東洋貨幣学会の季刊誌JOBC 261号 (2025年秋版)にカリマンタン西部の客家系華僑発行の「大港公司」銘の錫鉛銭に関する記事が掲載されていました。
寄稿者のTjong Yih氏は、バンカ錫銭やボルネオの公司発行銭等インドネシアの華僑系穴銭の第一人者です。
「大港公司」銘の錫鉛銭
記事はボルネオ華僑銭で最も現存数の多い「大港公司/和順」銘の書体と重量の検討です。(対象152個体。思っていたより現存数が多かったです。)
1850年にオランダ軍が撮影した写真に写り込んでいた大港公司や和順の小旗。
オランダの記録では当時約80万枚ほどが流通していたが、オランダによる征服の後、その殆どが融解されています。
書体は、個体毎に大きく異なります。例えば、「公」は、大きく分けると楷書体と行書体がありますが、同じ楷書体・行書体の中でも書体は異なります。
(「公」:1〜4は楷書体・5と6は行書体)
裏面の「順」も同様に、大きく分けると楷書体と行書体がありますが、書体の個体差大きい。
これは、製法に由来するもので、2枚分の素焼きのモールドがオークションに出品されています。


(SARC Auction 31, lot 922 /2018.5.17-18)
石彫でたくさんの枚数のモールドを作るのが、伝統的な製法で大量生産に向いているのでしょうが…。
手作りの粘土の素焼きモールドを、母銭も使わずに、一つ々々手で彫って作って、一つのモールド一セットで2枚コインを鋳造していたということだと思います。素焼きモールドは、金属を流し込んで・冷えた後は多分割ってコインを取り出していたのだと考えられます。(仮に、何度も使用したとしても劣化しやすく、どのくらい繰り返し使用に耐えられたか?)
この製法で何十万枚もコインを鋳造すれば、個体差は大きくなるし、彫り手も嫌気がさして、雑になったでしょうね。
「公」と「順」の楷書体と行書体の組み合わせで4タイプに分類して、統計を取ると、楷書体同士の組み合わせが最も多く、全体の約三分の二。
このコインに限らず、東南アジアの古いローカルコインの字体のバリエーションが大きい理由が、この様な製法由来ではないかと思っていたのですが、やはりそうだったようです。
尚、パレンバンの漢字錫銭では、現存数が多く、かつ、字体のバリエーションが小さいか殆どないものもあります。これは母銭を使用して粘土等に押し付けてモールドを作っていたということでしょう。(この記事では触れていませんが、「大港公司」でも表と裏を貼り合わせたと思われるものもあり、これは母銭を使用して表と裏を別々に作って、後から貼り合わせた(少し熱してくっつけた?)のではと考えています。バンカ錫銭ではこの様なものが多い。)
少なくとも、素焼きのモールドの場合は母銭を使った方がずっと楽だったと思うので、後年この製法に変えたか、後述する1850年以降の(当時の)偽コインがこの製法で作られたのかも知れません。
重量分布では、やはり個体差が大きいものの、重いタイプ(概ね12〜15g)と、軽いタイプ(概ね6〜8g)に別れていて、重い方は2ドゥイテン、軽い方は1ドゥイトの価値であったとされています。
又、色味が濃いものと、白っぽいものがあり、鉛含有量が多いものが、色味が濃いという傾向が示されています。今まで感覚的に鉛含有量が多いものが白っぽいと思っていたのは、完全な思い違いでした。鉛筆の芯は黒いですよね。ピューターの器は見た目銀に近いですし…。ただ、バンカ錫銭は黒いのですが。
「大港公司」については、1850年以降、鉛含有量の多い(当時の)偽コインが増えて行ったそうです。
流通量、額面、鉛含有の経緯、製法のヒントが個人的には有用でした。
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