12000年前の牟国(太平洋)から日本へ

6045年前の日本からメソポタミアへ

2200年前中国から日本へ

1989年前のイスラエル国から226年頃には波斯国へ

波斯国から391年頃高句麗国へ

高句麗国から538年日本へ

 

大臣蘇我稲目と波斯人美女媛が結婚し

嶋大臣蘇我馬子と物部布都姫が結婚

馬子から蘇我倉麻呂

倉麻呂から蘇我連子

藤原不比等と連子の娘蘇我媼子が結婚し

 

南家武智麻呂、北家房前、式家宇合

全国4700氏姓の家々を生み

 

1億2644万3千人の家族が住む島 日本国

 

稲目の妻は高句麗から来た美女媛(おみなひめ)で、キリストの関係者、ペルシア人です。蘇我馬子→蘇我倉麻呂→蘇我連子(むらじこ)→蘇我媼子(おうなこ)で、媼子さんが藤原不比等と結婚して全国4700氏姓の祖である南家武智麻呂、北家房前(ふささき)、式家宇合を産んでいます。

 

豊聡耳(厩戸皇子)が、キリストの再来と言われたのは、曾祖母が美女媛だったからですが、かといって日本全国、それだとキリストの子孫だということにもなります。

 

間人(はしひと)、波斯(はし)ペルシャ。西暦33年ヨシュアが無実の罪でゴルゴダの丘で処刑され、一時マサダ要塞に立てこもり、二人の婦人と五人の子どもがペルシャに亡命し、高句麗19代好太王が匿い、538年に日本に美女媛らが亡命。

 

 

 日本はアブラハムとサラの系統

 日本最古の地域、大倭日高見国の中心を更木(サラキ)という。

 サラとは「女王」の意。

 また、純潔や新しいことを意味する。

 サラは考古学者でもあり、アトランティスの秘宝エメラルドタブレットをギザの大ピラミッドの内部にあったヘルメス・トリスメギストスの御墓で見つけ、時を経てアレクサンダー大王が再び見つけた。

エメラルド・タブレット 碑文の意味翻訳現代語訳文 / 皐月翠色の痕跡 尊しき父

 

 

 

 飛鳥時代は謎の時代であり、天皇号を始めた聖徳太子の偉業には肖りたいが、自身の系統をしっかり明記したい天武天皇の思惑によって、一連の物語は書き換えられ、皇后の持統天皇によってさらに巧みに整えられた、当時の真相の内容は図の通りである。 

 

 蘇我馬子の弟である境部臣摩理勢は聖徳太子と蘇我刀自古の子・山背皇子を押していたが、摩理勢の甥の蘇我蝦夷とその息子の蘇我入鹿は、田村皇子の長子、古人大兄皇子を押していた。蝦夷は聖徳太子が(孝元帝の皇子大彦命の孫磐鹿六鴈命「いわかむつかりのみこと」を祖とする膳氏)膳部菩岐々美郎女との長子泊瀬親王を次の御代に指名したことに憤慨していた。 その当時、政治の実権を握っていたのは斑鳩にいる山背の異母兄弟の泊瀬大王であり、古人大兄皇子を押す蝦夷に憤慨した山背皇子は斑鳩に避難するが、包囲されるも山へ逃れその後の消息は知れない。その後も乙巳の変、壬申の乱と続き、ようやく天武天皇の御代に国が安定する。天智大王の皇子施基皇子と、天武天皇の皇女託基皇女が結婚し、光仁天皇が産まれ、桓武天皇に続いた。ちなみに、天智大王も天武天皇代より繰り上げて天皇号で呼ぶようになり、天智天皇の諱には聖徳太子と膳部菩岐々美郎女の長子泊瀬大王の皇子葛城王より肖った葛城王の名が当てられた。遵って、天皇号における正史の順は次の通りとなる。

 

 

 581年、大倭日高見国安東王(安倍)が、嶋大臣蘇我馬子と談義して

 聖徳太子(厩戸皇子・豊總耳命)を擁立。

 聖徳太子(厩戸皇子・豊總耳命) 最後の委王 天皇号の創始者 608年 親書に「東の天皇敬みて西の皇帝に白す」云々

 ↓

 泊瀬大王 泊瀬親王 (聖徳太子の長子)

 ↓

 中大兄皇子 天智大王 諱・葛城王 (泊瀬大王の子葛城王の位に入る)

 ↓

 大海皇子 天武天皇 日本号を使い始める (后 持統天皇代 高市皇子 新益宮造営)

 ↓

 天智皇子施基皇子 妃 天武皇女託基皇女 (天智子藤原不比等 平城京遷都 首皇子 聖武天皇御代)

 ↓

 光仁天皇 皇后 高野新笠

 ↓

 桓武天皇 794年 平安京遷都

 

 外交における飛鳥時代の首都は斑鳩であった。斑鳩宮→新益宮→平城京→慕仁京→長岡京→平安京へと遷都。

 

 耳梨山(耳成山)上円下方墳 委王聖徳太子御陵(説)

 (1982年8歳の頃地元の年長の方から聞いたところ、耳成山は明治初頭に植林した山だと言われ、木無し山といい、もとは白亜の御影石で覆われていたのだという。1996年21歳になって、友人に聞くところ、聖徳太子の御陵として造られたと知った。全高139.6m一辺約300m大変大きな御陵であり聖徳太子の業績は建造当時としても絶大であり、太子誕生より1444年経った今も、多くの人々の心の光となって輝き続けている。)

 聖徳太子開基の古刹、三輪山平等寺の坂から眺めるに、大和盆地をして丁度目前にあるのがこちらの耳成山であることも何らか関係があるのだろう。

 

 

 

 もう一つの可能性としては、美努王あるいはその皇子葛城大王橘諸兄の御陵であろうとも考えられる。何と言っても、吉野に籠った大海皇子とその皇子たちに加勢し、政権を勝ち取ったのは、美努王あってのお話であるからだ。

 

 何にせよ、偉大な人物の御陵であることでしょう。 (千田寛仁説)

 

 

 日本のピラミッドの一つ、耳成山

 秋田県の黒俣山、岩手県の飯豊森にも似ている

 

 

 694年新益宮(藤原京)天武朝 天武天皇長子 高市皇子が造営を指揮監督

 

  

 

 608年天皇号を聖徳太子が親書で使い始める。

 太子の後の外交は、長男の泊瀬大王(はせのおおきみ)が斑鳩でしていた。

 皇子の葛城王の位を廻って、百済救済のため天智大王(諱・葛城王)が葛城王の位についた。

 妹の波止利女王(はっとり)は警察組織を整えた。

 三男麻呂古親王は出羽に赴き仏教の大事を広めた。

 

 

 天皇家 物部家 蘇我家 藤原家 共通 直系家系図

 

 ※日本国では、どなたの家からも60代ほど親を遡ると、

共通の御先祖様の蘇我馬子公がおられます。

 蘇我馬子公が、物部布都姫様と結婚して崇仏派と敬神派は習合し、

 甥の聖徳太子が敬神の詔を出して神仏習合の国となりました。

 神道で神と呼び奉る神々は、実に日本の共通の御先祖様であり、

 仏教の彌教えをいただいて、皆が安全に幸せに生活することが大事なことです。

 

 神とは何か。日本では御先祖様を神と申し上げています。御先祖様を遡っていくと自ずと創造主へと辿り着くであろうことの道理からです。もっと広い視野でものを見れば、この世、あの世、異次元、過去未来現在を問わないところに神の神はおいでになられます。

 

 仏とは何か。過去未来現在、この世、あの世、異次元を問わず、生命を守っている御方であり、仕組み両方のことです。仏とはいわゆる物質・物体・事象として形のあるものだけを言うのではなく、目に見えない、生命を守る意思、慈悲心を仏と呼びます。それゆえ、神は仏であり、仏は神の道であるのです。

 

 信仰とは何か。信じ仰ぐ。すなわち、強い愛と謙虚な気持ちで、神仏、異次元と通信を行います。(口に出さず意思で通信、まどろみ・黄昏れ・禅定・レム睡眠)

裁かない、決めつけない、判断しない。希望を念じてすべてをお任せする通信によって、祈りが通じます。仏法を身心に定義設定し、万全の状態に入り、長寿健康と身心堅固を祈り、世の安寧を祈ります。

 

 邪馬台国(耶靡堆国)と天皇家の姓 阿毎

 

 石川県(加賀)の三輪で100以上ある小国を統一して耶靡堆国(やまたいこく)が建国されました。耶靡堆日子(やまとひこ)とも阿毎氏(あめ)とも言われる初代王は、耶靡堆国明日香(やまたいこくあすか)の箸香(はしはか)の山を三輪山(みわやま)と名付けました。その後、加賀(かも)の三輪山神を現在の奈良県桜井市三輪へ移し、三輪山大神として、大物主神(おおもののぬししん)を祀りはじめました。この時に耶靡堆国(やまたいこく)は国号を耶馬臺国(やまたいこく)と改めました。

 このもとに筑紫九州を耶馬壱国、南海道三重和歌山を耶馬二国、出雲を耶馬三国、東国関東以北を耶馬四国と称しました。後に耶馬台の安日彦王が耶馬臺国中央の王になり、合わせて五人の王を立てて政治を行いました。多くの小国の王がこの時代の動きに敏感に同調して、倭国とも称される耶馬台国(中央現在の桜井市)は、急激に頭角を表してきたのです。

 

 筑紫九州を饒速日命が治めた後、弟の邇邇芸命が筑紫九州へ赴任して王となり、耶馬壱国となり、時を経て、登美明国王(長臑彦命)が青森の弘前に移り住んでから東日本を耶馬四国と称する。この体制は500年代の後期まで続き日高見国の安倍氏、安東王に認められた聖徳太子によって委国の統一体制(大和朝廷)として受け継がれました。

 

 ・阿毎氏(あめ) 耶靡堆国初代王 蘇我の祖 三輪山は蘇我山

 

 ・聖徳太子 607年に親書に初めて天皇号を使い始める

 阿毎多利思北孤 聖徳太子の姓が阿毎即ち、天皇家の姓は阿毎(即ち蘇我)であることが判る

 多利思北孤とは、太子彦であり、皇太子であり王であるという意味になる

 

 ・天武天皇 国号に日本号を使い始める

 

 ・大倭日高見国 岩手県北上市更木を首都とする東日本

 

 ・豊葦原瑞穂国 奈良県桜井市三輪を首都とする西日本 (元の名・登美)

 

 

 

国別ルート

 

クリックで拡大表示

 

 

 

 

 

 Ave, 安倍家の家系図と佐藤家、全国親戚のための図 日本国号の推移

 

 佐藤家家系図 -佐藤・源氏車-

 

 世界家系図 http://jkenterprise777.g1.xrea.com/tida.html 

 

 

 著作物の内容をインターネットに利用する場合の使用料 

 一口、一人3400円 有志は何口でも可

 引用に関する決まり:

 本ページのURL表示を必須とする。

 

 

 使用料金の支払い

 総合口座(寄附及び謝礼亦は御取引)

 南都銀行 桜井支店

 

 店番240 普通預金口座2306910

 

  ショウトクタイシ ダイヒヨウ チダ ヒロヒト

 聖徳太子 代表 千田寛仁

 

 本等に利用する場合は、別途お問い合わせ下さい。

 Tel 0744-42-3578

 携帯 090-9428-2272

 

 電子メール midoridrive@gmail.com

 

 歴史宰杜管理人 千田寛仁