車の買い方と教育投資:日本の「コスパ思考」が映すもの
 

自動車購入に現れる日本の価値観


日本で車を選ぶ際、多くの人がまず気にするのは「再販価値」です。「5年後の価値がどれだけ残るか」「燃費はどうか」「維持費は低いか」——これらの経済的合理性が購買決定の中心にあります。一方、欧米、アジア各国においても「自分のライフスタイルに合っているか」「デザインが気に入るか」「運転の楽しさ」といった情緒的・個人的価値がより重視される傾向があります。

この違いは、単なる消費行動の違いではありません。背後にあるのは、長引く経済的不安、将来への慎重さ、そして限られた資源の中で「賢く」生きようとする日本的な姿勢です。確かに、この傾向を「日本の貧しさ」と表現するのは過激かもしれませんが、少なくとも「経済的余裕のなさ」や「将来に対する不安」が消費行動に色濃く反映されていることは間違いないでしょう。

 

 

教育における「コストパフォーマンス」思考


驚くべきことに、この「コスパ思考」は教育の分野にも深く浸透しています。

教育投資に対する日本人の独特の計算尺


塾や予備校には巨額を投じる:子どもの受験に関しては、年間数十万円から百万円以上を惜しみなく支出

学校そのものへの投資には消極的:特に大学教育における授業料への抵抗感が強い

大学や学校への寄付は絶対にしない

「見える成果」への偏重:すぐに点数や合格実績に結びつく投資を好む傾向

確かに、インターナショナルスクールや海外留学など、年間数百万円かかる選択肢については、どんな家庭でも慎重になるでしょう。しかし、問題は「普通の日本の教育」ですら、過度に費用対効果が論じられてしまう点にあります。

 

 

大学教育:投資不足の深刻な実態


日本の大学教育費は国際比較で見ても高額とは言えません。それにもかかわらず、

学生自身の投資意識の低さ
高い授業料を払いながら、講義をサボる学生
自己投資としての書籍購入やスキル習得への消極性
アルバイト優先で学業が二の次になる実態

 

現在、大手有名人気企業への就職の難しさから多少の変化がありますが、それは就職する為の手段となっており、決して大学での学びへの意識ではありません。

大学側の教育投資の問題
 

大教室講義が多く、少人数教育が不足
施設・設備の更新が遅れている
教授の教育負担が重く、研究時間が圧迫

「大学は就職のための通過点」「大学入学が教育におけるゴール地点」という考え方が依然として根強く、大学での教育そのものへの価値投資という意識が希薄なのです。

塾依存社会の歪み
 

日本の教育予算が「塾偏重」であることは、多面的な問題を生んでいます。

公教育の空洞化:学校の授業が「塾でやるから」と軽視される
経済格差の教育格差への転化:塾通いできる家庭とできない家庭の差
短期的学力偏重:長期的な教養や思考力より、テストの点数向上が優先
子どもの負担増:学校と塾の二重生活による疲労

 

これは都心だけではなく、地方都市でも進学校と呼ばれる学校では同じことが起こっています。

 

 

海外の教育投資観:比較から見えるもの

欧米の多くの家庭では、
大学教育は「自己への投資」と明確に認識
学費が高くとも、その価値を認めて支払う
学生自身もアルバイトやローンで自己投資する意識が強い
教育の価値が生涯賃金の差として明確に表れる社会構造

もちろん、米国の学費高騰問題など、海外にも課題はあります。しかし「教育への投資は人生への投資」という意識の広がりは、日本よりも顕著と言えるでしょう。

変わるべきパラダイム:消費から投資へ


車の購入と教育投資を比べるこの議論が示唆するのは、私たちの価値観の根本的な転換が必要だということです。

個人レベルでできる変化
 

教育を「消費」ではなく「投資」と考える:短期的な成果だけで判断しない
子どもの教育選択に関与する際:コスパより「この経験が人生にどう活きるか」を考える


大学教育の価値:専門知識だけでなく、批判的思考力や人間関係など無形の価値も評価する

 

これらは、短期的な考えではなく、長期的な視点に立っています。結局、過去の通りに未来は動かないため、過去に学びつつ未来を作っていく動が必要ですね。

社会レベルでの変革
 

公教育の質的向上:塾が必要ないほど魅力的な学校づくり
大学教育の実質化:高い授業料に見合う教育の提供
生涯賃金と教育の関連性の明確化:どのような学びが長期的な成功につながるかの可視化

 

塾を排除することは現実的には不可能です。しかし、一部の進学校では、学校の放課後に塾機能を持ち、塾のように大学受験対策を実施している学校もあります。

未来への投資としての教育
 

車を選ぶ時に「5年後の価値」を考えるのであれば、教育を選ぶ時には「20年後の人生」を考えるべきではないでしょうか。

確かに経済的合理性は重要です。しかし、教育の本質は、単なる就職のための資格取得ではなく、人間としての成長、視野の拡大、可能性の開花にあります。これらは簡単に数値化できず、短期的なコストパフォーマンスでは測れない価値です。

日本の未来を考えるならば、私たちは「教育への投資」について、もっと大胆に、もっと長期的に考える必要があります。それは単に「もっとお金をかけよう」という話ではなく、お金の「かけ方」と「考え方」の転換を意味します。

塾にお金をかける前に、学校そのものの価値を問い直す。
授業料を払う前に、その教育が本当に価値あるものか考える。
そして何より、子ども自身が「自分への投資家」として成長できる社会を築くこと。

車の再販価値ばかり気にする貧しい発想から、未来への豊かな投資家思考へ。日本の教育を変える第一歩は、この価値観の転換から始まるのです。

 

中高生のAIロボット研究が未来を変える:コンペティションから実用化、受験メリットまで


はじめに:インター校発、サイエンスコンペティションの新潮流
 

近年、インターナショナルスクールを中心に、中高生のサイエンスコンペティションが静かな革命を起こしています。かつての「夏休みの自由研究」のイメージを覆し、LEGO MindstormsやRaspberry Piを活用した自作ロボットに、自ら構築したAIを組み込むプロジェクトが急速に普及。これらの取り組みは、単なる「生徒の遊び」ではなく、産業界を揺るがす技術革新の予兆となっているのです。

AIロボット自作の教育現場:何が起こっているのか?
 

ツールの民主化:誰でも始められる環境
 

10年前までは高額だったロボット製作キットが、今では数万円から入手可能に。LEGO Education SPIKE PrimeやVEX Robotics、Micro:bitなどの教育向けプラットフォームが学校現場に浸透しています。これらのツールは、ハードウェアの組み立てからプログラミング、AIモデルの統合までを一貫して学べるように設計されています。

 

 

コンペティションの高度化:単なる「モノ作り」を超えて


FIRST LEGO League Challenge:世界100か国以上で開催、社会課題解決型のロボット競技

World Robot Olympiad:自律型ロボットによる課題解決競技

ロボカップジュニア:サッカーやレスキューなど多様な分野で競う

高校生ロボコン:国内最大級のロボット競技会

これらの大会では、単にロボットを動かすだけでなく、「AIによる意思決定」「機械学習を用いた環境適応」「コンピュータビジョンによる認識」など、実社会と同レベルの技術課題が提示されます。

実用化が加速:中高生の研究が企業価値を変える日
 

産業界との境界線が曖昧に
 

中高生がコンペティションで開発する技術は、まさに現在の産業界が求めているスキルセットと直結しています:

自律型ロボティクス:倉庫内の自動搬送ロボット、清掃ロボットなど

エッジAI:限られた計算資源で動作する効率的なAIモデル

センサーフュージョン:複数のセンサー情報を統合して環境を理解する技術

驚くべきことに、一部のインター校生徒のプロジェクトは、スタートアップ企業のプロトタイプと技術的に遜色ないレベルに達しています。これは、クラウドコンピューティングやオープンソースAIフレームワーク(TensorFlow Lite、PyTorchなど)の普及により、高度な技術リソースが学生にもアクセス可能になったためです。

 

 

企業価値の再定義

従来、製造業やIT大手が独占していたロボット技術の知識が、若年層に分散しています。この現象は、

新規参入のハードル低下

イノベーションの速度向上

「大企業優位」の常識の崩壊

を意味します。実際、高校在学中に開発した技術で起業するケースも増えており、企業は単に知識を持つ人材ではなく、「自分でゼロから創造できる人材」を求めるようになっています。

受験における明確なアドバンテージ:なぜ「AIロボット研究」が評価されるのか
 

国内外大学入試の変化
 

海外大学(特に米国):
共通試験(SAT/ACT)以外に「ポートフォリオ」評価が重要
長期にわたる研究プロジェクトは、継続性と深さを証明
AIロボット研究はSTEM分野の実力を客観的に示せる

国内大学(総合型選抜/学校推薦型選抜):
探究活動の実績が大きな評価ポイントに
特に工学・情報系学部では、実作品があることで圧倒的に有利
東京大学・京都大学などの難関校でも「課題研究」の比重が増加

国際バカロレア(IB)プログラム:
Extended Essay(課題論文)やCASプロジェクトとして最適
TOK(知の理論)との関連付けで高評価を得られる可能性

 

 

求められる能力の変容

現代の入試が評価するのは:
知識の量 → 知識を応用する力
試験の得点 → プロジェクトの完成度と独創性
短期の成果 → 長期にわたる持続的な取り組み


AIロボット研究は、これら全てを兼ね備えた活動と言えます。

持続的な自由研究の重要性:なぜ「続けること」が鍵なのか
 

AI技術の進化速度に対応するために
 

GPT-4、Stable Diffusion、AlphaFold…AI技術の進歩は加速しており、1年前の知識が陳腐化することも珍しくありません。この環境で価値を持つのは、

継続的学習の習慣:新しいフレームワーク、アルゴリズムを自主的に学ぶ力

適応力:変化する技術環境に素早く適応する能力

基礎力の深さ:表面的な実装ではなく、数学的・工学的基礎の理解

 

 

成功する研究の継続方法

実際に長期的なプロジェクトを継続している生徒に共通する特徴:
小さなマイルストーンを設定:数か月ごとに達成目標を明確に
コミュニティへの参加:オンラインフォーラム(GitHub、Stack Overflow)や地域のメーカーコミュニティ
ドキュメンテーションの習慣:研究ノートやGitHubリポジトリで進捗を記録
外部発表の機会を活用:コンペティションだけでなく、学会の学生セッションや企業イベント

保護者と教育者の役割
環境提供者として:適切なツールと安全な失敗ができる場を提供
コーチとして:答えを与えず、問いかけを通じて思考を促進
コネクターとして:専門家やメンターとのつながりを創出

具体的な始め方:今日からできる第一歩
 

初心者向けロードマップ
最初の1か月:
LEGO MindstormsやMicro:bitの基本キットで簡単なロボット製作
ブロックプログラミングからPythonへの移行を目指す

3か月目まで:
OpenCVを使った簡単な画像認識プログラムの実装
ロボットにカメラを搭載し、色認識での自律移動

半年後:
TensorFlow Liteをマイコン(Raspberry Piなど)で動作させる
自作データセットを使った機械学習モデルのトレーニング

1年後:
特定の社会課題を解決するプロジェクトの立ち上げ
コンペティションへの応募や研究発表

 

 

予算内で始めるリソース

無料ツール:Google Colab(クラウドGPU)、Scratch→Python
低コストハード:Raspberry Pi(約1万円)、Arduino互換ボード
オンライン学習:Courseraの「AI For Everyone」、日本語なら「AI Academy」

未来を見据えて:AIロボット研究が育てる真の能力
 

これらの取り組みが育むのは、単なる技術スキルではありません

複合的問題解決力:技術的課題と社会的文脈を同時に考慮する思考
レジリエンス:試行錯誤を通じた失敗からの回復力
学際的視野:工学・数学・社会科学を横断する理解
倫理的判断力:AI技術の社会的影響を考える能力

まとめ:受験の先にある、未来を創る力
 

インター校を中心に広がるAIロボット研究は、もはや「特殊な趣味」でも「受験のための策略」でもありません。それは、激動の技術革新時代を生き抜くために必要な基礎教養となりつつあります。

保護者の方々には、お子様の「ロボット遊び」を単なる遊びと見ず、その背後にある学びの可能性に目を向けてほしい。教育者の方々には、カリキュラムの隙間でこうした探究が育つ余地を作ってほしい。

そして何より、中高生の皆さんには、この面白さと可能性を感じ取ってほしい。あなた方が今、コンペティションで取り組んでいるそのプロジェクトが、いつの日か、企業価値を変え、社会を動かす力になるかもしれません。

持続的な研究は、時に孤独で困難な道のりですが、その先に待つのは、単なる大学合格通知ではなく、自らの手で未来を形作る能力そのものです。

 

帰国子女はなぜうらやましいのか? 

中高生の憧れと現実の狭間で進学校に通う生徒たちの複雑なまなざし


「あの子、帰国子女なんだって。うらやましい」
今日、日本の進学校に通う中高生の間で、そんな会話が交わされることが少なくありません。一見、英語力への称賛のように聞こえますが、その感情の根はもっと深いところに張っています。受験というレールが敷かれた環境で、彼らが帰国子女に感じるのは、単なる語学力への羨望ではない、より複雑な感情の混合物なのです。

憧れの多層構造:英語だけではない理由


確かに、帰国子女の持つ自然な英語力は、TOEFLや英検のための学習に追われる多くの生徒にとって眩しい能力です。しかし、彼らが本当に羨ましいと思うのは、その先にあるものかもしれません。

第一に、海外生活そのものへのロマンチックな憧れがあります。日本の学校とは異なる教育環境、多様なバックグラウンドを持つ友達、そして何より「受験一色」ではない世界への思い。日本の学校で複雑な人間関係や過度な競争に疲れている生徒ほど、海外の学校を「自由で開放的な場所」と想像しがちです。

第二に、親となった大人たちも、かつては同じような憧れを抱いていたことに気づく必要があります。世代を超えて、未知の世界への憧れは受け継がれているのです。

 

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夢物語と現実のギャップ

受験に縛られた日常を送る中高生にとって、帰国子女の経験はまるで別世界の物語のように映ります。

自然に英語を話せる能力

海外での生活経験

日本の学校とは異なるインターナショナルスクールでの学び

国境を越えた友達のネットワーク

これらは、定期テストと塾通いの繰り返しの中で、「自分には手の届かない特別なもの」として輝いて見えるのです。

 

海外大学 合格の 手引き

 

親の影響:憧れを抑制する見えない圧力

しかし、興味深い矛盾があります。多くの生徒が海外への憧れを抱きながらも、実際に海外進学や長期留学に積極的になれないのは、親の影響が少なくありません。保護者世代の「安定志向」や「日本の学歴社会への信仰」が、子どもの海外への興味にブレーキをかけているケースはよく見られます。

さらに、家族で海外旅行に行った際、現地の同年代の若者たちの生き生きとした姿を目にした生徒は、内心に何かを感じ取ります。しかし、その感情を親に率直に話すことはまれです。「どうせ無理だよね」という諦めや、「親を心配させたくない」という気遣いが、本音を封印させるのです。たとえその本音を話せたとしても、多くの親は否定から入る返答をします。その結果はお分かりの通りです。

 

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憧れの裏側:隠された感情とその危険性

ここに最も深刻な問題が潜んでいます。帰国子女への「憧れ」は、多くの場合「隠された感情」であるということです。表向きは羨ましがりながらも、内心では複雑な嫉妬や劣等感を抱えている。この矛盾した感情が、時として陰湿な形で表面化します。

仲間外れ: 「特別なあいつ」というレッテルによる排除

無意識のいじめ: 羨望が「違い」を強調する言葉の暴力に変容

過度な期待の押し付け: 「英語できるんでしょ?」という偏った役割期待

帰国子女という立場が、日本の学校社会で不安定になりやすい理由はここにあります。

 

彼らは「憧れの対象」であると同時に、「自分たちとは違う異質な存在」としても認識され、集団の力学の中で微妙な位置を占めることになるのです。

 

また、このイジメはお互いの親にはあまり見えません。

イジメている側はイジメではないと自己肯定します。イジメられる側は帰国前にまわりから聞いていたような話となり、我慢すべきと感じます。

教育現場で求められる配慮と理解
 

この現象は、単に帰国子女の問題としてだけではなく、日本の教育環境全体を映す鏡と言えるかもしれません。

 

日本の大学を国際バカロレア選抜、特別入試、総合型選抜、帰国生向け入試などで受験する前に読む本

 

教師や保護者が意識すべき点

帰国子女の経験を「特別視」しすぎず、一人の生徒として受け入れる環境作り、その一方で、悩みや現状を積極的に聞き出すサポート

多様なバックグラウンドを持つすべての生徒が、自分の経験を誇りに思える教室文化の醸成

海外経験に対する理想化を解きほぐし、どの環境にもメリット・デメリットがあることを伝える

生徒たちの「憧れ」の感情を否定せず、建設的な方向に導く対話の機会を設ける

 

海外在住で、日本の大学を国際バカロレア選抜、特別入試、総合型選抜、帰国生向け入試などで受験する前に読む本

 

違いを豊かさに変える教育を

帰国子女への憧れと複雑な感情は、現代の中高生が抱える「多様性への戸惑い」の表れかもしれません。グローバル化が進む社会で、私たちは違いを脅威ではなく、学びの資源として活かす教育を模索する時期に来ています。

生徒一人ひとりが、自分のバックグラウンドに自信を持ち、他者の経験から学ぶ姿勢を育む。そんな環境があれば、憧れは嫉妬ではなく、相互理解と成長のきっかけに変わるはずです。

次に「帰国子女がうらやましい」という言葉を耳にした時、私たち大人は、その背後にある中高生たちの切実な思いに、もっと耳を傾ける必要があるのではないでしょうか。

IBDP卒業枠で大学を受験した⇒合格した 

それなら

合格後すぐに始めるべきこと:海外在住日本人学生のための進学準備チェックリスト


IBDP(国際バカロレア)の結果が発表され、合格必要得点を超えた海外インター校など卒業した生徒さん。おめでとうございます。

 

特に海外のインターナショナルスクールから進学する生徒にとって、合格後の「準備期間」は、日本の高校生以上に重要です。

海外での学びを終え、日本での大学生活を迎えるにあたって、特に「海外在住日本人学生」として知っておくべき準備ポイントをご紹介します。

重要な前提:情報収集は「自主的」に、でも「孤独」にしない。大学が公式に発表している情報は、必ず自ら確認しましょう。

 

1. 大学への連絡は「すぐに」始める。遠慮しないで。
合格通知を受け取ったら、できるだけ早く大学の担当部署に連絡を取りましょう。特に海外から日本へ進学する場合、以下の確認が急務です。

入学手続きの詳細と期限
寮や学生向け住宅の情報
新入生オリエンテーションの日程

 

一方で、

入学後の各種手続き:大学ホームページの「新入生向け」ページを細部まで精読
オリエンテーション日程:多くの大学では4月以前にオンライン説明会を実施
必要書類一覧:海外在住者向けの特別手続きがあるか要確認
学費納入方法:海外からの送金方法や期限の確認


これらの基本的な情報については、「大学の公式サイトに載っていないか」まず自分で確認することが第一歩です。

 

👇まだ間に合う、海外大学。

 

それでも積極的に問い合わせるべきこと
一方で、以下のような「個別状況に依存する不安」については、遠慮なく大学へ連絡しましょう。

海外からの渡日時期と準備:寮入居日より早く到着する場合の対応
寮の場合はその契約:保証人や初期費用に関する相談

民間の賃貸物件を借りる場合は、賃貸仲介業者の紹介があるか

「不安があるからこそ、聞く」という姿勢は決して悪いことではありません。特に海外生活が長いと、日本での「当たり前」がわからないことは多々あります。

2. 生活基盤を早期に固める
渡日・引っ越しまでに時間がない場合が多いため、優先順位を明確に。
運転免許:必要な場合、日本の免許取得または国際免許証の手続き
住居探し:大学寮、学生会館、民間アパートなどの選択肢比較
銀行口座・携帯電話:現地到着後すぐに必要なもの
住民票はとりあえず仮の居住地(実家など)で取得して、入居先(引越し先)がきまったら変更

 

あなたは「日本人」ですが、行政手続き上は「海外からの新規入国者」に近い立場になります。
民票:日本の住民票がなく、すべて「新規」手続きになる
銀行口座:住居確定前の口座開設は困難な場合が多い
 

いろいろな困難がありますが、入学するために乗り切りましょう。


3. 「実際の声」を最優先で収集する
大学の公式情報だけに頼らないことが成功の鍵です。

在校生からのリアルな情報:特に同じ「海外出身」「帰国子女」の先輩は、あなたの状況を最も理解しています。

 

大学の留学生課・帰国生支援課:同じ背景の先輩を紹介してもらえないか相談
SNSでの検索:「#[大学名]寮」「#[大学名]帰国子女」などで先輩の声を発見
大学が主催するオンライン座談会:積極的に参加し、直接質問する機会を活用

大学が紹介してくれる場合も:一部の大学では、出身地や背景が似た在校生とのグループチャットを設定してくれます

海外インター校や国際バカロレア校では、日本の普通の高校のカリキュラムとことなり、学習範囲が異なります。入学前に勉強が心配なことも多いでしょうから、そのことも正直に相談しましょう。すでに合格しているので、サポートは早速受けられます。


生協や大学サイトの情報:参考にはなりますが、宣伝色が強い場合もあることを認識しておきましょう。

 

👇この機会に、チックをなんとかしておきます。

 

4. 日本の高校生との「違い」を理解する
日本の高校から進学する生徒とは、以下の点で状況が異なります。

日本での生活経験が少ない(または無い)
保証人や緊急連絡先の設定に追加書類が必要な場合も
カルチャーショックや生活習慣の違いへの準備が必要

5. コミュニケーションのマナーを忘れずに
「合格しているから」と気を緩めず、丁寧な対応を。

問い合わせメールは件名を明確に、本文は丁寧な言葉遣いで
必要な情報を事前に整理し、簡潔に質問
親御さんからの質問がある場合は、子どもからの問い合わせを通じて尋ねるのが効果的です。

 

親御さんも海外在住の場合、日本でのサポートが物理的に難しくなります。

 

親子間での情報共有:大学からの連絡をどのように共有するか方法を決めておく

保護者同伴が必要な手続き:事前に大学に確認し、代替方法を探る
緊急連絡先:日本在住の親戚や家族の知人を事前にリスト化


保護者の方へ
お子様の質問に加えて、ご自身の心配事や確認事項がある場合は、この機会にまとめて尋ねるようお子様に促してください。大学側も、保護者の関与を重要なサポートと認識しています。

合格はスタートラインに立ったに過ぎません。特に海外からの進学者にとって、事前準備の質が大学生活の最初の1年を左右します。早めのアクションで、自信を持って新生活を迎えましょう。

渡日計画の暫定版作成:寮入居日・オリエンテーション日から逆算したスケジュール作成は必須です。パニックにならないように、日数には最低1日の余裕をもって計画しましょう。

心構え:海外経験はあなたの強み
 

長く海外で生活した経験は、単なる「ハンディキャップ」ではありません。多様な視点、言語能力、適応力——これらは大学で大きく花開く素養です。

最初は戸惑うことも多いかもしれませんが、同じように海外から戻ってきた先輩たちは皆、この道を通っています。一人で悩まず、大学のサポート部門を積極的に活用しながら、新生活の準備を進めていきましょう。

 

「豪快なダンクシュート」に潜む日本語の危機~テレビ表現の画一化が映すもの~
なぜテレビはダンクシュートに「豪快」しか与えないのか


表現の貧困:繰り返される「豪快なダンクシュート」
バスケットボールの国際大会中継やスポーツニュースを見ていると、ある決まり文句に気づく。ダンクシュートが決まるたびに、必ずと言っていいほど「豪快なダンクシュート」という表現が使われる。

たくみなダンクシュート、力強いダンクシュート、美しいダンクシュート――。日本語には数多くの表現があるにもかかわらず、なぜか「豪快」だけが繰り返し使われる。これは単なる偶然だろうか、それとも何か別の要因が働いているのだろうか。

国語教育の敗北か、メディアの怠慢か
豊かなはずの日本語表現力

 

日本語には、同じ事柄を多様に表現する豊かな語彙がある。ダンクシュート一つとっても、

「華麗な」 - 優美で美しい様子

「力強い」 - 力がみなぎっている様子

「圧巻の」 - 他より特に優れている様子

「見事な」 - すぐれていて非の打ちどころがない様子

「ダイナミックな」 - 動きが大きく活力に満ちている様子

など、状況や文脈に応じて使い分けることができる。

テレビメディアの言語習慣


テレビ業界、特にワイドショー内のスポーツニュースでは、視聴者にわかりやすく、印象的に伝えることが優先される。その結果、一度定着した表現が繰り返し使われる傾向がある。

「豪快なダンクシュート」という表現は、おそらく過去に誰かが使い、それが「バスケットボールのダンクシュートを表す定番表現」として業界内で定着してしまったのだろう。そして、新しい表現を考えるより、定番を使う方が安全というメディアの体質が、この画一化を促進している。

問題の根源:三方に存在する責任
テレビ会社という組織の問題

 

テレビ業界には「変わるリスク」を避ける傾向がある。視聴者調査やスポンサーの意向を気にするあまり、創造的な表現よりも無難な表現を選びがちだ。また、時間に追われる制作現場では、いちいち新しい表現を考える余裕がないという現実もある。

一般視聴者の受け止め方
 

私たち視聴者も無関係ではない。「豪快なダンクシュート」という表現に特に違和感を抱かず、むしろ「そういうものだ」と受け入れている面がある。画一的な表現に疑問を抱かない受け手の態度が、この状況を許容しているとも言える。

 

しかし、これを学校教育に照らし合わせて考えると、状況は変わる。つまり、作文などで「豪快なダンクシュート」と書けば、それは表現不足でよい点が取れない。

 

国語教育の重要性が叫ばれるが、我々多くは実はその国語の重要性を認識していないと言える。

国語教育の限界


学校教育での国語教育は、文学作品の読解や文法の習得に偏りがちで、メディア・リテラシーや実際の言語使用に関する指導が不足している。その結果、メディアの言語使用に対して批判的な目を向ける力を十分に養えていない可能性がある。

日本語は変化する、しかし…
自然な変化と作為的な画一化


確かに、言語は生き物であり、時代とともに変化していく。しかし、メディアによる作為的な画一化は、言語の自然な発展を阻害する危険性がある。

テレビという影響力の大きなメディアが表現を使い分けないことは、視聴者の語彙力や表現力にも影響を与えかねない。

テレビに求められる言語感覚


テレビ局は、自らを「日本語のプロフェッショナル」と位置づけていることが多い。ニュースキャスターやアナウンサーは、正しく美しい日本語を話すことが期待されている。

であるならば、スポーツ中継やニュースにおいても、状況に応じた適切な表現を使い分ける努力が求められるべきではないだろうか。

表現の多様性を取り戻すために
メディアへの提案


テレビ関係者には、表現のレパートリーを意識的に増やす努力をしてほしい。

例えば、

選手の特徴に応じた表現の使い分け

状況や文脈に合わせた適切な形容詞の選択

若手アナウンサーへの多様な表現教育

視聴者としてできること
 

私たち視聴者も、メディアの表現に無批判に受け入れない態度が重要だ。

画一的な表現に気づいたら、SNSなどで疑問を提起する

多様な表現を評価する視聴者目線を持つ

自分自身の言語使用でも、豊かな表現を心がける

教育の可能性


国語教育では、メディア・リテラシー教育を強化し、テレビやインターネットの表現を批判的に読み解く力を養う必要がある。また、実際のメディア表現を教材として、より良い表現を考える授業も有効だろう。

まとめ


「豪快なダンクシュート」問題は、小さな現象のように見えて、日本語の豊かさとメディアの責任という大きな問題をはらんでいる。

テレビという強大なメディアが、自らの言語使用に無自覚であることは、日本語の未来にとって由々しき事態と言わざるを得ない。しかし、この状況は、メディア関係者だけでなく、視聴者である私たちの意識改革と、国語教育の見直しによって、変えていくことができるだろう。

次にテレビでスポーツニュースを見るときは、ぜひその表現にも耳を傾けてみてほしい。そして、もっとふさわしい表現はないかと考えてみることが、日本語を豊かにする第一歩になるのだから。
👇英語教育やインター校に興味があればおススメです。