F9の雑記帳 -55ページ目

『ババウ』


 ディーノ・ブッツァーティ『ババウ』(長野徹訳、東宣出版)を読みました。
 この本には、新聞や雑誌に掲載された作品や未発表作品を集め、著者が亡くなる一年前に出版された短篇集『難しい夜』の前半部分の26篇の小説が収められています。
 (ちなみに、『難しい夜』の後半部分の25篇の小説は1992年に『階段の悪夢』(千種堅訳)と題して刊行されたとの事です。いつか読んでみたい…。)
 この本に収められているどの小説も短い上に皮肉が効いていたり期待を裏切られたりと読んでいて面白かったですが、以下に自分の中で引っかかっている小説の感想(めいたもの)を書いておきます。
・「ババウ」:伝統文化と云うものは個人的な、そして小さなきっかけからでも失われるのだなと思いました。
・「孤独」:孤独をテーマにした6つの掌篇が書かれているのですが、山についての奇想が楽しくもあり哀しくもある「絶壁」、未来を見てしまった語り手が気の毒な「高速道路」、失われたものの貴さがよく分かる「テープレコーダー」、「失われた日々」が個人的に特に身に染みました。
・「セソストリ通りでは別の名で」:語り手について調べ尽くし後が無いと思ったら、最後にそんな展開が待っているなんて想定外でした…。ああ、上手い。
・「ブーメラン」:「一匹の野良犬が原因となって、最初の核による世界大戦が勃発したのである。」(119頁)…この小説に対して、これ以上の説明は不要だと思います。気持ちいいぐらい持っていかれました…。
・「車の小話」:まさにタイトル通り、車に関する7つの話が書かれているのですが、どれも面白かったです。読み終えて、これはどれ1つかけてもいけないだろうなと思いました。
・「チェネレントラ」:(訳註によると)“チェネレントラ”とはイタリア語で「(灰かぶり姫)」のこと(175頁)だそうですが、現代において灰かぶり姫の話をしてみるのなら、この小説のような展開しかないのかもしれません。ああ、あともう少しある人の登場のタイミングが早かったなら…。
・「十月十二日に何が起きる?」:この本の中で、この小説が僕にとっては一番刺激的でした。自分の生きている世界が、まさか蝿の二番目の右脚の端にあるかも、なんて想像した事もなかったです。ああ、本当に吃驚しました…。

『純粋な人間たち』


 モハメド・ムブガル=サール『純粋な人間たち』(平野暁人訳、英治出版)を読みました。
 元々、会社帰りにしばしば行く書店の外国文学の新刊の棚でこの本を見かけて興味があり、更に先日近所の図書館に入ったのを知り早急に借りてきて読んだのですが、冒頭から同性愛が疑われたため死んだ男性の墓を人々が暴く動画が登場する事がまず衝撃的でした。
 そして、主人公が勤務する大学での講義でヴェルレーヌを扱ったがゆえにあらぬ噂が立ったり、著名な異性装をする男性を訪ねたり(先の動画で墓を暴かれてしまった)男性の母親に会う事等で主人公が変化し、小説の終盤に向かうにつれ意外な方向に進んでいく展開は、セネガルの多くの人々の同性愛への対応の描写に対する個人的な違和感も重なって、読書に対する気持ちが何度か折れそうになりましたが、どうにか読み終える事が出来てホッとしました。
 しかし、巻末の「不純な私たちーー訳者あとがきに代えて」を読んだから書くのではないのですが、この小説が実話を元にしており、セネガルで同性愛がここまで弾圧されているとは思いませんでした…。

「すみれにはおばけが見えた」


 鴻池留衣「すみれにはおばけが見えた」(『すばる』2023年3月号所収)を読みました。
 主人公である(と思しき)古賀拓哉がモデルで女優の岩下すみれの死をツイートで知る冒頭の場面からしてやや不穏だなと思いましたが、途中途中で差し挟まれる(小説上の)現在の描写や、岩下すみれを始めとする登場人物の設定等が(小説家である)古賀拓哉の意向一つでどんどん変わっていく展開は(その部分を)読んでいる時間の中では面白いものの、途中で道程や道筋が訳が分からなくなり何度か途方に暮れかけました。
 個人的には、あの強烈なキャラクターの持ち主である古賀拓哉の妻にまでその波が及ぶとは思いませんでした…。
 とは言え、そんな状態でも頑張って読み進め段々と面白くなってきたなと感じていた所で(小説上の)事実(かどうか判然としませんが、恐らくそうなのでしょう。)が明かされ、その瞬間タイトルの意味を理解するとともに愕然としました。
 もし、背もたれのある椅子に座っていなければ、ひっくり返っていたかもしれません。
 ああ、時間が経てば経つ程、この小説の中の何とどれを信じたら良いのか、僕は良く分からなくなってきました…。
 もっとも、こんなふうに感じている僕そのものが作者の思う壺なんでしょうが。