F9の雑記帳 -22ページ目

「光のそこで白くねむる」




 待川匙「光のそこで白くねむる」(『文藝』2024年冬号所収)を読みました。
 第61回文藝賞受賞作の一。
 主人公の「わたし」がアルバイトしていた土産物屋がある理由から無期限休業となり、生まれ故郷にある祖母と「あなた」の墓参りに向かうと言う展開なのですが、「わたし」の脳内での「あなた」との会話を中心に物語が進んでいくで小説が進んでいく中盤以降、読み進めるにつれて小説の中での事実や善悪あるいは登場人物に対する自分自身の認識が揺さぶられ(まさか、主人公の「わたし」すら疑いの目を向けざるを得なくなるとは思いませんでした。前半を読んだ段階で少々変わった人物なのかなと思いはしたのですが…。)、小説に置いていかれた様な気分になりました。
 ですが、その自分自身の認識が揺らいだり、価値観が逆転しそうになったり、挙句の果てに自分自身が何だか訳が分からなくなったりする様を自分なりに楽しめば良いと気づいてからは面白く読めました。
 ですので、上記の様な事に気づくのが早ければ早い程にこの小説の面白さが増すに違いないと(個人的には)感じました。

『地図とその分身たち』



 東辻賢治郎『地図とその分身たち』(講談社)を読みました。
 この本には「地図や地図の思考について」(224頁)というテーマで『群像』2021年10月号から2024年3月号に「地図とその分身たち」の題名で連載された27篇の文章が収められているのですが、どの文章も導入部分は(内容に関係なく)個人的には取っ付きにくいものの、途中で突然視界が明るくなり、そこから俄然面白くなる感じがして、自分自身の現金さに何度かツッコミを入れてしまっていました。
 …今回は上記の様な読書の状況ではありましたが、アンドレイ・タルコフスキー監督の遺作である映画『サクリファイス』への言及がある「差し出される地図」、映画『未知との遭遇』への言及とそれに関係するだろう事項の内容が個人的には新鮮な「カルトグラフィック・シネマ」が個人的には強く印象に残りました。

「すべてを抱きしめる」





 鴻池留衣「すべてを抱きしめる」(『新潮』2024年10月号所収)を読みました。
 この小説には、上野動物園で待ち合わせた同居人で幼なじみの朝子が来るまでの間に「ラブリーの素」を飲み干した高校の教員である主人公の五味進次郎の体験が主に書かれているのですが、僕的には五味進次郎の目に映る風景および彼自身の過去の思い出、自分自身や世界に対する考察の内容がなかなか強烈で、「何だかありがちなSF小説の様な気がするな…。」と心の中では思いながらも、勢いに任せて読み終えてしまいました。
 まあ、「ラブリーの素」がかつての教え子で自殺した花岡優太の母の花岡優希から半ば押し付けられるように送られてきていたり、「ラブリー」と名付けられた精霊(らしきもの)がある瞬間から花岡優太の姿に「擬態」(71頁)したり、ラブリーが将来は教祖になると予言する、あるいは主人公が高校生の時に付き合った(諏訪田)みつきが彼の思考の中で新たな「ストーリー」(83頁ほか)を与えられた結果「コモドオオトカゲ」(103頁)の様な姿になったりする等、小説全体が不穏な空気に満ちているのは確かで、そうだからこそ普段より読書スピードが上がったのかもしれませんが…。
 あと、個人的には「最後はもう少し淡白な展開でも良かったかもしれない」と思いました。