『i』
「この世界にアイは存在しません。」と言う言葉とともにある主人公ワイルド曽田アイの成長の過程は(理解力のない僕でさえ)読んでいて凄く理解できたし、主人公の意見や立場を尊重する両親や親友に出会え、素敵な男性に廻り合い結婚した事が小説上の話とは言え羨ましくなったりしつつ、終盤の怒濤の展開と「この世界にアイは、存在する」(310頁)の言葉に息を呑み(特に「この世界にアイは、」と言う言葉が反復される307頁から311頁までの部分は詩と言いきって良いのではないか。)、最後の映像的にも鮮やかな場面に涙が出そうになり、読み終えてとても満足した気分になった。だが、単行本が出て図書館で見かけた時は読まなかったのに、いざ文庫本になったら買って読もうとして実際読んでしまった僕自身の態度はとても失礼だなと思った。最初から読もうとすべきだったのに、なぜそうしなかったのか。先日、全ての事柄から「逃げている」と指摘された僕だからこそしてしまった行為かもしれない。
「破局」
今日、遠野遥「破局」(『文藝』2020年夏号所収)を読み終えた(ちなみに、目次にある日上秀之「石の国の配下たち」は現時点では未読)。
高校生の時に自分が経験した(地区大会準々決勝進出)以上の経験をさせたくて、指導を任されている母校の高校のラグビー部の後輩達に厳しい練習を課したり、麻衣子と付き合いが終わっていないのに灯とセックスしてしまったり、公務員試験合格のために勉強に勤しみ筆記試験に合格し面接でも回答に自信がある等自分の欲望に忠実に従い行動した結果、主人公陽介の末路は悲惨なものになってしまったなと読み終えて思った。我儘だからこその当然の帰結なのか…。もし、陽介が周囲を注意深く観察していたら、あるいは途中で出てくる佐々木の行動の意味を考えたり、何度か“膝”から送られているメールにもう少し注意を払っていたら、恐らく結果は変わっていたのだろうか。
『笑いと忘却の書』
この本を買った動機が「ミラン・クンデラの小説を読んでみよう」と言う程度の軽い気持ちからだったからかずっと積ん読状態にしてしまっていたのを、以前から勝手に始めている自分の中でのキャンペーンの波に乗せる事で漸く読み終えられた気がしてならない。
正直な所、読み終えて覚悟を決めて読まないといけなかったと感じた。第一部と第四部、第三部と第六部の題名が同じなのに内容と長さと深度が違い、更に第七部に至ってはそれまでとは明らかに方向性が違い、なかなか読み進められず焦ると同時にうんざりしてしまった。途中で「この本全体が変奏形式の小説である」(274頁)と表明されるが、事前に知っていれば思いを巡らせつつ読み進められたのに…。ちなみに、個人的には第五部の「リーリスト」が詩人が出てきたりするせいか、読んでいて分かりやすく印象に残った。



