「伝説のバンド ジャックス」
1986年にジャックスに関する事柄のほとんど全てを網羅する図書 『定本ジャックス』 が発表されてから、ジャックスの認知度が上がりました。あれから30年なんですね~名古屋のビル地下にあった中古レコ-ド店で、本を手にした光景が今でも目に浮かびます。もうそのビルも取り壊されてしまいましたが。
自分はジャックスをGSだと思っていますが、懐かしのフォ-ク名曲集などでジャックスの楽曲が紹介されたりしているケ-スが多い。
1967年11月に開催された 『第1回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト』 では,「マリアンヌ~からっぽの世界」 を歌い、フォ-ク部門で準優勝しました。その時の音源が奇跡的に残されています。
第1回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト
参考までに、『第1回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト』 で優勝したのは、ザ・フロッキ-ズでした。
ザ・フロッキ-ズ (ライブ音源)
翌年の1968年には、『第2回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト』
が開催され、ロック部門では、ザ・マックスが優勝。
音源が、レコ-ドとして関係者に配布されています。
おそらく、ザ・マックスの関係者が作成したのではないでしょうか。
この時にフォ-ク部門で優勝したダボ-ズは早々に 「びっこのもぐらの物語」 でレコ-ドデビュ-。この歌は、差別用語の関係で放送禁止歌に登録されてしまいました。
その後、ダボ-ズは落語家の 「桂三枝」 と組み、「夕陽のアンジェロ」 を発売。
また 「ダボ-ズ・コンサ-ト」 と言うLPレコ-ドを発表しているが、コンサ-トと言うタイトルなのに、ライブ音源ではなのだ。
ダボ-ズが、優勝後にデビュ-したにも関わらず、マックスがデビュ-したのは2年後の1970年3月。
『ロミオ・アンド・ジュリエット 1970』 と言うバラ-ドであるが、B面もマイナ-調のバラ-ドである。
『第2回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト』 の迫力あるバンドのイメ―ジとは、かけはなれた曲です。
ただ 「ロミオ・アンド・ジュリエット 1970」 では、曲に似合わず間奏で突然ファズの効いた強烈なギタ-音が流れ、ロックバンドの意地がうかがえられる。
1970年公開の映画 『野良猫ロック・セックスハンタ-』 では、マックス
のカッコいい演奏が観られます。
「日本ロックのすべて」 と言う雑誌の中で、黒沢進氏が GSマニアが 『ロミオ・アンド・ジュリエット 1970』 のレコ-ドを探すなら、まだキヤノンボ-ルと言うバンドの 「地獄へのパスポ-ト」 と言うレコ-ドを探す方がマシだ・・・・と書いています。
私の意見では、「地獄へのパスポ-ト」 も同じだと思いますが。
マックスが優勝した 『第2回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト』 で
4位に入賞したバンドが 吉田拓郎の 「ザ・ダウンタウンズ」 である。吉田拓郎と言えば 「結婚しようよ」 などのヒット曲でフォ-クのイメ―ジが強いが、ロックバンドのボ-カルをやっていたのである。
この 「テルミ-/ダウンダウンズ」 を聴く限り、アマチュアながら相当な人気があった気がします (ギタ-&ボ-カル 吉田拓郎)
1969年 『第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト』 では、小田和正のオフコ-スやチュ-リップの前身バンドの、フォ-シンガ-スが出場。
「翼をください」 のヒットで有名な 「赤い鳥」 が優勝しました。
さて、フォ-ク部門で準優勝したジャックスは、「からっぽの世界」 でレコ-ドデビュ-。独特の歌詞やサウンドから、今では「伝説のバンド」 として高い評価を受けています。
ちなみにプロデビュ-前に、雑誌で特集が組まれていました。
ジャックスが活躍した時代は、GSブ-ムの真っ只中で甘くて爽やかな曲の目白押し。タイトルだけで見ると 「星のプリンス」 「銀河のロマンス」
「バラの恋人」 「亜麻色の髪の乙女」 「星が降るまで」 「エメラルドの伝説」 「あの時きみは若かった」 「星空の二人」 などなど。
ジャックスは 「地獄の季節」 「裏切りの季節」 「割れた鏡の中から」
「薔薇卍」 「敵は遠くに」 などなど。
しかしメッセ-ジ色の強い曲が多く、ジャックスの曲は心に響く曲が多い。
またデビュ-直後のバンド紹介では、ザ・タイガ-スと一緒に
「秋のGS界を洗う 新しい波」 と言う記事で並んで紹介されていた。
ジャックスは、ナイチンゲイルと言うグル―プから発展したバンドであるが、ナイチンゲイル時代に作られたオリジナル曲 「ふるさとの歌」 がありますが、ジャックスとしても歌われております。残念ながらレコ-ド化されずにオクラ入りとなってしまいました。
ふるさとの歌
また、1968年7月24日に日仏会館で行われた第2回 「ジャックス・ショウ」
が1972年に自主制作LPとして作られたが、これもCD・BOXに収録されなかったのが残念である。
日本放送の「フォ-クビレッジ」に1967年~何度か出演していますが、日時は不明ですが音源が残されております。
また、ジャックスは1968年「腹貸し女」と言う凄まじいタイトルの映画音楽
を担当。メンバ-の早川義夫が単独で出演。ポルノ映画らしく内容がよくわかりませんでしたが、ジャックスの音楽は素晴らしい出来ばえでした。
ジャックスは、1968年後半に高石音楽事務所に入ると、「フォ-クキャンプ」 「メッセ-ジコンサ-ト」 「あんぐら音楽祭」 「オ-プ二ングコンサ-ト」 などフォ-ク系のイベントに出演するようになる。
ジャックス・ショウ (大阪厚生年金会館 1969年3月21日)
ジャックスは、1969年8月に開催された 「名古屋労音 第1回フォ-クキャンプ例会」 直後の8月10日に解散宣言し活動を停止しました。
そして9月26日の 第3回メッセージコンサート (東京久保ホ-ル) で、 早川義夫が単独でステ-ジに登場し、4曲を披露。
その時の音源が残されています。
第3回メッセージコンサート
早川義夫は、アルバム 「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう 」
を発表し、また1970年には [自己表出史1969」 と言う映画を作成、ソロア-ティストの地位を確立したのであった。
この映画、白黒映像であるが時代を知る上では貴重な資料である。
1986年に未発表音源 「前口上」 「ピコの唄」の2枚を黒澤進氏が自主制作レコ-ドとして発売。
1970年に発売 「五つの赤い風船 イン・コンサート・ライブアルバム」
では、ボ-カルの藤原秀子と 「からっぽの世界」 をデュエットで披露。
早川義夫が引退前に残した、最後の音源となりました。
1972年には、早川義夫ソロアルバム 「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう 」 に収録の「サルビアの花」が、”もとまろ” ”岩淵リり” の競作で発売し大ヒット。その後も多くの歌手がカバァ-し、フォ-クの名曲として今も歌われています。
発売当時は、雑誌等でも ”もとまろ” ”岩淵リり” の競作として書かれているが、実は ”NOW” と言うフォ-クロックバンドも同時にシングル発売をしています。これは全く話題にもならなかったようです。
この曲がヒットした1972年に早川義夫は、こう語っている。
こんな曲が売れるようじゃ、もうダメだ
と言う訳で、早川義夫は名曲を残して引退してしまいました。
しかし、走れコ-タロ-の山本コ-タロ-が早川義夫の芸能界復帰を望んで、不思議なレコ-ドを発売しました。
タイトルは 「早川義夫に捧げる唄」・・・ 何と! シングルのA面である。
ちなみに自分は、岩崎宏美が歌う 「サルビアの花」 が1番好きです。
この曲をカバァ-した歌手は他にも 「甲斐よしひろ」 「あみん」 「天地真理」 ・・・・・・・・・たくさんいます。
最後に、ロックバンド 「ヒカシュ-」 の巻上公一が、1992年に発売した
「殺しのブル-ス」 と言うアルバムに、ジャックスの 「マリアンヌ」 のカバァ-が収録されていますが、全く違う曲に仕上がっています。