F9の雑記帳 -19ページ目

「字滑り」



 永方佑樹「字滑り」(『文學界』2024年10月号所収)を漸く読み終えました。

 この小説の中の(タイトルにもなっている、日本では物の表記の揺れが起きる)“字滑り”と言う現象は面白いと思いましたが、ブロガーの骨火と会社員のモネちゃん、無職のアザミが字滑り体験を売りにしたい宿泊施設のモニターとして趣いた安達ヶ原で“本当に”字滑りを体験してしまう小説の終盤に突入するまで視覚的な理解が進まず、個人的には読み進めるのが苦しくてなりませんでした。

 ただ、あれだけ苦しかった読書の時間にも関わらず、最後のやや怖い場面も含めて全体の構成や描写も現在の状況を良く捉えているなと感じ、「映画にしたら面白いかも」と考えている自分がいる状況が何だか不思議でなりません。

 ああ、雑誌は購入してすぐに読み出すのが最良なのかもしれませんね。第172回芥川龍之介賞候補作になったと知って慌てて読み出しているようでは…。

「あなたの名」





 小池水音「あなたの名」(『新潮』2024年12月号所収)を読みました。

  “抗がん剤治療を選択せず、医師から5ヶ月の余命を告げられた新田冬香(フユカ)は病と闘いつつ、前夫の連れ子の紗南(サナ)の頼みに応え、AIが本人と同様の表現が可能になることを目的とする《記録》の業務を職業にし、定期的に自宅を訪問する藤野とともに、彼が持参するタブレットの画面に表示される《記録》からの質問に回答する日々を過ごしていた。

 そんな日々の中、自身の身体の衰えを自覚しながら、亡くなった母親や自身が中学教師だった頃、離婚した夫について等、過去の記憶を振り返ることが多くなった冬香は、《記録》からのある質問の回答後に自身の記憶の間違いに気づき、かつて自身が妊娠していた2ヶ月とその前後の日々について思いを巡らせていくうち、あることを決意するに至る…。”

 ―そんな粗筋を持つこの小説は、読み終えた僕に軽い戸惑いと満足感を与えてくれると同時に、「作者は書き上げるまで相当苦しかったろうな」と感じさせてくれました。

 もっとも、戸惑いの原因は、紗南(サナ)から冬香への生まれてくる子の名前を考えてほしいと言う依頼、(先に書いた)、亡くなった母親や自身が中学教師だった頃、離婚した夫について等の思い出、自身が妊娠していた2か月とその前後の日々等の事柄が流れに沿って適切に配置されているなと感じさせる展開の中、紗南と訪れた近所のカフェのトイレで彼女が倒れる場面が挿入される事態を(当然あってもおかしくないのに)想定さえしていなかった僕自身にあるのですが。

 ああ、(あくまで個人的な意見に過ぎませんが)この小説が芥川龍之介賞を獲ってくれるとうれしいけれど、どうなのでしょうか…。

『石灰工場』



 トーマス・ベルンハルト『石灰工場』(飯島雄太郎訳、河出書房新社)を読みました。
 “かつて石灰工場だった建物で暮らし、ウルバンチッチュ式訓練法と言う訓練法を妻に施しつつ、聴力に関する論文の完成を目指していた自称科学者のコンラートが妻を殺害する事件が発生。保険の営業マンの「私」はコンラート夫妻の食事のお世話等をしていたフローやヴィーザー等のコンラートと親しく付き合っていた人々から話を聞くうちに、コンラート夫妻の生活の状況と殺害に至る経緯が明らかになっていく…。”と言うのがこの小説の粗筋なのですが、事件の全容を知っている語り手は一切登場せず、ある一定の範囲の視野しかない人々が次々に語る構成のため、縦横無尽に間接話法が使用されているからでしょうか、コンラートが実験に協力してもらいたいあまり、時間が経つにつれて態度が従属的になっていく妻への接し方の変化やコンラート自身の膨らむ被害妄想等の描写は読んでいて面白く興味深かったものの、全体的にしんどくて何度か「読むのを止めようかな?」と考えてしまいました。
 ただ、読み終えるのに3週間もかかるとは読み出した時は夢にも思いませんでした。
 何事も用心して事に当たらなければなりませんね…。
 そして、巻末の「訳者あとがき」の中にある「被害者が同時に加害者でもあるようなこうした妄想的な世界を描き出した点において、本作はきわめて戦慄的であり、今なお古びることのない普遍性を備えている」(252〜253頁)と言う指摘は、読み終えて感想(めいたもの)を書いて(個人的には)ようやく理解が追いついたように思います。
 ああ、単に鬱陶しいだけじゃなかったんだなあ。
 この小説、凄い…。(←今更?)