明治大を率いる高野彬夫監督についてのコラムを挙げた。
先日、長野・菅平に上がったのも、大きな目的の一つが彼とのインタビューだった。本来なら、3月4日に行われた就任会見前後というタイミングでのコラムも候補に挙がったが、この時季、退任前の前監督、神鳥裕之の明治大での〝全仕事〟を書き残したかったのと、野上太尊くんの〝選択〟を、釜石というチームのことも踏まえて書きたかったので、新監督には会見の場で直接こう相談していた。
「本来、就任のタイミングでのインタビューが正攻法だが、明治案件が続くこともあるので、是非、新チーム始動後のどこかのタイミングで話を聞かせてほしい」
そんな勝手な都合も快諾していただき、ようやく実現したのが8月末の菅平だった。
明治大にやって来て頭角を表す頃から、記事にする以外にも常にやり取りしてきた存在だった。縦に強い往年のメイジのCTBというイメージとはすこし異なるタイプだったが、スキルフルなCTBとしての印象が常にあった。コラムでも書いたように、厳しい時代のメイジでは、どうしても限られた才能、経験値の高い選手に依存度が高まる時代。常に奮闘する姿も印象に残った。心の中では、「他の(強豪)チームに進んでいたら、もっと持ち味を出せていたかも」という思いもあった。そんないぶし銀CTB、そしてリーダーとして何度も話を聞いた。
高野主将が卒業した辺りから、幸いなことに、長らく苦悩を続けたチームもようやく若手OBを中心に〝正常化〟を進め、藤田剛HC時代に対抗戦2位、吉田義人監督で同1位と息を吹き返してきた。時間の経過によりメイジ回避の傾向が弱まり、強豪高からの選手も戻って来たことも大きかったが、そこには各地方のセレクターたちの貢献も大きかった。〝内紛〟の最中も、OB達は各地方で根を張り、高校、ラグビー関係者とのパイプを作り、有望選手を発掘して、声を掛け続けた。その努力が、1年前なら早稲田などのライバル校を選んでいた選手が、シーズン毎に八幡山に集まるようになっていた。
本格的に大学、OB会、双方が選出した監督が一体感を持って強化を推進出来るようになったのは、2013年に就任した丹羽雅彦監督の時代から。北海道から赴任したこともあり、八幡山の合宿所に寝泊まりしながら、清水建設の社員としての「常識」も部内、寮内に落とし込んだ。その丹羽監督とOB会が、トップリーグの経験や知識を持つ田中澄憲を後任に選び、その後はコラムで紹介した通り、神鳥監督と経て高野新監督へバトンが回って来た。
上記した全ての指導者が、現役時代、引退後と記者として、個人的にと様々な形で交流を続けてきた人物ばかりだが、高野新監督に期待するのは、あの現役時代の苦しいチーム事情を経てきた初めての監督として、現役時代とはまた違ったいい時代を築いてほしいこと。苦労があったからこそチームに役立てられる引き出しもあるだろう。
そして同時に、本人も語っているように、フラン・ルディケという名将の下から〝巣立って〟どんな学生チームを創り上げるのか。そんな期待も密かに抱きながら開幕を待っている。もちろん、帝京、早稲田らライバルをみれば、前年度王者の肩書きに何の〝免罪符〟もないのは明らかだ。だからこそ、昨季という土台の上に、学生たちと共に何を上乗せしていけるのかがキーになる。プレッシャーを掛ける訳ではないが、素材は十分に揃っている。あとは、どう同じベクトルで彼らが前へ進んでいけるかだ。
監督はじめチームは「連覇」を掲げる中、個人的には先ずは高野監督というフレーバーを盛り込みながら、どこまでスタイルを作り、「3強プラス1」と勝手に読んでいる大学シーズンで、ライバルたちと四つに組み合えるか。あくまでもチームは学生たちの〝もの〟ではあるが、実はHC時代からそのフレーバーをチームに落とし込んでいる現実を考えれば、すでに昨季も高野くんが神鳥監督との共闘でチームのスタイルを形作ってきたのだが、自分自身が全てを背負う初めてのシーズンに、「高野メイジ」のラグビーを見せることから新たなストーリーが始まる。













