市長様、あの発言は正しかったです
どうもです。
先日行われました 「姫路モノレール開業50周年シンポジウム」 の2部にて
姫路市長 「石見 利勝 氏」 が述べられていました国道2号線東行きに並ぶ
「船場ビル」 上に姫路モノレールを走らせる計画だった、との発言について。
自分の意見として、姫路側から建っています2棟のビル、「船場東ビル」 と
「船場西ビル」 が、姫路モノレール開業より4~6年後に建設された事から
ビル上を走らせる計画はなかったと、前ブログ に否定意見を書きました。
しかしながら、シンポジウムで市長は、「ビルの上を~」 と言ったのではなく
正確には 「ビルの後ろ側の上を~」 と言っていたの思い出したのです。
「そのため 「船場ビル」 たちは、「高尾アパート」 に形が似ている。」 とも。
その言葉が気になり、以前に撮影していた 「船場ビル連」 を見返しました。
前面から見て直方体と思い込んでいました 「船場西ビル」 より西側のビルも
建物後部2階部分までが突き出す形状となっており、市長が言っておられた
モノレールを走らせようとしたスペースは、実はここの事だったのかと…。
そう思ったら気になって、これはいま1度見に行くしか、と思い見てきました。
今回撮影した日、25日は 「手柄山交流ステーション」 にて、10時45分より
「サムライガーショー」 があるため、それまでに交流ステーションへと着くよう
かなり忙しい姫路モノレール跡散策、撮影となったのでした。
てなわけで今日の写真は
撮影日は画像右下に記載しています。
以前に撮影していました画像を見返してみると
前から見ればすっきり直方体も
後ろ側は突き出した形状となっています。
今回撮影に行き、改めて姫路側 「船場東ビル」 から確認して行きます。
その 「船場東ビル」 の後ろ側。
もう1枚 「船場東ビル」。
隣り2番目、「船場西ビル」 の後ろ側。
もう1枚 「船場西ビル」。
「船場公園」 を挟んで。
3番目、「元町東ビル」 の後ろ側は西側の端一部分だけ突き出て。
4番目、「元町西ビル」 の後ろ側は東側の一部分が特に大きく。
5番目、「日新ビル」 の後ろ側。
6番目、上に王冠のようなものがあります 「船丘ビル」。
7番目、ビル連で最も古い1965年建設 「琴岡ビル」 の2階部分までもが…。
ビル連ほぼ7棟のビルの後部が突き出た形なのですから、疑う余地なしか。
「高尾アパート」 から 「船場川」 沿いを北上して行くと
「市原 猛志 氏」 が紹介されたような、「トラス構造」 の橋が架かっています。
「船場ビル連」 の撮影が予想以上にかかり、「手柄山交流ステーション」 へは
「サムライガーショー」 のクライマックス前の11時過ぎに到着となりました。
自分はこれまで、姫路モノレールが 「船場ビル連」 のコースをとったとすれば
「船場東ビル」 、「船場西ビル」 の3階駐車場部分が前に突き出ている事から
先入観でビルの前側上を走らせる計画だと、勝手に思い込んでいました。
「木を見て森を見ず」 否、「前面を見て全面を見ず」 といったところでしょうか。
シンポジウムで市長様が言われていました、「ビルの後ろ側」 の話を思い出し
画像確認と自分勝手に検証したところ、市長様によるシンポジウムでの発言
「船場ビルの ( 後ろ側 ) 上にモノレールを走らせるよう計画していた。」 説は
計画初期段階では、かなり現実味のある計画だった?のかもしれません。
おそらく、モノレール建造時には計画がボツになっていたと思われますので
ビルにモノレールを走らせるような構造になっていないと思われますが…。
ビルの形を初期の設計に近い形に、構造はモノレールを走らせない構造に
「船場ビル連」 7棟は、そうやって建設されていったのではないでしょうか。
自分の間違った知識を元に、姫路市長 「石見 利勝 氏」 の思い込みだとか
リップサービス等、市長様には本当に失礼な事を書いてしまいました。
読者さんにも、十分な検証もせず先入観で書いてしまい申し訳ありません。
姫路市長 「石見 利勝 様」、シンポジウムでの、あの発言は正しかったです。
それではまた。
















