F9の雑記帳 -86ページ目

2021年、明けました。

 新年明けましておめでとうございます。
 今年もまた、(下手な)写真や文章をアップすると思います。
 ご覧いただければ幸いです。
 しかし、ほんの少し前まで2020年でしたので、新年だという感じがまるでしません。
 今日の午前中にある地区の寄合に出れば、気分が変わるかなと思わなくはないのですが…。

大晦日を迎えて

 あと少しで2020年も終わろうとしています。
 コロナ禍云々はさておき、2020年は個人的に非常に厳しい一年となりました。
 昨年末、「今年(2019年)より来年(2020年)は厳しいだろうな」と思ったのですが、今までやって来た方法では上手くいかず、何かしなければと思いつつも出来ず焦る…、そんな訳が分からないうちに一日の終わりを迎えてしまいがちだったのは間違いありません。
 そして、そんな日々が続いた事だけが理由ではないのですが、毎日日記の様に感じた事を書いたとしても自己否定の言葉を書き連ねるだけで、恐らく自分の置かれた状況を恐らく打破できない自分に我慢できなくなった事もあり、半ば捨て鉢な気分で6月に本(や雑誌)の写真と文章をアップして読書のブログに似た感じにしてしまいました。
 本来であれば、このブログを始めた動機が「自分を知ってもらいたい」、更に書くなら「…印象批評にとどめ、たとえば、森進一のことを語るにしても、森進一より自分のことを持ち出そうとした。それは、いくら森進一が好きだからといって、僕は別に森進一のことを知りたいんじゃなくて、森進一が好きだという自分を知りたいからなのだ」(早川義夫『ラブ・ゼネレーション』(シンコー・ミュージック)、190頁)と言う言葉に対する自分なりの回答をしたいと言うものである以上辞めるべきだと何度も思ったのですが、つい承認欲求に負けてしまい写真を撮り文章を書きダラダラとブログにアップし続けてしまいました。
 恐らく、厚顔無恥とは僕にこそ当てはまるのでしょうが、また来年も図々しく写真や文章を書いてアップすると思います。
 誠に恥ずかしい限りですが、ご覧いただければ幸いです。
 皆様も良いお年をお迎えください。

『ペンギンの憂鬱』



 アンドレイ・クルコフ『ペンギンの憂鬱』(沼野恭子訳、新潮社)を読みました。
 最近になり何故か読みたくなり図書館で借りて読んだのですが、最初から最後まで面白く読めて何だか嬉しかったです。
 もっとも、ウクライナの首都キエフで暮らす主人公ヴィクトルが憂鬱症のペンギンのミーシャと同居している設定に驚いた時点で、そうなる運命だったのかもしれませんが。
 しかし、ヴィクトルが「追悼記事」をあらかじめ書いた大物政治家等が次々死んでいき、身辺にも不穏な影がちらつく、ヴィクトルが(ギャングの娘の)ソーニャを預かると言った様な設定や展開は、(良い意味で裏切られた結末も含めて)僕には思い付かないだろうな、だからこそ(ブックカバーにある伊井直行の文章の中にある)「まだまだ平和な日本からすると、はるか遠い国の話のようだが、読んだ印象は正反対」と言う評もあり得るのだなと思いました。