『イエスの学校時代』
食事をしたり睡眠を取る等のために読む手を何度か止めてしまったが、(巻末の訳者あとがきにもある通り)「巻を措くあたわずの面白さ」(316頁)だった。
ダンスを習ったりしながら成長するダビード、ダビードの父親ではないが献身的に尽くすシモン、ダビードの母親であるが子育てにはそれ程関心はなく、新たにアパレル関係で働き天職らしいものを掴んだらしいイネスと言った前作の『イエスの幼子時代』に引き続き登場している人物の描写は抵抗なくかつ興味深く読んだが、個人的にはやはり小説の大半の部分を占めるドミトリーに関する人物造形と描写が強烈に印象に残った。ある人に惹かれていたのにその人を殺してしまう、しかもその原因が分からないだなんて怖すぎたし、彼の最後の退場場面は後味が悪かったし…。
しかし、読み終えて訳者あとがきを読んで気付く事が多く、(本文中の註を読んでそれで良いと思っていたのに)考えずに読んでいたのが分かり情けなくなった(「天球の音楽」理論等)。おまけに、前作の『イエスの幼年(おさなご)時代』の内容を読む前も読んでいる間も、読み終えてからもはっきり思い出せないとは…。
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しばらくはこのような感じになると思います。
2020年6月10日
マルセー・ルドゥレダ『ダイヤモンド広場』(田澤耕訳、岩波文庫)を読み終える。読んでいて戦争と言う物は余り感じられなかったが、(事物の描写も含めて)主人公の女性の語りに乗せられて読んでしまった気がした。夫は内戦で死亡し、その後食べ物がなくて死のうとしたが、ずっと気になっていたと言う男性が現れ結婚して…。最後が詩的に終わるのも嫌みに感じられず良かった。
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思うところありまして、しばらく記事を上げるのを止めます。
