「豪快なダンクシュート」に潜む日本語の危機~テレビ表現の画一化が映すもの~
なぜテレビはダンクシュートに「豪快」しか与えないのか


表現の貧困:繰り返される「豪快なダンクシュート」
バスケットボールの国際大会中継やスポーツニュースを見ていると、ある決まり文句に気づく。ダンクシュートが決まるたびに、必ずと言っていいほど「豪快なダンクシュート」という表現が使われる。

たくみなダンクシュート、力強いダンクシュート、美しいダンクシュート――。日本語には数多くの表現があるにもかかわらず、なぜか「豪快」だけが繰り返し使われる。これは単なる偶然だろうか、それとも何か別の要因が働いているのだろうか。

国語教育の敗北か、メディアの怠慢か
豊かなはずの日本語表現力

 

日本語には、同じ事柄を多様に表現する豊かな語彙がある。ダンクシュート一つとっても、

「華麗な」 - 優美で美しい様子

「力強い」 - 力がみなぎっている様子

「圧巻の」 - 他より特に優れている様子

「見事な」 - すぐれていて非の打ちどころがない様子

「ダイナミックな」 - 動きが大きく活力に満ちている様子

など、状況や文脈に応じて使い分けることができる。

テレビメディアの言語習慣


テレビ業界、特にワイドショー内のスポーツニュースでは、視聴者にわかりやすく、印象的に伝えることが優先される。その結果、一度定着した表現が繰り返し使われる傾向がある。

「豪快なダンクシュート」という表現は、おそらく過去に誰かが使い、それが「バスケットボールのダンクシュートを表す定番表現」として業界内で定着してしまったのだろう。そして、新しい表現を考えるより、定番を使う方が安全というメディアの体質が、この画一化を促進している。

問題の根源:三方に存在する責任
テレビ会社という組織の問題

 

テレビ業界には「変わるリスク」を避ける傾向がある。視聴者調査やスポンサーの意向を気にするあまり、創造的な表現よりも無難な表現を選びがちだ。また、時間に追われる制作現場では、いちいち新しい表現を考える余裕がないという現実もある。

一般視聴者の受け止め方
 

私たち視聴者も無関係ではない。「豪快なダンクシュート」という表現に特に違和感を抱かず、むしろ「そういうものだ」と受け入れている面がある。画一的な表現に疑問を抱かない受け手の態度が、この状況を許容しているとも言える。

 

しかし、これを学校教育に照らし合わせて考えると、状況は変わる。つまり、作文などで「豪快なダンクシュート」と書けば、それは表現不足でよい点が取れない。

 

国語教育の重要性が叫ばれるが、我々多くは実はその国語の重要性を認識していないと言える。

国語教育の限界


学校教育での国語教育は、文学作品の読解や文法の習得に偏りがちで、メディア・リテラシーや実際の言語使用に関する指導が不足している。その結果、メディアの言語使用に対して批判的な目を向ける力を十分に養えていない可能性がある。

日本語は変化する、しかし…
自然な変化と作為的な画一化


確かに、言語は生き物であり、時代とともに変化していく。しかし、メディアによる作為的な画一化は、言語の自然な発展を阻害する危険性がある。

テレビという影響力の大きなメディアが表現を使い分けないことは、視聴者の語彙力や表現力にも影響を与えかねない。

テレビに求められる言語感覚


テレビ局は、自らを「日本語のプロフェッショナル」と位置づけていることが多い。ニュースキャスターやアナウンサーは、正しく美しい日本語を話すことが期待されている。

であるならば、スポーツ中継やニュースにおいても、状況に応じた適切な表現を使い分ける努力が求められるべきではないだろうか。

表現の多様性を取り戻すために
メディアへの提案


テレビ関係者には、表現のレパートリーを意識的に増やす努力をしてほしい。

例えば、

選手の特徴に応じた表現の使い分け

状況や文脈に合わせた適切な形容詞の選択

若手アナウンサーへの多様な表現教育

視聴者としてできること
 

私たち視聴者も、メディアの表現に無批判に受け入れない態度が重要だ。

画一的な表現に気づいたら、SNSなどで疑問を提起する

多様な表現を評価する視聴者目線を持つ

自分自身の言語使用でも、豊かな表現を心がける

教育の可能性


国語教育では、メディア・リテラシー教育を強化し、テレビやインターネットの表現を批判的に読み解く力を養う必要がある。また、実際のメディア表現を教材として、より良い表現を考える授業も有効だろう。

まとめ


「豪快なダンクシュート」問題は、小さな現象のように見えて、日本語の豊かさとメディアの責任という大きな問題をはらんでいる。

テレビという強大なメディアが、自らの言語使用に無自覚であることは、日本語の未来にとって由々しき事態と言わざるを得ない。しかし、この状況は、メディア関係者だけでなく、視聴者である私たちの意識改革と、国語教育の見直しによって、変えていくことができるだろう。

次にテレビでスポーツニュースを見るときは、ぜひその表現にも耳を傾けてみてほしい。そして、もっとふさわしい表現はないかと考えてみることが、日本語を豊かにする第一歩になるのだから。
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