ペグー銀貨の分類法 JONS 2024 Spring(その2)

 

(前回より続く)

 

ペグー銀貨のRobert S. Wicks氏の詳細な分類法を自分のコレクションに落とし込んで、なんとかある程度理解はできたと思います。

 

又、今回は、内容の理解に手間取ったため、結果的に時間をかけてじっくり読んだり・コインを観察でき、ざっと読むだけでは気が付かなかったと思われるような点もいくつかありました。

 

彼の記事はMitchiner/Mahlo/Htunの図録や記載も参照しているので、彼らの図録の内容も加味して複数の視点からの確認も行えました。関連する同時期のコインとの関係もいくつか明らかになりました。

 

出土地についてもある程度まとめての記載があり、これは面白い資料なので、内容を端折ってサマリー的に彼の地図の上に加筆・コインを載せて見ました:

 

 

A.    ペグー銀貨の主要出土地の分布

 

(四角で囲まれた地名は出土地、赤線で囲まれたものはその中で100枚以上出土した場所。赤数字は大まかな出土枚数。)

 

Payagi:裏面スリバッサの上に天体のシンボルのあるタイプ(Wicks 3b/3c/3d)を含む150-200枚が出土。

Pegu:裏面スリバッサの上に天体のシンボルがないタイプが約200枚、その中30枚程度が表面ほら貝に触手のあるタイプ(Wicks 1)が出土。

Mudon:南部テナセリム地方北部のこの地で、裏面スリバッサ上に天体のシンボルがないタイプ約250枚が出土(Wicks 1a/2b)。

チャイトー・Kyakkatha:マルタバン湾の中心部でも、夫々80,60枚程出土(タイプ不明だが、Kyakkathaの記録にはWicks 3aが含まれる。)

 

ミャンマー以外には、現在のバングラデシュで一枚(Wicks 2c)、ベトナム南部扶南の外港オケオで数枚(Wicks Class A/B)、ホーチミン近郊で一枚(スリバッサ上に天体のあるWicks 3d。ホードには二枚の旭日銀貨と一枚のシュリークシュートラ第一世代銀貨が含まれる。)の出土が記録されている。

 

出土分布については、旭日銀貨と同様に、バングラデシュからベトナム南部まで広く東南アジア大陸部に分布しているが、面白いことにタイでの出土の正式な記録はない(たまたまタイ国内での出土が正式に記録されていないという事かもしれませんが、タイの博物館の展示ではまだ見ていないので、あっても出土例は少ないと思われます。)

 

ミャンマー国内での出土状況の特徴は、比較的南部まで、つまり、テナセリム地方まで分布が広がっていることが他の主要な下ビルマ銀貨との違いです。(自身保有の一枚は、さらに南のタイ南部アンダマン海沿岸のタクアパ出土のもの。)

 

又、裏面スリバッサの上に天体のシンボルのあるタイプ(Wicks 3b/c/d)の出土の大部分はPayagiであり、又、最大の数が出土したMudonではこのタイプが含まれない事から、ペグー銀貨のミントは最低2ヶ所あったのでないかと考えられます。(しかし、裏面スリバッサ内のアンクーシャの形状の共通性があることとの矛盾は上手く説明できない。)

 

尚、記録に残らない散発的な出土もあるはずなので、大まかに全体の出土数は3桁の上の方といった感覚です。これは、シリアム銀貨の数千枚と比べるとかなり少ない量です。

 

 

B.    ペグー銀貨の発行・流通時期の推測

 

上記、オケオでの出土を根拠に、ペグー銀貨は4世紀後半~終わりからの発行・流通としている研究者は多い。Wicksは発行時期を明確に言及していないが、種々の発掘調査の年代推定を基に第一千年紀の半ば(つまり、4-6世紀頃)又は更に古い可能性もあるとしている。

 

尚、Mahloはほら貝に触手のあるタイプ(Wicks 1)は、同様のほら貝が描かれたアラカンのチャンドラ朝初期のコインと、シュリークシュートラ第一世代コインとの共通性から5世紀としている。

 

   

左から、初期アラカン・チャンドラ朝銀貨(4世紀末~五世紀初・Mahlo 26)、ペグー銀貨(5世紀・Wicks 1/Mahlo 15b)、シュリークシュートラ第一世代銀貨(5世紀前半・Mahlo 12b)。

            

Wicksはグループ1→4に従って時代が下る(丁寧な作りの初期のものが時代が下るにしたがって手抜きの雑な作りとなるという前提)としているが、今回自身のコレクションをWicks分類で並べて見た印象での、グループ1/2の摩耗が、グループ3/4より少ない(より新しく感じる)事と整合性が取れている(たまたまそのような個体が集まっただけかもしれませんが)。

 

時代判定の鍵として、更に興味深い情報もある。

 

初期の旭日銀貨にオーバーストラックして作られたペグー銀貨:

 

(出典:Auspicious Symbols and Ancient Coins of Myanmar, Than Htun)

 

これは、初期の旭日銀貨を使ってペグー銀貨を作成した痕跡が残るオーバーストラックコインです。

 

旭日銀貨の中心の太陽とそこから伸びる光条の一部が、ペグー銀貨のほら貝に残っています。ほら貝はハイレリーフなので、鉄床に描かれた型のほら貝は深く掘られていたため、上から裏面の型と一緒にハンマーで打刻されても、一番深い部分は旭日銀貨のデザインが消えなかったと考えられます。

 

このオーバーストラックコインから、ペグー銀貨とこのタイプの旭日銀貨はほぼ同時期ないし、旭日銀貨がやや古いことが推測されます。

 

旭日銀貨はバリエーションが多く、発行・流通時期も長い為、どのタイプの旭日銀貨かを特定する必要がありますが、幸いなことに大きな太陽のタイプはSamon川流域のPyawbweのものであると判断できます。(ハリンタイプやベイタノウ・タウンドウィンジー地域タイプは太陽が小さい。)

 

左上:Pyawbwe初期旭日銀貨(5世紀後半・Mahlo 10a)、右上:ペグー銀貨(4-6世紀頃)、下:Pyawbwe初期旭日銀貨(5世紀頃・Mahlo 9)

 

フランの大きさから、Mahlo 10aが使われたと考えられ、時代がほぼ合います。

 

 

他のオーバーストラックコインも併せて、5-6世紀頃の古代コインを地図に載せると:

 

(5-6世紀古代ミャンマーのコイン相関関係・アラカンを除く)

 

① 中部Pyawbwe初期旭日銀貨(5世紀後半)が北部ハリンの旭日銀貨(5世紀初期~6/7世紀)の原型。

 

② 北部ハリンのものと思われる旭日銀貨が、シュリークシュートラ第一世代銀貨中期タイプ(6世紀)にオーバーストラックされている。(旭日銀貨のタイプは不明)

 

③ 中部Pyawbwe初期旭日銀貨(5世紀後半)が南部ペグー銀貨の天体シンボルのあるPayagiタイプ(4-6世紀頃)にオーバーストラックされている。

 

従って、概ね青い矢印の順の発行・流通時期の相関関係が考えられます。

 

尚、表面のほら貝のモチーフは1世紀頃のほら貝・三宝シンボルのコイン(↓)が源流で、そこからペグー銀貨、シュリークシュートラ第一世代銀貨、アラカン銀貨に広がって行ったものと考えられています。

 

ほら貝・三宝のエレクトラム貨(チャイトー付近・1世紀・Mahlo 2.1)

 

 

C.    その他ペグー銀貨についての感想

 

今更ですが、今回じっくり各グループの個体を比較検討する中で、その他いくつか気が付いたことを備忘録的に:

 

ほら貝の開口部の表現の精緻さという、非常にマイナーな点に注目しての分類ですが、結果的に、ほら貝全体の違いがうまく分類できているように思われます。特に、グループ1,3,4については、それぞれのグループ内のほら貝の形状がほぼ同じに見えます。(グループ2の2個体は異なる形状に見えますが。)

 

基本的なコインのデザインは、全体として大きなバリエーションはない。特に、裏面のスリバッサの形状は全ての個体でほぼ同じ形状が維持されている。これは、表裏共に大きなバリエーションが存在する旭日銀貨とは異なる点。旭日銀貨と比べて、発行量・流通期間が少い・短かったのではないかと思われる。

 

しかし、裏面スリバッサ内のアンクーシャだけは、非常にたくさんのバリエーションがある。実際に、Wicksは全部で150個体を調べた中で、60タイプの異なるアンクーシャのタイプをリストアップしている。しかも、自分のコレクションの個体でもこの60タイプに含まれないものも多数あり、単純計算で2-3個作る毎に裏面の型を新しいものに変えていたことになる。

 

Wicks分類に基づいたペグー銀貨の分類(再掲):

 

注:M-はMitchinerの図録番号、W-はWicks分類番号。WicksのGroup3のカッコ内の(C.1a-C.4)は、裏面スリバッサ上部の太陽と星のシンボルの類型分類番号。

 

 

分類法については、WicksやMahloの言うように、Wicks Class A(Mahlo 15)とWicks Class B (Mahlo 23)を別のシリーズとして扱うほうが良い。但し、裏面スリバッサの上に天体のシンボルのあるタイプ(Wicks 3b/c/d)、表面ほら貝に触手のあるタイプ(Wicks 1)、及びその他という小分類が適当ではないかと個人的には感じた。

 

未保有タイプが4つ明確になったので、引き続き入手できるよう気長に待ち続けるしかない。アンクーシャの形状による分類は細かすぎてとてもコレクションの対象とはできない。

 

 

D.    タイのドバーラバーティーコインとの関連:

 

タイのドバラバーティー初期(扶南の弱体化で徐々に力を付けていく5-6世紀)は、ハリンタイプの旭日銀貨の初期型(5世紀初期~6世紀)とシリアム銀貨が、カットされたものも含めて流通していたが、ペグー銀貨(4~6世紀)が扶南・オケオで出土しているのにタイでの出土が少ないのは、ペグー銀貨が旭日銀貨(ハリンタイプ初期型)やシリアム銀貨より早期(もしかしたらドバーラバーティーが扶南の属国の時代。扶南ではコインは使用されてなかったので、オケオの出土コインは属国からの貢物ないし交易の結果入手されたもの。属国にはそのようなものは行き渡らないのではないか?)に発行・流通していたからだと思われ、ペグー銀貨の発行時期の推定と概ね整合性が取れる。(発行量が少なかったことも要因ですが。)

 

更に、シリアム銀貨はペグー銀貨の後にマルタバン地域で発行されたという事になる。ミッチナーはシリアム銀貨をペグー銀貨の前に置いて4世紀頃としている事とは整合性は取れない。更にMahloがシリアム銀貨を8-9世紀としているのは遅すぎるのではないかと今回は感じる。(多分アラカンコインとの関連でそう結論付けているはず。)

 

ドバーラバーティーでの初期のコインは、ペグー銀貨(少々。4-6世紀・扶南の属国時代?)→ハリン旭日銀貨(5世紀初期~6世紀)→シリアム銀貨(6-7世紀?)→マルタバン・ドバーラバティー魚銀貨(7世紀後半以降)という大まかな流れではないだろうか?

 

ドバーラバーティー独自の銘入りのプルナカラーシャ壺コイン・親子牛コイン・ウサギコイン他が、どの時代に入るのか?多分この次の時代、ドバーラバーティーの最盛期(7-9世紀?)とするのが適当な感じはします。(そもそも、博物館の展示物も年代の表記の幅が広い(例えば、ナコンパトム博物館の展示品は殆ど7-11世紀と書かれている)ので、コインの年代決定もほぼ不可能か?)

 

 

以上、ペグー銀貨の整理が、どんどん周辺地域との関係等スコープが広がってしまいました。結局、デザインの相関も強いこの地域の古代コインは、特定のコインの事だけでなく、周辺コインとの関係で、複雑なパズルを解くような作業が必要です。

 

マルタバン地域の銀貨の主要なもので今回触れなかったタトン銀貨をどのように位置づけるかももう少し検討する必要があります。(保有数が少ないのでまだまだそこまではたどり着けませんが…。)

 

そういった意味では、一部疑問に感じる部分もありますが、WicksやMahloの研究結果は大変な労力の賜物で貴重なものなので、もう少し彼ら先駆者の研究を、飛ばし読みだけではなくよく理解する必要があることを改めて認識した次第です。

 

 

 

(終わり)

 

 

参考資料:

Journal of the Oriental Numismatic Society #255, Spring 2024

The History and Coinage of South East Asia until the Fifteenth Century, Michael Mitchiner

Auspicious Symbols and Ancient Coins of Myanmar, Than Htun,

The Early Coins of Myanmar (Burma) – Messengers from the past, Dietrich Mahlo

The Evolution of Thai Money - From its Origins in Ancient Kingdoms, Ronachai Krisadaolarn

 

アジア古代コイン (ameblo.jp)

ピューのコイン1 (扶南)旭日銀貨 1 | アジア古代コイン (ameblo.jp)

ピュー5 旭日銀貨(ハリン以外での発行を中心に) | アジア古代コイン (ameblo.jp)

ピュー7 シュリークシュートラ(1) | アジア古代コイン (ameblo.jp)

アラカンのチャンドラ朝 | アジア古代コイン (ameblo.jp)

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