『日本蒙昧前史』

磯﨑憲一郎『日本蒙昧前史』(文藝春秋)を一昨日と昨日の出勤前、そして今日の起きている間の大半の時間を遣って(←どれだけ時間があるんだ!)読み終えた。
グリコ・森永事件→日本初の五つ子誕生→大阪万博→横井庄一の帰国の順に資料を駆使して書かれており、分からない事があるとウィキペディア等を見たりしつつ等を見つつ読み進め、途中実名を出さなかったり少し設定を変えてあったりするのは小説だからなのかと考えたりもしたが、読み終えて随分面白い小説だな、結構勉強になったなと感じた。
ただ、読み終えた後で『新潮』2020年9月号に掲載されている與那覇潤の書評を読んでしまったせいか、これを小説としてしか読まなかった僕の態度は極めて詰まらない読み方だったのだなとの思いが時間が経つにつれて強くなった。時系列を前後して記述したり、大阪万博(そして目玉男と呼ばれた男性の事も含めて)について書かれている部分が多いのは、作家の現代と言う蒙昧な時代の前史の中では重要と考えていたと言う事なのだろうか。
『掏摸』

中村文則『掏摸』(河出文庫)を読み終えた。
刊行当時作者の名前に惹かれて購入していたものの(←またか!)、またしても積ん読状態にしてしまっていたのを読んだのだが、個人的に読んでいて興奮する場面が少なかった気がした。
スリ師である主人公、彼の知り合いの石川と立花、そして主人公に仕事を依頼する木崎、更に主人公を頼りにする男児、男児の母親等々、色々な人物が出てきて人から物を掏る場面等は面白く、主人公の記憶の中に象徴的な存在としてある等が出てくる場面は印象的だったが、読んでいて先に書いた様にそれ程興奮せず、(それが全てではないのは当然だけれど)何だか少し薄味な感じがしたのだ。恐らく、『私の消滅』等を読む前であればこうは思わなかったに違いないのだが…。

