思い立って、釜石まで。

数年、なかなか時間が割けずに見送り続けた〝もう一つのセンバツ〟へ。

 

「東北復興高校ラグビー交流会」

 

終わったばかりのセンバツでも暴れた全国屈指の強豪と、東北の子らが、まさしく交流し、復興の一環としても役立てたいという大会だ。

 

詳しくはコチラ

 

 

個人的には、むしろ〝あの日〟以来元気のない東北のラグビー部への、全国の仲間たちからの最高の応援と受け止めて初参戦を決めた。

 

で、今回はその本題ではなく、釜石への寄り道で一筆。

因みに、あえて「プチ」を付けたのは、取材時間2日(もしかしたら3日)で、どこまで絵日記までカヴァー出来るかがかなり疑わしいので、もしかしたらもう書かないかもねーという言い訳で。おそらく、明日、明後日は一日中、チーム、監督、関係者の取材でいっぱいなのよね。

 

で、移動のみの31日。せっかく遠く旅するなら、どこかに寄り道をと企み、決めたのが大会開幕前日の大船渡の温泉宿だった。

 

そこからの逆算で、どこに寄り道するかと思案したときに、旨い魚でも食ってから目的地へという欲望がムラムラ起きて、辿り着いたのが気仙沼だ。

 

 

 

我々の生業では、盟友O記者の生まれ故郷。

実は、前日30日も同じ現場にいたのだが、帰宅して旅の準備をしつつ気仙沼侵攻作戦を決めたので(大船渡の宿すら押さえたのも30日深夜だったしね)、地元民への情報収集ナシで訪れた。

 

ルートは仙台まで向かい、そこから高速バス?(だよな)で気仙沼へ。

当初は一泊だけする宿のある大船渡まで行って昼飯も考えたが、到着時間を考えるとヒルにはすこし遅すぎる。おそらく、この宮城の漁港のほうが魚はいいかとも勝手に期待して決めた。

 

 

 

 

とはいえ、大船渡までの乗継ぎということもあり、遅い昼メシかっ喰らって、そんなに悠長な時間はない。生憎の氷雨だったが、晴天だったら、カフェやコワーキングスペース等が併設される真新しい復興施設「みなとオアシス気仙沼」もある港からの風景は、さぞかし心が魅せられただろう。

 

で、この漁港で有名な鮪、カジキ、そして大ぶりなカキフライの誘惑に抗いながら、無難に海鮮丼を注文。まぁ、それでも鮪ベースだが。赤みの鮪でも味わい深く、日常は「鉄臭い」とこの回遊魚はあまり食べない小生も「うーむ」と唸らされるネタだった。おそらく白身系はカジキ、そして国産かはなんとも判断が難しかったサーモンと、そのお子たちを満喫した。

 

 

コチラ、雨宿りがてら侵入してぶろぐもサクッと書か

せてもらった漁港に面した「みなとオアシス気仙沼」

 

 

おそらく宿は周囲に飲食店のないようなロケーション、そして食事もコスパで「?」と判断して、気仙沼で夕食も買い込んだ。

 

そこそこ強い雨で、僅かな時間で画策していた気仙沼徘徊は、残念ながら回避することに。バスから断片的に見られた南三陸周辺の「かさ上げ」地帯は、もう少ししっかりと見たいものだ。そして晴天の日のこの風光明媚な漁港再訪を誓って今宵の宿へ北上だ。

 

▲練習後は4チーム全員で記念撮影。これまでも同じ大会で競い合ってきた健常者チームも「笛

なし「ジェスチャー」での試合を受け入れて〝デフ・ジャパン〟の強化に強力してくれている

 

 

取材申請していた北青山をサボって大森へ。デフラグビー日本代表の選考合宿を覗いてきた。

 

詳細は昨秋にアップしたコラムを参照していただきたいが、いよいよ日本でのデフ7人制世界大会、いわば「デフ・ワールドカップ」の開催年。取材した5か月前は、練習のみ見学したが、今回実戦を見せていただいたが、選手たちのテンションも明らかに高まっている。

 

 

 

 

 

 

チーム運営の事情で昨年の活動は「代表」「候補」と名乗れない中での活動だったが、今年2月からは「代表チーム」として活動出来ている。開幕までは週末を利用しての月1の選考・強化合宿を続け、秋の連休では長期合宿も準備している。柴谷晋HCも今年から正式な肩書きで指導を継続する。

 

コラムでも紹介した岸野楓くんは「秋はまだまだ準備の段階だったが、チームは良くなっている」と10、11月の世界大会へチームのギアが一段上がった手応えだ。この日は、東京外人クラブなどいわゆる健常者3チームを招いて〝四つ巴〟の試合を実施。3セットを全勝という成績は、練習試合だとしてもポジティブな結果だった。

 

 

 

 

岸野くんの早稲田大ラグビー部仕込みのボールキャリーに、同じくコラムで紹介した近畿大ラグビー部出身、小林健太のグースステップで相手防御を抜き去ってのトライ、そしてラグビー経験は浅いが日体大で陸上短距離でもデフリンピック候補の実績を持つ熱田笙馬の圧倒的なスピードと、期待の選手がそのポテンシャルを見せた。すでに、岸野、帝京大ラグビー部出身のベテラン大塚貴之ら3人は秋の〝本チャン〟メンバーに確定している。

 

 

▲関西リーグでもプレーしていた小林(左)はデフチーム

では抜群のスキル、スピードで世界大会でも期待の存在だ

 

 

もう一つ興味深かったのはレフェリングだ。コラムでも紹介したが、この日の試合でも通常の健常者のゲームのように笛と声によるレフェリングをやめて、レフェリーが両手に着用した色付きの手袋とタオル上のフラッグによるジェスチャーでジャッジしてゲームが進められるスタイルを導入している。

 

 

 

 

岸野主将も「僕たちはこれまでも目でジャッジを見てプレーしてきたぶん、健常者より慣れている。デフの大会でも、選手全員がしっかり、より早くレフェリーのジェスチャーを見て、より早く判断してプレーしていきたい」と、視認の速さも強みにしようと考えている。

 

この日の試合は、大学選手権などトップレベルの試合でも経験を持つ田崎富レフェリーら健常者のゲームを担当しているマッチオフィシャルが〝笛〟を吹いた。普段は笛と声でゲームを進めるのを、フラックやジェスチャーでジャッジしていく難しさもありそうだが、レフェリーの一人は「昨年12月の試合からお手伝いして、だいぶアクションでジャッジを伝えるのには馴れてきた」と慣れれば問題はないと話している。観る側としてはトライや反則でも笛がない、まさにクワイエットなゲームに違和感もあるが、デフ選手にとっては、目視でレフェリーのジャッジが理解出来るのか間違いなくプラス材料だ。この日の試合でも、健常者の3チームが笛ではなくジェスチャーでのジャッジに気付かないでプレーを続けてしまうシーンが何度も見られた。

 

 

▲キックオフはレフェリーが跪く姿勢から立ち上がることで

ルールは基本的に健常者と同じだか、プレー中のレフェ

ェスチャーは視認し易いように〝オーバーアクション〟になっている 

 

 

過去の世界大会は、笛を使ったレフェリングが行われてきた。これも、昨秋のコラムで触れたように、難聴者レベルの音が聞き取れる選手が多いヨーロッパ勢にはプラス材料だったが、初めてジェスチャーでのジャッジを導入する日本大会は、重度の聴覚障がい者が多い日本や南半球チームにとってはプラス材料だ。

 

惜しむらくは、まだ開幕まで時間があるためにメディアの関心は決して高くないことだ。昨年コラムを書いたのも、デフラグビーの認知度、理解度アップはもちろんだが、日本で〝ワールドカップ〟が開催されることで、他競技から優れたデフアスリートがラグビーに挑戦してくれればいいと考えたからだ。ワールドカップイヤーとなったが、まだまだメディアの関心は低いようだが、連盟ではリーグワンと連携するなどの活動で、認知度アップにも挑戦していくという。前日21日に、連盟役員がダイナボアーズvsサンゴリアスが行われた秩父宮を訪問したのも、リーグ側やチームとの関係性を深めていきたいからだ。

 

今回の世界大会は第3回大会になる。せっかく日本で開催されるなら、デフラグビーだけで盛り上げるよりも、健常者の協会、リーグ、個々のチームも、この〝もう一つのラグビー〟を応援して、より広く認知された開催を目指したい。ラグビーと呼ばれる競技に「All For One——」という金言が残っている限りは。

 

 

 

巨大な原石についてのコラムをアップした。

 

本山佳龍19歳

 

昨季は、高校、U19ジャパン双方の選出から失意の負傷離脱という悔しいシーズンを過ごしたが、プロラグビー選手としての1年を過ごして、一回り成長して戻って来た。

 

U20代表候補合宿の合間に時間を割いてもらってのインタビュー。本人は「覚悟」という言葉を何度も使ったが、勝負はまだまだこれからだ。昨春入団した静岡ブルーレヴズでは、まだ練習試合のみ。インタビュー時には、3試合をベンチから出場した。リーグワンデビューもこれからだが、アジア止まりの国際舞台では、初の世界規模のジュニアチャンピオンシップ、そしてその先にある〝本物〟の桜のジャージーとチャレンジが続く。

 

 

 

 

ポテンシャルは間違いない。だが、書き並べた夢を掴める保証は何もない。才能を湛えた多くの原石を長らく見てきても、恵まれた資質を自身が磨き込む努力なしに成功を掴んだ選手はいない。後は、どこまでラグビーを向き合っていけるかだ。

 

話を聞いていて感じるのは、どんなに逆立ちしても都会では味わえない豊かなな自然と家族の愛情の中で育まれた怪童が、今度は静岡ブルーレヴズ、そしてユース代表という楕円の恵まれた環境の中で育まれているということ。そんな環境を用意されたのは、親からもらった世界規格のサイズのおかげではあるが、それだけではない。一途な取り組む姿勢や人間性。控え目ではあるが、自分自身を成長させたいという野心が、周りの大人たちに「応援したい」気持ちを起こさせる。

 

静岡BRという、リーグ随一のスクラムに誇りを持つチームでスタートメンバーに入るのは、19歳の少年にとっては容易な挑戦ではない。だが、このチームで揉まれることは、掛け替えのない恵みでもある。磐田で揉まれ、仕込まれて、3か月後の世界トップ16との〝テスト〟での学びから、新しい本山佳龍が見られるはずだ。

 

 

 

 

むかしむかし、あるとことに「遠州・いわた」と「武蔵・きぬた」という村落があったそうな。この2つの村が、あるとき駒の沢で、一刻の間に米をどれだけ収穫出来るか競争をしたそうな。

 

それまでの米作の出来栄えでは、すこし少なかった「いわた」には、遠国からやって来た「桑我」という働き者がいたそうな。村人は桑我の働きで、「きぬた」より多くの米を収穫できると期待していたが、桑我は競争に参加出来なかったそうな。

 

収穫した米は、「いわた」が33石、「きぬた」は37石とわずかの違いだったそうな。負けた「いわた」の村長は、桑我さえいれば勝てたのにと悔しがり、村の民にこう怒鳴ったそうな。

 

「なぜ、桑我がこんのじゃ!」

 

すると民は、こんな桑我の災難を話したそうな。

 

「桑我は遠いふるさとに里帰りしたのですが、いわたに戻るときに、お代官の札(ふだ)さまが保留無厨の関に槍や弓で攻め込み通してくれなかったそうじゃ」

 

どうやら関所近くの「回(かい)の国」の村民が、お代官様のお達しに背いて槍刀を隠し持っていたことを、金貸し「湯田屋」の主「根田荷」が、札様に告げ口していたそうな。そのため、桑我は関所ではない山を遠回りしたため、収穫に間に合わなかったそうな。

 

どちらの民も、最初は回の村人がお達しに従わなかったことが悪いと考えたが、幾日かすると、村を通りがかった飛脚がこんな話をしたそうな。

 

「回の村人が背いたんじゃねぇそうだ。お代官が若い村娘を手籠めにしたことと、根田荷が利銀をくすねていたのを誤魔化そうと、村人に濡れ衣を着せたってぇことよ」

 

村長は、「いわた」と「きぬた」の民を集めて寄り合いを開いて、こうお達しをしたそうな。

 

「なんで代官の悪巧みが、ワシらの村に災いになるのじゃ! 村内でも、村と村でも、たとえ代官様でも、争いごとをしてはいかぬ。たわ言、隠し事もしてはならぬ。槍や弓などもってのほかじゃ。この掟を破れば、村人は一家そろって村八分じゃ!」

 

勝った「きぬた」の民も、負けた「いわた」の民も、どちらも皆深く頭を垂れてお達しを聞いたいたそうな。

 

やがて、お代官と悪徳商人は、一揆で農民たちに首を刈られ、街道沿いに十月十日晒されたそうな。村人たちは、争いごとやたわ言は、村にも自分にも災いをもたらすと肝に銘じたとさ。

 

おしまい。

 

 

 

15年前のこの日、そして数日間、このHarrisonの楽曲が何度も頭の中で流れていた。

とくにオキニというわけじゃないが、彼ら4人組の中でもとりわけ美しい音色の曲ではある。

勿論、とてもこのトーンで歌える気分じゃなかったが、いつか、必ず、日は昇るという希望に満ちたリリックは、あの当時の状況で人が前を向くために必要なメッセージだと感じていた。

終始弾かれるHarrisonのアコギに、当時まだ斬新なシンセが被さる5度繰り返されるブリッジでのリフは、あたかも力強い再生のように感じられた。

しかし、「あの日」から15年が経つ今でも、まだ陽の差さない地もある。全ての人が、何時こう歌い切れる日が来るのだろうか。

It's All Right♪