「二十四五」


乗代雄介「二十四五」(『群像』2024年12月号所収)を読みました。
“二年前に家を出て、小説家となった主人公の阿佐美景子は弟の結婚式に出席するため、仙台を訪れた。
式の前日に行われた弟の妻となる女性の両親との顔合わせも兼ねた夜の食事会、翌日の結婚式とこなしつつ、その合間に彼女は(5年前に亡くなり、多大な影響を受けたと考えている)叔母のゆき江と一緒に行きたかった場所を巡るのだった…。”
—おおよそ上記の内容の小説を読んで、これまで読んできた乗代雄介の小説と比較して最初は少し違う感じがしてやや面白くなかったのですが、読み進めるにつれ面白くなり、安心しました。
そして、以前読んできた乗代雄介の小説と同様だったなら、夜の食事会や結婚式で人と容易に打ち解けられない主人公の姿や周囲の様子を描いて終わりの感じだったでしょうが、東日本大震災の記憶や叔母への思いを書いたり、仙台に向かう途中で偶然知り合った平原夏葵と古墳を見て歩いたりする場面がある事で小説の奥行きが増したように感じました。
『エミリーに薔薇を』


新年明けましておめでとうございます。
本年も、私の拙い文章を読んでいただければ幸いです。
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ウィリアム・フォークナー『エミリーに薔薇を』(高橋正雄訳、中公文庫)を読みました。
この本は1988年5月に刊行された福武文庫版に中上健次の講演二篇を付録として新たに加えたもので、作品としては「赤い葉」「正義」「エミリーに薔薇を」「あの夕陽」「ウォッシュ」「女王ありき」「過去」「デルタの秋」が、中上健次の講演は「中上健次、フォークナーを語る」と題して「フォークナー、繁茂する南」「フォークナー衝撃」が収められているのですが、架空の町ジェファソンが舞台になっている《ヨクナパトウファ・サーガ》について当初僕がまるで無知だったからでしょうか、過去何度か読了を目指して行動を始めてみたものの、「赤い葉」を途中まで読んでゲンナリする状態が続いていました。
ただ、このまま積ん読状態を続けておくのも勿体ない、今回は何とか読了しようと自分自身をなだめつつ読み続けたところ、「正義」を読み終えたあたりで漸く面白くなり、それなりに時間は掛かったものの、何とか読了する事が出来ました。
もっとも、上記の事態は僕自身の読書の姿勢が曖昧だったからこそ招いた結果であり、どの作品が印象深い等の言及は本来ならできる立場ではないと思います(と書きつつ書いてしまいます)が、個人的にはサスペンスの要素が強い「エミリーに薔薇を」と、私有財産を拒否し、自然に帰れと言う考えに至ったアイザックの姿に心が動かされた「デルタの秋」が他の小説(と講演二篇)に比べて強く印象に残りました。
『ここから先は何もない』


山田正紀『ここから先は何もない』(河出文庫)を読みました。
この本は某書店で作者の名前に惹かれ(SFは好きではないのに)買ったものの、一週間ぐらい前まで積ん読してしまっていましたが、いざ読みはじめると三億キロ離れた小惑星で見つかったと言う化石人骨云々についてよりも、神澤鋭二等の登場人物の描写にまず目を奪われてしまいました。
そして、小説の中にある二度三度のどんでん返しに身を委ねているうちに読み終えてしまった、…そんな感じがしました。
しかし、ガストン・ルルー『黄色い部屋の謎』、オー・ヘンリー『最後の一葉』や『ミス・マーサのパン』、さらにボブ・ディラン『Beyond Here Lies Nothin’(ここから先は何もない)』が小説の中で度々登場するのが僕は途中まで不思議だったのですが、まさか終盤になって小説の中で重要な要素だと言うのを目の当たりにして非常に吃驚しました。
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2024年もあと僅かで終わろうとしています。
拙い私の文章をお読みいただき、本当にありがとうございました。
本年も、個人的には読書後の感想(めいたもの)だけでなく、CDを聴いた感想(めいたもの)等も書き、ブログに記事をアップしていければと思っていたのですが、昨年同様(!)踏み出す勇気がなく、目論見通りに展開させられませんでした。
来年は(来年こそは)、可能な限りCDを聴いた感想(めいたもの)等も記事として書いて、アップできたらと思いますので、お読みいただけましたら幸いです。
それでは、皆様良いお年をお迎えください。
