「死亡のメソッド」

昨日と今日とで、町屋良平「死亡のメソッド」(『文藝』2020年秋季号所収)を読み終えた。
会社を辞めゴシップ記事を作る仕事をしている主人公鳥井(途中でYouTuberになる)、映画の撮影の現場で偶然再会した主人公の友人で「カメラがあると生きている感じがする」(347頁)俳優の侑賀(本名菅、後に覚醒剤取締法違反容疑で逮捕される)、彼ら二人の間での出来事が中心に描かれる中、侑賀と映画で共演した俳優(坪井尊)の弟で後に主人公がダンスを習いに行く坪井大河との間での出来事もあわせて描かれ小説は進むのだが、身体と言葉の関係が上手くつかめず、読んでいて僕自身が空回りしている気がした。読書態度が悪いのだと思うのだが、今一つ身体にスッと入ってこなかったのだ。特に358頁から360頁にかけての鳥井の自分に対する断罪の言葉は、本来胸に突き刺さって血が出るぐらいのはずだろうに、何だかスルッと滑っていく様だったし…。
「キャッシュとディッシュ」

今日、岡崎祥久「キャッシュとディッシュ」(『文學界』2020年8月号所収)を読み終えた。
「俺はもうすぐ五十歳です。」(68頁)の一文で小説が始まり更に(小説上の)主人公の置かれている状況や過去の出来事等が割にシビアだったのでドキッとしたが、叔父の遺産の様な(主人公の弟から受け取った)皿から水をかけるとかけられた物は「返品」(88頁)され、翌朝に皿の上に「返金」(88頁)されている設定が導入されると途端に景色が明るくなった気がした。前半に出てくるある晩の出来事の様な過去の出来事の地に足がついていない感じが余計にそう感じさせたのかもしれない。更に書くなら、形がない物は皿から水をかけても「返品」されないと言う設定も良かったのだろうか。
ただ、終盤になると主人公の住んでいるアパートの部屋がスッキリする描写と比例するかの様に展開が早くなり、小説が小説たるためには必要だったのかもしれないとは思うものの、最後の最後で若干見慣れた結末になってしまったのは些か詰まらない感じがした。ああ、主人公の叔父も主人公と同じ様に感じながら日々を過ごし、同じ様な道程を辿って亡くなったのだろうか。もしそうだとすると、何だか虚しいなあ…。
「推し、燃ゆ」
昨日と今日の二日をかけて、宇佐見りん「推し、燃ゆ」(『文藝』2020年秋季号所収)を読み終えた。
最初はタイトルを見て「何だか凄い」「歴史小説みたいだな」と思ってしまったのだが、(途中まで女子高生だったが中退してしまう)主人公の女性が推しのアイドルの男子に関してある意味ストイックに活動する一方、家族や周囲との関係が彼女自身が不器用で上手くいかない(しできない)日々の様子の描写を読んでいるうちに、主人公に同情する回数が増えている自分がいる事に気付き(自分自身に)吃驚してしまった。(目次にもある)「推しは私の背骨だ」と言える熱を向ける方向をほんの少しずらしていれば高校も留年しなかっただろうし、家族とも関係良好で「生きていたら、あたしの家が壊れていった」(53頁)と言う事もなかっただろう。僕自身としては、一つの事に(この小説にある様にブログやツイッターを更新したりお金を出したりしてきたってことでか)集中出来れば良いような気もするのだが…。とは言え、作者もつくづく意地悪だと思う。最後に駄目を押すように、決定的な場面を主人公に見せてしまい、ある気付きを主人公に与えてしまうのだから。
…しかし、何だか凄い小説を読んだ(気がする)。作者の年齢と主人公の年齢が近く、感情移入しやすかったから、この様な小説が書けたのだろうか。



