毎年恒例となっている、年末年始の初日の出を見に行った際の旅行記的なものを。
コミケ103+青ブタの続きとなります。
大晦日はさっさと寝るつもりだったのが、うっかり日付を跨いで2024年になってから就寝しました。
そこから4時起きして、藤沢駅に行って東海道本線の始発電車で隣の辻堂駅へ移動します。
辻堂駅の南口(テラスモール湘南の反対側の出口)から30分ばかり歩き、藤沢市と茅ヶ崎市の市境辺りの海岸に辿り着きます。
5年だったか6年だったか連続で元旦はここに来てるので、さすがに道を覚えました。
日の出は元旦だと7時20分頃で、確か辿り着いたのが6時過ぎ頃。
辺りはまだ暗かったですが、今年は防寒着が必要ないぐらいの寒さでした。
海岸に着いて30分ぐらい経ったら、だいぶ明るくなってきました。
それでも人はまばらで、西には富士山が見えました。
富士山、頬を染めるの図。
赤富士というには赤みが足りないのかな?
7時20分頃に、三浦半島の方から太陽が出てきました。
この時間になると、初日の出を見に来た人がそれなりに集まってきます。なんなら電波状況も悪くなります。
快晴の2024年元旦初日の出。
江の島のシーキャンドルの上に太陽がきてロウソクっぽく見える構図、これ毎年やってるんですが、去年よりもいい感じになりました。
去年は特に最後2ヵ月がよくない事が立て続けに起きて凹んだりしましたが、快晴の初日の出が見れたし今年こそいい年になる!
・・・この時はそう思っていました。
初日の出を見た後は、藤沢のホテルに戻ります。
例年は歩いて辻堂駅まで戻っていたのですが、たまたま辻堂駅に向かうバス停を見つけて、しかもバスの時間も近かったのもあって、今年はバスで駅まで移動しました。
毎年歩いて帰ってる時は壁に描かれた笑うアフロの絵を見ていたのですが、今年は別ルートをバスで通過したので見れませんでした。
運気が乗らないの、もしかして笑うアフロの絵を見てないせいか???
藤沢のホテルに戻ってきて、朝食を部屋に持ってから食べました。
朝食を食べた後はチェックアウトの10時まで、部屋でダラダラと過ごしました。
その後は江ノ電の藤沢駅で、干支の硬券入場券を買ったり。
江ノ電の駅の自販機に麻衣さんがいました!
この時点でランドセルガール公開から1ヵ月経ってて、もう1ヵ月経ったの!?ってなったり。
雲一つない快晴だったので、藤沢駅の窓から富士山が見えました。
みんなスマホを出して撮影していましたね。やっぱみんな富士山好きなんすねー。
隣の大船駅に移動し、今度は湘南モノレールの干支の硬券入場券を購入しました。
大船観音に行こうかなとも思いましたが、重さ約15kgのスーツケースを持って階段昇り降りするのもなんだかなぁ・・・ってなったので、今年も遠くから眺めるだけに。
この後は飛行機に乗るのですが、14時ぐらいに羽田空港に着けばいいので、めちゃくちゃ時間が余ってしまいました。
どうしようかなと思いつつも、適当な電車に乗って東へ移動します。
なんか浜松町に来てブラブラしたり。
竹芝のフェリーターミナルでラブライブの御船印とか買ってました。
いい加減東海汽船のお船にも乗りたいなと思っているのですが、今年ことは3月にジェットフォイルに乗れそうかなと。
浜松町からは東京モノレールで羽田空港へ。
能登行きANA749便に搭乗しました。
・・・この時はこの後に能登半島で大災害が起こるなんて微塵にも思っていませんでした。
元旦というのもあってか、なんか記念のカード?を貰いました。裏面がカレンダーになっています。
定刻の15時30分頃に羽田空港を離陸し、高度を上げていきます。
大晦日に行った東京ビッグサイトが眼下に見えます。
高さ634メートルの東京スカイツリーもミニチュアのよう。
さて、羽田から能登までの所要時間は1時間です。
所要時間が短いので、シートベルト着用サインが消えたと思ったらすぐ着陸態勢に入って高度を下げていきます。
・・・で、飛行機が高度を下げ始めた16時10分頃に、緊急地震速報の通知音が客室内の至る所から響いてきました。
最初はどこかで地震が起きた?程度の認識でしたが、機内Wi-FiでTwitterを見てたら能登半島で強い地震だとか大津波警報とかが流れてきて、到着地でただ事じゃないことが起きたと悟りました。
のちに能登半島地震と呼ばれる大地震が、到着地である能登で発生していたのです。
しばらくして緊急速報をモニターで流し始めて、機長から「能登半島で強い地震が発生して能登空港が閉鎖されたので、羽田空港に引き返す(要約)」とアナウンスもありました。
私は運よく回避できた形となりましたが、もしも地震発生があと1時間遅かったら間違いなく巻き込まれていたと思います。
私が乗ってたANA749便は羽田空港に着陸し、発地に戻ってきました。
運賃は無手数料で払戻しができるとのことで、まずは払戻し手続きを済ませました。
この翌日に羽田空港で災害支援物資を運ぶ海上保安庁の飛行機と新千歳発のJALの飛行機が衝突し、JALの飛行機が全焼する事故が起こっています。
JALの飛行機の方は奇跡的に死者が出なかったのが幸いでしたが・・・。
京都の鈴虫寺へは3年5ヵ月ぶりの再訪となりました。
今回の訪問は2024年の初詣と、願いが(違う形でとはいえ)叶った幸福御守りの返納が目的でした。
鈴虫寺の幸福御守りは上記の過去記事で書いています。
幸福地蔵の化身、お地蔵様の姿が入っている黄色い御守りで、身に着けておくといいんだそうです。私は財布の中に入れていました。
財布の他に、今時のアイテムだとスマホケースに忍ばせておくのもいいかもしれません。
当時は今時スマホも持たないブタ野郎でしたが、その子に背中を押されてスマホを買ったり職場で昇級したり、今になって思えばその人のお陰(というか切欠)で前に進んだ面もあったんだなと。
鈴虫寺では参拝者に鈴虫説法というお坊さんの話が行われていて、小難しい話とかではなく、心がぴょんぴょんホッとするような話を面白おかしく話してくれます。
鈴虫説法は大部屋で行われるとはいえ人数制限があるので、次の回待ちの参拝客の列が石段にできてる・・・なんてことがよくあります。朝早い時間帯に来るとよさそうです。
この時の話は、LINEのメモに取っているものだと「慈粛陽静」の話をしていたかと。「じしゅくようせい」と読みますが、自粛要請とは意味が異なっています。
鈴虫説法を聞いた後は、テイクアウトして食べるように言われたお茶菓子を上着のポケットに入れて、新しい幸福御守りを受けて、境内から京都の街並みを眺めて、草鞋を履いたお地蔵様にお願い事をしてきました。
鈴虫寺を後にした後は、高校時代からの女友達とラインであけおめ兼近況報告のやり取りしながら京都駅に移動し、コインロッカーに預けてた荷物を回収して京都を後にしました。
続きます。