21年の刃牙シリーズが完結しました。
刃牙と勇次郎の戦い(親子喧嘩)は終わりました??

しかし、アメリカに渡った烈海王のボクシング修行の続きが気になっています・・・
ボクシング4団体統一王者ウィルバー・ボルトとの決着は???
ちなみに、烈海王が挑戦しているのは「クインズベリー・ルール」制定後の近代ボクシングです。

ボクシングと中国武術は、お互い長い歴史を持っています(もちろん日本の武術も

中国武術ですが、よく「中国4000年の歴史」と言われます。
いくつかの史書によると、紀元前1000年頃の中国武術は、剣などの兵器術と角抵が中心だったようです。
角抵は相撲のような格闘術です。
角抵に相当する武術として、現在でも摔跤(スワイジャオ)が伝承されています。
  
春秋戦国時代は、戦争の中心は戦車戦でした。
数頭の馬が引く1台の戦車に3人の戦士が乗ります。
真ん中は御者、左は弓を射る戦士(戦車の指揮官)、右に「車右」(接近格闘術を得意とする戦士)です。

「春秋」などによると、「車右」は平時においても護衛拳士として常に王や貴族の側近に侍り、しばしば拳術をふるっていたようです。

ボクシングの歴史はさらに長いです
もともと拳で殴るという行為は、人類の出現と同時に会得している攻撃手段だと言われています(いわゆる拳技かな)。

紀元前4000年ごろの古代エジプトの象形文字から、軍隊で古代ボクシングが使われていたのが判読されています。
紀元前3000年ごろのエーゲ文明の遺跡からもボクシングの図が書かれた壷が発見されている。
古代ギリシャの詩人ホメロスの「イリアッド」には、闘いの様子が著されています。

以前マンガで、ボクシングと空手の異種格闘技戦を興味深く読みました

マンガに出てきたボクサーのセリフがおもいです
ボクシングの歴史はざっと6千年・・・
ボクシングほど血を吸ってきた格闘技はない・・・

この闘いで、ボクサーは最初に古代ボクシングのナックル(武器)、その後素手(ベアナックル)で闘います。
そして、そのスタイルをボクシングの幼年期と言っています。

ちなみに、マンガではセタスをつけていましたが、グローブ(バンテージ?)の説明が詳しく説明されています。

紀元前500年頃のヒマンテス(メイリカイとも言う 「やわらかなもの」を意味する)雄牛の皮から作った革紐
紀元前400年頃のスファイライ(「球」の意)
紀元前400~390年頃のカエストス 古代ローマで使われた、鉄や鉛のような金属を仕込んだより攻撃力の高いヒマンテス

そう言えば、ジムに入会した頃に購入いた本にボクサーが素手だと実力を出せないと書いてありました

ボクシングのブロッキングで空手の突き受けると、
・グローブより小さな拳がガードの腕の隙間をすり抜ける
(マンガではガードをかいくぐる貫手をもらいましたが、皮が破れても流血しない顔造りをしていました。)
・一撃で腕が使えなくなる
(マンガでは、攻撃も防御も未熟な素手の時代、防御の要は肩として、体を造りこんでいます)

最後にグローブをつけた100%のボクシングで闘います。
この闘いに立ち会った空手家は、グローブを「ボクサーの真の武器」と気付きます

・グローブを着けることで、パンチが速くなる(拳を固く握るのはインパクトの瞬間だけでいい)
・拳の大きくなり、防御をすり抜けられない
・拳が保護されることで、素手より高度なコンビネーションが可能となる(素手ではフックやアッパーは拳や手首に負担がかかりすぎる)
・グローブが衝撃の増幅装置となりKO率を飛躍的にアップさせる

バキでも、烈海王はジョー・クレーザー戦でグローブを武器と認識を改めています

もう、読むことはできないのかなぁ~~

私がレンタルした作品は、ジョーと力石との出会いから宿命の対決までを描いた実写映画です。

主役はアイドルです。
この作品を見たことない奥さんは、なぜかこの作品(と出演している役者)を知っていました・・・

ジョーはプロのリングで、「クロスカウンター」を武器に勝ち進んでいきます

ジョーは、ノーガードの構えで相手を誘います(ドローイング
相手が左パンチを打ってくると、その腕の上から覆いかぶさるように右パンチを出し、打ちます
そして、相手はダウンします

ウルフ金串との試合では、クロスカウンターが破られます。しかし、ダブル・クロスカウンターで勝利します

そのダブル・クロスカウンターも宿敵:力石徹に破られます

ジョーの敗因は、力石の精神力と疲労度を読み違えです

力石はジョーの右を外し(左を合わせず!!)、得意のカミソリ・アッパーを顎に放ちました
ジョーはそのままマットに沈みました・・・

人間の本質として、極めのパンチ(フィニッシュ・ブロー)は利き手できます
力石は、ジョーの速い右に左を合わせず、避ける事に専念しアッパーを狙いました!!

しかし、力石もジョーの強打と異常な減量での体力激減で試合後に亡くなってしまいます・・・

この作品は原作との違いもありますが、両者の体格差から考えて、ありえないマッチメークについて忠実に描いています・・・
私個人的な意見ですが、ボクシングはハングリー(精神)だけを強調したスポーツではないと思います

クロスカウンターを得意にした日本人チャンピオンがかつていました。小林弘選手です

学生時代、雑草男:小林選手と精密機械:沼田選手との日本人同士のタイトルマッチを見たことがあります。
(タイトルマッチとかが早く決着がつくと、時間をつなぐために過去の試合などを放送していました。そういう番組が結構好きでした

後輩(その後プロボクサーになりました)とその試合を観た感想は「速っ」でした。
決して現役のボクサーの動きやパンチが遅いというわけではありません。
ただ、あの映像から繰り広げられる両選手の試合運びは速いの一言でした

1965年4月に日本チャンピオンだった小林弘氏は、中南米での武者修行中にメキシコで名コーチのルぺ・サンチェスに出会います。

この出会いがきっかけで、「クロスカウンター」をモノにしようと決心し、必殺技にしていきました。

相手の強烈な左パンチを、左に拳半分ほどウィービングとヘッド・スリップでかわします。
同時に外側から全体重をかけて右ロング・フックを打ち込みます。

相手は、自分のパンチに全神経を集中させているので、無防備で「虚」の状態
そこに、外側から(相手に見えない)パンチです

その後、小林選手は「クロスカウンター」を武器に、世界の道を歩んでいくことになります

小林氏の言葉を胸に刻みます

得意技をつくることは、自分の自信にもつながるから、トレーニングしてマスターするといい。
自信は、トレーニングの積み重ねによって生まれるものでなければならない。
充分な練習と強い精神力を養ったうえでの自信は、不利な戦況や不意のピンチにも耐えられる

先日は、久々の連休でした
お盆商戦と釈迦堂川の花火大会(私の職場は現在須賀川市です)も終わり人心地つきました。

久々に自分用にDVDをレンタルしてきました
あしたのジョー」と「ボックス!」です。

あしたのジョー」は言わずと知れた名作です。
戦後最大のヒット漫画」と言われ、社会に大きな影響を与えた作品です

私もマンガを読みふけり、テレビの再放送を何度も熱中して観ました。

このような作品っていくつか存在します!?

例えば、吉川栄治氏の「宮本武蔵」です

多くの作家が武蔵の作品を残しましたが、吉川氏を超えるものはありません

この小説で、武蔵は荒武者から「求道者」として国民的英雄になってしまいました。
そして、何本も映画やテレビドラマが制作され、現在でも話題になっているマンガの原作にもなっています

このフィクションは、昭和7年9月の座談会での直木三十五菊池寛の武蔵論争(日本で一番強い剣豪は誰か?)がきっけけで書かれたようです。

朝日新聞から昭和10年8月から連載され、昭和14年7月に完結しました。
この長期の執筆期間は、日本が戦争に突入していく時期と重なります(昭和12年の盧溝橋事変昭和16年には真珠湾攻撃

特攻隊の隊員が、この作品を抱いて死地に向かうことを知って、吉川氏は苦しんだと聞いたこともあります

ボックス!」は井岡選手八重樫選手王座統一戦後、放送された作品です。
面白かったのでもう一度観たかったのでレンタルしました

奥さんはこの映画に出演している俳優達をほとんど知っていました。
そしてなぜか、一緒になって最後まで観ていました

最近。スポーツチャンバラを体験している息子がやたらと「居合斬り(?)」の攻撃を仕掛けてきます

おそらくポケモンとかから覚えた技だと思います。
チャンバラは、おそらく鞘から出した状態からの試合ですし

そういえばフェイスブックがきっかけで、居合について考える機会がありました。

以前買った雑誌で居合について読んでみました。

戦国期に形成された剣術は高度な技法ですが、鞘に納まっている状態で不意を襲われた時に対処できない弱点がありました・・・

そして戦国中期頃から、竹内流をはじめとする、捕手・小具足の体術が醸成し、剣術に対抗する技が研究されてきました

しかし戦国末期頃には、捕手、小具足の対抗技術が研究されます。
鞘から即時に抜刀して闘う技術が工夫され、各剣術流派内で工夫された抜刀術 各地で修行されてきました。

そのような時代の流れの中で、天真正傳香取神道流(?)に影響を受けた林崎甚助は、長柄の長刀を使うことで、より実戦的なものに発展させました。
そして、剣術とは別に、居合を1つの流儀武術に完成させました
林崎甚助は、居合の始祖とされています

林崎の開いた流派は後に、神夢想林崎流林崎流林崎夢想流などと呼ばれます。
そして、この流派から分かれた流派も存在します。

居合と言えば、以前マンガで柳生厳包の居合と剣術の緊迫する闘いを読みふけりました


なぜか、直参旗本や徳川御三家の侍ばかり狙い、刀を奪い取る謎の居合剣士が出没しました。

そんな中「本当の斬り合いは~出会った瞬間で勝負~鞘の内で勝負が決まる~」と語っていた尾張藩士(居合の達者)が、その居合剣士に後れを取り先祖伝来の刀を奪われ自殺してしまいます

厳包がその仇を報じる話です

厳包は相手を分析します!!

敵の居合は、手だけではなく、足を一文字腰(相撲の四股立ちと同じ)に開き身体全体で抜くと推測しました。
この抜刀は、足と身体と右腕が同時に働いきます(これって、外三合)。

抜き即、斬の一拍子!」

手が柄に掛かったと同時に、切っ先が相手にのびている

そして、厳包は相手を一拍子の早さだけでなく、相手の心の内を測る心法・心術の達人と読みました。
つまり、相手は、人の動きに必ず生じる目・足・肩などの「起こり」を悟り(これって「目付)、後の先を取っているのです。

勝負のシーンはまず、厳包が青眼に構え、切っ先を相手の喉元につけ撃尺の間合いに詰めます。

しかし、そこから動けません

やく1時間後、切っ先を右にズラし、攻めの気を発した厳包に相手が反応します
神速の抜き打ちが(身体、足と共に剣先が一瞬で標的を襲う)左裏籠手を襲います!!
と同時に、厳包が切っ先をわずかに下に落し術を破りました

相手は大阪方の武将でした。
そして、剣者として生きていることを貫き、厳包に父方たちのいる冥途に送ってもらうという悲しい結末です

今度息子が居合斬りで攻撃してきたら、抜拳術の龍書文バリの貫き手を見舞いますか
バキ終わっちゃいましたねぇ~~

最近プールに出かけるたびに、子供たちの上達に驚かされます
と言っても、水泳ではなく、水の中で楽しくはしゃいでいるのがほとんどですが

荘子達成篇泳ぎの名人の話があります。

孔子が呂梁(急流を石堤でせき止めたところ)に遊んだとき、そこには約45mもの滝がかかっていて、水しぶきを上げる流れは約160kmも続き、魚類でさえ泳ぐ事のできないところだったが、一人の男がそこで泳いでいるのが眼に入った。

孔子は悩み事で自殺しようとしていると思い、弟子をやって岸辺から助けようとした。
ところが男は数百歩の先で水から上がると、髪を振り乱したまま歌を唄って歩いて、堤のあたりをぶらついた。

孔子は男に尋ねた「私はあなたを化け物かと思いましたが、よく見ると人間でした。お尋ねしたいが、水中を泳ぐのに何か特別な方法があるのですか」。

男は答えた「ありません。私は慣れたところから始めて、本性のままに成長し、運命のままに出来上がっているのです。水の中では渦巻きに身を任せて一緒に深く入り、湧き水に身を任せて一緒に出てくる。水のあり方についていくだけで、自分の勝手な心を加えないのです。私が水中を上手く泳げるのはそのためです」。

孔子はいった「慣れたところから始まって、本性のままに成長し、運命のままに出来上がったといわれたが、それはどういうことですか」

男はいう「私がこうした丘陵地に生まれ、安住しているという事が慣れた所です。こうした水の流れとともに育って、その流れに安心しているというのが本性(もちまえ)です。自分が何故そんなに上手く泳げるのか、そんな事は分からずにいて、そうあるというのが、運命(さだめ)なのです」。

荘子は、この話で流れに精通し、自然に従う時を見極められるように、人生を見つめることを説いているようです。

ちなみに、荘子には前回取り上げた木鶏や、今回の泳ぎの名人庖丁解牛(料理名人)など多くの名人が登場します。

名人は「技」と「力みや執着など外物に囚われない無心の境地」を持っています。それらすべてが自然則に順じて形成されています。
そこには、鍛錬・潔斎などの技・精神の準備段階を経て、人為を超越し、対象になりきり、自然に同化していく名人の姿があります。

一度荘子を熟読し、今後の練習への糧にしていきます
先日、お盆前に父親の実家の墓参りに会津に出かけました。

奥さんの希望で、帰りに会津レクリエーション公園で子供たちと遊びました
手頃な立木を見ては相撲を取り(奥さんの不思議そうな視線をさえぎり)、時々息子と一緒に立木を押しまくっていました

公園で走り回った後、そのまま郡山ユラックス熱海です
プールと温泉を楽しみました

前回屋外プールで500mほど泳いだ時にも、気になっていたことがあります。
泳いでいる時に、フォームが乱れることです

まっすぐ泳げていない・・・

そう言えば、以前コンビニで買ったダイエットの雑誌にきれいに泳ぐコツが書いてあったのを思い出しました

なんでも、体のラインを一直線にすることで、水の抵抗を受けにくくなります。

水中姿勢のポイントは、4つあります
目線 3m先のプールの底
肩 両腕で耳をはさむような感覚で、肩をしっかり伸ばす
腰 腹筋と背筋に力を入れ、腰の位置をぶれさせない
両足首 両足をそろえ、両足首はリラックスさせつつ伸ばす

水の抵抗が大きいとブレーキがかかり、その分負担も大きく、疲れやすくなり、長い距離がおよげなくなります。

今まで水中での姿勢なんて、意識したことありませんでした
確かに、屋外プールの時は、50m毎しっかりインターバルをとっていました 

おそらく、腹筋・背筋の力が弱く、腰の位置がぶれていたんだと思います。

ボクシングでもそうですが、ふらふらする不安定なフォームを矯正させていきます

何事も基本が大切だと感じました。
奥義は基本にあり」なんてある少年マンガで読んだ気がします

墓参りには午後出かけたので、帰宅したのは夕方過ぎです
おかげで、ボクシングジムには8時過ぎに出かけることになりました


飛騨美濃の深山に覚(サトリ)と呼ばれる妖怪が棲んでいると言われています。
真っ黒くて、長い毛をした大きな猿のような姿をしています

そして、覚には人の心を読み取る能力があります。
人の考えていることをたちまちに見抜き、予知してしまいます

基本的には危害を加えないことが多いですが、地域によっては人の心を読んで隙あらば喰ってしまおうとする覚もいます

樵(きこり)と覚にこんな話があります。

樵が山小屋で火を焚いていると、凶悪な覚が現れました
よりによって、樵の心を読んで隙を窺って喰ってしまおうとしていました

ところが樵が囲炉裏の火に薪をくべたとき、偶然、破片か火の粉が飛んで覚にぶつかりました

覚はびっくりして逃げていきました。
思うことより、思わぬことの方が怖い
その時覚が言った言葉です。

この他にもいろいろ樵と覚の話は伝わっています。

襲われる人間や場所、逃げる際のさとりの言葉などが若干異なりますが、さとりに関する伝承は山の人間が襲われるものの、その時に取った無意識な行動、偶然によって覚が撃退される、というある程度一定の型があります。

覚も無心の心までは読み取ることができなかったと伝えたいのでしょう。
日常で、他人の目や評価を気にして行動しているうちは、社会に棲んでいる恐ろしい覚に襲われてしまいます

そう言えば刃牙が北海道でガイアと対戦した際、無意識の反撃で窮地を凌いたシーンもありました

刃牙が長年(と言っても、当時はまだ少年でしたが)の鍛錬で体に覚えさせてきた行動は、意識レベルを超えた反応でした。

ガイアにも予測できない攻撃です
刃牙の過酷な練習は、刃牙を裏切りませんでした

実際、闘争中に無心の境地は難しいです。
しかし、無意識に行動に出せるまで、身体に技を覚えさせることは可能です

汗を流して練り続けた技は裏切らないと信じて、これからも練習に励んでいきます

最近(マススパーやシャドーで)意識していることが、岩石の身です。

兵法家武蔵の言葉で、詳しい説明はよく分かりません
文字では伝えきれないので、兵法教書では口伝になっています

一応ネットから引っ張ってきた現代語訳は以下の通りです。

巌〔いわお・岩石〕の身というのは、兵法の道を会得して、たちまち岩石のようになって、どんな場合でも、当らない、動かない、というところ(である)。(口伝)」 

この言葉は、相手の攻撃を受けても、身体は動かず、しかも当らない状態を指しています。
間合いを見切ることで、むだに身体を動かさないのが、上手のする戦闘法です。

最近ミット打ちやシャドーなどで、顎が上がる癖や上体が傾く癖をトレーナーからよく指摘されます
ボクシングが強い選手は、ボクシングがかっこいい」と言われました。

振武館の黒田師範は「相手の中心線をとり、剣や入身の動作で自分の中心線をはずす」ことを、1対1の勝負の原則としています。

攻撃や防御の度にフラフラしないように、練習を続けます

ちなみに、「巌の身」について、熊本藩主:細川忠利の子、光尚に説明する逸話があります。
現在でも、何事にも動揺しない不動心を「巌の身」とした説明が主流です・・・
これは、禅家の「不動心」論が、世間に大きな影響力を持っていたために生まれた誤った解釈らしいです。

先日は子供たちが夏休み中で、2人とも予定がない珍しい日でした(私の子供時代は夏休み=ノースケジュール=宿題パスが当たり前。ゆとり教育っていろんな意味で終わったんですね)。
そして、私も仕事が休みそんな日を、奥さんが見逃すはずがありません
奥さんのお兄さんの息子(甥っ子)も連れてプールに出かけました・・・

今まで、家族で屋内プールにはよく行きました。しかし、甥っ子もいたので、近場の屋外プールに行くことにしました。
震災の年はプールを解放する施設が少なかったためか、かなり賑わっているように感じました。
子供たちのはしゃぐ姿が微笑ましいです。しかし、50mプールはかなり空いていました
調子に乗って、奥さんが子供たちを見ている間に50mプールで500mほど泳いでいました(もちろん、50mごとしっかり休んで

真夏日に屋外プールではしゃいでいたら(原因)、当然訪れる現象(結果)はご想像の通りです
全員、全身日焼けです
今でも肩とかひりひりします

にもかかわらず、プールの後は、隣の遊園地で遊んでいました
しばらく遊んだ後、外食で昼食をすませ、甥っ子を実家に帰してから、帰宅してしばらく休んでいました。

そして、普段より遅い時間(夕方過ぎ)にジムに向かいました。
「今日は軽い練習にしておくか」そんな気持ちでいましたが、ジムに到着すると人が少ない

おかげで、密度の濃い練習が出来ました

帰宅後ぐったりした状態でしたが、目を通しておきたいものがありました。
アツいグループ:武道フォーラムです。

フォーラム名の通り、武道家の方々が多いので、スポーツ格闘技と武道の食い違いも見受けられます。

私が思うに、スポーツ格闘技は、他人が設えた条件で、最高のパフォーマンスを発揮させなくてはなりません
武道は、常在戦場・・・プロ意識より、勝利より(勝って当たり前)、道の追求かもしれません。

前回のブログに「荘子」を取り上げましたが、「庖丁解牛」というエピソードも興味深い話です。

長い年月をかけ洗練された武術の動きは、現代スポーツの常識とは異なる特質があります。
例えば、力の「タメ」です。必要に応じる度に、力をタメなければならないうねり系のタメとは感覚が異なります。

武術の体は、「常にタメが効いている状態」です。
引き絞ったままの弓のイメージに似ています。つまり、弦から指を放した瞬間に強い力を発揮できます。
先日、フェイスブック内での武道フォーラムに参加させていただきました。

錚錚たるメンバーが参加し、かなりアツいグループです
メンバーになってもいいのかなぁとも思いましたが、けっこう楽しみながら参加しています 
きっかけは、このアメブロでもお世話になっている方の推薦です
管理人の方とフォーラムを盛り上げていますが、武道家としてまさに木鶏の境地です。

ブログを読めば理解できますが、無謀にも挑んできた相手が、闘わずして逃げ去ることもあります

木鶏(もっけい)とは、木彫りの鶏のように、敵に対して全く動じない闘鶏における最強の状態をさす言葉です。
日本では、格闘家が好んで使うことがあります。
また、理想のリーダー像としても使われます。

出典は、『荘子』達生や『列子』黄帝篇 です。

紀渻子(きせいし)と言う鶏を育てる名人が、王の闘鶏を育てながら、最強の状態を説明します。

王の鶏を養ってから10日後は、「虚憍(きよけう)にして氣を恃(たの)む」状態です。
虚憍とは、虚勢を張ることです。

まだ空威張りして闘争心があるので、不十分

さらに10日後は、「嚮景(きょうえい)に應(おう)ず」状態です。
「嚮」は鷄の声、「景」はその姿です。

他の闘鶏の声や姿を見ただけでいきり立って興奮し、不十分

さらに10日後は、「疾視(しっし)して氣を盛(さか)んにす」状態です。
疾視とは、にらみつけることです。 

目を怒らせて己の強さを誇示しているから、不十分

そして10日後、ついに「之(これ)を望むに木鷄(ぼくけい)に似たり」状態に成長します。

他の闘鶏が鳴いても、全く相手にしません。まるで木鶏のようです。その徳の前に、かなう闘鶏はいなく逃げ出してしまう最強の状態です。

荘子は道に則した人物の隠喩として木鶏を描いており、真人(道を体得した人物)は他者に惑わされること無く、鎮座しているだけで衆人の範となるとしています。

私も、ボクシングを通じて、この境地に近づく努力をしていきます

ちなみにこのフォーラムは、「リアル刃牙」の世界です
管理人の方は、中国武術家なので、  烈海王です
私はマホメド・アライJr.のキャラを目指していきます

この言葉が宇宙語でなければ、一度武道フォーラムに来てみてください
アツい世界が待っています