F9の雑記帳 -47ページ目

『柴田元幸翻訳叢書 アメリカン・マスターピース 準古典篇』


 シャーウッド・アンダーソン他『柴田元幸翻訳叢書 アメリカン・マスターピース 準古典篇』(柴田元幸編訳、スイッチ・パブリッシング)を読みました。
 先日、近所の図書館の新着図書の棚にあり、編訳者の名前に惹かれて借りてきて読んだのですが、この本に収められた12篇の小説は「『編訳者が長年愛読し、かつほとんどの場合は世に名作の誉れ高い作品』を集めるという発想の下」(245頁)で集められたものだからでしょう、小説の長さも内容も本当に様々で(多少嫌悪感を抱く小説はあったものの)読んでいてとても楽しかったです。
 以下に感想(めいたもの)を書いておきます。
・シャーウッド・アンダーソン「グロテスクなものたちの書」∶“人間が一つの真理を自分一人だけのものとし、それに従って生きようとすると、人間はグロテスクになり、真理も嘘になる”と言うこの小説に登場する老作家が書いた本における考えは、何だか良くわかる気がします。確かにそうかもしれない…。ただ、この作家は『ワイオミング・オハイオ』の作者だった事は、巻末の「編訳者あとがき」を読むまで、完全に忘れていました…。
・アーネスト・ヘミングウェイ「インディアン村」∶目に映ったものを淡々と書く姿勢が明らかに分かるからなのか、主人公ニックやニックの父親にかなわないと感じたジョージ叔父の気持ちが僕にしっかりと伝わってきて切なくなりました。
・ゾラ・ニール・ハーストン「ハーレムの書」∶古い文体に現代語が時々混じるだけで十分面白いのに、内容がいかにもなコントなので、読んでいてニヤニヤが止まりませんでした。
・イーディス・ウォートン「ローマ熱」∶二人の夫人の過去にまつわるやり取りにハラハラしながらも最後の一言に救われました。過去は過去、現在は現在…。
・ウィリアム・サローヤン「心が高地にある男」∶この小説の中のジャスパー・マクレガーも凄いが、主人公ジョニーの弁もまた凄いな、もうマクレガーみたいに役者になっちまえと思いました。あと、ジョニーの父親も何だか笑えました…。
・デルモア・シュウォーツ「夢の中で責任が始まる」∶両親の恋愛の行方を主人公が(夢の中で)映画の形で追う設定に驚き、内容や展開、最後の場面に痺れました。
・コーネル・ウールリッチ「三時」∶”妻を殺そうとした男が自宅で空き巣狙いの泥棒たちと鉢合わせして、計画が崩れていき…“という展開で、読んでいる間緊張感が途切れることはありませんでしたが、(殺人を犯そうとした事自体は許せないものの)主人公が可哀想に思えてなりませんでした。後半、かなり気持ちの変化があったのにと思うと…。
・ウィリアム・フォークナー「納屋を焼く」∶最後の主人公の少年が父親の行き方を否定する場面の描写が本当に鮮やかで、複雑な気持ちになりました。しかし、主人公はよく父親に従っていられたなと思います。僕なら見えない所で色々やってしまいそうで怖いですが…。
・F・スコット・フィッツジェラルド「失われた十年」∶登場するミスタ・トリンプルの異様さが強烈で、主人公の姿があまり目に入りませんでした。でも、繁栄の年月を知らないというのも寂しいものだと思いました。
・ラルフ・エリスン「広場でのパーティ」∶(この小説が書かれたと推測されている)1930年代における白人の黒人に対する態度がはっきりと描かれていて、読んでいて何度か気持ちが悪くなりました。でも、この小説の展開では、白人の主人公のような思考や態度にならざるを得ないだろうなと思いました。
・ユードラ・ウェルティ「何度も歩いた道」∶クリスマスの日、主人公の孫が病気の黒人女性が田舎から街まで行き、病院で薬をもらうまでについて書かれているのですが、主人公に対する作者の気持ちが彼女の描写の全てに滲み出ていて、最後の場面を読んでいる時少し背筋が伸びました。
・ネルソン・オルグレン「分署長は悪い夢を見る」∶この小説には殺人者や麻薬中毒者が沢山出てきて途中何度かウンザリしましたが、(最後に置かれた)一個の照明に照らされている主人公の分署長の描写を読んだ時胸が苦しくなりました…。

「トラディション」



 鈴木涼美「トラディション」(『群像』2023年8月号所収)を読みました
 この小説は、兄が経営するホストクラブで会計事務を担当する主人公が、主人公の幼馴染で親に内緒で会社を辞めてしまった祥子の現状を知る過程の描写を軸に進んでいくのですが、この作家の名前は知っていたものの小説を読むのを避けてしまっていた事を読み終えた後で(少し)後悔しました。
 というのも、性風俗について多少なりとも知る事ができて全くの無知から脱出できて嬉しかったですし、ホストクラブに来て金を置いていくだけで帰っていく猫姫(とこの小説の中で呼ばれている女性)を始めとする登場人物や、主人公に多大な影響を与えたであろう祖母に対する態度や心情の描写も細かくて、読んでいる間に面白さが増していくのが気持ち良かったからです。
 そして、読み始めた当初、タイトルと小説の内容がどう結びつくかなんて想像してなかったのですが、まさかあんな形で最後を迎えるとは思わず吃驚しました。
 まあ、個人的には、かなりベストなタイトルだなと思います。
 しかし、ああ、もう何度書いたか分かりませんが、食わず嫌いならぬ読まず嫌いはいい加減に止めないといけないですね…。

『スクイズ・プレー』



 ポール・ベンジャミン『スクイズ・プレー』(田口俊樹訳、新潮文庫)を読みました。
 この本は出た当時に帯の文句に惹かれて買ったのですが、新たに本を買ったりして積ん読状態にしてしまっていました。
 しかし、先日「このままではいけない」と思い読み始めたのですが、主人公の私立探偵マックス・クラインの予想が途中で裏切られる展開となり驚きました。
 更に、(ポール・オースターの別の名義である)ポール・ベンジャミンの語り口故でしょうか、最後の最後までどんな結末が待っているのか予想できず、読み終えて「この小説で起きる事件における真の”犯人“は自身の手を汚してはいないとは言え、ほとんど殺人を犯しているのも同じだよなあ。」と思いました。
 あと、主人公の元妻キャシーと息子リッチーの描写は読んでいて複雑な気分になりました。
 人と別れると言うのは大きなエネルギーが必要なんですね…。