フィジー戦のパフォーマンスを象徴するショット。この9月シリ

ーズで〝繋ぎ役〟としてインパクトを残したイノケさん。ジャパ

ンの形が見えてきた。後方の太っちょサポート軍団も👍ⒸJRFU

 

 

ドメスティックシーズンを迎えつつある時間になったが、9月のおさらいを。

 

当初から、コラムを書かせていただいている編集サイドとも「初夏と秋のネイションズチャンピオンシップと比べると、若干ヴァリューの下がる大会。余程喫緊で書くテーマが無ければ、勝負のかかるフィジーとの3試合目の後、3試合まとめてでもいいのでは」という判断で、ひとまとめに。前後編のボリュームにはなってしまったが、9月のテストへ向けた合宿メンバーが発表された段階で、このような見通しを立てた。

 

万が一、この3試合で衝撃的なデビューを果たすような選手がいるか、もしくはここまで見られなかった〝何か〟が起きれば随時書こうとも考えていたが、そこまでのゲームではなく、月末のアップで落ち着いた。

 

で、3試合を終えて感じた〝まとめ〟が、この前後編と相成った。コラム内でもしつこく書いた通り、小刻みなバスの交換から生み出すラグビーに、ようやく〝超速〟の強みが出てきた。そこから、相手のライン防御人数を減らして、大きく、速くボールを動かし、フィニッシュまで持ち込めれば、これから待ち受ける上位をすこしだけ煩わせることが出来る。

 

 

 

 

 

そこに辿り着くために必要なものも、諄いほど書いてきた。精度と判断力が遂行力の低さの要因だと感じるが、一つ、ポジティブにも捉えていいアメリカ戦後の選手の反省の弁は「攻め急ぎ」だろう。これは、先述したショートレンジでのパス交換、繋ぎによるアタックが生み出したもの。福田くんのコメントがよく物語っているが、ティアナンら多くの選手も口を揃えている。

 

 

▲現状この2人がコアになるのは明白。あと1年、怪我があるとジャパンもちょっと…ⒸJRFU

 

 

連続攻撃が生み出す相手防御の破綻が見えていたからこそ、そこへボールを持ち込もうと攻めるマインドが選手を前のめりにさせて、結果的に攻め急ぎによるミスが目についた。それも、まぁテストマッチ=真剣勝負と考えれば「いかがなものか」ではあるが、フィジー戦も含めてなんとか勝ち切れたのをギリギリよしとしよう。

 

この攻め急ぎが改善されるのは時間の問題だろう。来年の10月3日ニューカッスルでのサモア戦まで、残されたテストは概ね10試合前後。この800時間の中で、もうすこし落ち着いたゲーム運びは出来ると期待している。ここは齋藤直人、伊藤龍之介、李承信らがどこまでチームをオーガナイズ出来るかに期待しよう。

 

コラム後編では、メンバーセレクションについてかなり勝手な〝SF〟を書いたが、任命責任のない立場だから出来る〝お遊び〟とお許しいただきたい。但し、小生予想屋じゃないので、

 

 

▲▼そして、僭越ながら〝繋ぎ役〟として脇を固めるのが、こういった面々ⒸJRFU

 

 

その顔ぶれについてはコラムで書いたので割愛するが、違った側面からみると、もう「セレクション」ではなく、組織としての「熟成」に取り組むべき段階にチームは入るべきだろう。11月のヘビー級の相手との対戦で、フィジーを倒したアタック、封じ込んだ防御に更に磨きを掛けるのが大きなテーマだ。

 

例えばジャパンが1年後にベスト8以上に食い込むと想定した場合、日本は戦術、組織プレー、コンビネーションの完成度で相手を上回らなければ〝その先〟はない。そのために、アドバンテージポイントにしたいのが「時間」だ。対戦相手以上に、メンバーが集まる時間を確保し、組織プレーとしてより精度の高さを持つチームを作ることが重要だろう。おそらく宮崎ではなく、同じエリアの〝すこし温かいモノ〟のある地で行われる10月の再集合からは、選考や育成以上に組織としての「熟成」にフォーカスを当てていかなければ、来年10月に間に合わない。セレクションに関しては、11月のツアーでの若干の新陳代謝はあるものの、その選手たちも含めて2027年シーズンは、さらなる組織の熟成に大きく舵を切っていくべきだ。

 

 

 

 

そんな、取材者として感じた勝手なピリオダイゼーションで、この先新たに選ばれるのは、即戦力の実力者1~3人程度、その多くは何か秀でたもの、いまのジャパンメンバーにはないものを持った外国出身選手だと考察している。勿論、新規採用なしで突っ走るという選択肢もあるだろう。その中で、エディーの唱えたトライゲッターが存在するのか、存在するとして「8強突破」というミッションに貢献できるのか。ここは、この先のメンバーを見てのお楽しみとしておこう。

 

歴史を築いた男と、築き続ける男の邂逅

 

 

結果的にスコアボードはそこそこ大差がついたが、かなり見応えのある〝ワンサイドゲーム〟となった。黒衣が弱いんじゃなく、ボカが強い――。そんな印象の80分。キックオフ前の興味は元府中の住民#10 だったが、開始早々から30人の男たちの力と技とスピードに惹き込まれた。

 

試合開始前の世界王者のゲームメーカーの、嗚咽するかのような涙に心を奪われた。2か月の間に4テストという異例のカーディングでの最終戦にして、この世界最高の#10の座を掴もうとする天才がみせた決意と誇りに満ちた涙。「テスト」の意味と意義を、早くも試合開始前に再認識させられた。

 

それにしても、だ。国歌斉唱。最近の国内テストは文句がある。

経費削減なのか、世界各国のようにプロの歌手ではなく、どこぞの音楽隊がお出ましというパターンも多い日本でのテスト。だが、この演奏に違和感がある。この演奏者たちって、実際のテストマッチでの演奏を聴いているのか? そう感じさせる演奏が多いのだ。ありがちな「世界の国歌」というデータや、例え(大使館などの)公式な楽曲だとしても、テストマッチで奏でられる国歌は、日常聴けるものとは異なるトーンで演奏される場合が多いのだ。では、今回のメリーランド州での演奏はどうか。僭越ながら、トップレベルのテストラグビーの経験がまだまだ未熟な国でも、しっかりとテストマッチの演奏をしているのだ。憶測の領域ではあるが、日本国内で国歌斉唱の演奏を担う組織・団体は、海外での演奏をしっかり聴くべきだろう。

 

で、脇道から本題へ。

 

そんな感情的な国歌からのキックオフ。残念ながら、第2テストの「やりすぎ」と、「9.11」の記憶も残る合衆国東海岸での開催という奇遇もあり〝ハカ封じ〟の低空飛行はお預けとなったが、この儀式は1万4000㎞離れた地から来た〝ホスト〟には関係なかった。

 

立ち上がり、真っ先にインパクトを残したのは、かの敬愛するトッドさんの息子イーサン・ブラックアダー。このBRがまだキャップ10台と思えないが、鋭い踏み込みで緑のジャージーに刺さる。だが、果敢な黒衣FWがタックル、ブレークダウンファイトを見せる一方で、ボカは続け様にPKを獲得して、黒衣を自分たちの土俵に引きずり込む。

 

4分 3-0

 

巨大なFWを相手にぶつけて前進、もしくはPGという自分たちのスタイルを序盤から見せたボカに対して、黒衣も同じようにスタイルで勝負した。3失点の後、敵陣22mラインを突破するとPKにクイックスタート。縦とPGのボカに対して、こちらは横にボールを振って勝負を仕掛けた。

 

惚れ惚れするクイックハンズによるショートパスとロングパスのアンサンブルで、FBダミアンが左コーナーへ駆け込んだが、そこはボカの防御も抜かりはない。マルコムと売り出し中の#9 ファンデンバーグの素晴らしいカバー防御で、ゴールライン寸前でダミアンを封じ込める。ここまでのボカの防御シナリオに狂いはなかったのだが、次のフェーズで、黒衣はコーディーがブレークダウンの内側にしっかりと張っていた。

 

8分 3-7

 

開始10分で、誰もがこの2つのチームのスタイルを手に取るように判るプレーを見せ合い、両者のキャラクターがぶつかり合う。

 

22分にはボカが再び「らしさ」を発揮する。PKからのタッチ→ラインアウトから、注目の#9がサイドを抜け出しインゴールへ。試合記録では読み取れない「FWによるT」でやり返す。

 

22分 17-7

 

この9番、アタックとパスさばきもさることながら、30分にはエリア中盤からの独特の背面キックを22mライン数十㎝前に落とすコントロールを見せると、43分の相手#9ロイガードのカウンター攻撃へのジャッカルと、多彩な引き出しを持つ。

 

結局、勝負のキーにはならなかったが、37分には、この試合の〝ハイライト〟が訪れる。黒衣が敵陣ゴール前で32フェーズという猛攻を見せる。攻める方も守る方も素晴らしいパフォーマンス。最後は脅威のクイックハンズ5本で〝エース〟ジョーダンがトライをもぎ取った。

 

37分 17-14

 

そして45分。1000日を超える〝空白〟から戻って来たリッチーの、「キョウイチ」のプレーが炸裂する。来季は相模原に戻って来るボカのフィニッシャー、カートリーのスピードに乗ったカットインから外へと抜き去ろうとしたランを、アジリティー抜群のボディーターンで体勢を切り返したタックルで封じ込んだ。この防御で、「日本でナマった」という憶測を封印するプレーだった。

 

だが、通常なら黒衣がこの攻撃(と防御)で流れを引き寄せるはずが、世界最強のチームには通じない。

 

後半中盤からBKがギアを入れ始めて、黒衣の防御を揺さぶり始める。50分を挟んだ時間帯で、揺さぶりながらも最後はFWが相手をねじ伏せる攻撃で2トライを連取。

 

49分 22-14

52分 29-14

 

この苦境でも、展開力で勝負を挑んだ黒衣だったが、21-29と再び迫った残り10分を切って勝負を決めるミスが起きた。

連続オフロードパスからFBダミアンがトライの匂いを漂わす仕掛けを見せたが、オープンサイドで待つジョーダンではなく、内に無理パスを放ち、アレンゼの華麗なインタセプトから65mを駆け抜ける致命的なトライをお膳立てしてしまった。何かジョーダンに放らない理由があったのかも知れないが、モニターをもいる限りはボーンヘッドのように見受けた。

 

72分 36-21

 

後のスコアは語るに及ばす。

だが、このスコアで、このボリュームの80分。十分に満喫した、まさにラグビー・テストマッチ。この試合を目の当たりにしたアメリカに、楕円の灯がさらに燃え盛るエッセンスになることを祈りつつ、気持ちは秋のテストシリーズへと移っていく。

 

 

▲本ぶろぐの内容には関係ないのだが、この男、スキンヘッド

で注目を浴び、その後は髪の毛を伸ばし始めたと思ったら、P

NC開幕前日はヘッキャで登場。話題作り(提供)は怠りなし

 

 

例年よりすこしだけ注目のPNC。試合前々日のメンバー発表に続き、前日には4チームが揃ってのキャプテンズランと、開幕機運が高まってきました。

 

で、サクラのメンバー。

そう目新しいものではなく、従来通り、スコットの中で若干メンバーを回している印象。新潟でデビューしたイノケ、キャップ6の大塚といった、プレータイムを伸ばしたい一部の若手にはチャンスを与えている印象もある。エディーは、こんなセレクションがらみのハナシには明快なアンサーをしないので、あまりここでコメントを紹介しても有難みはない。

 

アメリカという、1年ほど後に大舞台で相まみえる相手との〝祭典〟前最後のテスト(おそらく)という注目点はあるのだが、当然のことながらヘッドも齋藤直人主将も、そこは「関係ない」「考えてない」と想定問答集の如き回答。但し、この回答はまさに、こう言うしかないのも判る。聞くだけ野暮ってもんだ。

 

メンバー会見でのエディーの発言ですこし印象に残ったのは、総キャップ数についてだ。一般論ではあるが、エディーは従来からワールドカップで優勝を争うレベルのチームは600-800キャップの経験値が必要だと論じてきた。だが、この日の会見ではこんなコメントを残している。

 

「ワールドカップまでには総キャップ数400から500を目指しています」

 

まぁ、現状の若いメンバーでは、どう逆立ちしても、この秋冬と来年10月までに600キャップに載せるのは、大野均さんを現役復帰させない限りかなり困難だ。なので〝偏向〟ではなく、当たり前のことを語っているのではあるが、ここからワールドカップ開幕まで言葉の端々に「2027」を踏まえたコメントが散見することになるかも知れない。

 

で、そのアメリカなのだが、スコット・ローレンスHCは、前日練習をほぼオープンで公開。ラインアウトなどサインプレーのあるメニューだけ撮影禁止とした。メンバーにはキャップ1桁台も多いが、指揮官は「現状のメンバーは、ベスト布陣からすると50%」と、まだまだ主力温存での大会を印象付ける。

 

イーグルスの概ねの練習を見て感じるのは、少々失礼ながら、少し古いメニューをやっている印象。例えばモール。ラインアウトから捕球したジャンパーが着地と同時に、モールのパッケージを形成して、より効果的にドライブを掛けられる工夫を凝らすのが昨今のモールだ。だが、このチームはキャッチャーの左右に1人、2人のメンバーが並んだような形を組むだけに終始しているように見えた。パントキャッチの姿勢、腕の伸ばし方なども、最近のトップチームに比べると、腕を使った捕球にノックオンの危険性を感じてならない。

 

ここらへんが、ここ数シーズンは日本が圧倒している相手だからという〝色眼鏡〟のせいなのか…土曜日の晩に結論がでる。

 

すこし感心したのは、BKのラインアタックでも、イカツイCTBが遮二無二前に突っ込んできたチームが、バックドアのラインも使い、ほとんどのBKラインによる攻撃をWTBまで回していたことだ。つまり、アメリカも世界の趨勢に抗わずに、やはり回せるときは回そうという意識なのか。でも、正直、中途半端にオープン攻撃をするより、このチームは執拗に縦に攻め立てて、フィジカルでねじ伏せようとするスタイルが厄介でもある。自分たちの強みがどこにあるのか。土曜の夜はそれを見せて欲しいものだ。

日和山の高台からの絶景も、蚊の総攻撃で早めに退散

 

 

さて、既に庄内平野も後にしての絵日記も興覚めではあるけれど、締め括りに酒田という町での滞在について感じたことを。

 

先ずは結果2泊になった宿から。

 

本来、開業100年という古民家の宿「最上屋旅館」を候補にしていたが、諸々都合が合わず、思案していると、町中にある宿が随分と格安で見つかったので、当日予約で酒田行き特急に飛び乗った。酒田は少なくとも中心街は温泉がないため期待はしていなかかったが、ここは「薬草湯」なるものが24時間入浴可というのも惹かれた。で、例のレンタルチャリで行ってみると、豪華さはないが、なかなかの古い作りの、まさに純和風の旅館だった。

 

 

 

 

こじんまりとしたレセプションの奥にロビーが続き、その先には広くはないが手入れの行き届いた中庭がある。ロビー手前を交差する細い廊下から食堂、部屋が、その中庭を囲むように続く。庭には細やかではあるが、池も造られ、どうやら町の百和庭園のような類いにも選ばれているようだが、ま、100もあれば…。しかし、風呂場からも眺められるこの小庭は、狭いながらも廊下、客室、風呂場と、窓の確度を上手く変えることで、プライバシー保護もしっかり施された、工夫に富んだ造りでもあった。

 

 

 

 

 

部屋は廉価ということもあり四畳半だが、実際入ると一人では狭さを感じない。部屋の外に一畳ほどながら上がりがあること、窓が出窓でその手前は棚になっていること、床の間があることも影響しているのだろう。何よりも居心地よさを感じるのは、その清潔さ。

 

 

 

 

因みに24時間入浴可ということもあり風呂ナシの部屋にしたが、この1人部屋はもとより、廊下、風呂場、洗面所やトイレと、通りがかれば清掃されているように、スタッフが1日に何度も手間をかけているのが判る。宿主、従業員も、自分たちの宿への矜持を持ちながら営まれているのが感じられる。そして、ロビー。ここも「昔ながら」の応接セット3、4(だったか)と、中庭に面した窓際に、写真の北欧風背もたれ椅子2基が並ぶ。このご時世ロビーを使う客もそういないのだが、一般紙5,スポーツ紙1(残念ながら〇ポニチ)もしっかり揃えてある。この椅子で庭を眺めつつ、思案しながらパソコンを打つには最高の環境だった。

 

 

 

連泊という選択肢もあったが、「ポットフ―」はじめそこそこ散財していることもあり、追加のもう一泊はコスト優先。この町の(数少ない)景勝地「日和山」すぐ下の「日和山ホテル」が二日目の宿だ。

 

一泊目が正統派なら、ここは、すこし風変わりな鄙びた宿。かなり歴史はあるが、老朽化も目立つ。聞くとオーナーが親から引き継いだそう。伝聞だが、このオーナー、聞き覚えのある新宿区の大学を出てからパリで画商を営んでいたという。館内の入り組んだ造りなどは古の構造だが、玄関、廊下など随所にセキュリティー用のカメラが設置され、部屋の鍵はキーレス・コード入力式で、入力を誤ったり、何か誤作動があると、どうやらオーナーのスマホに情報が行くシステム。見た目はかなり古ぼけた宿だが、人件費削減も含めてIT、AIテクノロジーをかなり積極的に導入している。実際、話し好きの〝助っ人スタッフ〟に館内と部屋を案内している時にも、小生の部屋のロックに不都合があったのだが、オーナーのスマホに「誤作動」の通知が届き、スタッフに電話がかかってきていた。

 

 

▲夕焼け後のコバルトブルーの空だけでも一見の価値アリ

 

 

この宿も貧乏旅ならではの風呂トイレなし。だが、湯舟と6基程のシャワー室に分けられた浴室もそう不都合はない。トイレもしっかりウォシュレットだった。都内でのヒルメシ4回分程度の宿泊費を考えれば文句ない。その一方で、二階の一部廊下は、この町ならではの酒樽の廃材木が床に敷かれていたり、喫煙所だったので覗くだけにしたが、二階のちょっとしたテラスのような野外スペースもあり、少々ノマド感のある過ごし方が出来る宿だった。

 

 

 

 

自転車で徘徊出来たおかげで知ったのは、奈良・京都のような壮麗さ、派手さはないものの、この町の規模に比べると大小さまざまな寺社仏閣が多いことだ。先ほど触れた日和山ホテルの助っ人スタッフさんも、実は神社運営に携わる人物だったが、聞くとやはり「本間家」の庇護の下で多くの寺社が恩恵を浴したしたのだそうだ。そして、本間家だけではなく廻船業で儲けた豪商たちが、この町の行政も動かしていたという。例えば、貧困層の町民、農民が、真冬に仕事がないと商家が土木業などの仕事を作り出して、働かせることでなんとか収入を得ていたという。こんな商人たちの自治の意識の高さが「西の堺、東の酒田」と謳われた由縁でもあった。すこし大袈裟に表現すれば中世ヴェニスのような自治国家の体を成していたのだ。

 

 

▲町一番の観光地といえば「山居倉庫」。まぁ、情

報はどこでも知れるのでこのぶろぐでは写真だけ

 

 

しかし、北前船がもたらした栄華もとうの昔に過ぎ去り、酒田地震、幾度に渡る大火と、相次ぐ災難の時代を経て町は相当に疲弊してしまったのは、かつての目抜き通りの寂しさが物語っている。だが、勝手に思うのは、このシャッターだらけの100mはとうに超える商店街というスペースは間違いなく在る。この、そこそこ広大な地帯を生かし、酒田商人が造り上げたような雇用が、人が集まる〝何か〟が出来るのではないか。そんな酒田再活性化の、はかない絵空事も感じながら自転車徘徊を続けていた。

 

 

栄華を極めた本間家の外塀(下)と静まり返る中心地

 

 

元繁華街の外れには、今は不定期に芝居やライブが行われる「港座」という劇場が、かろうじて残されている。実はここが、前に紹介した佐藤久一が「グリーンハウス」の前に運営した小屋でもあった。ここから湧きだした文化や芸術が、やがて〝世界一の映画館〟へと羽ばたき、そして大火へという何やらドラマチックなストーリーが繰り広げられたのだが、久一の時代が第1章なら、まだこの町には第2章、3章があってもいい。そんな思いで、静まり返った港座、そして今は跡形もない「グリーンハウス」

の跡地を後にした。

 

 

▲▼「世界一の映画館」も最後は悲しい結末に…。そ

れでも、文化、映画のパッションは継承されている


 

因みに、今は亡き役者の大杉連さんも、この地を訪れて気に入り、自分が先導する劇団で芝居を打ったこともあった。例のホテルスタッフさんによると、漣さん、芝居はノーギャラで打ち、わずかばかりの木戸銭も、地元関係者のために残して、劇と宴を楽しんで帰ったそうだ。土地なのか、人なのか、こよなく演劇を愛したバイプレーヤーにも、何かを感じさせたのが酒田だったのだろう。

 

すこし物悲しいはなしばかりになったが、先にも触れた通り、寺社仏閣は、いまや鄙びたこの町とはアンバランスな数、規模だった。1400年代に開山した浄福寺の唐門、海晏寺には壮麗な三重塔が聳える。持地院の酒田大仏は想像以上の大きさ(17m、銅立像では日本一の大きさ。ちなみに鎌倉大仏は台座込13m)で、町を見守り続ける。二体の即身仏が祀られる(日本で唯一だそうです)海向寺もある。そして、鬱蒼とした日和山の頂上付近には荘厳さと鄙びた味わい双方を醸しだす下日枝神社が鎮座する。

 

 

 

 

 

 

 

最後に紹介するのは、自転車貸し出しもしている複合施設MIRAINI。念願を果たした「ポットフ―」も2階で営業しているが、この町に似合わない小洒落た「月のホテル https://tsukinohotel.jp/facilities/ 」も併設されている。それ以上に、酒田の人は誇りに思うべきなのは、1、2階の大半を占める図書館だ。

 

 

 

 

東京で例えれば、「丸ビル」の位置で、文化の根源でもある大量の本が貸し出されているのだ。丸ビル運営で奮闘中の慶應日本一主将・高田晋作くんには申し訳ない表現だが、東京駅前は物欲の殿堂のような館が建つが、酒田の人たちは、町の一丁目一番地に人の心を豊かにし、これから育つ子供たちに無限の夢と可能性を与える文化の殿堂を建てることを選んだ。人口10万に満たない東北の町が、26万冊の蔵書を誇る図書館を持っているのだ。書架を見てもなんだか読みたい本が並び、とりわけ児童書の充実が印象的だった。物質的には兎に角、東京と酒田、どちらが文化的に優れた土地かは歴然だ。

 

そして、これは5年後、10年後も変わらない保証はないが、町を走り回っても、都会なら世界共通になっているスプレーの落書きが、この町では少なくとも小生には見つけられなかった。だが、それも不思議には思わない。町の〝一等地〟に素敵な図書館を持つコミュニティーなら、当たり前のことかも知れない。子供たち、否人の感受性を育むことを尊ぶ街に、落書きは必要ない。

 

 

 

 

 

越後でのお仕事と同じ2泊を過ごしてしまった酒田。こちらは、前回絵日記でも書いた通り、7つの大罪の一つgluttonyが大きな理由となった。結果的に3日間を過ごしたが、食べ損ねた店を惜しみつつ酒田を離れた。

 

で、素直に認めるが、地元飲食業界の仕掛けた罠に容易に引っかかってしまい、昨今の漁港近くの「あるある」の観光客向け海鮮市場へ。

 

いきなり少々脇見に逸れるが、酒田の驚愕すべき行政サービスに「無料貸し出し自転車」がある! しかも町中の宿泊施設、観光地など指定された10か所前後で乗り捨て、借用(自転車があれば)可能なのだ。つまり、都合のいい所で自転車を借りて、都合のいい所で乗り捨てることが出来る。東京でも自転車オジサンとして都内を疾走している身にはありがたいサービスだ。

 

 

▲借り物なので細やかに。それより、酒田中心地のシャッター街化が激しい…

 

 

小生の場合は、駅前の複合施設MIRAINIの観光案内所で市内マップと共に借り受けて、宿泊先で返還したのだが、宿の女将さんは「明日も乗るようなら、そのまま鍵お持ちになっててね」と、ほとんど連日勝手に使える状態だった。翌日が雨だったために、結局宿で返還したが、午後に止んだので、再び別の場所で借用して、自転車オジサン市内を駆け巡りましたわ。町自体がこじんまりしている上に、そう観るべきものが多いわけでもないので、荒天以外では自転車が最高の移動手段でもあった。

 

で、チャリおやじと化して、颯爽と向かったのが、中心地からチャリ5分の酒田魚港だった。

 

ここは、100台は停められる駐車場の周囲に3軒の複合店舗があり、それぞれの中に海産物屋、食堂、イートインなどが入っている。初日は、到着が昼時でもあり、飲食店は長蛇の列。なので、8店舗ほどが椅子テーブルを囲むイートインでの海鮮丼をかっ喰らった。ほとんどの席が埋まっていたが、建物の外、海側になぜかほとんど無人の椅子・テーブルが何基か並んでいたのでそちらに移動。丼は、決して高級感はないが新鮮さは抜群。犬の散歩のお姉さん以外ほとんど人気のない、潮の香の風が心地よい素敵なランチとなった。

 

 

 

 

翌日は、前回紹介した〝日本一のフレンチ〟を堪能。コースのためかなりボリューム感はあったのだが、夜は酒田を徘徊していて気になった店に寄ってみた。この店、初日の海鮮丼のあったフードコートにも店舗があり海鮮丼と悩んだのだが、イカをメーンで出すレストラン。人呼んで「イカ恋食堂」。高級店でも老舗でもないカジュアルな店だが、二泊目の宿の気さくなスタッフも「ああ、イカ恋ね!イカ恋、イカ恋」と地元民にもその存在は認められているようだった。早目に閉店するフードコートではなく、市内の店舗が遅くまで開いていると聞き突入した。

 

頼んだのは「★」。そして追加でゲソ天も注文した。簡単に言い表せば〝イカそうめん丼〟といったモノだが、やはりイカは鮮度が命。新鮮な切り身(糸造り)と、店オリジナル(か?)のイカを使った魚醤のコンビが絶妙だ。おまけに、お店特製の塩辛、マイルドさ、濃厚さを演出する温泉卵は取り放題。卵は、この旅の食生活を考えて、そしていかの風味を堪能するため回避したが、この塩辛がここ数年でナンバーワンと感じさせる代物だった。なので〝イカそうめん〟を塩辛で味付けするイカまみれの一夜に。付け加えておくと、分厚い大根が入った味噌汁もかなり気に入った。

 

 

 

 

当初は一泊で関西、もしくは一時帰京というオプションもあったが、「ポットフ―」のこともあり、冒頭に書いた通り食い意地が張って酒田延泊を決定! その最終日は、焚火に飛び込む蛾のように、再び自ら罠に飛び込み海鮮市場へ。初日に長蛇の列で断念した店がお目当てだ。11:30。少々寄り道をしながらも、初日よりかなり早目に到着すると、お目当ての店は4、5組程しか並んでない! 心中ほくそ笑みながら、順番待ちの紙に「ヨシダヒロシ」とわざわざフルネームで書き込んだ。

 

結果的には「良し悪し」があったのだが、先ずはたった数組(おそらく5人?)の先行グループまでで、お目当ての「限定サービス握りセット」が完売となった‼ やはり11時では遅いのかっ! 「うむむ」と唸りながら、メニューから代替案を物色。握り、ちらし、丼ものと誘惑と戦いながら「おすすめ」という文字に屈して「日替わり丼」をオーダーした。ちなみに、どちらのメニューも¥1000ちょっと。店内で「限定」を食べる憎っくき先行チームのテーブルをチラ見すると、20貫の握りが誇らしげに並んでいた。ここに「逃した魚は大きい」という諺の新たな解釈が生まれたのは間違いない。

 

 

▲番外編:すこしおやつ代わりに酒田焼きそばも。年季の入った焼きそば専門店!後掛けソース

が特徴なんだけど、味はね、俺はソースを焦がした香ばしさが好きなので…でも、悪くないよ!

 

 

で、こちらの「日替わり」だが、「日替わりっていうんだから、きっと今日のいいネタが使われるはず」と決めたのだが、注文すると店員さん即「漬け丼だけどいい?」との一言。こちら、条件反射で「い、いいデス」と応えてしまったが、こんなイキのいい漁港で漬けとは…と、若干後悔し、注文変更も悩みながら、結局そのまま料理を待った。

 

しかし、ここからが「良し」のはなし。漬けとはいえ、魚の鮮度は東京モンには、かなり新鮮。サーモン、マグロ、何やら白身が、しっかりと漬けられながらも、自分たちの存在感をしっかりと謳歌していたのだ。酒田港、侮るべからず。ちなみに、コチラも汁物がいい。甘エビの頭がどっさりの荒汁だ。「どっさり」とはどんな具合かというと、啜る時に海老の髭がジャマになる程度ね。で、結果的には、かなり満足な最後の午餐となった。

 

 

 

 

本当は、もう一軒、物欲を晴らしたい店があったのだが、丼のボリュームもあり、この町を離れる時間内には、とても胃袋に収納出来ないと判断して断念した。それは酒田ラーメン。小生、基本的にラーメン屋は博多以外では一切入らない。数年、否十数年前に濃厚味噌の札幌ラーメンを啜ったが、この食べ物への関心はほとんどない。だが、この町を自転車で徘徊していて集めた情報だと、昨今のヘンに拘りのある緬屋と違い、ここではシンプルな醤油ベース、自家製麵、そしてワンタントッピングがキホンの様子。そのうち、初日の宿の近くの店は、店構えからしてかなり惹かれていた。

 

ちなみに、この町のラーメン屋の多くは遅くても15時頃には店を閉じるのが定番。惹かれた店も、通りがかった時には時間外だったため、後日寄ろうと考えていた。この営業時間、山形の他の地域でも在る「朝ラーメン」から営業する店が多いからのようだ。深夜帯までオープンしている店はほんの数店(認識したのは1店、しかも夜中までは営業していない)と聞いた。最終日、午後に「胃袋にスペースがあればあわよくば」と思っていたが、実際15時前ではまだ「丼」の満腹感が胃袋を支配していたため断念。ここで、gluttony の旅は終幕を迎えることになった。

 

すこし追加のgluttonyばなし。この旅で発見した地元B級グルメを紹介。

まずはパインサイダー。日中、なかなか糖分を採る機会が少ないためか、この味結構気に入る1本は持ち帰りに。そして「おしどりミルクケーキ」。昭和のお菓子(駄菓子)といった代物だが、簡単に書くと粉末ミルク(昭和語だとクリープ!)を板状に固めたもの。まだまだカルシウム、ミネラルの接種が不十分な時代、親が子供に食べさせていたのかと感じさせる優しいフレーバー。こんなんが、すこし外し気味の土産としてはおススメの酒田でした。

 

 

 

 

 

で、絵日記酒田バージョンも閉幕と思いきや、追加でもう一本。いくつか回った観光地、2泊した宿や、2泊3日の滞在で感じた酒田という町についての絵日記も引き続きアップする予定なので、お付き合いを。