歓迎と感謝

 

 御閲覧いただきまして誠にありがとうございます。當日記の題名の本物とは証明のあることを言います。歴史上の人物との繋がりを知る上での道標となる光(物)です。即ちオリジナル。複製や模造ではないということです。自らの明らかな物であるから応用が効く、基礎となる物です。本当とは正確なという事です。日本人は感謝するときに本当にとか誠にとかを修飾します。「本当にありがとうございます。」「誠にありがとうございます。」即ち本物本当と書いて「当てになる光となるもの」本著があなたにとって、脈略と繋がる経緯を辿る、元々は何かというルーツを知るうえでのガイドツールになれば幸甚です。

 

 

 本文

 

 日本国を聖徳太子の時代には委「ユダ」と書きました。中国ではこれに人偏を付けて親しき意味の倭「ワ」と呼びました。ワとは古代日本語で「我が」の意味です。現在でも北東北では自分のことを「ワ」と言います。今現在はこれを知らない世代が自国のことを倭と書きますが、日本国は大委(オオユダ)産土「ウブス」と呼ばれる太古の先祖達が作った国です。ウブスの住居した地域は日本以外にはエルサレムがありました。3000年の昔、ダビデ王にウブスの姫が嫁ぎ、ダビデ王はウブスに入り彦(婿養子)となってイスラエルの王となりました。後、ローマ帝国の侵攻を受け一度滅んだ後、エルサレム王国として復活しましたが、最終的にはオスマン帝国に敗れて長らく国が途絶えていました。これは勿体のないことだとしてイスラエルはロスチャイルド家の尽力によって1948年に再興しました。

 

 非子より始まる秦氏はダビデ王を祖神として祀って居ます。秦氏は日本人にとって遠い存在ではなく、2200年程前。始皇帝の時代に日本に帰て国土を整備した日本の先祖でもあります。

 

 また、縄文時代、7300年前に、アメリカ大陸やユーラシア大陸に渡っていったウブスもいて古代は同じ文化圏だったことが土器で判ります。現在となっては医学的に出身地が判別つくのですが、世界の各地に日本文明の名残があります。

 

 NASAでは他の星のことまで解っていることでありましょう。

 

 現代人が日本国のSONYの製品を手にして「世界のソニー」と言うようなことです。名誉なことであると思うと同時に、インターネットを与えて下さった先人と現代を掌る方々に感謝して図面で日本国の親戚に安倍と佐藤に繋がる系図を届けたいと思います。

 

 ありがとうございます。 

 

図面1日本国の総父母、イザナギノミコト・イザナギノミコト

 

図面2日本国王の経緯

 

図面3安倍と佐藤の筆者までの系図

 

図面4曹洞宗開祖道元禅師との繋がり

 

聖徳太子と弥勒菩薩像

 

 

 自筆の過去ソースから

 

 6042年前と推定します、この時期地球環境の変化に応じて初代の父アダムが誕生します。

 

 5000年前10代ノアの時代には地球規模で洪水が発生し、多くの人々が飲み込まれました。

 3954年前の21代アブラハムは世の理を文字や有形無形のものごとにあらわすカッバーラ密教を完成します。彼には三人の妻がいてその子孫は世界を満たしてゆきます。正妻サラとの間に生まれた22代イサクの子23代のヤコブは12人の子どもをもうけます。

そしてイスラエルを建国し自らをイスラエル[最勝の神]と称しました。

 

 紀元前928年3000年前の35代ダビデはエルサレムの先住民ウブスたちに信望され大王となり、36代ナタンの弟ソロモンは大神殿を建設します。ナタンはマリアの祖、ソロモンはヨセフの祖です。38代メレア、王がレハベアムの時代にイスラエルは南北に分裂します。

 

 北朝は雲を拝すバール信仰を持つ北イスラエルと、イル太陽信仰の南朝ユダ王国です。北朝は葡萄の紋章を掲げるイスラエルの12番子エフライムの子孫、南朝はイスラエル3番子ライオンの紋章を掲げるユダ子孫と10番子で狼を紋章に掲げるベニヤミンの子孫が建国しました。

 

 ユダ王国は紀元前607年にバビロニア帝国の侵攻によって滅亡し、イスラエルも紀元前586年に陥落し捕囚されます。紀元前537年アルタクセルクセス王の時代、アケメネス朝の王キュロス2世が新バビロニアを倒した後イスラエルユダヤ人はメディアペルシアへ融合します。

 

 そのうち許された人々はイスラエルに戻りますが、国のほとんどをローマ帝国に取られてしまっていて、パレスチナの小さな場所で再起を願うようになったのです。紀元前250年頃69代ヨセフの時代、虐げられたユダヤ人にインドからダイバダッタ党が仏教を授戒します。

 

 授戒の折に沐浴身体して清めたこれが最初のバプテスマです。75代のヨセフの妻マリアに生まれた76代ヨシュアは、ユダヤ民衆から信望されて改革を行いました。ヨシュアが生まれた年に崩御せられたヘロデ王は紀元前37年ついにローマ皇帝に従属することを約束して、ユダヤの分封王となることができたのです。

 

 ユダヤ人以外の諸国民のために公共施設を建設し、イスラエルの大神殿を再興し、ユダヤ人以外も大神殿を拝してこの王の偉業はあったのですが、圧制をしいたのと猜疑心が大きい人でした。ことにレビ族の司祭を処刑するなど気が荒ぶる王であったことによってユダヤ教司祭たちと対立しました。ヘロデ王亡き後息子たち3人の失政が続きました。

 

 ヨシュアの改革は、あらゆる人々のもとへ自ら赴いて民族の親神ヤーウェ[エホバ神]への回帰と平等を説いて歩きました。ヨシュアの教えはわかりやすく、商売的要素がなかったため、税や労役で苦しめられていたユダヤの人々は歓迎しました。ヨシュアはユダヤ人だけでなく、時のローマの支配層からも支持され始め、原点回帰を唱えるヨシュアの教えに危機感を抱いたユダヤ教徒が、「彼ヨシュアはローマ帝国に謀反あり」と激しく訴えました。

 

 ヨシュアは弟子のユダに銀貨30枚で裏切られて密告され、ゴルゴダの丘で刑に処されました。西暦33年数え38歳で崩御せられました。

 

 ユダヤの子孫は、73年のマサダ要塞[元ヘロデ王離宮]陥落後はペルシャ[現在で言うイランの地]で暮らし、ペルシャが潰える時に高句麗19代好太王[広開土王](西暦374年 - 西暦412年)によって匿われます。その子孫の姫達(美女媛[オミナヒメ]と侍女の吾田子[アタコ])が高句麗の縁によって蘇我稲目に嫁いできました。そして蘇我稲目の娘堅塩媛[キタシヒメ]と小姉君が斯帰斯麻王(シキシマオウ・記紀による欽明天皇)に嫁いでいます。

 

 小姉君の兄が蘇我馬子です。欽明天皇と小姉君との間に生まれた穴穂部間人の子が厩戸皇子です。間人[ハシヒト]とは波斯人[ペルシャ人]のことです。蘇我氏の居城であった甘樫丘では見事な石畳の跡が見れます。高度な石工の技術が同じく渡ってきたペルシャゆかりの秦氏によって齎された訳です。飛鳥の王朝では噴水や整備された石畳、蘇我氏が栄華を極めました。そのおもかげとして奈良の薬師寺や正倉院に行きますと、仏像の作りや建築、器物の紋様などにペルシャ文化が垣間見れます。

 

 蘇我稲目と美女媛の子が馬子。馬子の子が倉麻呂、倉麻呂の子が連子、連子の娘が蘇我媼子で、媼子藤原不比等の妻となって、3人の子どもを生んでいます。藤原南家祖武智麻呂、藤原北家祖房前、藤原式家祖宇合です。彼たちの子から一般的に氏姓がはじまっており、その数4700氏姓以上と呼ばれています。

 

 日本国国民そのほとんどが、縁で結ばれていることがわかります。豊聡耳[上宮法王聖徳太子]は、厩戸皇子と呼ばれています。厩(馬屋)で産まれた伝説は、ヨシュアと重ねた伝説で、その話を広めたのが秦河勝公です。河勝は景教徒[キリスト教徒]です。


 (聖徳太子疏:和邇氏が瑞穂を治めていた時世の大臣蘇我嶋の甥、邪馬台国王橘豊日王次男 西暦574年 - 西暦622年 享年49歳 位:倭王 天皇号創始者。 初代天皇推古「額田部姫」は太子の叔母です。 蘇我嶋は、西暦581年、大倭日高見・日本国王安東すなわち大倭王安東[安倍氏]より権能を譲り受け、馬子を称しています。

 

 東北の王から立派な軍馬「中国由来群馬産」を二頭譲られて飼った場所が橿原石川町にあった藤原京(新益京)の厩坂寺です。厩坂寺は平城京の時に興福寺となります。飛鳥寺は元興寺となりました。譲られた日本の馬の一頭が聡の愛馬黒駒です。群馬県には後に藤原清衡が馬を20万騎有していた所と伝えられていますから、日本の軍事基地であったことが解ります。

 

 特筆すべしところは、聡が倭王位に就いた以後、西国すなわち邪馬台国が、国号に東北地方の名称である「日本」を使い始めましたことです。また、聖徳太子の時代の日本の支配圏は朝鮮、高句麗、日本、[倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸]極東アジア全域に及んでいました。「宋書」「隋書」にみる)

 余談、ローマに対する属国の諸国はキリストの教えを学び貴んで、ローマ帝国も衰退を始めた。ローマを動かすユダヤ教徒、ローマ元老院議会サンへドリンも、今のままでは諸国の心がローマから離れてしまうことを憂い、ローマ帝国皇帝テオドシウスは西暦380年、キリスト教をローマ帝国の国教と宣言しました。

 

 ユダヤ教がキリスト教を取り込みましたが、キリスト教と題して支配体制を堅固にする政策です。キリスト教が起こると同じ頃に、グノーシス主義哲学が生まれ、神創造主と肉体は別個なものである視点から、ヨシュアは神ではないとする見方が広がりました。神聖化して人々を惑わすことを良しとしない考えからです。

 

 キリストとは救い主の意味であり、ヨシュアに共鳴した救い主の精霊がヨシュアの肉体に宿ったということです。人間は神の御意志に通じても神そのものとはなりえないです。ヨシュアは深く古を慕い先祖崇拝を続けるにあたって、生命の理に気づきました。親神への報恩、それは各々人間が自己を知り、自己の心身をたいせつにするということです。

 

 神は神であり、人間は人間です。光を追うことは神との合一を目指すことです。自分を救うのは自分であり人間仲間です。祈ることの成果は兼学することで身についてきます。天台宗より始まるあらゆる修法、密教、真言宗の真言マントラ・護摩祈祷、曹洞宗の禅、浄土宗浄土真宗の念仏声明、修験宗の回峰行、キリスト教の聖歌、イスラム教のラマダン、人間を守るあらゆる宗教。何を以っても神を追い求めてきた長きに渡る人類人間の叡智を皆で分け合い(シェアし)教え合うことが学びとなります。法華経に書かれているように、神と言われるような地球以外の惑星の超文明を築いている人たちも人類が仲良く暮らしたら少しずつ生命の謎を種明かしして下さることでありましょう。

 

 人類皆宇宙の子、地球の子。この地球(テラ)は太陽のもとに皆平等です。太陽と月と地球、あなたに神の御加護ありますように。

 

 わたしは環境保全と医療を第一に掲げている僧侶で、禅を通じて歴史のレシピを配っています。
 

 

 

 

 「正しく」は何かを追究すること

 

言葉の計画書と意識制御・物質への影響

「光明の魂」の扱いの粗雑さによって

結果現実に光明が当たらなくなっていないか

という疑問

 

キリスト教で異端とされたアブラクサスや、

日本のスサノオにも言える話。

 

 

 

 一例

 

 人間社会において、正しくを実践するとき神が必要でしょうか。あるいは悪魔が必要でしょうか。神や光は何を表しているでしょう。それは人間が長きに渡って感受してきた記憶と霊的な話の延長線上にあります。

 

 言葉が物事を先導する事を考えるとき、人間主義に立ち返ったとしても言葉が持つ霊的な意識での変換が必要です。人間の意識には目に見えない作用がそこに働いているからです。常に善悪を作っては正しくはどうなのかになかなか疑問をいだこうとはしません。意識の誤りは、状況把握の判断の測りを失います。精神主柱が宗教にあったり、その宗教から発生した言語である場合は尚のこと言葉や知識は重要です。正しくは何かという光の追求、光を持っての照合、そして矯正です。

 

 

 

 著作者氏名 千田寛仁 (読み:ちだひろひと)

 電話連絡先 090-9428-2272