『ヴァイゼル・ダヴィデク』

パヴェウ・ヒュレ『ヴァイゼル・ダヴィデク』(井上暁子訳、松籟社)を読みました。
ある夏の夜の学校の教師達による主人公ヘレル達に対する尋問の描写で小説が始まり若干違和感がありましたが、動物園の黒豹を後退りさせたり、サッカーの技術が確かだったり、どこらからか銃を手に入れ訓練をしたり、レンガ工場の地下室で空中浮揚したり、ある場所で爆発を起こしたりする等の当時の出来事と記憶、更に二十年以上経った(小説上の)現在の友人達の状況の描写等があるにも関わらず、いくら読み進めてもダヴィド・ヴァイゼル(「ダヴィデク」はその愛称)が何者なのか分からず、かなりモヤモヤした気分になりました。
ただ、(巻末の「訳者あとがき」も含めて)第二次世界大戦後のポーランドの歴史について知り得た事柄が多く、精神病院から脱走してきた「黄色の翼の男」を始めとした登場人物が印象的で、個人的には読んで良かったと思いました。
「貝に続く場所にて」

石沢麻依「貝に続く場所にて」(『群像』2021年6月号所収)を読みました。
第64回群像新人文学賞の当選2作品のうちの1つ。
ドイツのゲッティンゲンが舞台と言うのに最初は意表を突かれましたが、小説全体に漂う幻想的な雰囲気にすっかりやられてしまい、読み終えた後自分がこの小説を好きになっている事に気付きました。
個人的には、(音訳されて“月沈原”となる)ゲッティンゲンに関する事項、主人公の同居人アガータ、かつてドイツ語と文学の教師だったウルスラ、人との距離に敏感なアグネスと母親バルバラ、トリュフ犬と呼ばれる機会が多い犬の発掘物、「惑星の小径(こみち)」で起きる怪談めいた出来事…、これらが登場する箇所は読んでいて楽しかったですし、主人公と(東日本大震災で行方不明者となった)野宮との緊張をはらんだ関係や過去、主人公や他の人物の東日本大震災についての記憶の描写、そして主人公の背中に歯が生えてくる奇譚めいた箇所も読んでいて心がざわつきました。
ですが、要素が盛り沢山だからなのでしょうか、「記憶の痛みではなく、距離に向けられた罪悪感」(75頁)と言った小説にとって重要であろうはずの言葉の存在感が若干損なわれている様に感じ、勿体ないなと思いました。
『恋するアダム』

イアン・マキューアン『恋するアダム』(村松潔訳、新潮社)を読みました。
インターネットに接続し専門家並みの知識を獲得し、触ると肌が温かい人間に近いアンドロイドの存在はかろうじて想像できても、フォークランド紛争でイギリスが負けたり、カーター大統領がレーガンを破って二期目の大統領を努めていたり、ビートルズが再結成してアルバムを発表したり、アラン・チューリングが存命である1982年と言う世界は考えた事はなかったので正直驚きましたが、とても面白く楽しかったです。
しかし、アンドロイド(アダム)が主人公(チャーリー)の恋人(ミランダ)に恋をしたり、ある事がきっかけで主人公の手首の骨を折ったり、機会がある度に自説を披露すると言うのは、人間に近ければそんな事もあるかもしれないと思いましたが、個人的には若干嫌悪感を覚えました。
あと、個人的には、389頁のアラン・チューリングの言葉の内容が胸に響きました。“意識のある存在を消し去ろうとする人間は軽蔑せざるを得ない”、…仰る通りだなあ。
