F9の雑記帳 -1343ページ目

偶然

 偶然なのか、必然なのか。古本屋で出会う本というのはそういう運命にあるものなのか。
 今日、偶然立ち寄った阿佐ケ谷駅近くのブックオフで、渋谷卓男『朝鮮鮒』(ジャンクション・ハーベスト、2004年)を見つけた。確かこの詩集は第6回小野十三郎賞を獲っていたし、荒川洋治が某雑誌で戦後の詩を回顧する特集が組まれた際に詩を一編選んでいたりしていたこと(と記憶している…)があったので、一度読んでみたかったのだ。
 率直に言って、面白い。距離感が抜群で、とても実直である。ふざけた表現かもしれないが、(詩に限らず芸術作品とはそういうものだろうが、そのときの気分や体調などがわかるという意味で)鏡になりうる作品が多いように思う。もし何かの機会に手に取るようなことがあれば、読んで損はないと思う。ちなみに、僕の好きな作品は「海を見ている」である。(…もうこれだけで僕の性格がわかってしまうが、こういう詩も書きたいのだ。)

嫌悪

 いつも恐れていることだが、今日は特に書くことがない。
 とにかくどんなことでも書こうとしているのだが、行き当たりばったりすぎて全く駄目になっている。日録、もしくは日記ふうにはしたくない、いやしないでいこうと思っているのだが、だんだんそれに近づいているのがすごく嫌なのだ。書くことがなければ黙ればいい、沈黙こそ答えだということになるのか…。本などもあまり読むこともできない日々の中で、なんとかくだらないことなりを書いている身としては、少し衝撃だ。それにしてもあまりに陳腐にすぎるけれど。

帰結

 感覚とは何か。
 大変大きく話をはじめようとしているが、つい先程、名古屋駅の売店で話した話が気になっただけのことだ。
 僕が「寒い」というと店の人は「そんなことはない」と言って、否定されてしまった。別に人それぞれだから気にしなくてもいいといわれればその通りだろう。だが、僕はそれほど寒がりではないし、むしろ汗かきなぐらいなのだ。そんな男が「寒い」といっているのに、「寒くない」と言われる状況というのは、僕が周囲とずれているか、周囲がずれているかのどちらかだろう。とすると昨日少し体調を崩してしまった僕の感覚が少しおかしくて、周囲はきっと平常に違いない、という結論に達するのが妥当なのだろう。あるいは無意味な論理を振り回してみても、きっとそこに帰結するに違いない。そうでなければ辻褄が合うまい。僕には残念な結果ではあるが。
 それにしても最初は大きく話をはじめたわりには、結論は結局なしくずしみたいな感じで終わってしまった。もう少し知識があれば、別の展開があったかもしれない、と思うと少し悔しい。