義母との同居【私の内観#17】
こんにちは、斎藤宏幸です。
【私の内観】と題して過去の振り返りを配信していきます。
前回家を購入【私の内観#16】からの続き
2006年、長女が2歳の時に、自宅を購入することになりました。それと時期を同じくして、妻のお父さんが亡くなりました。
妻の父母は、それまで2人暮らししていたのですが、父が亡くなってから母の認知症が進行してしまい、一人暮らしをさせるには心配ということで、施設に入れようか、誰が面倒を見るのか、など話がまとまりませんでした。
たまたま、家を購入したばかりで一部屋空いていたので、「しばらく、義理のお母さんに住んでもらったら」、と気軽に妻に言ってしまいました。
その安易に言った一言が、のちに重大なことになってしまったのです。
義母は、近所のデイサービスに行くように妻が手配して、週に5、6日通うようになりました。家族で出かけるときは、いつも義母が一緒でした。
家で留守番してもらったら、とかデイサービスに預かってもらったら、と妻に言っても、「かわいそうだから、そんなことできない」の一点張り。
デイサービスでは、ショートステイとかロングステイができました。また、義母はいつもデイサービスに行くのを楽しみにしていた。お友達もたくさんいたし、色々な遊びができたので、楽しかったのでしょう。
そして、”しばらく”と言った時期が、1年以上経過してしまったのです。
自分は、妻とこの事でなんども話し合おうとしましたが、その都度、妻は戦闘モードにスイッチが入ってしまうので、建設的な話ができませんでした。
自分としては、母親を追い出そうというつもりはなかったけれども、妻にとっては、母親をかばおうと必死の抵抗を続けたのです。
子供のいる前でも言い争いが絶えず、このままでは子供にとっても悪影響が出てしまうし、自分自身も精神的に限界でしたので、別居することにしました。
家庭は崩壊寸前まで行ってしまったのです。
せっかく、夢のマイホームを手に入れたと思ったら、認知症の義母との同居生活が始まり、常に喧嘩が絶えず、という、自分の居場所が全くない状態でした。
こんなことなら、無理して家など買わなければよかった。
近所に、長女が2歳の時まで住んでいたアパートがありましたが、その前を通るたびに、「この時期が一番充実していて楽しかったな」、としみじみ感じました。
次回、要介護3認定の認知症の義母との対応【私の内観#26】に続きます。
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