F9の雑記帳 -182ページ目

2019年10月22日

 即位礼正殿の儀。休日。昼と夜のおかずを買いにスーパーに行った以外、文字通り寝たり本を読んだり(少しテレビを観たり)して過ごした。

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 中西智佐乃「尾を喰う蛇」(『新潮』2019年11月号所収)を読む。第51回新潮新人賞受賞作。最初は病院内での介護の描写がリアルに感じられ驚いた。途中主人公の思考や性格の描写が若干キツくて嫌になった(一寸暴力的な場面が多い気が…。)が、ほぼ一気に読み終えてしまったので、個人的には読んで良かったと思った。そして、個人的に時間をおいて再読してみても良いかもしれないとも思った。

2019年10月21日

 今日は微妙で何とも言えない一日だった。出来る限りはやっているつもりなのだが…。

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 ガブリエル・ガルシア=マルケス「聖女」(『純真なエレンディラと邪悪な祖母の信じがたくも痛ましい物語 ガルシア=マルケス中短篇傑作選』(野谷文昭=編訳、河出書房新社)所収)を読む。死んだ少女が腐らないと言う設定には驚いたが、教皇から電話で連絡があるからと言う理由でローマに留まり、そのまま22年待ち続けたマルガリート・ドゥアルテに驚いた。確かに、死んだ娘が腐らないのは奇蹟だが、「教皇に見てもらえれば…。」と思い続けられるかと言うと、僕には一寸厳しいし…。

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 続けて、ガブリエル・ガルシア=マルケス「光は水に似る」(『純真なエレンディラと邪悪な祖母の信じがたくも痛ましい物語 ガルシア=マルケス中短篇傑作選』(野谷文昭=編訳、河出書房新社)所収)を読む。確かに題名の通りの展開のはずなのに、最後の場面が印象的ではあったが僕自身の予想を裏切られて意外だった。光の海に溺れる、か…。

2019年10月20日

 昨夜余り眠れなかった(実際は4時間位は寝ているのだが。)ので日中はテレビを観たり居眠りしてばかりだったのだが、この状況はまずいと何故か急に思い、大した距離ではないけれど、夕方一時間程近所を歩いた。疲れれば眠れるかなと思っての行動だったのだが、どうなる事やら…。

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 午前中、J・D・サリンジャー「いまどきの若者」(柴田元幸訳、『Monkey vol.19』所収)を読む。ホームパーティーは僕にはかなり縁遠いが、小説の中の大学生達の会話を読んでいてあれこれ考えてしまった。 もっとも、考えたとは言え深い内容ではなく、“男性も女性も主潮が激しく煙草を良く吸うなあ…。”と言うぐらいの物だが。

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 続いて、J・D・サリンジャー「針音だらけのレコード盤」(柴田元幸訳、『Monkey vol.19』所収)を読む。後半のシンガーが黒人だから病院が受け入れてくれずに死んでしまう展開は、前半の主人公(であるラドフォード)と女性の友達とピアニストとの交流の思い出が明るく可愛かったので、読んでいて(時代だからと分かっているとは言え)衝撃的だった。そして、読み終えた後(「いい男はいない」「スーピー・ピギー」等)この小説に登場する曲達を聴いてみたくなった。

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 午前中、ガブリエル・ガルシア=マルケス「純真なエレンディラと邪悪な祖母の信じがたくも痛ましい物語」(『純真なエレンディラと邪悪な祖母の信じがたくも痛ましい物語 ガルシア=マルケス中短篇傑作選』(野谷文昭=編訳、河出書房新社)所収)を読む。主人公のエレンディラはある出来事がきっかけで祖母に娼婦にさせられてしまい旅に出るのだが、旅の途中でウリセスと言う少年に出会い、運命が変わっていくと言った展開で小説は進んでいくのだが、終盤自分は一度祖母を殺そうとして止めたのに、自分に惚れて「君のためならなんでもできるよ」(206頁)と言ったウリセスに対しては祖母を殺すよう無言の圧力をかけ、いざ目的が果たされたと見るや途端に「大人らしい分別」(213頁)を発揮し現実的な行為に走ったエレンディラに対して少し呆れてしまった。もっとも、寝言を言いまくり、殺鼠剤入りのケーキを食べても死なず、ピアノに仕掛けられた爆弾の爆発に巻き込まれても死なないと言う祖母だからこそ、感傷も同情ももう沢山だからこその結果なのかもしれないが。しかし、ウリセスは哀れだなあ。せっかくエレンディラを祖母から解放したのに労りの言葉さえなく最後の最後で放置されてしまうだなんて…。