大学時代の友人との忘年会で、荒川区の町屋に出かけました。


場所が町屋の呑み屋でという提案。東京と言っても、自分は西郊外の多摩地区に住んでいるので、東側の下町は馴染みがありません。千代田線の駅で北千住の手前に町屋ってあったなという程度です。どんなところか見当もつかないので、ついでに夜だけでなく、知らない街を小旅行気分でブラブラしようと、昼から出かけました。


事前に調べると近くで、都営荒川線の終点、三ノ輪橋駅近くに「砂場総本店」という砂場蕎麦の元祖のような店がヒットしたので、遅い昼食でサラッと蕎麦を食べて千住辺りも行ってみようと興味津々出発。


中央線・中野→地下鉄東西線・大手町→千代田線・町屋と、意外に時間もそうかからず到着。地図で見ると浅草のチョット北側で都心から遠くない場所です。



町屋で下車後に気がついたのですが、町屋から三ノ輪橋って結構距離があり、空腹抱えて歩くのはチョット厳しい。

三ノ輪橋駅近くの「砂場総本店」に最初に行くのであれば、茅場町で日比谷線に乗り換えれば、最寄り駅の三ノ輪にスムーズに着いたはずだったのですが、後の祭り。

しかし、都営荒川線も初めてなので、またしても旅行者気分で乗ってみました。

先日の東急世田谷線は2両編成でしたが、こちらは1両。車両は新しいですが、やはりレトロ。乗ってる人もレトロです。

4〜5駅で終点三ノ輪橋駅。ここから西の終点の早稲田まで約30駅もあります。駅間距離は短いですが…。


多分、レトロを売りに集客しようとの狙いだと思いますが、今では殆ど見かけない:


金鳥と、


オロナミンCとボンカレー。

大塚って、製品のネーミングや広告等マーケティングに長けた会社だなーと改めてこの古いレトロ広告見ても思います。昔大変お世話になりました。


ジョイフル三ノ輪という、レトロの権化のようなアーケード街、と言っても小さくて、シャッターも多くてかなり寂れてます。


その中で活気のある、焼き鳥と惣菜の「とりふじ」




下町っぽくて良いですね。スタッフさんも人懐っこい。


半熟たまごメンチ。
半分に切ってくれて、ソースもあります。
美味いなー。下町のスコティッシュエッグ。
これ食べれば、かけ蕎麦でも良いかなと、蕎麦屋へ。


あー、しかし、昼飯予定の「砂場総本店」は臨時休業。


結局、惣菜屋に戻って、唐揚げと、近くのパン屋のかつサンドで手早く腹を満たして、千住大橋へ向かっていると、

何処かで見覚えのあるコッペパンの青木屋。

ジャンボサイズのコッペパンサンドの有名店で、荒川区民のソウルフードとテレビで紹介してた気がします。


お腹いっぱいだけど、買うしかない。
コロッケ、ハムカツ(@330)、メンチ、トンカツ(@380)の4種のみ。


迷いに迷った挙げ句、また、トンカツサンド。揚げたてで暖かかったのですが、大きすぎて直ぐに食べる気がせず、しばらく歩き回った後、墨田川沿いで食べました。


見た目デカイが、食べるとフカフカ(空気が多くて実量は少ない)。原料の一番めは乳化剤(原料表示は、量の多いものから表示されるのですが、乳化剤が一番多いというのは聞いたことがありません。これがフカフカの理由でしょう。)2番目にイーストフードと書かれていて、小麦の表示なし。添加物山盛り。イーストフードが小麦を含むプレミックスの事だとは思いますが。


食べやすくて、そこそこ美味しいですが、個人的にはコスパが良いとは思えません。


この辺りは、南千住で、日光街道が墨田川を渡る手前。残念ながら、古い街道の面影は殆ど見かけません。戦災で焼けたのでしょうか。


なんとか古さを少し感じられるのは、素盞雄神社。


素盞雄神社(スサノオジンジャ)は、素盞雄大神(スサノオオオカミ)と飛鳥大神(アスカオオカミ)を御祭神とする、平安時代延暦14年(西暦795年)の創建とされています。


開祖は黒珍(こくちん:修験道の開祖役小角の高弟)という人で、住居近くの奇岩が突如光を放ち二柱の神様が翁に姿を変えて現れ、「吾れは素盞雄大神・飛鳥大神なり。吾れを祀らば疫病を祓い福を増し、永く此の郷土を栄えしめん。」との神託を受け、一祠を建て創建したと説明されています。真偽は別にして、由緒は古いようです。


又、庚申塔。

世田谷代官屋敷もそうですが、江戸期のものなので見た目新しい。もう少し古びた感じが欲しいのではありますが。ここも説明がしっかりで良いですね。



庚申塔群三基(寛文十三年銘他)

素盞雄神社

江戸時代に建てられた3基の庚申塔で、向かって左から、延宝6年(1678年)銘、寛文13年(1673年)銘、 文化8年(1811年)銘があります。

庚申塔とは、60日に一度めぐってくる庚申の日に、寝ずに夜を明かす行事「庚申待」を3年間継続した所願成就の証しとして建てられたものです。

中央の寛文13年銘の庚申塔は、聖観音が本尊です。聖観音の光背には「庚申講供養」と「念仏講供養」の文字が刻まれ、庚申信仰と阿弥陀信仰の習合が見られます。

左の延宝6年銘の庚申塔は、如意輪観音が本尊です。月待信仰に関する勢至菩薩の種子が刻まれていて、庚申信仰と月待信仰との習合がうかがえます。施主として久兵衛、おとらなど男女15人の名が見えます。

文化8年銘の庚申塔には 「青面金剛」の文字が刻まれています。

寛文13年銘と延宝6年銘の庚申塔は、造形上も優れており、他の信仰との習合も見られ、また3基の庚申塔から近世の庚申塔の変遷がうかがえ、学術的にも貴重なものであるといえます。(荒川区説明板より)





境内の浅間神社



直ぐ近くに千住大橋です。


千住大橋

文禄三年(1594年)、徳川家康が江戸に入った後、隅田川に初めて架けた橋。

当初は今より、二〇〇メートル程上流に架けられた。単に「大橋」と呼ばれたが、下流にも架橋されると「千住大橋」 と称されるようになったと伝えられている。

千住大橋は、日光道中初宿、千住宿の南(荒川区)と北(足立区)とを結び、また、 江戸の出入口として位置付けられ、多くの旅人が行き交った。旅を愛した松尾芭蕉もここから奥の細道へと旅立ち、真山青果の戯曲「将軍江戸を去る」では、 最後の将軍徳川慶喜の水戸への旅立ちの舞台として表現されている。


富嶽三十六景・「従千住花街眺望ノ不二」


千住大橋を渡ると千住大橋の北側に奥の細道関連のモニュメント的なものがひっそりとありました。




当時の面影はありません。








墨田川沿いに町屋に戻ります。






京成本線


いわゆる下町のイメージの路地。




町屋の和菓子屋・喜田家 町屋店でお家への土産を買って。

定番はどらやきらしいですが、割とウィットに富んだ面白いお菓子もありました。

足立姫という面白いお菓子が結構美味しかったです。(写真忘れました。)


聖武天皇の時代、足立郡の庄司(荘園の管理者)である宮城宰相に足立姫という娘がおりました。隣にある豊島郡の豊島左衛門尉に嫁いだものの酷いいじめを受け、姫は12人の侍女とともに荒川(現在の隅田川)に身を投げたそうです。父親は姫の魂を慰めるために熊野詣に出かけ、そこで見つけた霊木を海に流すと不思議なことに、それは足立に流れ着きました。たまたま足立に居合わせた行基菩薩にお願いし、霊木から6体の阿弥陀仏を彫ってもらい、6つのお寺に分けてお祀りしたそうです。

江戸時代中期、桜の季節に足立姫由来の阿弥陀仏があるお寺を巡る「六阿弥陀巡り」が女性の間で大流行したことにちなみ、桜の花びらをイメージした羽二重餅に京都の柚子味噌餡が入った「足立姫」という和菓子を開発したそうです。

そして、やっと今日のメインです。

京成本線町屋駅前の「酒場 まほろば」
刺身盛り、ひな鳥半身揚げ、おでん等。

特徴のある日本酒がいくつかあって、チョット飲み過ぎてしまいました。


帰りの中央線車内は結構遅いのに混雑しています。

ふらふらになりながら深夜に電車で無事帰宅出来ました。