F9の雑記帳 -99ページ目

『HOME』



 ここ最近、輸入盤より一曲多いと言う理由で日本盤を買っている自分が卑しくて情けないと思いつつ、HANIA RANI『HOME』(RPOP-10031)を繰り返し聴いている。

 (彼女の初のピアノ・ソロである)『ESJA』(GONDCDJ030)(←またしても日本盤!)と比べて楽曲の表情が豊かで(←『ESJA』に収録された楽曲が単一的だと言いたい訳ではない。)、かつ彼女の声(と男声と女声のコーラス)が楽曲に更なる彩りを添えていて、それが聴いている者をまた気持ち良く、楽しくさせる要素である気がする。比較するのはどうかと思うが、『ESJA』が静なら、(聴いていて踊り出したくなる程ではない(←とは言え、一度聴き始めると、じっと耳を傾けていたくなる。)ので)『HOME』はやや動の方向にむいているのではないか。…しかし、これは良いアルバムだ。(ブルーノ・シュルツの小説の一部(英訳)がブックレットに引用されているのも含めて)個人的には、今年購入したアルバムの中でベストファイブに入るだろう。

 しかし、タワーレコード名古屋パルコ店で『ESJA』(GONDCDJ030)(←またしても日本盤!)を見付けて視聴機で聴かなければ、そして聴いて気に入らなければ『HOME』に出逢わなかっただろう。そう思うと、出会う事の不思議さを感じずにはいられない…。

『吐き気』



 オラシオ・カステジャーノス・モヤ『吐き気』(原田和範訳、水声社)を(数日かけて)読み終えた。

 収められた三篇の小説(「フランシスコ・オルメド殺害をめぐる変奏」、「過ぎし嵐の苦痛ゆえに」、「吐き気 サンサンバドルのトーマス・ベルンハルト」)はどれも面白かったが、特に「吐き気 サンサンバドルのトーマス・ベルンハルト」が印象に残った。外国に逃れたとは言え、かつての自分の祖国をここまで罵倒できる語り手エドガルド・ベガは凄いと思ったが、そこからユーモアが滲み出ていて(少し辟易した部分もあったが)読んでいて面白かった。しかし、僕はトーマス・ベルンハルトの小説を読んだ事(『消去』を途中まで。途中でめげてしまった。)があるが、声高ではなく静かに事態を進めていく気がするのだが…。まあ、そんな事はどうでも良いか。兎も角、強烈で吃驚もしたが読んでいて飽きなかった。

 一方、「フランシスコ・オルメド殺害をめぐる変奏」はパコことフランシスコ・オルメドの殺害について外国から戻った主人公が知人を訪ねて彼に関する事柄を聞いて回ると言う展開は面白かったが、「吐き気」の強烈さに印象が霞んでしまった。最後のホラ話も意外で楽しかったのだが…。そして、「過ぎし嵐の苦痛ゆえに」もミステリー風で(個人的には)「フランシスコ・オルメド殺害をめぐる変奏」よりも面白かったが、「吐き気」の強烈な印象に霞んでしまった。ああ、それにしても主人公が余りにも可哀想だ。こんな展開は…。

 しかし、それほど読んでいる訳ではないが、“フィクションのエル・ドラード”のシリーズの本はどれを読んでも面白い気がする。この本も図書館で借りてきて読んで面白かったし…。

「海がふくれて」




 今日の夜、高橋弘希「海がふくれて」(『新潮』2020年8月号所収)を読み終えた。

 主人公琴子と幼馴染みで付き合いはじめたばかりの颯太、二人の高校二年生の夏休みの様子についての小説なのだが、読み終えて小説らしい小説を読んだなと思い、それと同時に灯台や所々に出てくる伝承や祭事の記述(や描写)の配置は小説の盛り上げに十分に寄与しているし、主人公の女子高生の気持ちも(その方面にはてんで駄目な)僕が読んでも分かりやすく、(高橋弘希の小説を読んだ時に感じる)上手さを感じた。ああ、小説らしい小説を読んだ…。