブル、16歳)

 

実はこれ、ここ数年で静かに広がっている“現象”だ。単なるファッションのトレンドではなく、“自国ブランド履き”が、インター校という多国籍空間でひとつのコミュニケーションツールになっている。

愛国心というより「さりげない主張」

当初は「愛国心の表れか」と見る向きもあった。しかし実際に生徒たちに話を聞くと、そう熱い思いはあまり感じられない。

 

 

「ドイツにルーツがあるって言うと、サッカーとかビールとか聞かれるけど、アディダスを履いてると『お、本場だね』って一目でわかってもらえる。それぐらいの軽い感じ」(ドイツ人父・日本人母の男子)

 

むしろ彼らの口調は、“遊び”や“アイデンティティのパロディ”に近い。自分がどこから来たかを、言葉ではなく“足元”で示す。それは一種の自己紹介ゲームであり、同じ国の仲間を見つけるシグナルでもある。

 

「中国人の友だちは、わざとアンタの限定カラーを履いてきて、『これ、中国だけの発売なんだよ』って自慢げに見せてくれる。別に政治的な意味はなくて、コレクション感覚だね」(米国出身の17歳)

 

 

スニーカーが“国籍カード”になる瞬間

面白いのは、この習慣が“他国の目”を意識している点だ。日本の学校で日本のブランドを履くのは目立たない。しかし、アメリカ人やインド人が集まるクラスで、あえてオニツカタイガーを履くと、「あ、この子日本出身なんだ」と自然に認識される。

 

つまり、スニーカーは“視覚的なパスポート”として機能している。制服が共通でも、足元だけは多様性が許される。その小さな“抜け穴”を利用して、生徒たちは自分を位置づけている。

 

「僕はスイス人のONを履いてるけど、それだけで『アルプス育ち?』って話しかけられる。実際は生まれも育ちもシンガポールだけどね(笑)。でも、それがきっかけで会話が生まれるのは楽しい」(スイス国籍・シンガポール育ちの男子)

なぜ“バッグや服”ではないのか?

では、なぜスニーカーなのか? 洋服やバッグでも同様の主張は可能だ。しかし、彼らはあえて“履き物”を選ぶ。

 

 

「服は親が選ぶことも多いし、バッグは高級ブランドになると“お金”の話になる。でもスニーカーは自分で選べて、価格も幅広いし、何より毎日履くから一番“自分のもの”になる」(フランス人女子)

 

さらに、スニーカーは“実用性”と“象徴性”のバランスが絶妙だ。毎日使うからこそ、そのブランドに対する愛着や慣れが自然と滲む。また、国によって「良いスニーカー」の定義が微妙に異なることも、話題を呼ぶ。

 

「日本のアシックスはクッション性が違うって、陸上部の子が言ってた。そういう“品質の国民性”まで見えるのが面白い」(アメリカ人男子)

アイデンティティの遊び場として

この現象の本質は、“アイデンティティを軽やかに演じる”ことにある。深刻な民族意識ではなく、自分という存在を他者に伝えるための“記号”として、国産ブランドが使われている。

 

 

「私は3カ国にルーツがあるけど、スニーカーはその日の気分で変える。今日は日本っぽい気分だからアシックス、明日はアメリカンな気分でニューバランス。それくらい自由でいいと思う」(複数国籍の女子)

 

彼らは固定されたアイデンティティを背負うのではなく、“着替えるアイデンティティ”としてスニーカーを履いている。その柔軟さこそ、国際社会で育つ彼らならではの感覚かもしれない。

広がる足元の外交

このブームは、やがて時計、さらにはヘッドフォンブランドにまで広がる可能性がある。すでに「フランス人はルコックよりフィラ派」「中国人はナイキよりアンタにこだわる」といった細かな“派閥”も生まれている。

ある教師はこう話す。

 

「彼らはスニーカーを通じて、自分のルーツを紹介し合っている。それがきっかけで、その国の文化や食、歴史に興味を持つ子もいる。足元から始まる国際理解――なかなか悪くないでしょう?」「しかも、スニーカーって結構いろんなブランドがあるのですね」

 

次にインター校を訪れたら、ぜひ足元に注目してみてほしい。そこには、パスポートには書かれない、もうひとつの“国籍”が輝いているかもしれない。

なぜか受験には神頼み

「何かが起きる」家族の不思議な体験
 

日本では、受験シーズンになると神社や寺院にお参りに行く光景が当たり前のように見られます。合格祈願のお守りを買い、絵馬に願いを書き、試験当日には「勝負食」を食べる、そうした習慣は多くの家庭でごく自然に行われています。

面白いことに、そんな皆さんのほとんどは「そこの宗派や宗教とはかかわりがない」と自認しながらも、こうした「神頼み」に対しては不思議と抵抗がありません。八百万の神々がいるという日本的宗教観が、特定の教義に縛られない寛容な信仰心を育んできたのかもしれません。あるいは、「やれることは全部やる」という精神の延長線上に、祈りという行為があるのでしょう。

 

小額のお賽銭とお祈り、そこの御守を購入するだけで、ちょっとだけ安心すら感じてしまいます。

受験にまつわる「偶然」と「必然」のはざまで
 

ところで、受験を経験した家庭からはいろんな話を聞きます。

「合格発表の前日ふと窓の外を見たら、見たことない鳥がとまっていて、目が合った。今まで心配すぎて笑えない日々だったけど、その時に自然に笑顔になった。次の日合格通知が届きました。」

 

 

「子どもの願書を出しに行く途中、信号待ちでふと横を見たら、ごみの中に『合格』という文字が書かれた紙きれが目に入った。家に帰って、家の外を毎日掃除するようにした。そして合格。」

「直前にたまたま知り合った生徒さんが志望校の生徒だった。『絶対に受かるよ』と言われた。実際に合格した。」

 

さらにもっと神秘的なのは、

 

「出張先で近所の小さな神社に行くと、そこは地元で有名な学問の神だった。子どもの為にお参りしてみると合格。再度お礼参りに家族で訪問すると、ちょうどその神社でお祭りをやっていた」

 

 

「なぜか受験の年に数人の先輩と知り合うことがあり、いろんなアドバイスをくれて、支えになった。合格後に連絡すると、みんなが同じ目標をもっていた」

 

さらには、

 

「普段は宗教に関わりたくないと感じていたけど、それなら自分で神様にお祈りだと山に登った。大きな虹が見えて、子どもに話すと、受験の日にも大きな虹を見た。合格して再度山に行くと、同じ虹が見えて、山にお礼を言った」

 

「IBDPの最終試験に失敗して、大学は無理だと感じていた。もう研究なんて無駄だと感じていたけど、大学の教授と話す機会がありこう言われた「できることをやり続けること。それは伝わる。」そして、無駄だと思っいながらも最後の大学の受験日まで自宅でできる研究をつづけた。面接の時に半泣きでそれを話すと、教授はその専門だった。そして合格。」

こうした話は、決して珍しいものではありません。もちろん、これらはすべて「後付けの解釈」 かもしれません。人間の脳は、無数の偶然の中から意味のあるものだけを拾い上げてストーリー化する性質を持っています。合格したからこそ、あの出来事を「良い兆し」として記憶に残すのです。

なぜ「何かが起きる」と感じるのか


しかし、それだけでは説明しきれない何かが、確かに存在するようにも思えます。

 

 

受験期の家族は、誰もがギリギリの緊張感の中で生活しています。子どもはもちろん、親もまた子どもの一喜一憂に心を揺さぶられ、睡眠不足やストレスを抱えながら数ヶ月を過ごします。そのような状態では、普段は気づかない細かな現象や、ささいなシグナルに異常に敏感になるのです。

そしてその敏感さが、「何かが起きた」という体験として結晶する。これは、おそらく宗教的な奇跡ではなく、極限状態にある人間の心理が生み出す自然な現象と言えるのでしょう。

 

でも、なぜかそんな体験をしている。そして、それはもしかしたら何かのパワーなのかもと感じる。

それだけ受験が重いということ
 

しかし、こうした「神頼み」や「不思議な体験」が語られる背景には、それだけ日本の受験が本人と家族にとって巨大な負担になっているという現実があります。

子どもの将来がかかっているというプレッシャー

何年も前から準備を強いられる長期的なストレス

経済的な負担(塾代、交通費、受験料)

家族全体の生活リズムが受験を中心に再編成される

「もし不合格だったら」という暗黙の不安が常に漂う


このような環境では、人は自分ではコントロールできない部分に対して、何かしらの「頼りどころ」を求めるようになります。それが神仏であったり、お守りであったり、あるいは「偶然の出来事」を兆しとして読み解く行為であったりするのです。

つまり、神頼みとは「頑張った自分ではどうにもならない部分を、何かに委ねることで心の平穏を得ようとする知恵」 なのかもしれません。

 

 

合格した先にあるもの


合格した経験を持つ生徒やその家族は、しばしばこう振り返ります。

「合格したのは運が良かったからなのか、それともあの日見た虹のおかげだったのか、今でもわからない」

しかし、それでいいのだと思います。受験という経験は、「自分がやりきった」という確信と、「それを超えた何か」に委ねる謙虚さの両方を教えてくれるものだからです。

あなたは自分を守ることを忘れないで
 

「神頼み」や「不思議な体験」、でもそれ以上に最も大切なことは、受験がどれほど大きな負担であっても、自分自身と家族の健康を最優先に考えることです。

 

 

睡眠を削りすぎない。食事をきちんととる。たまには家族で笑う時間を作る。この基礎が崩れてしまっては、神様も何も「後押し」のしようがありません。

神様にお願いする前に、まずは自分の体と心に「お願い」 してみてください。「しっかり休ませてください」「無理させないでください」と。そして、もし相談できる友人がいれば、自分が疲れていることを話してみましょう。些細な会話に救われることがあります。友達はおかれた環境が違うかもしれませんが、ちょっとした会話の中に何かのヒントが隠れていることがあります。また、そのちょっとした会話の中に、奇跡的なことがあるのかもしれません。

自分から何かを求めて行動することが、奇跡を起こす秘訣なのかもしれません。

【注意喚起】オーストラリア大学「9月入学」、本当に大丈夫?

学部1年生が“冬入学”を選ぶリスク(オーストラリアは8,9月が冬季)

オーストラリアの大学といえば、一般的に2月入学(1月後半)がメインです。これは日本の4月入学と同じように、年間カリキュラムのスタート地点として最も自然なタイミングです。

インターナショナルスクールを6月に卒業した場合、通常はその後の2月の入学になります。受験は卒業後の11月に開始するような日程です。

日本の高校を卒業した場合は、3月に卒業して、11月受験、2月入学なので、ほぼ1年後になります。

その為、多くの日本の高校生は9月入学枠で受験したり、9月入学を選択します。

大学や学部によって9月入学(オーストラリアでは冬にあたります) の枠はありません。北半球(日本を含む)では夏休みの真っ最中。この時期に「せっかく合格したし、半年も待ちたくない!」と9月入学を選ぶ方がいますが、初めての海外学部留学(大学1年生)には、正直“早いから良い”よりも“大トラップ” です。

短期留学や語学コースならまだしも、正規の学部生(学士課程)として1年生から入学する場合、9月入学には想像以上の落とし穴があります。なぜなのか、順を追ってお伝えします。

 

↓のnoteメンバーでは先取り記事が読めます。

 

寮(カレッジ/ドミトリー)の“空き”問題

オーストラリアの大学にはカレッジ制(寮型コミュニティ) を取り入れているところもあり、多くの新入生はここで生活をスタートさせます。

しかし、寮の部屋割りや募集は、基本的に“2月入学”を前提に組まれています。

2月入学の新入生向けに大部屋・新棟が割り振られる

9月時点では、どうしても「2月に空かなかった部屋」「キャンセル待ちの残り」 しか残っていない

つまり、物理的には入れても、「新入生が集まるフロア」ではなく、既にコミュニティが出来上がった既存生の隙間にポツンと放り込まれるリスクがあります。

オリエンテーション&ウェルカムイベントの“黄金の1ヶ月”を逃す

オーストラリアの大学では、2月からの約1ヶ月間がまさに“新入生シーズン”です。

 

↓海外大学目指すなら、手引書。合格の方法まで。

 

キャンパスツアー
学部ごとのガイダンス
図書館・オンラインシステムの使い方講習
寮内の歓迎パーティーや先輩との交流会
近隣の治安情報や買い物ルートの共有

 

この期間に、大学の仕組み・治安・勉強の進め方・先輩や同級生の顔を一気にインプットします。特にカレッジ制では、先輩(チューター)が授業の補習や課題のコツを教えてくれる「チュータリング制度」が機能するのも、この2月からの流れに連動しています。

9月入学だと、この“基礎期”が完全にスキップされます。

先輩たちは既に授業に慣れて忙しく、新入生向けの特別なイベントはほとんどありません。「何かあったら聞いてね」と言われても、みんな既に友人グループができていて、新しく来た9月組にまで手が回らないのが現実です。

「メンタル」に大きく響く“孤立の冬”

海外初留学で、言葉の壁・文化の壁・授業の壁にぶち当たるのは、2月入学でも9月入学でも同じです。

しかし、2月入学は夏(オーストラリアの夏)の明るい雰囲気の中で、同じ悩みを持つ新入生たちと一緒に乗り越えていけます。周りも「みんな新人」なので、英語がたどたどしくても「お互いさま」の空気があります。

一方、9月はオーストラリアの冬の終わり~春先。日照時間が短く、気候も不安定です。気温や日差しの変化がメンタルに与える影響は侮れません。

しかも、周りの学生は既にグループが固まっている。「隣の席の人に英語で話しかけるのが超得意で、すぐに友達ができるコミュニケーション上級者」ならともかく、多くの学生にとっては話しかけようとするだけでものすごい勇気が要ります。失敗したときの孤独感は、2月入学の比ではありません。

 

 

カリキュラムの“変則性”に戸惑う

9月入学が認められている学部でも、科目の提供順序が2月入学を基準に組まれていることがほとんどです。

2月から始まる「基礎科目(入門編)」は9月にはすでに終わっている

9月から始めると「中級」や「特殊トピック」からスタートせざるを得ない場合も

先輩に勉強を教えてもらうチューター制度も、2月からの流れで動いているため、9月生は“事務処理的に”後回しにされる

結果として、「周りは普通にわかっているのに、自分だけついていけない」という学業面での不利が生じます。

 

では、どうするのが正解か?

 

 

 

結論:もし正規合格しているなら、無理に9月入学を選ばず、半年待って2月入学にすることを強くおすすめします。

 

多くの大学では、合格後に「入学時期の調整」が可能です。特に学部が異なる場合や、専攻によってはそもそも9月入学自体が用意されていないこともあります。まずは大学のAdmission Officeに「Defer(延期)して来年2月から入学したい」と相談してみてください。

延期の手続きは想像よりずっと簡単で、大学側も「2月がメイン」と理解しているので、スムーズに対応してくれるケースが多いです。

9月入学が“アリ”なのはどんな人?

そんな9月入学ですが、もちろん

 

語学力に絶対の自信があり、初日からバリバリ友人を作れる社交性の持ち主

すでにオーストラリアに家族や親しい知人がいて、生活基盤が整っている

あくまで「交換留学」や「短期プログラム(半年だけ)」で、学位取得が目的ではない

 

な人ならだいじょうぶです。

初めての海外で、一人暮らし+現地の大学正規課程というシチュエーションなら、2月入学を待つのは“損”ではなく“大きな得”です。

高校生の親御さんへ

「子どもがせっかく合格したのに、半年も待たせるのはもったいない」と感じるかもしれません。

でも、海外の大学は“入学した瞬間”から勝負です。最初の1ヶ月で人間関係と生活リズムを作れるかどうかが、その後の2〜3年間の充実度を決めると言っても過言ではありません。

 

 

たかが半年の“待ち”ですが、されど半年。その間に

英語のリスニング力をさらに磨く

オーストラリアの気候や文化を事前に調べておく

奨学金の追加申請を検討する

 

といった“前倒し準備”に充てることもできます。

「早く行けばいい」ではなく「最高の状態で行く」 という視点を持って、お子さんと一緒にスケジュールを検討してみてください。

どうしても9月でないと都合が合わない場合も、大学のサポート窓口(インターナショナルオフィス)に「9月入学生向けの特別なサポートはありますか?」と事前に問い合わせることを徹底しましょう。住まいの手配も、大学公認の代理店を経由すれば、少しはリスクを減らせます。

まとめ

オーストラリアの9月入学は、“選択肢”としては存在しますが、学部1年生の正規留学では“要注意ルート”です。せっかくの留学生活を最高のスタートダッシュで切るために「2月入学」という王道を、どうぞお忘れなく。

まずは志望大学の公式サイトで「Semester 1(2月)」と「Semester 2(7〜9月)」のカリキュラム差を比較することから始めてみてください。それだけで見える景色が変わりますよ。

IBDPと国立大学医学部医学科

「入れればいい」という考え方の落とし穴 の第1話です。
 

はじめに:過熱するIBDP人気と、保護者の“ある誤解”


近年、国際バカロレア(IB)ディプロマプログラム(DP)を提供する日本の高校が増え、その人気が高まっています。それに伴い、IBDPへの関心、特に保護者の間での人気は年々過熱気味です。学校説明会は即日に申し込み定員がうまり、説明会での質問の多さは保護者がいかに興味をもっているかの指標にもなります。

「国際的な教育が受けられる」
「英語力が身につく」
「海外大学だけでなく、国内の難関大学にも強い」

 

当初は海外大学進学の為と思われていましたが、インター校のIBDP卒業生が日本の国立大学医学部医学科の合格もあったり、今年4月に入学した卒業生の進学実績もあったりで、その総数と比べるとなんとその進学実績の高いことかと話題です。

ここ数年でIBDPから国立大学医学部医学科への合格実績やその活躍、また塾による記事やその学生の家庭教師としての人気が報道される機会が増えたことも、保護者の興味に拍車をかけています。

 

中には、「国立大学医学部に入れるならIBDP」 と感じている保護者も少なくありません。

しかし、ここで一つ、大きな警告を発したいと思います。

IBDPを「国立大学医学部への近道」と考えるのは、極めて危険な誤解です。

確かにIBDPから国医に合格する生徒は存在します。しかし、その道のりは想像以上に険しく、そして「合格者の実態」 を正しく理解しなければ、子どもを不幸にする可能性すらあります。

本稿では、IBDPと国立大学医学部受験の現実を、データと実例を交えながら冷静に解説します。

国医の現実:IBDPの得点だけでは足りない

 

得点が高いことだけが合格の条件ではない。ここが最も重要なポイントです。

 

記事の続きはしばらくしてアメブロで掲載します。

全文先行掲載はnoteメンバーシップのみ👇

 

関連記事は他の記事にも書いてあります↓↓

 

合わせてご一読ください。

 

また、過去2年分の記事の多くはアメブロで公開しています。

新しく公開する記事は、noteで先行公開し、しばらくしてアメブロで連載掲載しています。

 

今までは全てアメブロ掲載していましたが、いろいろありまして。

 

なお、コメント機能を利用してご質問などをいただけます。記事にもご参加いただけます。自動公開されません。コメントは運営側だけが読めます。

返答は個別には行いません。近日中に記事の中でそれと書く返答いたします。

また、夏季休暇中などで、掲載は不定期です。

 

インター校の「エレベーター禁止ルール」が示す、本当の“配慮”の形


先日、ある学校関連のSNSが目に留まりました。
「ビルタイプの校舎で、生徒もエレベーターが利用できる学校がある」

それ自体は「へえ、そうなんだ」で終わる話です。でも、その後に続くコメントに、私は少し驚きました。

「生徒で満員のエレベーターに、教師とゲストが途中から乗れなかった」
「冗談半分で『先生、健康のために歩いてくださいよ』って言われた」

もちろん、ネタなのかもしれませんね。

でも、とにかく、この話自体がインター校では絶対にありえない光景です。

インターナショナルスクールの“当たり前”をみていきましょう。
 

まず世界主要国・地域のエレベーター設置状況から

 

 

北米(アメリカ・カナダ)

アメリカでは、ADA( Americans with Disabilities Act) により、公共施設である学校にはエレベーターを含むバリアフリー設備の設置が義務付けられています。特に2階建て以上の校舎では、車いすユーザーを含むすべての人がアクセスできるよう設計することが法律で求められています。

カナダでも同様に、州ごとの建築基準法に基づき、障害者差別禁止法のもとでエレベーター設置が義務化されています。

設置率:ほぼ100%(法的義務のため)

ヨーロッパ(イギリス・スイス・ドイツなど)
 

EU圏では、EN 81-70(エレベーターのバリアフリー基準) や各国の建築基準法により、公共建築物へのエレベーター設置が広く義務付けられています。

スイス(ICS Zurich) :新築のPavilion校舎にはエレベーターを設置し、全フロアへのアクセスを確保

ドイツ(International School Basel) :複数キャンパスを持つが、各キャンパスでアクセシビリティを確保

ハンガリー(International School of Budapest) :キャンパスは市の各地域とよく接続され、必要な設備を完備

設置率:ほぼ100%(新築・改築時は法的義務)

 

 

オセアニア(オーストラリア・ニュージーランド)


オーストラリアでは Disability Discrimination Act 1992 と Building Code of Australia により、公共施設のバリアフリー化が義務付けられています。ニュージーランドでも Building Code clause D1 Access routes がエレベーターを含むアクセス経路を規定しています。

設置率:ほぼ100%

中東(UAE・カタールなど)
 

中東の主要インター校でも、近代的な施設を謳う学校ほどエレベーター設置が標準化されています。

UAE・アジュマン(Cosmopolitan International Indian School) :エレベーターを完備し、移動に制限のある生徒が独立して移動できる環境を提供

ただし、地域によっては建築基準の enforcement にばらつきがあるため、すべての学校で完全なバリアフリーが実現しているわけではありません。

設置率:都市部の主要校では80〜95%程度(推定)

 

 

アジア主要4都市の状況

① 東京(日本)
 

日本のインターナショナルスクールは、バリアフリー法(建築物移動等円滑化基準) の対象となります。ただし、公立小中学校のエレベーター設置率は約29%にとどまるなど、日本の学校全体ではまだ整備が進んでいるとは言えません。

一方、インターナショナルスクールは民間施設として、比較的積極的にバリアフリー化を進めています。

さくらインターナショナルスクール日本橋校:専用入り口とエレベーターを設置

UIA International School of Tokyo(木場) :エレベーターで3階の受付へアクセス

東京インターナショナルプログレッシブスクール:2021年に新校舎を建設

設置率:主要インター校では80〜90%以上(推定)

 

↓インター校を受験する?面接にいく? その前にかならず。

 

② シンガポール

シンガポールは Building and Construction Authority (BCA) のアクセシビリティ基準 により、公共施設へのバリアフリー設備設置が義務付けられています。多くのインター校はこの基準を満たすか、それを上回る施設を提供しています。

INSEAD Asia Campus:スロープや広い通路に加え、車いすやベビーカーに対応した広々としたリフトを設置

UWCSEA:ユニバーサルアクセシビリティ機能を備えたサステナブルデザインで評価

Dulwich College (Singapore) :車いす対応の入口と駐車場を完備

GIIS SMART Campus:テクノロジーを活用した学習モデルのキャンパス

設置率:ほぼ100%(法的義務+先進的な施設基準)

 

 

③ 香港

香港では 建築物条例(Building (Planning) Regulations) により、バリアフリーアクセスが義務付けられています。インター校の多くはこの基準を満たしています。

German Swiss International School (The Peak Campus) :車いすアクセス対応

Hong Kong Academy :車いすアクセス対応

Kingston International School :アクセシビリティ声明を公開

Singapore International School (Hong Kong) :バリアフリーアクセスキャンパス

ただし、香港のインターナショナルスクールの中には「バリアフリーアクセスなし」と明記している学校も一部存在します。

設置率:主要校では90%以上、一部旧式校舎では未対応のケースもありますが、改修は順次すすめています。

④ 上海(中国)


中国では 「無障礙環境建設条例」 (バリアフリー環境建設条例)により、公共施設のバリアフリー化が進められています。上海はその中でも特に先進的な都市です。

Nord Anglia International School (Shanghai, Pudong) :車いすアクセス対応

上海協和双语学校:複数キャンパスを持ち、IBやA-Levelなど多様な課程を提供

上海青浦区:2024年に一部学校へのエレベーター設置工事を公開入札

ただし、中国の建築基準は比較的新しく、すべての学校で完全にバリアフリーが実現しているわけではありません。

設置率:新築・改築校では80〜90%、旧式校舎では未整備のケースも

 

私が知る多くのインターナショナルスクール(IB校含む)では、エレベーターは「必要とする人のためのもの」というルールが徹底されています。

車いすユーザーの生徒・職員
足を骨折して松葉杖を使っている生徒
階段の昇降が医師から制限されている子
骨折などで一時的にでも移動に困難がある人

そうした人たちが確実に使えるように、エレベーターは常に空きを確保するのが暗黙の了解です。

だからこそ、健常な生徒は基本的にエレベーターを使用禁止。使っていいのは教師や用務員、来訪者など、業務上やむを得ない場合に限られます。

 

↓インター校や国際バカロレア、帰国生の話し

 

「エレベーターがあること」と「生徒が自由に使えること」は全く別の話です。インター校では、設備が整っているからこそ、「必要な人が確実に使える」という運用ルールが徹底されている

なぜ「生徒禁止」なのか? 逆説的な“平等”


「障がい者に配慮するなら、むしろ全員が使えるほうが平等では?」と思う方もいるかもしれません。

でも、インター校の考え方は違います。

「使える人が使う」のではなく、「必要な人が必ず使えるようにする」それが真のインクルーシブ教育の現場です。

エレベーターのキャパシティは限られています。もし全生徒が自由に使えるようにしたら、満員で本当に必要な人が乗れなくなる。これは機会の不平等を生みます。

だからこそ、ルールで制限することで、弱者が後回しにされない環境を“デザイン”しているのです。

日本の学校で起きていた“違和感”の正体


先のツイートのケースでは、生徒がエレベーターを埋め尽くし、教師やゲストが入れなかっただけでなく、笑い話のように「歩け」と言われたそうです。

これは、日本では「エレベーター=誰でも使える便利なもの」という認識が広く共有されているからでしょう。でも、国際的な教育現場の感覚からすると、そこに“優先順位”の視点が欠けているように映ります。

教師やゲストが「歩け」と言われて笑って済むのは、まだ軽傷です。もしそのエレベーターに、車いすの生徒が待っていたら? 松葉杖の子が後ろで順番を待っていたら?
その子たちは、笑い話にはできません。なら譲っただおろう? 

ルールは「制限」ではなく「セーフティネット」


インター校のエレベータールールは、決して生徒を「不便にするため」のものではありません。

むしろ、「もし自分がケガをしたら」「もし自分が障がいを持っていたら」そのときに、必ず使える仕組みが整っていることが、すべての生徒へのメッセージになっています。

つまり、健常な生徒が階段を使うことは、彼ら自身の“社会貢献”でもあるのです。ささやかながら、誰かのためのスペースを空ける、それが当たり前にできる文化。それを学校全体で育てています。

 

 

日本でも変わりつつある? それでも…

最近では日本の学校でも、バリアフリー法の改正などでエレベーター設置が進んでいます。しかし運用ルールまで国際標準になっているかというと、まだまだこれからの印象です。

「使えるから使う」ではなく、「誰が本当に必要か」を考えて使う、そんなエレベーター・エチケットが、これからの学校には求められているのではないでしょうか。
 

子どもたちに伝えたいこと
もしあなたの学校にエレベーターがあるなら、一度考えてみてください。

「自分が今階段を使うことが、誰かの今を楽にしているかもしれない」そう思えるかどうか。インター校の生徒たちは、この問いに対して「階段を選ぶ」という答えを、日常的に実践しています。

それは決して「我慢」ではなく、「思いやりのある選択」として。

エレベーターのルールひとつとっても、その学校の“インクルージョンへの本気度”が見える。そんな気がします。