たった一つしかない欠点が全てを壊します。

妻と付き合い始めた頃、ショッピングセンターに妻を意図的に置き去りにしたことが2〜3回ありました。

おそらくは未だになぜそうされたのか妻は分からないはずです。

今日はその理由を明らかにして行こうと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今までの生徒や保護者は、母が私を産んでくれたから、私との良い出会いがあって第一志望に合格できたと、母に感謝してくれています。

また、真っ暗な世界にいた私を妻が明るい世界に連れ出してくれたおかげで、私に出会って第一志望に合格できたと、妻にも大いに感謝してくれています。

そんな妻と離れ離れの生活が始まってもう20年くらいになりますか。

その間に私がどのようなことをして来たのか、妻は殆ど知らないでしょう。

生徒の保護者から妻自身がどのくらい感謝されているのかも知る訳がありません。

生徒の保護者からはさらに、現在の妻がどれだけ失望の対象になっているのかも知りません。

そして、妻と出会う前の私の数年間、その頃に私が本当は何をしていたか、私の黒歴史については妻は何一つ知りません。

また、息子の名前は私が考えたものではないことも知りません。

私がなぜ大学の進路変更をしたのか、もちろん妻はその理由を知りません。

妻の唯一の致命的な欠点が周りの人間を不幸にするから、様々な意味で多くの人を守りたいと思って私が結婚したことさえ彼女は知りません。

そんな妻も私同様にすっかり歳をとりました。

自分自身も歳をとって最近気づくのは、私より若い有名人の訃報が絶えないことです。

夫婦揃って還暦を過ぎている今、いつどちらかが先に逝くかも知れないので、誰も不幸にならないように、息子が知っておくべきこと、息子に考えて欲しいこと、妻に改めて欲しいこと、それらをここに残しておこうと思います。

遅すぎることはありません。

見知らぬ人が読んだ場合にも何かの参考になれば良いと思います。

先ずは別々の生活になってから一番大きく変わった私の生活は、人助け。

本来ならば自分の妻子に費やすべきエネルギーとも言えますが、それを必要としている人たちに対して全力を注いで来ました。

塾を始めた頃は、運営方針の中心は世間の人が考える良い学校に塾生を入れてあげることでした。

それも人助けの一つですが、今は直接的に生徒の命を守ってあげることが生活の中心になっています。

この数年間だけでも、いつ電車に飛び込んでもおかしくない生徒たちに希望を持たせてあげることができましたし、悪い道に進んでしまった生徒をそこからまともな世界に連れ戻すこともできました。

その結果として手の指が一本折れたに等しい状態になっていますが、それも人の命を救えた勲章であると思っており、日々激痛はあってもあえて治療はしていません。

世間では毎年のことですが、受験が近づくと自殺の報道は増えます。

親に難関校への受験を強いられて、それを苦に自殺する生徒。

自分が入りたい学校への学力が足りないために悲観して自殺する生徒。

塾を始めた頃はそういう生徒もいたので、当時も生徒の命を救ってあげていたのは明らかでしょう。

しかし、妻と離れてからの人助けはそれらとは性質が異なります。

多いのは不登校の生徒たちやいじめに遭っている塾生たち、そして卒業生たち。

同級生からのいじめ、担任からのいじめ、職場でのいじめ。

どれもが本当に危険な状態でした。

塾生たちの場合には思い切って学校を休んでしまえば良いものを、根が真面目な者ばかりゆえにみんな我慢して学校に通っていました。

とは言え、我慢にも限界があります。

どの生徒たちも毎日生きて学校から帰って来られるのか、そのギリギリのところまで達していたのです。

例えば、小学生の時にかすりもしない成績だったのに第一志望の私立中学に合格させてあげることができた生徒は、学校を休んだりしたら私立に通わせてくれている親に申し訳ない、そういうことを口にするのでした。

学校での激しいいじめと親への申し訳なさとの間でもう心は押しつぶされていたのは明らかです。

だから何度も説得して、高校受験をして他の学校に移ることを納得させました。

相当な時間や労力を要しましたが、本人は吹っ切れたのか、その後は明るさを取り戻して学校に通っていました。

もういじめに耐える必要もないと分かってからは、以前のように周りからの汚い言葉を真 に受けるのではなく、単に聞き流せるようになったのです。

実際に受験をして入学した高校は3年後には親子して卒業するのがもったいないと言い出すくらい充実した学校生活を送ってくれました。

担任のいじめに遭っていた生徒も、いつ人身事故となってもおかしくない異常な精神状態でした。

死んだも同然の毎日だったので、この生徒は積極的不登校に踏み切らせます。

大学も世間での知名度は高くはないものの、偏差値も低めのところですが、本人が十二分に満足できるところを見つけてあげて、充実した大学4年間を過ごしてくれました。

卒業時には学長賞を受けるだけでなく、大学に職員として残るように勧められて、今では大学職員として働いています。

それから、悪い道に進んでしまった生徒ですが、これは本当に大変でした。

救い出すために、ある場では暴力を振るわざるを得ない状況になってしまいました。

その結果が指の負傷です。

まともな道に戻った本人はきちんと大学を卒業し、新たな夢のために別の大学に入り直して勉強を続けています。

それから、不登校の生徒たちはその多くが「死にたい」と親につぶやくことが度々ある重症な者ばかりでした。

もちろん今も重症な2人をあずかっています。

ですが、過去の不登校の生徒たちもみんなきちんと大学に進んでいます。

不登校の場合に一番の問題点は学力不振。

その中でも一番ひどかった女の子は、中3で塾に来た時にはかけ算九九が言えない有り様でした。

そんな生徒が私の指示を守り抜いて明治大学、立教大学、中央大学に合格しています。

そこで、指示を守る重要性について書いておきます。

私の母校は今や偏差値が10も下がって普通の高校に成り下がってしまいました。

現在同じ偏差値の千葉県立高校と国公立大学への今春の合格者を比較してみましょう。

MK高校  6

私の母校 136

もちろん難関私立大学への合格者数も私の母校の方が多いのは言うまでもありません。

この違いは何でしょうか。

やはり伝統の差です。

では、伝統とは?

私の母校に限りません。

長い歴史を誇る地域のナンバースクールには積極的服従という伝統があります。

そもそも服従という言葉自体に「服従させられる」といったネガティヴな含意があるものの、そういった学校には「服従したい」先生がいるのです。

なぜ私の生徒が毎年毎年第一志望合格率が100%なのか、どうして偏差値が20以上足りないまま第一志望に合格してしまうのか、それは生徒も保護者も積極的に指示を守ってくれるからです。

例えば、偏差値30台の県立の底辺校に通っていたWくんは現役で東京学芸大学に合格させました。

積極的服従 = 指示を守る = あり得ない合格

ところが、我孫子の風土である「反省するよりも反発する」の結果、指示を守らずに反発しかせずに塾から去った者たちの中に逮捕者1名、自殺者1名がいる現実が悲しいです。

・・・・・

↓はお母さん方や教え子たちからの反応です。

・・・・・

先生の指示を守り、積極的服従をすることであり得ない合格へと繋がっていくのですね。親子で姿勢を正しあり得ない合格ができるよう努力して参りたいと思います。いつまでもバカな親子ですがどうぞ宜しくお願いいたします。

・・・・・

はい。指示を守ることはありえない合格につながるのですね。分かり易い等式をありがとうございます。間違えを繰り返さないように気を付けます。

・・・・・

はい。あり得ない合格ができるよう塾長のご指示をきちんと守り、積極的服従をしていきたいと思います。毎日コツコツ努力をしていきたいと思います。

・・・・・

指示を守らずに反発しかせずに塾から去った者たちの中に逮捕者1名、自殺者1名がいるのですね。指示を守らなければそのような結末しかないのだと思います。きちんと指示を守ることが大事だと思います。

・・・・・

ご指示を守らずに反発すれば犯罪者になったり死に近付いてしまうのですね。ありえない合格をするには塾長のご指示を100%守る事が必須です。直ぐに態度を改め積極的服従をすべきです。

・・・・・

先生のご指示を守らずに反発しかせずに塾から去っては良いことはないのが事実なのですね。逮捕者や自殺者とはなりたくありません。先生のご指示は何か、自分都合で捉えずにきちんと守ります。

・・・・・

ご指示を守り積極的服従をすることであり得ない合格があるのだと思います。指示を守らず反発しかしなかった人の中には逮捕者と自殺者がいるのですね。現状をしっかり見てご指示を守る行動をしていきたいと思います。

・・・・・

塾長のご指示を守らずに反発しかせずに塾から去った人たちの中に逮捕者1名、自殺者1名いるのですね。犯罪や自殺する道には子供を行かせたくありません。塾長のご指示を守りきちんと行動をしていきたいと思います。

・・・・・

何が残念かと言えば、長い人生の中で一番指示を守らなかったのは私の妻子です。

・・・・・

そうなのですね。それはとても残念なことだと思います。塾長のご指示は幸せな人生を歩めるようにくださるご指示です。きちんと守り行動をしていきたいです。

・・・・・

先生の長い人生の中で一番指示を守らなかったのは先生の妻子なのですね。先生に残念、と思われないよう先生のご指示とは何かをきちんと確認し、行動していきたいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私の人生を振り返ってみれば、全てが不幸です。

小さい頃から既に不幸にしかならないことを自覚していた私です。

幸せなんて一生縁がないと覚悟して生きて来ました。

アダム・スミスが使ったのとは違う意味で「見えざる手」によって決められていたのでしょうね。

生まれたのは昭和32年。

まだまだ日本が戦後の貧しさから抜け出せない頃です。

最初の不幸は父の死。

父は29歳でした。

私は2歳。

もちろん父の記憶はありません。

私は生まれた時に死産かと勘違いされるほど静かな赤ん坊だったようで、ふだんも滅多に泣かなかったと何人もの人たちから同じ話を聞くほどでした。

そんな私を父の葬儀の際にずーっと面倒を見てくれていたのが叔母、母のすぐ下の妹です。

大きくなってから、叔母から当日のことを聞かされました。

ふだん滅多に泣かないことを知っていた叔母が私をおんぶかだっこしていたらしいのですが、葬儀の間ずーっと私は泣き続けていたそうです。

あまりにも泣くので辛くてたまらなかったとその時に叔母から言われました。

貧しさが思いっ切り残っている時代に父親がいない、それがどれだけ惨めなことか、妻には、もちろん息子にも分からないでしょう。

当事者でなければ分からないと思います。

父親がいない家庭に世間からの差別がない訳がありません。

しかし、どの差別より私が悔しかったのは小学生の時のクラス名簿です。

そこには両親の名前が載っています。

学年で父親がいないのは私だけ。

気遣いのある担任は父親の欄を空欄にしていました。

しかし、父親の欄に斜線を引く先生もいましたよ。

そして、一番辛かったのは「なし」と書かれていた時です。

「なし」ではありません。

父親はいますよ。

死んでしまっただけです。

あの時代の日本だけでなく、現代でも地球上の貧しい社会で父親がいない子供は誰もが悲しい惨めな辛い思いをしているはずです。

そして、共通していることが非行への道。

母子家庭=非行少年と言っても言い過ぎではないでしょう。

それが普通でした。

ところが、私が非行の道に進むことはなかったのです。

なぜ?

理由は四つ。

まず、父の両親、つまり祖父母がいたことです。

頼りにしていた自分の息子が死んでしまって、私はその忘れ形見です。

十分過ぎるほど甘えさせてくれました。

母は片親だからと世間にバカにされたくない、その一心で鬼のように厳しく私を育てましたから、祖父母の甘やかしとでバランスが取れていたのではないでしょうか。

次に父の弟妹である叔父と叔母の存在です。

五男の叔父はいつも私の相談相手でした。

私をあちこちに連れて行ってくれました。

そして、末っ子である叔母は歳が近いので、姉のような存在で常に私が寂しくないようにしてくれたのです。

ありがたかったですよ。

本当に感謝しています。

三番目は音楽です。

音楽を聴くにはあの時代はラジオ。

持ち運んで外で聴くには大き過ぎましたから、やはり自宅で聴きます。

既に小学生の頃から洋楽を聴いていた私は、当時のFENを一日中聴いているような少年でした。

いつの時代も不良の第一歩は夜遊びです。

しかし、夜遊びなどしていたら大好きな音楽を聴けないではありませんか。

夜は絶対に自宅でラジオを聴いていました。

そして、四つ目としては勉強ができたことです。

常に優等生と見られ、校長先生からも模範生と言われるような少年でした。

自分の立場を考えれば、悪いことなどしませんよ。

こういった背景から私が非行の道に進むことなどありませんでしたが、やはり不幸は続きます。

上述の叔父の死です。

離婚の辛さに耐えきれずに服毒死でした。

子供が2人も先に逝ってしまった祖父母の悲しみは一緒に暮らしいても推し量ることができないくらい深いものでした。

不幸の三番目は大学受験です。

1点違ったら確実に落ちる超難関大学を受けました。

最後の模試はA判定。

それでも落ちたのです。

改めて不幸を感じましたよ。

そして、不幸の四番目は大学院の指導教官の突然死です。

研究室で普通に文献の読み合わせをしていた翌日の夕方に電話が鳴ります。

他の院生からの連絡でした。

教授は眠ったまま冷たくなっていたのを家族が発見。

まだ47歳でした。

葬儀は私たち院生もお手伝いしましたが、残された3人の娘さんたちがかわいそうで、特に一番下のお嬢さんはまだ小さくて、かつての自分と重なってしまい、涙を堪えることなどできませんでした。

師弟関係がすべての世界でしたから、恩師の死によって全てが終わったの言うまでもないことです。

代わりにやって来た教授はその分野では有名な先生でしたが、追われるように大学院を出て今の私がいる訳です。

大学院の先輩も他の研究室の同期もみんな研究職、大学教授。

そろそろみんな定年退官でしょうか。

彼らが羨ましくない訳がありませんが、妬むことなどありません。

小さい頃から絶対に幸せになることなどないと覚悟していた人生です。

どんな不幸が待ち構えていても仕方ありません。

結局、自分のために何一つ運は使っていません。

だから、それが縁あって出会った教え子たちの幸せにつながっているのだと考えています。

私が使わなかった運は教え子たちのために使われているのです。

たくさん医師や弁護士になってくれています。

かつて私が目指した研究職に就いた者も大変多く、医学部の先生や京都大学の先生になった教え子もいます。

あとどれだけ生きられるか分かりませんが、不幸ではあっても実りある人生だったかも知れません。

・・・・・

先生がお父様をはじめ叔父様、大学院の指導教官を亡くされたこのお話しを聞く度にとてもやるせない気持ちになります。小さい頃から絶対に幸せになることなどないと覚悟していた人生とは仰るように見えざる手によって決められているのでしょうか。それでは酷すぎます。ご自分のために何一つ運をつかってこなかったと、その運を縁ある塾生のために使ってくださっているとは感謝してもしきれませんし、先生はどこまでも利他の精神に溢れていらっしゃるのだと頭が下がります。そして先生との出会いにより素晴らし人生を歩まれていらっしゃる方は大勢いるとはまさに先生の賜物ですね。我が家はまだまだのどうしようもない親子ですが何とか姿勢を正したいです。そして図々しくも先生の貴重な運にあやからせていただければ幸いです。
あとどれだけ生きられるか分からないなどと弱気なことは仰らずにどうぞ呆れさせてしまうばかりのわが家ですが何とか成長する姿を見守っていただきたいと思います。

・・・・・

神様は不公平ですね。お父様をはじめ、大切な人達との別れを若くして経験された悲しみの分だけお強いのだと思います。生きたくても生きられなかった故人の想いを考えると時間を無駄に過ごすことなど出来ないですね。ご自身の受験の失敗は以前にも教えてくださいました。ご自分に厳しく睡眠時間やお食事時間を削ってでも塾生親子のためにお仕事されるのは生徒を第一志望合格へと導くため、時には身代わり地蔵になってでも生徒を救ってくださる塾長を見てまいりました。塾長を支えてくださったご家族、ご親戚への感謝、故郷の利他の精神、そして勉強と音楽が今のお仕事に全て役立てていらっしゃいます。不幸だからと恨み妬むだけの人もいますが、塾長は小さい時から絶対に幸せになることなどないと覚悟していらっしゃったと聞くととても切ないです。でもその覚悟が教え子達のためにご自分に使って来なかった運を使うことに繋がり、たくさんの塾生親子を救ってこられたのだと改めて感じます。勉強だけではなく性格、普段の姿勢からご指導くださるのはご自分のご経験からなのだと納得です。大学受験まで残りわずかです。塾長のご指導を受けられることに感謝して実りの一つとなれる様に親子で精進して参ります。

・・・・・

塾長は小さいころから不幸しかないと覚悟して生きてこられたのですね。お父様の死と叔父様の死、担当教官の突然死があっては人生に投げやりになり非行の道に進んでしまうような状況でも、幸せになることはないと覚悟していたことで他人を妬むことはなかったのですね。ご自分の運を生徒のために使ってくださり、生徒を第一に考えて厳しくも温かくご指導いただけることに感謝しかありません。塾長の下で学ばせていただけるご縁をいただいたことに感謝して、少しでもご恩返しができるように行動をしていきたいと思います。いつもありがとうございます。

・・・・・

先生は身近な人たちとの別れが幼い頃からこんなにたくさんあったのですね…本当に辛かったと思います。どんなに辛くても非行に走ることがなかったのは甘やかしてくれる周りの存在とラジオ、勉強があったからなのですね。ご自身幸せになることなどないとないと思われ、その覚悟が塾生親子を救ってくださることはとても有難いことですが、先生ご自身が少しでも幸せと感じてもらえるようにしたいですし、ずっとお元気で長生きしてもらいたいです。いつも周りのことを考えてくださる先生に少しでも恩返しできるようにしていきたいです。

・・・・・

小さな頃から既に自分は不幸にしかならないと自覚されていたとはとても胸が痛みます。お父様や叔父様の死があり差別されたこともありながら、祖父母様の支えや好きな音楽があり勉強もできたことで道を外れることなくこれたのですね。なかなか簡単なことではなかったと思います。ご自身の不幸を周りにぶつけるのではなく、幸せになれるようご尽力くださることに感謝の気持ちでいっぱいです。過去の生徒さん達の中には先生の思いを継いでいる方もいらっしゃるのですね。実りある人生だったと仰ってくださることに感謝いたします。我が家はまだまだバカな親子ですが、先生に恩返しができるよう努力していきたいと思います。

・・・・・

愚息達のありえない合格が塾長の人生の不幸の上に成り立っているのだと思うととても複雑な気持ちになりますが、実りある人生だったかも知れないと仰っていただけるのは有難いです。塾長がご指導下さった塾生さんは皆塾長に素晴らしい人生を導いていただき感謝していると思います。我が家ももちろん同じ気持ちです。
辛い思いをしてきた方は強く優しいですし、群馬という土地が塾長に沢山の事を学ばせて下さったのだと思います。ご自身の不幸を嘆かずにその分他の人へ幸せをお裾分け出来るのは塾長の器の大きさだと思いますし、不幸な事があった中でも沢山の愛情をいただいたからだと思います。塾長の人生からも多くの事を学ばせていただきありがとうございます。まだまだ長生きしていただき、私達親子で恩返しをさせていただきたいです。

・・・・・

先生は小さい頃から幸せなんて一生縁がないと覚悟して生きてきたのですね。お父様の死や差別、叔父様や恩師の死があり様々な想像もできない経験をされてきたのだと思います。しかし祖父母や叔父と叔母の存在、音楽や勉強ができたことにより先生が道をそれて非行に走ることがなかったのですね。改めて先生は本当に様々な経験をされてきたのだと感じます。身近な大切な人を亡くしているからこそ、時間の大切さや当たり前ではない日々を大切にすることの重要さがよく分かるのですね。私はどちらかというと幸運な日々で、不運もありましたが先生との出会いで大きく変わりました。まだまだ長生きしてほしいですし、不幸ではあっても実りある人生だったと思って欲しいです。私も先生のお役に立てるよう、恩返しができるよう生きていきたいです。

先生は2歳の時にお父様を亡くされ、その後も大切な方たちを亡くされて、小さい頃から既に不幸にしかならない事を自覚されていらっしゃったのですね。しかし、甘えさせてくれる祖父母と叔父、叔母の存在、音楽や勉強ができた事で非行に走ることはなかったのですね。小さい頃から絶対に幸せになることがないと覚悟されていたとは切ないです。ご自身のために何一つ使われなかた運を、縁あって出会った教え子の方たちに使われて、医師や弁護士、研究職に就かれた方などの幸せにつながっていると考えてくださっています。不幸であっても実りある人生だったかもしれないとおっしゃっていただけることに感謝しかありません。娘も先生とご縁を頂き前を向きつつあります。親子でしっかりと学ばせて頂きたいと思います。

・・・・・

塾長は小さい頃から既に不幸にしかならない、幸せなんて一生縁がないと覚悟して生きてこられたのですね。2歳の時にお父様を亡くされ、その後も叔父様や恩師の死と向き合ってこられたのですね。想像を絶するほどお辛かったと思います。甘えさせてくれる祖父母様や叔父叔母様の存在、音楽や勉強があったから非行の道に進むことはなかったのですね。塾長の人生から学ばせていただけることはとても有難いです。生徒たちの幸せを願い良い運を引き寄せられるようにと動いてくださることに感謝しかありません。塾長との出会いに感謝し、いつか恩返しが出来るよう親子で日々努力をしていきたいと思います。

・・・・・

先生は小さい頃から自分の人生は不幸にしかならないことを自覚し、幸せなんて一生縁がないと覚悟して生きていらしたのですね。先生が生きてきた時代の中で、不幸が先生の身に降りかかってきた時どのようなお気持ちだっただろうと考えると、今の自分の身に起きていることなど笑って何とかできることのように思います。
自分が受け取るはずだったであろう運を教え子たちにすべてを分けてくださっている先生に報いる言動をと強く思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なぜ妻と結婚したのか、理由は二つあります。

一つはもちろん私の一目惚れでした。

自然な理由で妻との結婚を望みました。

もう一つは他人を不幸にしないためです。

妻の唯一の欠点はプライドの高さ。

第一子の長女でプライドの高い者は必ず男を不幸にします。

小さい頃から自分の人生は不幸のみと思っていたので、私が不幸になれば良いと思ったのです。

仮に妻に良い縁談があったとして、妻のあの性格は家庭内の不幸を避けられません。

結婚相手を不幸にするでしょう。

誰かが不幸になるくらいならば私が不幸になれば良いのです。

では、なぜ妻はプライドが高いのか、そこには病気があります。

それを強く感じてしまいました。

他の男と結婚後にそれが発覚したら、おそらくは離婚を迫られるでしょう。

そして、子供のいないまま離婚となるでしょう。

だから、何としても妻を守ってあげたいと思ったのです。

妻とは大学時代に知り合いました。

妻はなぜ私があの大学に入ったのか、進路変更の理由を彼女は知りません。

ですが、進路変更したからこそ妻に出会えました。

そして、私の一方的な一目惚れ。

ただ、それと同時に妻の欠点も見えてしまいました。

致命的な欠点です。

人間の中には短所だらけなのにたった一つの長所が全ての短所を覆い隠してしまう者がいます。

逆に、長所がたくさんあるのにたった一つの短所が全ての長所を打ち消してしまう者もいます。

残念ながら妻は後者のタイプです。

妻の唯一の短所はプライドの高さです。

長い人生の中で妻ほどプライドの高い人間に会ったことがありません。

正確には妻と私の母。

約40年この仕事をしていて判明しているのは、世の研究者たちも指摘しているのが、プライドの高い母親の子供は全員頭が悪い事実。

100%です。

だから、結婚するにあたって頭の悪い子供しか持てないことは覚悟しました。

さて、ここで服従について改めて書いておきます。

服従という言葉だけでも負のイメージです。

ところが、長い歴史を誇る各地の名門高校にはこの服従が活き活きと存在しているのです。

積極的服従です。

服従は基本的に「させられる」ものです。

消極的な姿勢です。

それに対して、積極的服従は服従「したい」のです。

本来の意味の服従とは真逆の姿勢です。

実は名門高校には服従したくなる先生が揃っています。

それは県教育委員会がそのような先生を名門高校に集中させているからでしょう。

そのような先生方に服従することによって生徒は大きく成長できる訳です。

私の生徒たちは偏差値が20以上足りなくても当たり前のように第一志望に合格してしまいます。

1年間模試の判定がE判定のままでも第一志望に当然のごとくに合格してしまいます。

私が塾で展開している指導の半分は自らの失敗をはじめとする経験から掴んだこと。

もう半分は母校の教えです。

私が生徒や保護者に出す指示は、言われた者が一瞬信じがたいとんでもないものが少なくありません。

ところが、それを積極的に受け入れると幸運が待っていることに多くの者が気づいています。

とんでもない指示ですから、実際には反省する者と反発する者に分かれます。

長いこと私のところで学んでいる家庭は、プライドの高い親子が塾から自然と消えて行くのを知っています。

決して反省することなく、反発するだけの親子は耐えられないのでしょう。

私が出す指示の中心は「欠点を治しなさい」「自分を変えなさい」「性格を治しなさい」です。

欠点を指摘されて治したら自分自身が向上しますよ。

しかし、欠点を治さないままにしておいて困るのも自分自身ではありませんか。

私の指示に反発して塾を辞めた者の中には自殺した生徒も逮捕された生徒もいます。

自殺も逮捕も異常過ぎる事態ですよ。

ここで、私の指示を決して守らない生徒の一例を挙げてみます。

彼には志望校を変えるようにずーっと指示してしていました。

努力もせずに高望みばかりしていたからです。

確かに私の生徒たちはあり得ない合格が普通です。

ですが、あり得ない合格の大前提は指示を守って努力すること、本人と保護者と塾が同じ方向を見ていることです。

ところが、彼はかすりもしない高校を希望しても努力が伴いません。

そして、ある日のことです。

授業のない日にわざわざやって来て、私に宣言します。

「柏南に行きたいから塾を辞めます。」

もちろん私は引き止めません。

どうぞどうぞ、です。

彼は別の塾に移ります。

入試が終わった後に同級生に結果を聞いてみました。

すると柏南を受けていないことが判明。

実は我孫子高校を受けたそうです。

しかもです、前期日程で不合格、後期日程も不合格。

結局は名前が書ければ入れる私立高校に入学。

いつもこういったパターンです。

やはり彼のプライドの高さが招いた不幸です。

プライドの高さ、それは百害あって一利なしです。

・・・・・

プライドの高さが致命的な欠点になるのかが良く分かりますし、塾長がなぜ繰り返し仰るのかは身近なお母様や奥さまがそれに当てはまるからなのですね。母親がプライドが高ければ子供は頭が悪くなるとはこの塾に来なければ知らずに生きる所でした。プライドの高さは百害あって一利なし。親子でこの事をしっかり学び、要らぬプライドは捨てて積極的服従をしていきたいと思います。

・・・・・

反省ではなく反発をするプライドの高い我孫子市民である事を自覚致します。いつもご指摘くださっています。バカな自分のプライドは不要です。反面教師となってくださる塾長から自分の欠点を気付き、塾長の姿勢から学び、少しでも成長できる様に親子で性格矯正を続けて参ります。

・・・・・

塾長が出してくださるご指示は本人が幸せになるために出してくださるご指示です。欠点を治さないままにしておいたら困るのは自分自身です。向上などせずに地獄に墜ちていくだけです。プライドの高さは百害あって一利なしですね。塾長に積極的服従をしていきたいです。プライドなど一切捨てきり、塾長のご指示を守り行動していきたいと思います。

・・・・・

どんなに長所があろうとも、たったひとつ致命的な短所があることで全ての長所を打ち消してしまうとはあまりにも残念なことです。プライドの高さは子供の頭を悪くしてしまうのですね。我が子のためにそんなくだらないプライドなど捨て去るべきですね。私もくだらないプライドがあります。娘のためにクソのようなプライドを捨て去り、積極的服従をすることであり得ない合格を目指したいと思います。

・・・・・

はい。プライドの高さは百害あって一利なし、と教えていただいております。私にはまだまだ要らないプライドがあるのだと思います。先生は親子の姿勢を映す鏡となってくださっています。現状では我が家はありえない合格などなくバカのまま地獄行きなのだと感じております。すべては自分に返ってきます。子供のために要らないプライドは捨て去り親子で先生のご指導に積極的に服従し、まともな人間になれるよう努めていきます。

・・・・・

プライドの高さは百害あって一利なしですね。致命的な欠点について教えていただいた時に、私は1つの短所が全ての長所を打ち消してしまうと指摘していただきました。それはものすごく損ですし自ら不幸を招いていると思います。プライドの高さを改め、先生に積極的に服従することで幸運が巡ってくるかのように良いことが続きますね。とんでもない指示だったとしても、幸運になるのはそれまでが異常だというのも関係するのだと思います。反発するのではなくくだらないプライドを捨てて、積極的服従により成長していきたいです。

・・・・・

プライドの高さは何も良いことなどないですし、百害あって一利なしですね。反省する者と反発する者ではその先の人生が大きく変わることがよく分かります。させられる消極的服従ではなく、自らしようとする積極的服従が大事ですね。要らぬプライドなど捨てられるようにしていきたいと思います。

・・・・・

プライドの高さは自ら不幸を招くものであり百害あって一利なしですね。たくさんの長所があるのに、プライドの高さがその長所を打ち消してしまうのはもったいないです。素直に欠点を治すことができなければ困るのは自分です。無用なプライドなど捨て去り、積極的服従をして欠点を治し成長していきたいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

妻はよく私と結婚してくれたものだと当時も今も深く感謝しています。

いくら感謝してもしきれません。

一般に母1人子1人の家庭に娘を嫁がせてはならないと言われます。

壮絶な嫁いびりが待っているからです。

もちろん我が家も例外ではありませんでした。

よく耐えてくれたと思います。

しかし、妻への感謝は、一番の感謝は実は結婚してくれたことではありません。

私の人生を変えてくれたことです。

私は小さい頃から人を殺すことだけを考えて生きて来ました。

ターゲットは母親と昭和天皇です。

母親からのしつけは今で言うところの虐待です。

父親のいない子だからと馬鹿にされてはいけない、世間様に恥ずかしくないような一人前に育て上げよう、そうしたのは分かりますが、毎日体罰。

だから、物心つく頃には母を殺すことを考えていたほどです。

結局、それを私が実行することもなく母は旅立ちました。

実行するチャンスは何度もあったのに、妻との出会いでそれを思い止まらせてくれたと考えています。

このことは妻は知っていると思います。

しかし、妻が知らない私の過去はたくさんあります。

その一つが読書癖。

妻は私のことをよく知らないから、私の読書癖を知りません。

高校生の頃は多い年には1年間に約1000冊もの本を読んでいたことなど知る訳もありません。

そして、読むために手に入れた一冊が「腹腹時計」でした。

闇出版の冊子を手に入れたのです。

読みまくりましたよ。

内容は全て暗記しました。

結果として覚えてしまいました、爆弾の作り方を。

当時の私の読書は偏っていました。

文学作品も読みましたが、宮沢賢治以外は外国の作品。

目は常に外を向いていましたから、日本文学はあまり読むことはありませんでした。

そもそも漢字も苦手で嫌いでしたから。

ジャンルとしてはノンフィクションのルポルタージュが多く、特に政治思想に関する本をむさぼり読んでいました。

ギリギリそういう時代の子供でしたから。

高校卒業後に書店に就職した小中の同級生には度々本を注文して届けてもらっていました。

当時の私のバイブル的な本は「ゲバラの日記」と「我が闘争」です。

そして、多くの本を読めば読むほど、昭和天皇を戦争犯罪人として憎むようになって行きました。

生かしてはおけない、そのように考えるに至ったことは言うまでもありません。

もちろんそれは自らの浅学が招いた愚かな考えだった訳ですが、当時は本気でした。

そして、これも妻との出会いによってその世界からは離れて行きました。

危険思想の出版物は新宿に扱う店が多かったのですが、妻とのデートコースはいつも神田の古書店街でした。

バレエが大好き、日本文学を好む妻との出会いによって私はそれまでの世界と縁が切れたと言って良いでしょう。

妻と知り合わなければ、私は母を確実に殺していたでしょうし、昭和天皇に対する殺人行為ないしは殺人未遂行為によって、他の者たちと一緒に逮捕されて今頃は刑務所の中と考えるのが妥当です。

そうならなかったからこそ、今も生徒たちを救えているのかも知れません。

妻がいてくれたおかげで犯罪者にならなかった私がいます。

そして、私と出会って生徒たちがあり得ない合格を果たしています。

何人ものお母さんから「奥様にはいくら感謝してもしきれません」と言われます、今でも。

・・・・・

↓はお母さん方や教え子たちからの反応です。

・・・・・

塾長と奥さまはやはり出会うべくして出会い、塾長を違う世界へと導いて下さったのですね。結婚したからといって相手の全てを知る事は出来ませんし、知らなくても良いとも思います。塾長がこの塾を開いて下さったのも様々な方の影響を受けたり、導きがあっての事だと思います。こうして私達が塾長の恩恵を受けられるのも塾長が出会った人々のお陰です。全ての方々に感謝したいです。

・・・・・

先生は小さい頃から人を殺すことだけを考えてきた先生の人生を変えてくださった奥様にとても感謝していらっしゃるのですね。人との出会いで行動が変わり人は変わることができるのだと思います。出会いは縁ですね。今、塾にて先生の下で学ばせていただけるのも先生と奥様との出会いがあってのものと、奥様にも感謝いたします。私も出会いを大切にし成長していきたいと思います。

・・・・・

人生を変えたのは奥様との出会いだったのですね。過去に危険思考に傾いていたとは知りませんでした。奥様の存在はとても大きいですね。もし先生が逮捕されてしまっていては今はないでしょうし、私も既にこの世にいなかったかもしれません。先生にも奥様にも本当に感謝です。人との出会いというのは人生にとって大きなものですね。私も先生に救っていただいた命を大切に生きていきたいです。

・・・・・

先生は奥様と出会って人生が変わったのですね。先生と奥様は出会うべくして出会ったのだと思います。素敵な出会いですね。人との出会いは人生が大きく変わるのだと思いますし、先生が奥様と出会ったからこそ、たくさんの生徒さんを救ってくださっているのだと思います。感謝です。私も人との縁を大事にしていきたいと思います。

・・・・・

物心ついたくらいの頃から人を殺すことだけを考えていたとは胸が痛みます。とてもおつらい日々だったのですね。それを変えてくださったのが奥様とは、出会うべくして出会われた運命の方だったのだと思います。その出会いにより私たち塾生親子が救われているのですね。お二人の出会いに深く感謝いたします。

・・・・・

塾長が偏った読書癖があったとは驚きますが、奥様との出会いによって危険思想から変わることができたのですね。塾長の人生を変えた奥様とは縁で結びついていたのだと思います。今縁あって塾長の下で学ぶことができているのは奥様のおかげなのですね。いただいたご縁を大切にしていきたいと思います。

・・・・・

素敵なご縁があり、塾長は奥様と出会って人生が変わったのですね。塾長と奥様は出会うべくして出会ったのだと思います。塾生親子が塾長のもとで学ばせていただけること、塾長に救われているのは奥様との出会いがあったからなのですね。人と人との繋がりを大切に感謝していきたいと思います。
・・・・・
先生は奥様との出会いがあって今があるのですね。
人生を良い方向へ変えてくれる存在、互いに高めあうことができる相手に出会えるのは、やはり学力が高い者同士の出会いの中にあるのですね。それにしても、危険思想を持っていた先生が奥様との出会いでそれまでの世界から縁が切れたと言っていいとおっしゃるのですから本当に凄いことです。
先生のお母さまだけでなく奥様の存在に深く感謝いたします。

・・・・・

奥様と出会って意識が変わり、偏った世界から違う世界へと導かれたことを感謝されているのですね。そして、奥様との出会いがあったからこそ、塾生の皆さんが救われているのですから、本当に有り難いことです。人との縁は大事ですし、娘も先生とのご縁を頂き、塾に楽しく通わせていただいております。私も出会いを大切にしていきたいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

義父、つまり妻の父にも私はとても感謝しています。

筋を曲げてまでわざわざ群馬まで足を運んでくれたことは、あの日のことは今でも忘れられません。

どこまでも無礼な私の母に対してずーっと落ち着き払っていた義父には本当に感謝です。

その感謝の気持ちを返すのに最も良いことは、孫として男の子が生まれることです。

女しか生まれない妻の家系。

男しか生まれない私の家系。

私との結婚によって絶対に男の子が生まれます。

そして、その通りの結果になりました。

仕事から寄り道せずに帰って来て、生まれたばかりの孫を幸せそうに見つめる義父の顔を忘れることなどできません。

本当に良かったと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その息子は私の親戚からは「光ちゃんの子じゃないみたいだね」と言われてしまうほど私の学力とかけ離れていましたが、私はある時にこの子がこの世に生を受けてくれて良かったと思える事件がありました。

今は人並みの体格になってくれた息子ですが、小学生の頃は背の順に並べは前の方になる小さい子でした。

ある日のことです。

我が家は3階。

外で誰かが叫んでいる声がします。

声の主は息子でした。

クラスの中に外見が決して恵まれていない女の子がいて、その子がクラスのワル3人組にいじめられていたのです。

彼女をかばった息子の怒鳴り声でした。

体の小さい息子1人に体の大きいワル3人組。

怖かったと思いますよ。

でも、息子は怯まずに彼女を守り抜きました。

今でもあの時のことを思い出すと私は涙腺が緩んでしまいます。

あの一件だけでも息子が生まれて来た価値があると思っています。

勉強もできない、親戚から私の子と思われない息子ですが、私の子に生まれて来てくれてありがとうです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以前の妻は塾生のお母さん方が手本にする存在でした。

1人で実家の両親の介護を行っていることを誰もが尊敬していました。

それが今では失望の対象となっています。

妻への期待が大きかったからこその失望でしょうね。

妻に対して呆れているのではなくて、「元の奧さんに戻って欲しい」と口にした保護者が何人もいたほどです。

保護者たちは自分の子供が今あるのが私のおかげと思い、私と出会えることになったのは妻が私の人生を変えてくれたから、みんなそのように考えているからこその失望なのです。

妻はあちこちで私の悪口を言っているでしょうが、私は一切悪口は言いません。

にもかかわらず、塾生のお母さん方が妻に失望したのは二つの事実から。

一つは妻が離婚調停を申請したこと。

もう一つは妻が私の母の一周忌に出なかったこと。

妻は知りません、妻が離婚調停をするかどうか私が仕向けたことを。

それは妻に自分の致命的な欠点に気づいて欲しかったからです。

だから、結婚する時に心に誓ったパワハラ亭主になろうを1段階強化した演技を続けました。

母の一周忌に関しては、息子と2人で行って来ましたと報告したことによって、「奥さんは行きたくなかったんですね」と何人ものお母さんから言われました。

私は妻の悪口は言いませんから、そういう女ではないことを強調しておきました。

それでもやはり出なかった事実が残るためにお母さん方は失望しています。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

妻と知り合って約40年。

出会って間もない頃から現在まで私が妻に対して思うことはただ一つ。

早く気づいて、です。

自分の欠点が家族に不幸をもたらすことに気づいて欲しいのです。

子供は最も接触時間の長い母親に似るのが当然ですから、妻の考えが正しければ息子の偏差値は70を超えたはずです。

もちろん妻の考えが間違っていれば70に達することなどありません。

さて、人間は長い人生の中で逮捕されることは滅多にありませんし、裁判にかけられることもありません。

個人の揉め事に関しては調停という手段があります。

調停を申請した人が申立人、不満に思われた人が相手方。

調停委員は申立人と相手方の双方に対して平等に応対すると思いますか?

一般には建前でそう言われますが、実際には違いますよ。

妻は実態を知りません。

調停委員は申立人の言うことのみを採用し、相手方には発言すら許しません。

それなのに調停が不成立になる場合があります。

なぜだか分かりますか。

申立人の言うことが間違っているからです。

調停不成立になる確率は26%。

それが離婚調停の場合には僅か17%。

つまり、圧倒的多数は申立人の言うことが鵜呑みにされて、最後まで申立人有利のまま進んで調停が成立するのが当たり前です。

にもかかわらず、調停が成立しないとしたら、申立人の主張が根本から間違っているために裁判官が打ち切ったということです。

なぜ私が調停に詳しいのか?

過去に相手方にさせられているからです。

申立人は私の母。

妻との結婚を否定するために調停を申請しましたが、申立人の言うことをそのまま採用するはずの調停委員が呆れてしまって、たった一回で打ち切られました。

2人目の申立人は妻です。

今はもう卒業して塾にはいない学年ですが、妻のことを尊敬しているお母さん方に次のような話をしました。

「私が一生懸命に超パワハラ亭主を演じて、妻が離婚調停を申請するように仕向けました。もしも本当に離婚調停を申請したら、骨の髄まで民度が低い一般的な我孫子市民に成り下がったと考えて下さい。」

彼女たちの口からは次の言葉が出ました。

「奥さんはそんなことしませんよ。したら最低よ、ねえ〜。」

しかし、調停に出るように松戸の家裁からしばらくして連絡がありました。

それを伝えると彼女たちは大いに失望。

妻のことを尊敬していた人たちだけに反動が大きく、失望してやまない感じでした。


その時の調停委員は見事でしたよ。

はっきり言ってバカです。

知識も経験も足りない偏差値の低い奴が2人。

こんな馬鹿どもに審理されるのかと思うと呆れるばかりでした。

もちろん彼らは私には発言させません。

私が何か言おうとすれば強引に遮ります。

妻の言い分のみを私に押し付けます。

こんな連中ですから、せっかくの機会ゆえに楽しまないと損です。

彼らで遊ぶことにしました。

発言がほんの少しでも許された時にはカギになる言い回しは英語を使ってあげました。

それも二つの対立軸を二つとも英語で表現してあげたのです。

当然2人ともチンプンカンプン。

そんな調停が数回行われた後に裁判官が調停打ち切りを宣言しました。

妻の言い分に正当性が全くないからです。

私はこの時も妻に対しては早く気づいてと心の中で思っていました。

調停が不成立に終わったことをお母さん方に告げた時に、どなたも「予想通りの結果に終わりましたね」と口にしています。

彼女たちは妻に失望していたものの、その口から妻の悪口など一切出ませんでした。

言われたのは次の言葉。

「奥さんが早く気づくと良いですね。」

・・・・・

↓はお母さん方や教え子たちからの反応です。

・・・・・

先生が奥様と出会って間もない頃から現在まで思うことはただ一つ、早く気づいてなのですね。調停委員は申立人の言うことのみを採用し、相手方には発言する許さないということを知らなかったです。全く平等ではありませんし、調停する意味がないのですね。自分の欠点が他人まで不幸にすることを忘れずに気がつけるようにしたいと思います。

・・・・・

以前も調停のことについて教えていただきましたが、塾長は調停の相手方となったことがあったので詳しいのですね。奥様に気づいてほしくて離婚調停を申請するようにまで仕向けられたのですね。塾長の気づいての思いが早く奥様に伝わるといいです。

・・・・・

先生は奥様と出会って間もない頃から、欠点が不幸をもたらすことに早く気がついてほしいと思っているのですね。過去に相手方になっているとは知りませんでした。申し立て人の言うことが鵜呑みにされ発言もなく進んでしまっても、内容がバカバカしいゆえにすぐに終わってしまうとは本当に呆れた調停なのですね。せっかくならば楽しんでしまおうという姿勢はさすが先生だなと感じます。奥様が早く気が付き、先生の言葉が伝わることを願います。

・・・・・

先生は長年奥様に自分の欠点に気づいてと願ってこられたのですね。
調停の相手方になっていたとは驚きました。大抵は申立人の言うことが鵜呑みにされ不成立となることの方が少ないのですね。離婚調停の場合は17%とはかなり低いです。先生が相手方になった時は申立人の正当性がなく不成立となったのですね。奥様がそのことに気づいてくださるといいですね。

・・・・・

塾長が調停に詳しいのは過去に相手方になっているからなのですね。調停委員は申立人の言うことのみを採用し、最後まで申立人有利のまま進むのですね。平等ではない調停は全く意味がないことがよくわかります。塾長は奥様に早く気づいてほしくて一生懸命に演技して、離婚調停を申請するように仕向けたのですね。そのように気づきを与えてくださることはとても有難いことだと思います。奥様が早く気づくことができると良いです。

・・・・・

調停委員は申立人の言うことのみを採用し相手方には発言を許さないのですね。そして圧倒的多数は申立人の言うことが鵜呑みにされて、最後まで申立人有利のまま進むのですね。不成立となるのは離婚の場合には17%とかなり低くそれは申立人の主張が根本から間違っているために裁判官が打ち切ったということなのですね。自分の主張が正しいと思っていてもそうでないことはありますからま手遅れになる前に早く気付くことが大切ですね。我が家は子供の偏差値は70ないですからやはり私も間違いに気付いていないことが多々あるのだと自覚します。自分の欠点が家族に不幸をもたらすことにならないように助言やご指摘くださることをありがたく受け入れ、変わっていきたいと思います。

・・・・・

先生は奥様と出会って間もないころから、自分の欠点に気づいてくれることを願って行動してきていらっしゃるのですね。そのことを考えて申立人が有利な調停という場に出るように持って行ったり、当然のことながら実際にその場に出ることもいとわないなど、なかなかできることではないと思います。調停がどのようなものなのかは以前先生から大まかに教えていただいていましたが、申立ての内容に正当性がないことが調停打ち切りにつながることを覚えておきたいと思います。

・・・・・

調停が申立人に有利に進むと以前にも教えて下さいましたが、塾長自身が2度も調停をさせられていたとは驚きました。普通の調停では約7割、離婚調停では約8割強が申立人の意見が通るとは驚愕です。が、どちらも不成立だったのですね。塾長が奥さまと出会ってから40年も「早く気付いて」と願っているとは何と深い愛情なのだろうと思います。私にはとても待てませんし無理な話です。そして私も奥さまが気付いて下さる事を切に願っております。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

警察官は犯人に優しいですか?

警察官は被害者に厳しいですか?

検察官は犯人に優しいですか?

警察官は被害者に厳しいですか?

裁判官は犯人に優しいですか?

裁判官は被害者に厳しいですか?

・・・・・

↓はお母さん方や教え子たちからの反応です。

・・・・・

警察も検察も裁判官も犯人に優しい訳がないです。罪を犯したことを反省するように振る舞っていると思います。被害者には優しくはないかも知れませんが厳しくはないと思います。

・・・・・

警察官も検察官も裁判官も厳しいと思います。被害者には優しいとは違うように思いますが、寄り添ってくれる存在なのでしょうか。犯人に厳しいのは当然のことですし、公平な立場である職業のため厳しさが第一のように思います。

・・・・・

どの職の方々も、法の下、加害者や被害者それぞれに公平な目で見るように務めていらっしゃると思うので、そこには厳しさも優しさも存在しているように思います。まず最初は、犯人には厳しさを被害者には優しさをもって話を聞くところから入っていらっしゃるのではと思います。

・・・・・

警察官も検察官、裁判官も犯人には優しくなどないです。厳しいです。真実を明らかにし被害者には寄り添ってくれるのだと思います。

・・・・・

警察官も検察官も裁判官も犯人には厳しいと思います。真実を追求するためには時に被害者にも厳しくなる時があると思います。

・・・・・

警察官も検察官も裁判官も犯人には厳しいと思います。被害者には優しく寄り添いながらも真実を解明するために時には厳しくなることもあるのかと思いました。

・・・・・

警察官も検察官も裁判官も犯人に厳しいとは、自分が他人から厳しくされた時、それは何を意味していますか?

・・・・・

警察官も検察官も裁判官も犯人に厳しいことや、自分が他人から厳しくされた時、罪の重さを認識させ反省させるように促しているのと、更正させようとしていることを意味していると思います。

・・・・・

警察官も検察官も裁判官も厳しいこと、自分が他人から厳しくされるということは、相手のことを思ってのことで、変わってもらいたい同じ失敗を繰り返さないでほしいという気持ちからだと思います。

・・・・・

他人から厳しくされた時というのは、自分が間違っているということだと思いますし、他人は改めてほしいからこそ厳しくしているのだと思います。

・・・・・

警察官も検察官も裁判官も犯人に厳しいこと、自分が他人から厳しくされた時は、自分がいかに愚かなのかを自覚させ、変わってほしいという気持ちからだと思います。

・・・・・

自分が他人から厳しくされた時、他人は自分を思って、変わって欲しいと思い、それだけ厳しく接するのだと思います。自分を思っての行動であり素直に応じておいた方が自分の為になるのだと思います。

・・・・・

警察官も検察官も裁判官も犯人に厳しいように、自分が他人から厳しくされるのは、自分の間違いを認め悔い改めて欲しいと思われているのだと思います。相手のことを考え、今の自分のままでいてはいけないとご指摘くださっているのですから、そのような時は素直に聞き入れる姿勢でいたいと思います。

・・・・・

厳しくされたとき、相手が自分と真剣に向き合ってくれているという意味を持つと思います。まっとうな道に戻るために必要なこと、これまで自分が目を背けてきたことやいい加減に扱ってきたことに気づかせてくれようと、いかに愚かなことをしてしまったのかに気づかせてくれようとしていると思います。

・・・・・

それは自分が間違えていることが明らかであるという意味だと思います。反発では成長はありません。自覚し、謙虚に受け止め厳しさに感謝し素直にあらためることで矯正されるのだと思います。

・・・・・

自分が他人から訳もなく(と自分では思うのでしょう)厳しくされる時、それは自分が間違っているから、それに気づかせるために他人は鏡となっている訳です。

しかし、その反応は真っ二つ。

反省する者と反発する者。

反省する者は自分自身にも周囲の者にも幸運をもたらします。

反発する者は自分自身にも周囲の者にも不幸をもたらします。

・・・・・

はい。鏡となり、間違えていると気づかせてくださることに感謝いたします。間違いだらけなのだと今朝も気づかせていただきました。自分の間違いを治していきたいです。ありがとうございます。

・・・・・

他人から厳しくされるのは、自分が間違っていることを気づかせるために鏡となってくださっているのですね。間違いのない人間などいません。間違ったときに気づき反省することが大事ですね。反発は不幸をもたらし、反省は幸運をもたらすということを覚えておきます。

・・・・・

自分が他人から厳しくされる時、それは自分が間違っているから、それに気づかせるために他人は鏡となってくれていることを忘れないようにしたいと思います。反発する者は自分自身にも周囲の者にも不幸をもたらすのですね。よく覚えておきます。

・・・・・

他人から厳しくされる時、それは自分が間違っているから、それに気づかせるために他人は鏡となってくださっているのですね。自分で気づかないことを映しだしてくださることは有難いことですし、大切にするべき他人だと思います。反発しては病気が悪化するだけですから感染が広がります。自分自身にも周囲の者にも不幸をもたらしてしまうのだと思います。そのことを忘れないようにしたいと思います。

・・・・・

自分が他人から厳しくされるとき、他人は鏡となって知らせてくれているのですね。しかしその反応次第で自分自身にも周囲の者にも幸不幸をもたらすのですね。自分で自分を不幸にすることを望む人はいないと思います。幸運であった行きたいので、厳しさを素直に受け入れ反省をもって改めていけるようにしていきたいです。

・・・・・

仰る通りですね。自分の鏡となって相手は気付かせようとして厳しくしてくれるのだと思います。それを有難いと思って反省するか、理不尽だと思って反発するかで自分の人生は大きく変わってしまいます。周囲の者を不幸にしない為にも引き続き自分自身の矯正を続けていきたいと思います。

・・・・・

他人から厳しくされる時は、自分が間違っているから鏡となって気付かせるようにしてくださっているのですね。わざわざ鏡となってくださっているのに反発などするのは愚かです。自分の行いを反省し間違いを正す努力をするべきなのだと思います。反省は自分と周りの人に幸運をもたらすことができるのですね。

・・・・・

他人様がわざわざ鏡になってくれていることに気づくこと、そしてそこにある自分の間違いに気づき反省することがないと、自分だけでなく周囲の者にも不幸をもたらすのですね。反発にエネルギーを使うのはもったいないですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

皆さんの周りに群馬県人がいて、もしも嫌な奴に見えたら、それは自分の姿ですよ。


・・・・・

↓はお母さん方や教え子たちからの反応です。

・・・・・

義理人情に厚い群馬県の方々です。それが嫌な奴に見えたとしたら自ら嫌われ者になろうと自分の鏡となってくださっているという事ですね。ずっと塾長がそうしてくださっています。忘れないように致します。

・・・・・

そうですね。そのように何度も教えて頂いています。先生自らが鏡になってくださっているのですね。嫌な奴に見えたら、自分の姿であることをよく覚えておきます。

・・・・・

そうですね。群馬県の人は自分の鏡です。正直には正直を、嫌な奴には嫌な姿を返してくれる県民性だと思います。それは相手の気持ちに応えようとしてくれているからこその姿だと思います。

・・・・・

群馬県人の方々は鏡になってくれているのですね。私の周りに群馬県の方は塾長だけです。塾長は塾生親子の鏡であるとお聞きしております。自分の姿をしっかり自覚していきたいと思います。

・・・・・

群馬の方は嫌なやつと思われようとも相手の方のために鏡となってくだるのですね。周りに群馬の方はいませんが、嫌なやつとはそのまま自分のことなのだとよく覚えておきます。

・・・・・

はい。先生からそのように教えていただいております。もしも嫌なやつに見えることがあれば自分が間違えているのだと示してくださることに感謝し自分の姿を 省みます。

・・・・・

群馬県の方は鏡になってくださいます。相手が嫌な奴に見えたら、それは自分の姿ですね。自分の姿勢を映して気づかせようとしてくださることはとても有難いことです。

・・・・・

常日頃から私達の鏡となって教えて下さる塾長のように、群馬県人の方々も同じように私達に自分自身の嫌な所を教えて下さっているのですね。有難く受け取り、自分自身の成長に繋げていきたいと思います。

・・・・・

はい。群馬県の方は自分の姿を鏡になって映してくださいます。ご自身が嫌なやつになってで気づきを与えてくださることはとても有難いことです。反省し、自分を変えていきたいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

福澤諭吉と聞いたら、大抵の人は次の言葉が頭に浮かぶでしょう。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」

確かに有名です。

ですが、あれはまだ文の途中であることをご存知でしょうか。

「学問のすゝめ」を読んでいれば、その冒頭にある言葉ですから、誰でもいきなり気づきます。

実は「と言へり」が続くのです。

「と言へり」とは「と世間では(アメリカでは)言われています」、そう解釈して下さい。

これがないと、あの言葉が意味するものはまるで福澤の考えであるかように思われてしまいます。

「と言へり」の四文字があるかないかで解釈が180度も変わってしまうのです。

言葉は、特に日本語は最後まで聞かないと意味がありません。

実はこれと同じことを私自身を例にして話を進めてみます。

約40年前のことです。

私の母は私が妻と結婚することに猛反対していました。

ある時の電話です。

私と次のような話を展開しました。

「2人姉妹の長女なんか嫁にもらって、向こうの親の面倒は誰が見るんだい。」

「分かり切ったことを聞くんじゃねえよ。」

妻にはここまでしか話していません。

実はこの続きがあるのです。

「私に似た感じの娘さんなんだろう。あの娘さんはお母さんと同じでプライドが高いんだったら、おまえが不幸になるよ。いいかい、おまえのお父さんはお母さんと結婚したばかりに29で死んでしまったんだよ。」

「初めから不幸の人生だよ。今更不幸なんて気にしたって無意味じゃないか。」

母は二重人格かと思うくらいヒステリーを起こして我を忘れてしまう面と冷静に物事を分析する面の二つを持ち合わせている女でした。

残念ながら妻は前者の母の姿しか知りません。

父と同い年の母は29歳で未亡人となって、それからずーっと山田家を守って来ました。

貧しさの残るあの時代に亭主のいなくなった女への風当たりは物凄いものでしたから、冷静な分析能力がないと困難を乗り切ることなどできなかったということです。

母が自分自身を含めて考えていたのは生まれ順による性格の良し悪しです。

母自身がそうだったので、特に第一子の長女には二つのタイプがあることを常々私に話していました。

プライドが高い女とそうでない女の違いです。

プライドの高い第一子の長女は誰かを必ず不幸にする、特に死をもたらすと母は常々口にしていました。

逆にプライドの高くない第一子の長女は男を幸せにすると見ていた訳です。

妻のプライドの高さは伝えておいたので、母はそのことを心配していました。

プライドの高い第一子の長女である母と結婚していなかったら父は29歳の若さで死ぬことなどなかったと母は結論づけていましたから、同じくプライドの高い第一子の長女である妻と結婚すれば、私ないしは私の子供に死がもたらされることを心配していた訳です。

妻と知り合う前に私は二度死に瀕しています。

妻と結婚してからは三度死にかけています。

人生の中で五回も死にかけるなんてただの偶然で済まされることではありません。

とは言え、現実に私は生きています。

では不幸はこれから誰に?

・・・・・

↓はお母さん方や教え子たちからの反応です。

・・・・・

学問のすゝめにはと言へりという言葉が続いていたとは知らなかったです。日本語は最後まで聞かないと意味がないのですね。途中で判断することのないように気を付けたいと思います。先生のお母様は先生がご結婚される際に反対されていたのですね。第一子の長女は二つのタイプに分かれ、プライドの高い人は他人にまで不幸にしてしまうのですね。先生のお母様自身が自分に気がついたからこそ、先生に伝えたのだと思いました。第一子の長女なので、他人まで不幸にしないように気を付けたいと思います。

・・・・・

日本語は最後まで聞かないと意味がないと言うことを福沢諭吉さんの言葉を例にわかりやすく教えてくださりありがとうございます。お母様はご結婚に反対されたのですね。私自身も子供の結婚には一度は反対すると決めています。それでダメならそれまでです。第一子の長女がプライドが高いのは納得です。私自身も見事に当てはまります。その様に育てられてきたことも理由の一つです。これまで塾長にもプライドの高さを常々ご指摘いただいてます。主人を不幸にしないことは姑への親孝行と子供達へ良い影響を与えられると思います。人は変われると信じて性格矯正に努めます。

・・・・・

福沢諭吉の有名過ぎるあの言葉に続きがあるとは知りませんでした。日本語は最後まで聞かないと解釈が変わってしまうという事をしっかりと覚えておきます。
塾長のお母様は物事を冷静に分析する目をお持ちだからこそ息子が自分と同じような不幸になるだろうと分かっている奥さまと結婚させたくはなかったのですね。誰しも息子や孫を死なせたくはないですから。奥さまは塾長のお母様の真意を汲み取る事が出来ないままでお母様は亡くなられてしまったとは本当に残念です。

・・・・・

日本語は最後まで聞かなければ意味がありませんね。「と言へり」があるかなないかで真逆ですし途中までで解釈することは危険だと思います。気をつけたいです。先生のお母様は、物事を冷静に分析する目でご自身のことを考えられ、プライドの高い第一子の長女はやめておけと猛反対されたですね。人が亡くなるほどの不幸は恐ろしいですし、先生やお孫さんが不幸になるのを見ていられないと思ったのだと思います。私は第一子ではありませんが、女で無駄なプライドがあります。周囲の人間や家族を不幸にしてしまう人間にならないように改めたいですし、先生からいただいた生きる機会を大切にし、先生や誰かに役立つ人間になれるよう学び続けたいです。

・・・・・

言葉は最後まできちんと確認しなければ解釈が180度間違えてしまうことがありますね。きちんと確認していきたいと思います。先生のお母さまは冷静に物事を判断されることに長けていらっしゃり、お家を守ってこられたのですね。そのお母さまが先生の命を心配し、ご結婚の前にプライドの高い女は誰かを不幸にすると苦言を呈していらしたのですね。周りの人を不幸にしたい人などいません。

・・・・・

福沢諭吉の有名な言葉には「と言へり」と続くのですね。知りませんでした。その文字があるかどうかで解釈はかなり変わってしまいますね。言葉はしっかり最後まで見なくてはならないとよく分かります。
先生のお母様は、ご自身が第一子の長女で周りを不幸にしてしまうのだと分かっていらしたので、同じ状況の奥様とのご結婚を猛反対されたのですね。先生が5回も死にかけていたとは大変驚きました。しかし何度も助かりお元気でいてくださっています。そのおかげで塾生達を救ってくださっていることに深く感謝いたします。


「と言へり」があるかないかで解釈が180度変わってしまうのですから、日本語は最後まで聞くことがとても大事ですね。お母様は第一子の長女には二つのタイプがあることを話されていらっしゃったのですね。親としてプライドの高い第一子の長女と結婚することの心配をされるのは当然と思いますが、塾長は承知の上で結婚されたのですね。いつも相手のことを思い行動される塾長だからこその事と思います。

・・・・・

学問のすゝめを読んでいれば、天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずの後には「と言へり」と続くことが誰でも気づくことなのですね。読んだことがない母親です。恥ずかしいです。日本語をきちんと最後まで聞かなければ意味がないですね。途中で自分勝手に判断することをしないように最後まできちんと聞くことをしていきたいと思います。塾長のお母様はご結婚に反対され、プライドの高い第一子の長女は誰かを不幸にする、特に死をもたらすとご指摘くださっていたのですね。私は2人姉妹の長女です。自分では気づかないうちに周りにいる人を不幸にしてしまっているのかもしれません。プライドなど捨てきりたいです。塾長のもとで学びながら矯正に努めていきたいです。

・・・・・
物事を正しく理解するには内容を最後まできちんと聞こうと、知ろうとすることも大事ですし、もしかしてその先にも大切なことが隠れているのではと想像することも大事に思います。学問のすすめの冒頭部分は読んだことがあったので、有名な一節の先があることは知っていました。
先生のお母さまですが、生まれ順での性格の良し悪しを冷静に分析なさり、我が子やその子の命が奪われることなく、幸せを願った言葉を先生にお話になっていらしたのですね。それはご自身の性格の自覚がなければできないことですね。夫が早くに亡くなったのはプライドの高い第一子の長女である自分と結婚したからだとはなかなか言えるものではないと思います。私はお母さまと同じ立場の第一子の長女です。自分の性格を再度自覚して、誰かを不幸にすることや死に近づけることの無いようにと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

大河ドラマ「花燃ゆ」は覚えているでしょうか。

後半は吉田松陰の妹である文が今で言う知事となった夫とともに「難しい土地」群馬に移り住みます。

そこで阿久沢せいから冷たい仕打ちを受け続けます。

しかし、それは自分の本心を決して表に出さない文に対して自分が鏡となって、文が自らの欠点に気づくまで待つというものでした。

そして、文が初めて本気でしゃべった時に「気に入った!」と叫びます。

他人の鏡になるという県民性、それを群馬県人でない4人の女性脚本家は見事にその特徴を描いていました。

私も同じです。

妻と結婚する時に自らに誓ったことがあります。

当時はそのような言葉はなかったと思いますが、モラハラ亭主・パワハラ亭主になろうと決めたのです。

妻に唯一の欠点であるプライドの高さがみんなを不幸にすることに気づいて欲しかったからです。

実は亡くなった母も妻に対して半分は同じでした。

妻にしてみれば、私の母は結婚に猛反対し、執拗な嫁いびりを続ける悪でしかなかったと思います。

ですが、妻も気づいているはずです。

ある時から母の嫁いびりがピタッとなくなったことに。

母が諦めた瞬間でした。

実は私の母もとんでもなくプライドの高い女だったのです。

そのプライドの高さが家族を不幸にしてしまったこと生涯悔いていました。

第一子の長女は男を幸せにするタイプと不幸にするタイプの二つに見事に分かれます。

後者の共通点がプライドの高さです。

第一子の長女のプライドが高いと男を不幸にすること、父を死に追いやったことを母は悔やんでも悔やみ切れないでいました。

ある時の母との電話です。

「私に似た感じの娘さんなんだろう。あの娘さんはお母さんと同じでプライドが高いんだったら、おまえが不幸になるよ。いいかい、おまえのお父さんはお母さんと結婚したばかりに29で死んでしまったんだよ。」

「初めから不幸の人生だよ。今更不幸なんて気にしたって無意味じゃないか。」

妻と結婚したのはもちろん私の一目惚れが大きかったからです。

そして、妻に話したことがない理由がもう一つあります。

バナナマンの日村勇紀さんは神田愛花さんにプロポーズする際に「僕を幸せにして下さい!」と言ったそうです。

私は妻にプロポーズはしていません。

自然な流れで結婚しましたから。

ですが、心の中では妻に対して思っていました。

「私を不幸にして下さい。」

妻は男を不幸にする典型的なタイプです。

本人はそのことに気づいていません。

私と出会わなければ、きっと良縁に恵まれたかも知れません。

しかし、その嫁ぎ先を不幸にするのは間違いありません。

誰かこの世の1人が不幸になるなんて避けなければなりません。

どうせなら私をさらに不幸にしてくれたら、不幸になる人をこの世から1人減らすことができます。

上記の母との会話の中で私が話し続けたのはそういうことでした。

電話を切る前に言ったのは次のことです。

「何十年か経って、私が死んでいるか、私が死ぬような辛い思いをしているか、私が妻子と離れて暮らしているか、その一つでも当てはまれば、私の見立てが正解だった証明になるよ。」

一つどころか二つ当てはまっています。

今塾内にいる人たちに共通するのは次の意識。

・我孫子になんか引っ越して来るんじゃなかった
・どうして我孫子になんか生まれてしまったんだろう

何回も指摘しましたが、我孫子の、我孫子だけの地域性は「謝」の字がないことです。

感謝の「謝」。

謝罪の「謝」。

そして、我孫子には「反省」の二文字がありません。

同じ二文字でも、あるのは「反発」。

元々プライドが高い妻は我孫子に引っ越してから、プライドの高さが強まる一方でした。

すっかり一般的な我孫子市民になってしまいました。

妻に自分の欠点に気づいて欲しいがために私が鏡でいればいるほど、彼女は反発しかしませんでした。

互いに残り少ない人生です。

妻には何とかして自分の致命的な欠点に気づいて欲しいと願っています。

息子がかわいそうですから。

・・・・・

誰もが幸せを望みますが、自分が不幸になることで1人でも不幸になる人を減らそうと塾長は考えられたのですね。塾長は奥様のプライドの高さに気づいてほしくて、鏡となってパワハラ亭主になろうと決めて結婚されたのですね。鏡に映っている自分の欠点には無意識に見ないように気づかないようにして、反発しかなければ周りをも不幸にしてしまうのだと思います。人は完璧ではありません。自分の欠点に気づき素直に認め反省して、治そうと努力する姿勢を持っていたいと思います。

・・・・・

花燃ゆで、文が冷たい仕打ちを受け続けたのは群馬県民の自分が鏡となって文が自らの欠点に気づくまで待つというものからなのですね。先生は幸せを願うのではなく、この世の1人を不幸にさせないようにと考えられ、鏡となってくださっていたのですね。反発しかしなければ成長などしません。謝の字を忘れずに反省できるようにしたいと思います。

・・・・・

大河ドラマの花燃ゆで主人公の文は難しい土地、群馬に移り住む物語だったのですね。人の成長のために自分を出さず反面教師となるのは群馬県人の特徴なのですね。奥様にも塾生親子にも欠点に気がついて欲しい一心で反面教師となってくださっているのだと改めて感じ、学習能力のなさに申し訳なく情けなく思います。私も我孫子に住んで長くなってしまいすっかり染まってしまっております。塾長の群馬の価値観に触れる事で間違った感覚を正したいです。例え頭が悪くても感謝の謝、謝罪の謝があれば世の中何とか生きていけます。塾長のご指示を守り性格矯正を続けて参ります。

・・・・・

塾長の結婚が自身の犠牲の上に成り立ち、そうなる事を予想しながらも「他の人を不幸にしてはならない」と思って結婚したとはただただ驚くばかりです。そして塾長の力を持ってしても奥さまは自分のプライドの高さに気付くどころか我孫子の土地も相まって益々プライドが高くなってしまわれたのですね。日頃から塾生親子の鏡となってご指導下さることで沢山の事を気付かせていただいております。そのきっかけを下さる事に感謝申し上げますし、引き続き親子で「謝」を忘れずに矯正に努めていきたいと思います。

・・・・・

先生は奥様に対してはパワハラ亭主になることでお姿を映す鏡となられたのですね。それはプライドの高さに気付いてもらいたいからなのですね。しかし我孫子に触れ我孫子の謝のなさ、反省するどころか反発するばかりであることも加わりさらにプライドが高くなってしまわれたのですね。我が家も我孫子に住んでいましたので要らないプライドがさらに高くなってしまっているのだと思います。子供を不幸にはしたくないです。母親がプライドを捨て謝の気持ちをきちんと表し、反発するのではなく謙虚に反省する姿勢をもちたいと思います。鏡となり、姿を映し出してくださる先生に感謝いたします。

・・・・・

群馬県人は他人の鏡になることで姿勢の誤りを教えて下さいます。先生はご結婚される時、私を不幸にしたくださいと他の人が不幸になるならばと考えられていたり、奥様に対してパワハラ亭主になることを決め、息子さんのためにも奥様が気が付き変われるよう行動されているのですね。我孫子の謝の字のない地域性は恐ろしいですし、私も先生の鏡から自分の欠点に気が付き改めていきたいです。

・・・・・

花燃ゆは、文の欠点を群馬県民が鏡となって気付かせたとは群馬県民をよく理解された脚本家の方々なのだと思います。先生も奥様との結婚の際にパワハラ亭主となり奥様のプライドの高さが周りを不幸にしていると気付かせようとされたのですね。お母様に第一子の長女であるからと猛反対されても、先生ご自身が不幸になることを覚悟されてのご結婚とは大変驚きました。他の方を不幸にするなら自分が不幸にとはなかなから考えられることではありません。奥様への深い愛を感じます。私も第一子の長女ですので周りを不幸にしているのだと自覚しております。我孫子に引っ越してからさらにそれはひどくなっています。日々2つの「謝」と「反省」を忘れずに自分自身を変えていかなくてはと思います。教えてくださりありがとうございます。

・・・・・

群馬県の人たちは他人の鏡になってくださいます。それはとても有難いことです。塾長は奥様がプライドの高さに気づいてもらいたいと願い鏡となって敢えてパワハラ亭主になろうと自ら誓ったのですね。第一子の長女は男を幸せにするタイプと不幸にするタイプの二つに見事に分かれるのですね。私は第一子の長女です。自分では気づかぬうちに人を不幸にしてしまっているのだと思います。我孫子で育ってきてしまったので、反省の二文字がなく、謝の字もない、反発しかない人間なのだと思います。そのような性格から変われるよう、鏡となって映してくださる塾長に感謝し自分の姿勢を正していきたいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以前妻から新木にある妻の実家で親子3人が一緒に暮らさないかと提案がありましたが、私がそれに応じることはありませんでした。

なぜ?

柏に住居が必要だからです。

桜台という名の通りに土地が高くなっているところに住む場所が必要なのです。

なぜ?

緊急時に妻や息子が暮らすための場所を確保しておかなければならないからです。

妻はそんなことすら考えたことがないと思います。

我孫子のハザードマップを見れば全てが明らか。

例えば我孫子市内で南青山は真っ赤っか。

しかし、隣りの青山台は赤く塗られてはいません。

地名の通りに土地が高くなっているからです。

妻の実家は真っ赤に塗りつぶされた区域にあります。

しかも南青山より遥かに利根川に近いのです。

もしも利根川が決壊したら、平成27年9月に茨城県常総市で鬼怒川が決壊し大洪水のために死者2名、1644棟が全半壊となった事件と同じことが、否、川の規模を考えたらそれを遥かに超える甚大な被害は避けられません。

妻の実家周辺の人たちの殆どが死んでしまう状況になるのは明らかです。

令和元年に南房総市で多くの家屋から屋根が吹き飛ばされてブルーシートだらけの街になってしまう台風の被害がありました。

実はあの時に我孫子に面している利根川はどこも決壊寸前でした。

国土交通省が利根川の堤防に設置した中継カメラの映像はいつでも見られますから、私はあの時も絶えず注視していました。

あの時は利根川に近い地域に自宅がある数軒の生徒や保護者から万が一の時は塾に避難させて欲しいと言われるほど命の危険が迫っていた訳です。

たまたま決壊しなかっただけです。

繰り返しますが、利根川までのあの近さですから、堤防が決壊していたら妻の実家周辺の人たちは殆ど死亡です。

逃げる間もありません。

だから、私が柏を離れることができないのです。

妻と息子を守るために柏で私が生活しておかなければならないのです。

もちろんこのことは妻に話したこともないので、彼女は全く知りません。

それどころか、一緒に住むことを提案したのに応じない私をさらに悪者に仕立て上げていることでしょう。

それで構いません。

私の役割は生徒や保護者に対して嫌われ役・憎まれ役に徹することです。

それは家族に対しても同じです。

・・・・・

先生は奥様と息子さんの命を守るために今の柏に居住されているのですね。先や災害時を考えて備えてくださることはありがたいことです。大切な人の命をまもるためという真実を知らずに先生を悪者にしているのであれば寂しいことですね。真実に気付き感謝していきたいです。実際に確かめること、アンテナを張ることをしていきたいと思います。

・・・・・

そのようなお考えで柏に住居を置いているのですね。数年前に台風の影響で利根川が決壊しそうになった事があり、あの辺りに住む方々が本当に心配になりました。塾長は有事に備えて様々な事に考えを巡らせていらっしゃるのですね。家族を守る為にという思いを奥さまが気付いて下さる日が来る事を願っております。私も物事を一方向から見ずに複眼的思考が出来るよう心掛けたいと思います。

・・・・・

我孫子市はハザードマップでも危険地帯となっている地域がとても多いですし、利根川が氾濫したら多くの地域が犠牲になりますね…どんなときにも命を守ることを最優先してくださる先生だからこそ、様々なことを考えて嫌われ役・憎まれ役に徹してくださっているのだと思います。先生のように多方向から物事を見て判断し、真意を理解し感謝の気持ちを忘れないようにしていきたいです。

・・・・・

塾長が柏に住居を置いているのは緊急時にご家族を守るためなのですね。災害はいつあるか分かりませんし、今までなかったからこれからも大丈夫だとは限りません。我が家も危険な場所に住んでいますので、備えはしておかなければなりません。先のことを考えてくださる方がいるのはとても心強く有難いことだと思います。

・・・・・

先生は災害時のことも考えご家族で暮らすことをせず、柏のお住まいを確保されているのですね。新木は息子の学校もありましたがとても土地が低いので私も大雨の時などは心配でした。我孫子に転居してくる時に布佐方面の家も見ましたが土地の低さと震災の時の液状化の記憶があったのでやめたのを覚えています。ハザードマップを見れば恐ろしいことがすぐに分かりました。利根川が氾濫寸前だったあの恐怖、野田の実家に向かう農道が湖になったあの景色はとても忘れられません。そういった危険からご家族を守るために同居を拒み、悪者になってもいいのだとおっしゃる先生を尊敬いたします。

・・・・・

先生は万が一のことを考え柏に住居を持たれているのですね。令和元年の台風の時は、本当に利根川はいつ決壊してもおかしくなかったです。先生のおっしゃる通り、たまたましなかっただけですね。南青山は土地が低いため、決壊すれば一瞬で家が飲み込まれますし、母からも逃げる時間はないということを教えて貰いました。万が一をきちんと考えて、住む場所を作ってくださっていることは本当にありがたいことだと思います。そのようなことにきちんと気が付けるようになりたいです。

・・・・・

先生がご家族の緊急時のことを考えて柏の住居を動かれていないことを今回初めて知りました。ご家族を守るため、言葉にしなくても行動で示すことをされているのですね。先生が嫌われ役・憎まれ役に徹することを貫いてくださっていることで、これまでどれだけの人が救われこの先も救われるのかと思います。
私自身、家族への在り方を考えさせられました。

・・・・・

塾長は奥様と息子さんを守るために柏に住居を置いているのですね。そのように住居を考えたことがなかったです。教えてくださりありがとうございます。嫌われ役・憎まれ役に徹して塾長は常に命を守ることを一番に考えてくださっています。感謝しありません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

結婚は男女の価値観が同じでないと長続きしないと思いますか?

世間の多くの人はおそらくそう思っているでしょうね。

勘違いも甚だしいですよ。

価値観が違う者同士が結婚する方が長続きするのです。

価値観の同じ男女がするのが恋愛結婚。

価値観の違う2人が出会って結婚するのが見合い結婚。

恋愛結婚の離婚率は40%以上。

見合い結婚の離婚率は約10%。

大きな差があります。

恋愛結婚の離婚率が高いのは、家庭の支配者になる妻に夫が耐えられなくなるからです。

もちろん逆もあるでしょう。

それに対して、価値観が違っていても、互いに努力を継続するのが見合い結婚です。

2人の妥協点を見極めたり、片方がもう片方に合わせたりします。

争わないのです。

概して妻が夫を立てます。

双方が主導権を握ろうと無駄な努力をしないから離婚率が低いものです。

だから、恋愛結婚でも見合い結婚のような姿勢でいたら長持ちするはずです。

・・・・・

↓はお母さん方や教え子たちからの反応です。

・・・・・

仰る通りだと思います。結婚は努力なくして続かないのかもしれないですね。妻次第なのだと思います。我が家はお見合いではなく恋愛結婚ですので夫婦喧嘩をたくさんしましたし、家出をして義母が職場に迎えに来た事もあります。とても恥ずかしい事です。結婚相手は自分自身で選べる唯一の相手です。だからこそ多くの葛藤があって当然なのだと思います。

・・・・・

朝からとても勉強になります。先生は多くの塾生のご家族を見ていらしたので分かることがあるのだと思います。恋愛結婚でも見合い結婚のような互いに努力を継続し主導権を握ろうとしない姿勢でいたら長持ちするはずなのですね。我が家の現状は結局は私の努力不足が原因なのかと思います。親しき仲にも礼儀ありではないですが一番近い他人ですから欠かさぬ努力が必要なのだと思います。

・・・・・

我が家は既に争いだらけです…見合い結婚の方が離婚率は低いのですね。塾長はこれまで母達の愚痴を散々聞かされて来たでしょうから尚更感じる事が沢山ある事とお察しいたします。妻が夫を立てる事が結婚を長続きさせる秘訣なのですね。個人的にとても耳の痛い話です。

・・・・・

恋愛結婚の離婚率は40%以上で見合い結婚の離婚率は約10%とは知らなかったです。どんな状況でも手を取り合って、協力し合える人同士が長続きするということですね。よく覚えておきます。

・・・・・

恋愛結婚の離婚率は40%以上もあり、見合い結婚の離婚率は約10%と低いのですね。お互いに主導権を握ろうと無駄な努力をしないから離婚率が低いのですね。妻が支配者になるようでは耐えられなくなるのは当然ですね。夫を立てているか自分の姿勢を省みたいと思います。

・・・・・

よく離婚理由に性格の不一致がありますが、あれは離婚を切り出す側の努力放棄という意味です。

・・・・・

性格の不一致は離婚を切り出す側の努力放棄という意味なのですね。よく覚えておくようにします。

・・・・・

価値観の同じ男女がするのが恋愛結婚で、価値観の違う2人が出会って結婚するのが見合い結婚なのですね。離婚率に大きな差があるとは思いませんでした。離婚理由に性格の不一致を切り出すのは、努力を放棄したという意味なのですね。我が家に争いが少ないのは主人のおかげと思っています。感情的になりやすい私をやんわりとかわすことで喧嘩にならずに済んでいます。不平不満を言わない主人に感謝です。

・・・・・

恋愛結婚の離婚率が40%に対し、お見合い結婚の離婚率は10%ほどとは知りませんでした。お見合い結婚の夫婦は価値観が違っても互いに努力を継続するのですね。私は努力も我慢も足りなかったのだと思います。同じ過ちを繰り返さないよう、主導権を握ろうと無駄な努力をせず夫を立てる姿勢でいようと思います。

・・・・・

恋愛結婚は離婚率が40%以上もあるのですね。昔、祖父母に見合い結婚の話を聞いたことがあり、お互いに努力することが大切で寄り添い合わないとと教えられました。どちらかが努力を怠ったり主導権を握ろうと争うことは離婚の原因ですね。恋愛結婚でも見合い結婚のようにしていれば長持ちすることを覚えておきたいです。

・・・・・

離婚理由に性格の不一致がありますが、あれは離婚を切り出す側の努力放棄という意味なのですね。何となくわかる気がします。そして理由を考えるのさえも放棄しているように感じます。

・・・・・

離婚理由の性格の不一致というのは離婚を切り出す側の努力放棄という意味なのですね。夫婦は他人同士なのですから不一致は当然だと思います。それを理解し、うまく合わせる努力も必要なのだと思います。

・・・・・

離婚率のこの様な差があるのですね。お見合い結婚の方が寄り添え合えるのでしょうか。離婚理由の性格の不一致は離婚を切り出す側の努力放棄なのですね。その様に考えた事はありませんでした。何事も努力が必要ですね。

・・・・・

恋愛結婚とお見合い結婚の違いは、その結婚生活や離婚率に結構な差として表れているのですね。生理的に受け入れられないことさえ起らなければ問題ないと漠然と思っていた若い頃。自分のバカさに気が付いていなかったことに大いに後悔している今日この頃です。結婚生活は自己中心的な考えしかなかったり聞く耳を持たなかったり相手の価値観を尊重しようとしないのならばうまくいかないですね。そして、家庭内の主導権を取ろうと無駄な努力をしてエネルギーを使うことはここでも不要なことなのだと思います。女性が賢くあることは大事なことですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

改めて千葉と群馬を比べて下さい。


以下は以前見つけた47都道府県の順位です。


戦後首相輩出数 

1位  群馬県  4人
3位  東京都  2人
3位  神奈川県 2人
6位  千葉県  1人
47位  茨城県  0人
47位  埼玉県  0人
47位  栃木県  0人


教職員数

左から都道府県内総数、人口1000人あたり

24位 群馬県 19,644人 9.79人
34位 栃木県 18,619人 9.28人
35位 茨城県 27,172人 9.18人
41位 千葉県 46,967人 7.65人
45位 埼玉県 49,210人 6.90人
46位 神奈川県 56,195人 6.28人
47位 東京都 75,708人 5.88人


全国学力テスト中学生正答率

左から正答率、都道府県別偏差値

7位  群馬県 64.8% 58.62
11位 東京都 64.2% 55.21
12位 茨城県 64.0% 54.07
18位 神奈川県 63.6% 51.79
24位 栃木県 63.0% 48.38
29位 埼玉県 62.6% 46.10
31位 千葉県 62.4% 44.96


校内暴力発生件数 下位ほど良い

左から都道府県内総数、小中高生1000人あたり発生数

2位  神奈川県 8,549件 9.49件
10位 茨城県 1,935件 6.28件
11位 千葉県 3,919件 6.20件
23位 栃木県 833件 3.94件
27位 埼玉県 2,225件 2.99件
33位 東京都 2,774件 2.28件
41位 群馬県 276件 1.31件


中学生長時間部活率 下位ほど良い

1位  神奈川県 21.0%
4位  千葉県 17.2%
10位 埼玉県 12.8%
30位 東京都 9.3%
31位 栃木県 8.8%
32位 群馬県 8.6%
33位 茨城県 8.5%


中学男子サッカー部員数

人数、男子中学生100人あたり

1位  茨城県 6,454人 15.98人
4位  埼玉県 14,252人 14.55人
6位  千葉県 11,524人 13.93人
13位 栃木県 3,736人 13.54人
20位 神奈川県 15,240人 12.98人
21位 群馬県 3,615人 12.97人
29位 東京都 18,524人 12.00人


高校サッカー勝率(直近10年)

1位  群馬県 73.53%
2位  千葉県 70.97%
8位  栃木県 62.96%
13位 茨城県 56.52%
15位 神奈川県 54.55%
18位 東京都 53.49%
20位 埼玉県 50.00%


甲子園勝率(直近10年)

3位  神奈川県 63.83%
4位  埼玉県 63.04%
6位  群馬県 57.78%
9位  栃木県 56.76%
10位 東京都 56.63%
14位 千葉県 53.85%
38位 茨城県 36.00%


ピアノ普及率

2位  群馬県 34.2%
3位  栃木県 34.0%
14位 茨城県 27.2%
25位 神奈川県 25.4%
26位 千葉県 25.2%
33位 埼玉県 24.3%
36位 東京都 23.3%


労働時間 下位ほど良い

1位  神奈川県 495分
3位  千葉県 490分
4位  埼玉県 488分
8位  東京都 485分
14位 栃木県 482分
23位 群馬県 477分
24位 茨城県 476分


都道府県民平均所得

1位  東京都 443.45万円
4位  栃木県 322.66万円
10位 群馬県 310.58万円
11位 茨城県 310.25万円
17位 千葉県 295.12万円
19位 神奈川県 291.33万円
21位 埼玉県 288.34万円


1世帯あたり負債額 下位ほど良い

1位  神奈川県 711万円
2位  埼玉県 668万円
3位  東京都 654万円
5位  千葉県 629万円
10位 茨城県 538万円
20位 群馬県 493万円
27位 栃木県 471万円


在日朝鮮人率  下位ほど良い

左から都道府県内総数、100人あたり

4位  東京都 96,099人 0.72人
10位 神奈川県 29,855人 0.33人
15位 千葉県 16,252人 0.26人
18位 埼玉県 17,084人 0.24人
23位 茨城県 4,866人 0.17人
28位 栃木県 2,700人 0.14人
29位 群馬県 2,685人 0.14人


重要犯罪認知件数 下位ほど良い

人口1万人あたり

3位  東京都 1,843件 1.38件
5位  埼玉県 970件 1.34件
7位  千葉県 736件 1.19件
13位 神奈川県 927件 1.02件
15位 茨城県 284件 0.97件
21位 栃木県 173件 0.87件
22位 群馬県 163件 0.82件

・・・・・

↓お母さん方や教え子たちからの反応です。

・・・・・

これだけのデータをお調べ下さってありがとうございます。全てにおいて群馬県が優れているのが分かります。サッカー人口が多くても勝率が悪いのですから指導力がないのも一目瞭然です。改めて千葉県のダメさ、民度の低さが良く分かります。そしてこの塾で群馬県のご指導を直接受けられる事に感謝致します。

・・・・・

千葉県と群馬県を比べると何に対しても千葉県は劣っていることがよく分かります。関東圏の中でも悪い結果ばかりの千葉県と環境、教育全てにおいて全く異なる群馬県とでは雲泥の差です。狂った千葉県で育ったことをよく自覚したいと思います。

・・・・・

全てにおいて千葉県が劣っていることがよく分かります。教員数は少なく偏差値は低い。群馬県に比べて倍以上の時間を部活にかけているとは驚きました。長時間労働でも所得は低く負債が多いなど、千葉県がいかにダメかを教えてくださりありがとうございます。

・・・・・

はい。改めて千葉と群馬を比べてみるとやはりどの項目においても千葉県は劣っていることが分かります。重要犯罪認知件数が多いとは危険ですね。また長時間働いても所得は低く、中学生の学力も低いのですね。親が要領が悪ければ子供にも影響するのだと思います。危機感を持ち行動を改めたいと思います。お調べくださりありがとうございます。
・・・・・
千葉と群馬の比較を様々なデータから教えてくださりありがとうございます。これだけのデータを集めるのはとても大変だったと思います。千葉は群馬より劣っているものがとても多いことがよく分かります。そんな千葉に生まれ育ち、我孫子に住んでしまっている事を恥ずかしいことです。間違った考えは改めていきたいと思います。
・・・・・
千葉と群馬を比較した様々なデータを載せてくださりありがとうございます。何から何まで群馬が上ですし、上位になってほしいくないものでも千葉は見事に上位ですね。学生関連のものから所得や犯罪などについても酷いとは、全体的にやはり千葉県はおかしいのだと思います。何か大きなきっかけがなければ変わりませんね。群馬を見習いたいです。
・・・・・
群馬県と千葉県の差を教えてくださりありがとうございます。部活動の時間は千葉県は長時間でありながら結果は出ていません。指導者の質や取り組む意識が全く違うのだと思います。異常なこの千葉県で育ち、子育てをしていることを忘れないようにいたします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

プライドの高い者に見事に共通する特徴として「謝らない」があります。

妻はもちろんそうですが、私の母もそうでした。

女の子が父親が嫌いなのに気がつけば父親とそっくりな男を選びやすいように、男の子も嫌いな母親そっくりの女の子を選んでしまう、そのような傾向を否定することができません。

私もプライドの高い女は嫌と思っていたのに、結局はそのような女を選んでしまいました。

2人とも見事に謝りません。

ただ、育った時代が違う、育った場所が違う、育った家庭環境が違う、そのような相違点から2人には多少の違いもあります。

まず、悪者になることについてです。

これは妻には絶対に耐えられないことです。

自分が本当に悪くても、それを認めることはしません。

ましてや自分が悪くないことについて、自分が悪者になってその場を収めるなんてあり得ないことです。

一方、私の母は夫に先立たれた立場上、自分が悪者に徹しないと生きていけない状況にありましたから、親子が生きて行くために悪者になることを気にはしていませんでした。

背に腹は変えられなかった訳です。

次に謝るということについてですが、私の母は強情でしたから絶対に謝りません。

それに対して、妻は一回だけ謝ったことがあります。

手をついて謝ったのですが、その際に全身が震えていました。

これは妻が抱えているある病気が原因です。

その病気に関しては出会ってから間もない頃に見抜いてしまいました。

その病気が原因でプライドが高く、その病気が原因で謝ることができないのです。

それに気づいている私は妻にとってまだましな夫だったはずです。

しかし、妻は私しか知りません。

私のようにモラハラ夫・パワハラ夫で通そうと意図している男と違って、感じの良い男ほどクズだということを彼女は知らないのです。

塾生親子は「良い人 = クズ」という等式を知っていますが

女性を暴力で支配する男はみんな感じが良い人ではありませんか。

その良いことが原因で一体今までに何人の女性が殺されましたか。

ところが、妻は「良い人 = 良い人」と思い込んでいます。

これも病気が遠因となっている恐れがあります。

いずれにしてもあの震え方は治療を要するほどだったと私は認識しています。

ある時のことです。

妻の愚かさを私が罵倒し続けようとしたことがありました。

妻は初めのうちはその指摘を受け入れようとしていたのですが、途中から反論へと切り替えたのです。

自分が悪者にされることに耐えられなかったのでしょう。

世間の常識として、初めに謝っても途中から反論したら、謝らない以上に問題なのです。

妻は今でも謝った「つもり」でいますが、「つもり」とは何もしていないことを意味しています。

落語によく出て来る表現として「食べたつもり」がありますが、それは明らかに食べていないのです。

ですから、いくら謝ったつもりでも、さらに反論した以上は一切謝っていないことになります。

その世間の常識を妻は知りません。

それが夫婦関係が崩れた最大の原因です。

尚、私の母は、あの強情な母がある時のことです、私に対して涙をこぼしながら謝りました。

私に謝るだけではなく、妻に対してもそれまでの無礼を許して欲しいと伝えておくれと私に言ったほどです。

私の辞書には「許さない」という文字はありませんから、全てを許したのは言うまでもないことです。
 
・・・・・

↓はお母さん方や教え子たちからの反応です。

・・・・・

プライドの高い者の共通の特徴として「謝らない」があるのですね。どこまでも自分は悪くないを貫いて良いことはないと思います。時には自分は悪くなくても謝ることも必要な時があります。謝ったつもりでも、反論すれば一切謝っていないという世間の常識をよく覚えておきます。塾長の辞書には「許さない」という文字はなく、涙をこぼして謝られたお母様を許されたのですね。

・・・・・

プライドの高い者に見事に共通する特徴として「謝らない」があるのですね。生きていくために悪者になることを気にしなかったお母様と、一度だけ謝ったことのあるのが奥様でありこれらがお二人の相違点なのですね。ご病気が原因で謝ることができないのを知っていた先生はそれでも奥様のために意図してパワハラ夫を演じていらっしゃったのですね。良い人=良い人と思っていては困ることになりますから、とてもありがたいことと思います。また指摘に対して途中から反論してしまい一切謝っていないことになったのが奥様であり、許してほしいと涙をこぼしながら謝ったのがお母様なのですね。プライドが高く普段謝らなくとも着地点は全く異なるのですね。プライドが高くとも気付いたならば謙虚に受け止めきちんと謝ることはとても大切ですね。先生の辞書には「ゆるさない」という文字はないと仰ってくださることに救われます。我が家はご迷惑ばかりお掛けしています。鏡である先生のお姿から自分を省みせめてきちんと謝っていきたいと思います。いつも学ばせてくださることに感謝いたします。

・・・・・

一見同じようなタイプでも謝れる人と謝れない人ではとてつもなく大きな隔たりがありますね。謝る事の大切さ、そしてプライドを捨て去る事の大切さを教えていただきありがとうございます。ご自身の体験を共有していただきありがとうございます。日頃から塾長の仰る事を胸に刻み、自分自身も変わるべく努力していきたいと思います。

・・・・・

プライドの高い人は謝ることが出来ないのですね。謝ることの出来る人とそうでない人では雲泥の差です。つもりでは何の意味もないことをよく理解し、反発ばかりせずに反省する気持ちを忘れないようにしたいと思います。良い人 = クズですね。きちんと見抜けるようにしていきたいと思います。先生の辞書には「許さない」という文字はないと教えて頂いています。私も過ちを繰り返すことのないように謝の心を忘れないようにしたいと思います。

・・・・・

プライドの高い人の見事に共通する特徴として謝らないがあるのですね。きちんと心を込めて謝ることができる人と謝ったつもり、では全く違います。反論するのではなく認めきちんと謝罪することが大切だと思います。その時に自分では見えていなかったものが見えてくるように思います。塾長の辞書には「許さない」という文字はないと教えてくださっています。自分でしてしまった過ちをきちんと認め、心からきちんと謝罪することの大切さを忘れないようにしていきたいです。プライドなどは必要ないです。捨てきり、変われるように努力していきたいと思います。

・・・・・

プライドの高い人に共通する特徴として「謝らない」があるのは思い当たる点があります。それも育った時代や環境によって異なってくるのですね。プライドの高いお母様でも先生を守るために悪者になることを気にされなかったとはすごいことなのだと思います。謝ったつもりでいても途中から耐えられずに反論することは謝らない以上に問題であり、反論した以上は一切謝っていないのと同じなのだとよく覚えておきます。良い人=良い人ではないことは腐界などでいつも勉強させていただいています。これからも良い人はクズであるということを忘れないようにいたします。お母様は先生と奥様に対して泣いて謝られたのですね。お許しになった先生も素晴らしいと思います。

・・・・・

プライドの高い者には「謝らない」という特徴があり、悪者になることも耐えられないとのこと。最初に謝っても反論してしまい「つもり」になってしまうようでは意味がないことなど、自分を省みることが必要な内容ばかりです。
もし夫に罵倒されたとしても、その罵倒が自分のことを考えての言動であることに気づけるかそうでないか受け止め方ひとつで大きな差が出てしまいます。それらのことをはじめ「良い人=クズ」などに気づかせていただけていなければ、世間の常識やまともさに何一つ気づけぬままに子供をもっと不幸にし人生を終えていたかもしれないです。

・・・・・

プライドの高い人間は謝ることができないですね。似たところのあるお母様と奥様でも、謝れるかどうかや自分を悪者にできるかどうかの差は大きいと思います。謝ったつもりは意味がありませんし、さらに反論してしまっては謝る気持ちさえもなかったのだと感じます。良い人=良い人と思い込んでしまっていることは本当に恐ろしいですし、それに気が付かなければやはり待っているのは不幸です。先生は本当に様々なことを感じ、考えられて奥様とも接していらっしゃるのですね。私も無駄なプライドを持っていると思うため、きちんと謝り行動を改めていける人間になりたいです。

・・・・・

プライドの高い者に見事に共通する特徴として「謝らない」があるのですね。自分が本当に悪くても、それを認めることはせず、自分が悪者になってその場を収めることなどないのですね。認めなければ謝ることなどないと思いますし、世間の常識として、初めに謝っても途中から反論したら、謝った「つもり」で何もしないことになります。反発していては何も変わりませんから、要らぬプライドは捨てきちんと謝るこが大事だと思います。
先生の辞書には「許さない」という文字はないので、謝られたお母様の全てを許されたのですね。私も感謝の気持ちを忘れず、しっかり学んでいきたいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

人間には様々な特徴があります。

そのうちの一つは日常生活に特別には問題がない場合には学業もちゃんと修めることができます。

ところが、ちょっとしたところにその症状は現れてしまいます。

・謝ることができない
・謝ったつもりでいる
・自分が批判されると即座に相手を批判して自分の非を認めない
・自分の思い通りにならないと指先や体が震える
・報連相ができない
・優先順位が分からない
・一言多い一言少ない

この特徴は4人に1人の割合です。

歴史に名を残す有名人にもこの特徴がある人がたくさんいます。

その典型として妻は謝りません。

ある時のことです。

息子の欠点が予想通りに妻の欠点のコピーだったので私は責めました。

しかし、責め続けたら妻は逆ギレしました。

ある特徴がない人は責め続けられても謝り続けます。

しかし、その特徴があると途中で逆ギレします。

この時のことを妻はきちんと謝ったと言っているようですが、謝罪の後に反論したら、それは謝罪ではありません

初めから謝罪しないことよりも良くないことと一般には見られてしまいます。

また、パソコンを触る時に妻は指が震えます。

あれもその特徴の表れです。

生徒の保護者にもその特徴がある父親がいます。

それを百も承知で母親は結婚しています。

結婚相手が承知の上で治すように仕向けてあげれば良いのです。

妻が報連相ができない、もちろん息子もできない、そのために自宅には妻が大きく書いた紙が今でも残っています。

それでもやはり親子ともに報連相ができません。

それが致命的になることを親子して未だに気づいていません。

息子が大学生の時に、四年次の単位のことで話していた時に、卒論があるのは当たり前と思って私は卒論の単位を組み込むように息子に助言しました。

息子がそのまま受け入れたために、その一年後に人生を変えてしまう一大事になるとは思いもしませんでした。

卒論が不合格と認定されてしまったのです。

聞けば、卒論は必修ではないと言うではありませんか。

一言多い一言少ない、妻の欠点がそのまま息子にコピーされていました。

私がパワハラ亭主に意図的になろうと決してして演じて来たのは、妻の欠点に気づいて欲しかったからです。

確実に息子にコピーされてしまうからです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
約40年の間に様々な家庭を見て来ましたが、私はまだましな亭主なのではないかと思います。

色々な旦那がいましたから。

・・・・・

↓はお母さん方や教え子たちからの反応です。

・・・・・

私としては父と比べると圧倒的に先生の方が良いです。私の目線で見る父が全てでは無いことは分かっていますが、やはり面倒な部分が多いですし、お酒については本当に最悪です。色々な人がいると思いますが、やはり先生の方が良いと思います。

・・・・・

たくさんの家庭を見ていらっしゃいますから様々な夫婦の形をご存知なのだと思います。勤勉で丈夫ていらっしゃいますし、おまけに頭がよくてユーモアもお持ちでいらっしゃるではないですか。ましとは謙遜しすぎです。

・・・・・

過去には色々な旦那さんがいらしたのですね。先生は周りのことまで考えてくださって、そんな素敵な旦那さんは他にいないと思います。父にも見習ってもらいたいです。

・・・・・

先生は40年間様々なご家庭をご覧になり様々なご夫婦をご存知なのですね。私の周りにも本当に漫画にでも出てきそうなほどひどい言動に驚く旦那さんが何人もいます。先生は奥様と息子さんのことを大切に思う良い旦那様だと思います。

・・・・・

塾長は40年の間に様々な家庭を見てこられたのですね。一つとして同じ家庭はなかったのだと思います。塾長ほど先を見ていろいろなことを考えてくれる旦那さんは、なかなかいないと思います。

・・・・・

色々な(困った)旦那の一人を夫に持っておりますので、先生のような存在は「まだまし」ではなく「ずっと良い亭主」に思います。言葉に出さずとも行動することでご家族を守っていらっしゃいますし、感謝を胸に秘め常に相手をことを考えた言動をとっていらっしゃいます。
余談になりますが、ある時点から夫に対して疑問に思うところがどんどん増えていったのですが、そういう夫にも私に思うところがあるはずと意識して生活しております。

・・・・・

先生は40年の間に様々な家庭を見てこられたのですね。夫婦は鏡ですから、先生を見習い感謝の気持ちを持って、自分の欠点に気づけるようにしていきたいと思います。

・・・・・

塾長は40年の間に様々な家庭、その家庭の旦那さんを見てこられているのですね。塾長は奥様と息子さんを守っていらっしゃいます。とても素敵で優しい旦那様だと思います。

・・・・・

相手の気持ちを推し量って行動して下さったり、常に相手の事を気遣って下さる塾長は「まし」どころかずっとずっと素晴らしい旦那さまです。塾長には我が家はどのように見えているのか分かりませんが…我が家もなかなかな家庭だと自覚いたします。

・・・・・

先生は奥様と息子さんの命を守るために備えていらっしゃいますし、より良くなってもらいたいと願い先を見据えて行動してくださるとても素敵な旦那樣だと思います。色々なだんな、に我が家も含まれていると思います。

・・・・・

約40年の間に様々な家庭を見てきているのですね。塾長は奥様、息子様を守るために先を見て考えていらっしゃり、自分の事よりも他人の事を考えて下さる素晴らしいお人柄だと思います。奥様、息子様は大変幸せだと思います。

・・・・・



妻が報連相をしないために私がどのくらい不快な思いを続けて来たのか、何でも事後報告の姿勢が夫婦関係をぶち壊してしまうのかを身をもって気づいて欲しかったのが国民年金の集金が新木の家まで押しかけたことです。

あの時点で私は妻が住民票を柏から我孫子に移したことを事後報告として聞かされます。

またかと本当にがっかりしました。

報連相をしない、常に事後報告、それがどのくらい不快なのかを妻に知って欲しくて私は年金を、もちろん私の分も払わないでおきました。

あの直後に妻は憤慨して連絡して来ました。

私は付き合い始めた頃からずーっと妻の鏡を演じて来ました。

たくさんある妻の素晴らしい特徴を唯一の欠点であるプライドの高さが全てを打ち消してしまうからです。

40年経ってもまだ妻は気づいてくれません。

母はコロナ禍になる前に、施設にいた頃に「裕子さんはまだ気づいてくれないのかい」と悲しんでいました。

40年前に私が母に話しておいたことは以下の通り。

・必ず結婚は破綻する
・生まれる子供は頭が悪い
・必ずみんなが不幸になる

だから母は結婚に猛反対したのです。

息子を嫁に取られてしまうことを不満に思うヒステリーが半分。

もう半分は自分の息子だけでなく、妻自身も生まれてくる子供も不幸になることを冷静に心配しての猛反対でした。

指摘されて気づくのではなく、自分自身で気づいて欲しいがために40年間私は直接言うことをしませんでした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

息私の子供に生まれたくなかったと息子は妻に語ったことかありますが、考えて欲しいことが三つ。

先ず、それは昔も今も多くの者が通る道であること。

反抗期・思春期には殆どの者が思うことです。

はしかのようなものです。

だから、そう思って良いのです。

成長のためにそう思うべきですよ。

しかしです。

二つ目として息子には直接釘を刺しました。

将来自分の子供にそう言われた時に堂々と反論できる学歴や学力がある大人になっていないと困るのは自分であること。

息子は黙ってしまいました。

三つ目として、やはり昔も今も多くの者が親ガチャには悩みます。

隣りの芝生が良く見えるものです。

ですが、見落としてはならないことがあります。

親ガチャがあるのならば、子ガチャもあることです。

あんな親の子に生まれたくないと子が思えば、あんな子を持ちたくなかったと親も思う事実です。

私もあんな母親の子に生まれたくなかったと思いましたよ。

両親のいる家庭で育ちたかったのは言うまでもないことです。

では、そんなことを言ってみて何かが解決するかどうかです。

そんなことは無駄です。

解決する手段があるとすれば、それは勉強です。

頭が良ければ、どのような境遇でも、どん底から抜け出せますよ。

勉強は本当に平等です。

両親が揃っている子でも片親の子でもスタートラインは一緒です。

努力したら頭は良くなります。

・・・・・

↓はお母さん方や教え子たちからの反応です。

・・・・・

父があまりにも九州男児で面倒だったので私も母に「何であんな人と結婚したの?」と良く言ったものです。言ったところで解決はしませんし、親子の縁も切れません。自分が親になってみて色々と思う事もあります。親ガチャがあれば子ガチャもありますが、この世に生を受けた事自体に感謝しなければならないと思います。
解決する手段は勉強なのですね。育った環境や親の学歴に関係なく、勉強は自分自身の頑張りによって結果が変わってくるのですからコツコツと努力し続ける事が大切だと思います。

・・・・・

そうですね。あんな親の元に生まれたくなかったと思うと同時に子供もそのように思われているのだと思います。何を言っても状況は変わりませんが、解決してくれるのは勉強なのですね。努力すれば頭がよくなり、どん底から抜け出せることをよく覚えておきます。

・・・・・

あんな親の子に生まれたくないと子が思えば、あんな子を持ちたくなかったと親も思うこともありますね。親が変われば子供も変われると思います。どちらも自分以外の人のせいにして甘えていてはダメなのだと思います。頭が良ければ、どのような境遇でも、どん底から抜け出せるのですね。解決する手段は勉強ですね。どんな境遇でも年齢でも努力をすれば頭が良くなるのですから、勉強ができることに感謝し、日々努力をしていくことが大切なのだと思います。

・・・・・

あんな親の子に生まれたくなかったとか、こんな貧乏な家に生まれたくなかったとか未熟であるからこそ親の苦労も知らないで大きな口を叩いてしまいますね。私もそうでした。親も子もひとりの人間ですからその関係性に甘えてはならないと思います。子供の性格形成に間違いなく親の責任は大きいです。塾長にもそう教えて頂きました。親が変われば子も変わると信じて今からできる事は全部行っていきたいです。塾で観せて頂いた映画でも頭が良ければどんな境遇でもどん底から抜け出せると教えてもらえるものがいくつもありました。お金では買えないものを出来るだけ身に付けなさいと教えられてきましたが、まさに勉強はその一つですね。不平不満をただ言ってるだけでは時間の無駄です。今自分自身が出来ること、勉強をすれば必ず頭が良くなるのですから塾で学べることに感謝して毎日コツコツ勉強を続けて合格へ向けて親子で走り抜けいきたいです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は小さい頃から30歳まで生きることを目標にしていました。

父が死んだのが29歳だから、父より1歳でも長く生きるのが親孝行と思って生きていたのです。

30歳になった時は嬉しかったものの、実はその時点で次の目標ができていました。

大学院の指導教官の死です。

47歳でした。

だから次は48歳までは生きると決めたのです。

それもクリアして、残るは母の面倒を見ること。

ずーっと殺してやると思って私は生きて来た訳ですが、泣きながら私に謝る母の姿を見ていて、もうそのような気持ちは微塵もありませんでした。

そして、その母も亡くなりました。

もう私が生きている意味も必要性もありません。

ただ、母が亡くなった後に様々な処理が待っていました。

弁護士に手続きをお願いすることもありました。

立つ鳥跡を濁さずですから、息子が困らないように少しでも処理できることは今のうちに済ませておかなければなりません。

・・・・・

↓はお母さん方や教え子たちからの反応です。

・・・・・

目標とされる年齢を過ぎ、生きている意味も必要性もないと思われていると以前も教えて頂きました。そのような悲しいことは仰らずにずっとお元気で長生きして頂きたいです。先生のことですから、先々まで考えられて行動されているのだと思います。邪魔をしないように、気を付けます。

・・・・・


塾長は常に生きる目標を持ってこられたのですね。お母様が亡くなられて生きている意味がないなどとおっしゃらずに、塾長には長生きしていただきたいです。ご迷惑ばかりおかけしている我が家ですが、ご恩返しができるように成長していきたいと思います。いつもありがとうございます。
・・・・・
先生はずっと目標とされる年齢があったのですね。お母様が亡くなられ、生きている意味も必要性もなくなってしまったとは悲し過ぎます。今は息子さんのために立つ鳥跡を濁さずの処理をされているのですね。塾生親子にとっては先生がいてくださらなければみな地獄行きになってしまいます。生きている意味がないなどとおっしゃらずに塾生親子のために長生きしていただきたいです。ストレスをおかけしないよう気をつけてまいります。

・・・・・
目標としていた年齢を過ぎ、生きている意味も必要性もないと思っていると以前も仰っていたかと思います。私は先生のおかげで今生きていますし、助けていただいた1人のため、先生との出会いに本当に感謝しています。私としては少しでも長生きしていただきたいです。大切な時間を無駄にすることがないよう気をつけながら、今後も先生のそばで学ばせていただき、先生のお役に立てればと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最後に現在の借金について書いておきます。

金額は約760万円。

この借金は一体何に使ったのかです。

結婚して間もなく入ったがん保険があります。

夫婦のがん保険と、私に万が一のことがあったら毎月妻に15万円支払いがある収入保障保険。

毎月保険料は79800円。

そして、去年妻から聞かされたのは、自分でがん保険に入った事実。

またもやここでも報連相はなしです。

私のがん保険だけだったら毎月19800で済むのです。

つまり毎月6万円も無駄なお金を支払っていたのです。

年額72万円。

それが10年ならば720万円、15年ならば1080万円も私は無駄なお金を払い続けたことになります。

その妻のための保険に必要なので借金したのが約760万円です。

私が死んだら息子は相続放棄をすれば良い?

それでは教育になりません。

借金の多くは担保を必要としないところに依頼。

彼らは息子が相続放棄しても、息子の仕事場や自宅まで毎日押しかけて、息子が自死するまで追い込み続けるでしょう。

息子にも妻にも気づいてもらうための最後の手段が借りてはいけないところからの借金でした。

報連相の大切さを妻と息子に心底理解してもらうにはこうするしかありませんでした。

そもそもが私の母が施設に入った時に私は息子に入居費の分担を求めました。

しかし、息子はたった4回しか応じませんでした。

生徒の保護者たちは妻からの入れ知恵に違いないと指摘されました。

もちろん私はそれを否定しましたよ。

仮にそうであっても私は否定します。

妻を悪者にするつもりはありません。

ただ、母の世話を全て私1人に押し付けたのは事実です。

それで私は持ち金を使い果たしました。

だから、妻を守るための保険は借金せざるを得なかったのです。

プライドが高い者の症状の一つが報連相ができないことです。

それに気づいて欲しいがために、40年も気づいて欲しいと思っていたために、これが最後の手段です。

そして、溜まっている利子の支払いのためにも今月は新たな借金をしなければなりません。

妻も息子も反省して、3人で力を合わせてこの借金を減らす努力をするか、またもや私1人に押し付けて息子が惨めな最期を迎えるか、もう限界です。

このことは1人の保護者のみ知っています。

自分の子供の命を救ってもらえたからと、チラシ運びでも何でも自分ができることは積極的に手伝ってくれているお母さんのみが知っています。

「そこまでしなければダメですか?」

私が助けなければ子供が間違いなく死んでいた彼女は本当に我が家のことを心配してくれています。

悪いところを治すかどうか、妻子次第です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私が出す指示は塾生親子に対するものと妻子に対するものが全く同じです。

渡邉長男は今千葉大学の大学院に通っていますが、そのレベルはこの地域ならばトーカツの生徒です。

彼は柏中央高校。

この近隣の県立ではトーカツ、県立柏、小金、柏南の次。

それも私のところに来たのは入試が終わってから。

高校スタートの学年順位はビリから2番。

大学受験の時はあり得ないほど精神的に追い込んであげました。

一歩間違えたら自殺しかねないほど追い込みました。

それでも彼は逃げなかったのです。

あり得ないほど精神的に追い込まれた時に、人間の反応は大きく二つ。

逃げるか逃げないか。

表現を変えたら、反発するか反省するか、

逃げなかった結果が千葉大学大学院。

逃げていたら、たぶんろくでもない毎日を送っていたと思います。
1/5(木) 14:30配信
日刊スポーツ

 上白石萌歌(22)が5日、テレビ朝日系「徹子の部屋」に出演し、現在「大学5年生」であることを明かした。

 上白石は父が現役社会教師、母も姉の上白石萌音(24)と萌歌を生むまで学校の音楽教師だったことを紹介。両親からは「絶対にウソをつくな」と教育され、たまに「最近ついたウソを書きだしてみろ」という指導もあったと説明した。「お菓子をウソをついて多めに食べたとか」と、笑いながら振り返った。

 父の教えは「学び続ける」ということだったという。上白石は「勉強だけに限らず、例えば人と会うとか、遊ぶとか、いろんなことから学べって教わった」と話すと、黒柳から大学進学についても聞かれ「両親の影響もあり、大学に通ってます」と現在進行形で回答。そこで黒柳に「あら、今、学生?あなた」と突っ込まれると、「そうです。まだ卒業できていなくて、5年生なんです」と告白し、黒柳に「みなさま、学生さんだそうですよ」と呼びかけられて、はにかんだ。

 上白石はこれまでにもラジオ番組などで、多忙な仕事と学業の両立で、単位取得が思うように進んでいないことを告白していた。ただ、その際も「大学卒業したくないかも。すごく授業は楽しい」などと、キャンパスライフを楽しんでいる様子も明かしていた。
12時間猛勉強した日も…まず「設計した建物が地図に載ること」が目標
1/10(火) 4:00配信
スポーツ報知

 女優の田中道子(33)が、昨年12月26日に「令和4年 一級建築士試験」に合格したことを受けて、このほど会見を行った。

 「一級建築士」は、全ての建築を自由に設計できる国家資格。昨年7月に学科、10月に設計製図試験を経て、合格率9・9%の難関突破し「やりました!今年から受験資格が緩和され、受験者数増え、実務経験がない人は厳しい試験でもあった。本当に奇跡です」ととびきりの笑顔がはじけた。

 地元・静岡の大学で建築を学び、卒業後に二級建築士を取得。2011年に「ミス・ユニバース・ジャパン」出場を機に芸能界入りし、モデルや女優業に専念していた。

 コロナ禍で自身の人生を見つめ直し、「お仕事は順調でありがたい反面、それは事務所の力であって、自分の力ではないと頭の片隅に漠然とした不安が常にあったんです。何かあっても、生きる術を身につけておきたいと、2本の軸でやっていく女優さんがいてもいいのかなと思った」と19歳から夢だった一級建築士受験を決断した。

 1年3か月にわたり、女優業と資格習得のため学校に通い、1日最大12時間、計1000時間超の猛勉強に励んだ。「本業優先」のため、睡眠時間はあえて削らず「1日5~6時間は取ること」をマイルールに。ハードスケジュールに「(学科免除になる5年間のうち)製図試験は3回しか受けられないので、今回はスキップしようかと思った」というが、母親から「『鉄は熱いうちに打て』と何回もおしりをたたいてもらった」と背中を押されたことを明かした。

 映画などの撮影現場や、舞台期間中も隙間時間に勉強したが、「学校では『製図が練習不足』と指摘され、悔しくて泣いたこともあります。『負けていられるか』と反骨精神もありながら必死にやりました」と見事“一発合格”を果たした。

 今後は「(計2年間の)実務経験を積んで、建築士と女優の二刀流でがんばりたい」と力強く宣言。同世代で子育てに奮闘する母親たちの環境に目を向け「夢の話ですが、ママが働きやすい、夕方4時帰宅OKみたいな“田中道子建築事務所”を設立できたら」と思いを巡らせる。

 まず当面の目標は「自分の設計した建物が地図に載ること。自宅や学校の設計も挑戦してみたいです」と語り、「製図も自分でやれるので、建築家の役のオファーもお待ちしています」とアピールしていた。