離婚調停【私の内観#8】
こんにちは、斎藤宏幸です。
【私の内観】と題して過去の振り返りを配信していきます。
前回、再び日本へ【私の内観#7】からの続き
やり直そうと思って再び日本へ戻りましたが、ダメでした。堂々巡りと自己処罰の日々を過ごしていましたが、いつまでもこんな生活を続けていても仕方がないと思い、また日本の家族の元に行きました。
今後のことを話し合おうと思って。
すでに妻は離婚届けを市役所から取り寄せていました。離婚届に必要事項を書いていると、長女は言いました。「ママと一緒に暮らす」と。
今まで子供の前で喧嘩ばかりしていたので、そんな親を見たくなかったでしょう。
子供にとって、父親がいないという寂しさよりも両親の喧嘩を見るのが辛かったと思います。
次女は、「パパと暮らす」と言ってくれました。
この時、次女はまだ3歳くらいだったと思いますが、離婚の意味をわかっていたのかどうかわかりません。
どっちの親と暮らしたいか、などと娘たちに聞いた訳ではないですが、娘たちから自発的に言ってくれました。
離婚届にお互い記入したものの、親権や家の名義をどうするかなどは話し合いが付いていませんでした。
お互いに直接話し合おうとしても、冷静に建設的な話し合いはできなかったので、家庭裁判所に調停の申し立てをすることにしました。
離婚調停では、財産分与、養育費、親権の3つが主に話し合われます。
調停にあたり、色々な弁護士に相談しました。
別居期間中、子供の面倒を見ていたのは母親なので、自分が親権を要求しても無理だと、どの弁護士からも言われました。
親権が無理なら、定期的に子供と会える機会を作って欲しいと要求しました。
ただ、調停員の人からはその要求も却下。
日本の家庭裁判所において、調停員は母親の味方をする傾向がある、と聞いていましたが、実際、自分が体験して見て、その通りだったと再認識しました。
次に、家を自分と妻の名義で持っていたので、その名義をどのようにするのかで話し合いましたが、平行線のまま。
この時も調停員は妻の側について、執拗に妻の要求を受け入れるように言ってきました。
妻には弁護士と調停員の2人の強力な味方がおり、自分の主張が聞き入れられるのは、なかなか難しい状況でした。
離婚調停は密室で行われるので、どのように調停が行われているのかを、外部の人が知ることもありません。
何度か家庭裁判所に通った後、自分は調停を取り下げることにしました。
その理由は、あまりお互いにいがみ合っていても、あとあと禍根を残すことになってしまうだろうと思ったからです。
後から、調停を取り下げたことを聞いた母親は、自分に注意しました。その選択は間違えだよ、と。
母親としては、自分がどれだけ今まで悩んでいたのかを知っていたので、離婚することに協力してくれていたのです。
だから、離婚調停を取り下げたと聞いて、なんで?、と思ったのでしょう。
しかし、自分が調停を取り下げた後、今度は妻から離婚調停の申し立てがありました。
一旦、調停の取り下げをした後なので、すでに弁護士との契約も終了。また、同じ弁護士に頼むか、別の人に頼むか、弁護士を雇わないか、の選択をする必要ありました。
調停では弁護士を雇わない場合も多いようですが、相手が弁護士を雇っているので、交渉を有利に進めるためにも弁護士を雇う必要あるのかな、と思いました。
調停員も妻の味方ですし。
でも、弁護士にお願いしないで、自分一人で調停の話し合いに臨みました。
また何度か、家庭裁判所に通いましたが、平行線のまま。そして、調停は不成立で終了。調停で離婚が成立しなかったので、次は裁判へ。
裁判となると、さすがに弁護士が必要です。
最初の人と別の弁護士に相談すると、裁判ではなく、再び調停をした方がいい、というアドバイスを受けました。
「2回も調停の申し立てできるのですか?」と聞くと、できるというので、そのアドバイスに従い、再び調停をすることにしました。
しかし、調停の場で妻とその弁護士も欠席。
最初に調停を申し立てしてから、すでに2年近くが経過していました。あまり、長引かせるのも精神的に辛いので、この調停も取り下げることにしました。
自分は、2度も調停の申し立てをして、2度とも取り下げしたのです。
そして、妻の弁護士と相談して、協議離婚という形で、2013年離婚成立。
2人の娘の親権と家の名義、そして養育費の支払いを無条件で受け入れました。
次回、瞑想と祈り【私の内観#23】に続きます。
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