水晶玉子のオリエンタル占星術 開運暦2023

1位 しし座 B型
2位 おひつじ座 B型
3位 しし座 O型
4位 おうし座 B型
5位 おひつじ座 O型
6位 いて座 B型
7位 しし座 A型
8位 おうし座 O型
9位 かに座 B型
10位 おひつじ座 A型
11位 いて座 O型
12位 さそり座 B型
13位 しし座 AB型
14位 おうし座 A型
15位 かに座 O型
16位 やぎ座 B型
17位 おひつじ座 AB型
18位 いて座り A型
19位 さそり座 O型
20位 ふたご座 B型
21位 おうし座 AB型
22位 かに座 A型
23位 やぎ座 O型
24位 てんびん座 B型
25位 いて座 AB型
26位 さそり座 A型
27位 ふたご座 O型
28位 おとめ座 B型
29位 やぎ座 A型
30位 てんびん座 O型
31位 かに座 AB型
32位 みずがめ座 B型
33位 さそり座 AB型
34位 ふたご座 A型
35位 おとめ座 O型
36位 うお座 B型
37位 やぎ座 AB型
38位 てんびん座 A型
39位 みずがめ座 O型
40位 ふたご座 AB型
41位 おとめ座 A型
42位 うお座 O型
43位 てんびん座 AB型
44位 みずがめ座 A型
45位 おとめ座 AB型
46位 うお座 A型
47位 みずがめ座 AB型
最下位 うお座 AB型
医師が教える「上手な最期」の迎え方…「死の直前」に後悔しないための方法
1/5(木) 9:03配信
現代ビジネス

 死は誰にでも平等にやってくるが、一度しか経験できない。故人が自分の死に満足をしたかどうかは誰にも分からないが、死をを迎えるための準備にどういった段階があるのかは知っておいても損はない。

 医師としてのキャリアを持ち、人の死に向き合ってきた作家の久坂部羊さんをはじめとする、「上手な最期の迎え方」についてを、前編記事『医師が見た「死ぬ直前」に起こること…人はこうして死んでゆく』でお伝えした。では具体的にどんな心構えや方法があるのか、引き続き明かす。

どうしたら開き直れるか

 40代半ばから在宅医として訪問診療に従事した久坂部氏には、自宅できわめて穏やかな最期を迎えた、忘れられない患者がいる。

 「私がかつて在宅医として担当した60代の男性は肺がんを患っていました。彼は入院による抗がん剤治療の効果があまり表れないと見るや、『最期の瞬間は自宅で迎えたい』と家へと戻る決断をしたのです。

 抗がん剤の副作用から解放された彼は、自宅で自由気ままな毎日を過ごしました。そうして徐々に弱っていき、1ヵ月半ほどで寝たきりになり、ある夜ついに昏睡状態に陥ります。

 こうなっても、当初の約束通り延命治療はしませんでした。彼は点滴も酸素マスクもなく、自然な姿のまま家族に看取られて布団の上で亡くなっていったのです」

 この男性の妻は、夫が息絶えていく様子を見ながら「家で最期を迎えると聞いた時はどうなることかと思ったけど、こんなに穏やかに逝けるなんて……」と打ち明けたという。彼は家族も納得する中、何の医療器具もつけない身体のまま亡くなっていった。

 「少しずつできることも減っていきますが、それは悲しいことではない。こう覚悟を決めておけば、本人もその家族も、いざ死を前にした時でも恐怖感を和らげられるはずです」(久坂部氏)

 「上手な最期」を迎えるためには恐怖から死を否定せず、何が起こっても良いと命の終わりを意識しておくことが大切だ。これが土壇場での覚悟につながる。

 しかし、穏やかな最期を迎えた人が、おしなべて最初から覚悟ができていたわけではない。死を受け入れられるようになるには、気持ちを整理することも必要になる。めぐみ在宅クリニック院長の小澤竹俊氏が語る。

 「かつて看取った患者さんの中に、死を間近に控えた40代のお母さんがいました。彼女は『まだ小さい子供たちを残し、なぜ死ななければいけないのか』と理不尽さと苦しさを感じていたのです。

 しかし彼女と話し合う中で、限られた命を嘆くよりも、亡くなるまでの間に多くのことを子供たちに伝えようとするほうが大事だと伝えました。

 その後、実際に彼女は子供たちに自分の大切にしてきたものについて話し、自分がどんな母親だったのかを積極的に伝えようとし始めました。すると、死を嘆いていた彼女の表情が、別人のように明るくなっていったのです」

 死までの間に目的意識を持つことが心境の変化をもたらし、彼女に落ち着きを与えたのである。

 これは看取る側も同じだ。最期まで耳は聞こえているという説もあるが、患者が昏睡状態になってから感謝の声をかけたとしても、実際はもう聞こえていない可能性が高いという。そうであれば、まだ意識があるうちに伝えられるだけの感謝を伝えたほうがいい。

目をそらさず考える

 一方で、本人が在宅での看取りを希望していたにもかかわらず、看取りに失敗してしまった例もある。久坂部氏が語る。

 「70代半ばの前立腺がんの患者でした。彼はがんが骨へと転移してしまったため、治療をあきらめて家へと戻りました。奥様にも延命治療をしない方針を話しており、合意のうえです。

 しかし、彼が寝たきりになって誤嚥性肺炎を起こし、いよいよ臨終が近くなった時、その様子を見かねた息子さんに『救急車を呼んでください』と頼まれたのです」

 実は、この男性は妻とは死期を迎えた時の対応について話し合っていたが、離れて暮らしていた息子には延命治療を行わない方針を打ち明けていなかった。

 肺炎が重症化すると、酸素を取り入れる組織である肺胞が機能しなくなるため、いくら一生懸命息を吸ったとしても苦しみは改善しない。

 常に首を絞められているような苦痛の中、大量の痰が絡まり、それを無理やり吸引されながら、場合によっては喉を切開されてボロボロになりながら亡くなっていくこともある。

 救急車で病院へと運ばれた男性は、2週間の延命治療を経て、病室の中で息を引き取ったが、その最期は安らかとは言いがたいものだった。

 こうならないための周囲との意思の疎通について「アドバンス・ケア・プランニング」(ACP)の考えが参考になる。

 「ACPは『最期に向けての事前準備』と訳されます。心肺停止になった時に蘇生処置を受けるのか、食事が口から摂れなくなった時に胃ろうをつけるのかなど、元気なうちにどう死にたいか希望を明確にしておくのです」(久坂部氏)

 これを家族や看取りに参加する人と共有し、合意を得ておけば、認知症などで意思の確認ができなくなったとしても、病院に運ばれる可能性を下げることができる。

 「日本人は戦時中の反動で、現在は命を大切にしすぎていると言えます。これが最期まで医療にすがってしまうことの原因となっています。

 ある医師は『高齢者の役目は死ぬところを周りの人に見せることだ』と話していました。自分の最期を家族に見せ、上手に死ぬためにはどうすればいいのか、お手本を示すべきだというのです。これは私も同じ意見です。死から目をそらさず、こういった成熟した考えを持つことのできる人が上手に死んでいくのです」(久坂部氏)

 自身や身近な人の死を目前にした時の心構えについて久坂部氏が解説した『人はどう死ぬのか』(講談社現代新書)が発売中だ。死のための「予習」について、より詳細に知りたい方は、この新書もぜひ手に取っていただきたい。

 死は誰もが一度しか経験できない。しかし、事前に心構えと準備をしておけば「上手な最期」を実現できる。死の間際に後悔しないため、覚えておきたい。

週刊現代(講談社)
【『世界一受けたい授業』で話題】「閉経」すると激増…男性の3~4倍も人体に大きな影響を及ぼすリスク
12/20(火) 6:01配信
ダイヤモンド・オンライン

 長引くコロナ禍で、体を動かす機会がメッキリ減ってしまった人は多いはず。日ごろの活動量は減ったのに、なぜか食欲は減らない。飲食での摂取カロリーは多いのに、体を動かしての消費カロリーが減ってしまったのでは、太ってしまうのは当たり前かもしれない。そうこうするうちに内臓脂肪が蓄えられて、お腹がポッコリとせり出し、以前はすんなり入っていたズボンがパツンパツンになってしまったなんてことも。
それだけではない、もっと深刻な問題もある。骨の弱体化だ。外出することが減って日光を浴びる機会が少なくなると、ビタミンDが不足することによってカルシウム不足になり、骨が弱体化してしまうのだ。そのうえ運動不足になると骨への刺激が減り、これも骨の弱体化を招く原因になる。とくに高齢者は「転倒→骨折→寝たきり→認知症」と骨の弱体化による“恐ろしい負のスパイラル”に陥るリスクが高い。
そこで参考にしたいのが、『世界一受けたい授業』(日本テレビ系)、『金スマ』(TBS系)、『体が硬い人のための柔軟講座』(NHK)などで話題のフィジカルトレーナー・中野ジェームズ修一氏の著書『10年後、後悔しない体のつくり方』(ダイヤモンド社)だ。本書は、中高年はもちろん高齢者でも、「これならできそう」「続けられそう」と思えて、何歳からでも脳も体も若返る秘訣を明かした1冊。本稿では、本書より一部を抜粋・編集し、骨を強くする「骨トレ」の手法を紹介する。
(監修:田畑クリニック院長 田畑尚吾 医師)

● 知られざる骨のつくり

 骨太に生まれ変わり、骨粗しょう症を防ぐために、「骨」のことをよく知っておきましょう。骨は線維状のたんぱく質である「コラーゲン」などからつくられたフレームに、「カルシウム」「マグネシウム」「リン」といったミネラルが硬く結合したものです。

 骨をビルの柱にたとえるなら、コラーゲンなどは「鉄筋」に相当し、カルシウムやマグネシウムなどのミネラルは「コンクリート」に相当します。骨はビルの柱のように、一度完成するとそのままのように思えますが、実際は筋肉と同じように「分解」と「合成」を繰り返す「新陳代謝」をしています。

 古い骨のコラーゲンやカルシウムを分解しているのは「破骨(はこつ)細胞」です。一方、新たにコラーゲンをつくり出して、そこにカルシウムを定着させる「糊(のり)」の役割を担うたんぱく質を塗るのが「骨芽(こつが)細胞」です。

● 骨は約3年周期で 生まれ変わる

 破骨細胞による分解と骨芽細胞による合成が釣り合っていると、骨の健康は保たれます。骨は古くなると弾力を失って脆(もろ)くなるため、定期的に刷新しなくてはならないのです。

 こうして、骨は約3年周期で新たに生まれ変わっています。何らかの理由で骨の分解と合成のバランスが崩れて分解が進んでしまうと、骨からたんぱく質やカルシウムなどのミネラルが失われてしまい、骨が弱くなって「骨粗しょう症」のリスクが高くなります。

● 「閉経」を迎えると 骨粗しょう症が増える

 女性ホルモンの「エストロゲン」には骨の合成をうながして、分解を抑えてくれる作用があり、骨を丈夫に保ってくれます。しかし、女性が45~55歳くらいに閉経して女性ホルモンの助けがなくなると、骨粗しょう症が増えてきます。

 このことから女性は、男性の3~4倍も骨粗しょう症になりやすいとされています。骨粗しょう症かどうかの判定は、超音波やX線を用いて「骨量」や「骨密度」を測って行われます。骨密度が20~44歳の平均値(YAM値)の70%以下だと骨粗しょう症の疑いがあります。

 ※本稿は、『10年後、後悔しない体のつくり方』より一部を抜粋・編集したものです。本書には、体が若返るメソッドがたくさん掲載されています。

中野ジェームズ修一 フィジカルトレーナー
「母を焼きたくなかった」 自宅で遺体を放置容疑、無職男を逮捕 大阪
12/20(火) 12:34配信
産経新聞

同居していた母親(93)の遺体を自宅で放置したとして、大阪府警枚方署は20日、死体遺棄容疑で、大阪府枚方市船橋本町、無職、藤本信幸容疑者(64)を逮捕した。容疑を認め、「母親の体を焼きたくなかった」と供述している。遺体に目立った外傷はなく、同署は詳しい経緯を調べる。

逮捕容疑は11月ごろ、自宅で母親の遺体を放置したとしている。

同署によると、藤本容疑者から手紙で母親の死亡を知らされた親族が今月19日、藤本容疑者宅を訪問。和室の布団で死亡している母親を発見し110番した。
読んでいる私自身が、余命宣告を受け緩和ケアを選んだ「私」を生きる 角田光代が語った特別な読書体験とは(レビュー)
12/9(金) 7:00配信
Book Bang

58歳で余命宣告を受けた作家の山本文緒さんによる闘病記『無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記』が刊行された。ある日突然、ステージ4の膵臓がんと診断され、闘病生活が始まった山本さんが最期まで綴った日記では、病と向き合わざるを得ない心の動きを体験したと、作家の角田光代さんは語ります。30年来のつきあいのあった角田さんが感じた、寄り添われる、という闘病記とは? 

角田光代・評「寄り添われる、という読書」
 二〇二一年十月十三日に、作家の山本文緒さんが永眠された。個人的につきあいのあった私は、文緒さんが闘病されていたこともまったく知らなかったので、逝去の知らせに呆然とした。いったい何が起きたのかまったくわからなくて混乱した。呆然とし、混乱したまま、でも日は過ぎて、お別れの会があり、もう一年がたってしまった。それでもなお、その呆然と混乱は続いている。その文緒さんが、闘病の日々を書いた日記が本書である。

 山本文緒さんの小説は一貫して、読み手を、登場人物にのりうつらせると私は思っている。共感や感情移入とは異なって、もっと生々しく、登場人物の身体のなかに、読み手を入れてしまうのだ。たとえば『自転しながら公転する』であれば、私は読んでいるあいだ語り手の「都」を生きた。都の体験を体験し、都の気持ちの揺れを揺れる。文緒さんの書く人たちは、実際の私自身とはことごとくかけ離れているのに、そのかけ離れた登場人物にのりうつらされることが、私はずっと不思議だった。文緒さんの書く、けっしてむずかしくはない文章に、どんな魔力がひそんでいるのだろうといつも思うのだ。

 文緒さんが書き綴ってくれたこの日記にも、同じ魔力がある。

 冒頭で、文緒さんは「突然膵臓がんと診断され、そのとき既にステージは4bだった」と書き、抗がん剤治療をせずに緩和ケアに進むことを決めたと記す。

 あるとき胃が痛くなる。でも人間ドックも毎年受けているし、病院にいっても医者は首をかしげる。病院を変えてようやく検査入院、あれよあれよという間に「膵臓がん、ステージ4」と告知される。そこで文緒さんは「そんなことを急に言われても、というのが正直な気持ち」と書き記す。途方に暮れているうちに、たった一度の抗がん剤治療のために髪は抜け、具合のよい日と悪い日があり、具合のよい日には死ぬなんてことが信じられず、事務手続きがあり、葬儀について夫と話す。お見舞いにきてくれる人を気遣い、夫を気遣い、読者までをも気遣うようにユーモアをちりばめる。

 読んでいるうち、いつの間にか、書かれていることが他人ごとではなくなっている。読んでいる私自身が、余命宣告を受け緩和ケアを選んだ「私」を生きる。

 そんなこと突然言われてもと思い、そんな簡単に割り切れるかボケ! と神さまに言いたくなり、めそめそし、本当に死ぬのかと思い、家のなかのものを整理し、それに飽き、自身の人生を思い返し、支えてくれる夫に感謝し、泣いている夫を見て泣き、余命宣告から120日目を数え、これで最後かもと思いながら人に会い、来週ではなく、明日を数え続ける。追いつかれるとわかっていてもなんとか逃げられないかと思う。

 書き記されているとおり、山本文緒という人はかなりの頑固ものだし、「半歩普通からはみ出していないと爆発的な喜びを感じない」特異さもある。そもそも闘病記を逃病記と言いつつも書き綴る、その精神力は並外れている。その上彼女は、周囲の身近な人に、いや、読者にまで、自分がいなくなることを、かなしませることを、死を背負わせることを、最後の最後まであやまり、気遣っている。強さとやさしさが、この日記ではおそろしいくらい同義だ。

 私とはぜんぜん違う。違うのに、やはり、小説と同じように、私はこの「私」の日々を文字どおり、体験する。身体的な痛みと苦しみだけが読み手の私には、ない。そのことが心底申し訳なくなるほど、ここに描かれた、逃げながらも病と向き合わざるを得ない心の動きを、運命を受け入れていく過程を、読むことで体験する。「つらい話をここまで読んで下さり、ありがとうございました」と書き綴る「私」に、私自身は内側から、そんなこと言ってる場合じゃないよ! と叫びそうになる。

 通常、闘病記とくくられる日記や体験記において、余命を数えながら言葉を紡ぐ作者に、読み手は寄り添う。本書の場合はそれが反転する。「私」にのりうつって突然あらわれた死におののく読み手に、作者が寄り添ってくれるのだ。しかし甘言は言わない。死はこわくないとも言わないし、また会えるとなぐさめることもない。でも、驚くほど近くに寄り添っていてくれる。

 最後に記された日の文章を私は忘れることができない。このなんでもない言葉のなかに、私が今まで見送ってきた多くの人がいるし、この先の私自身もいる。それで気づく。無人島で生ききった「私」にのりうつりながら、私は私個人の生きることと死ぬことを見つめていたのだ、それに、作者の山本文緒さんは寄り添ってくれていたのだと気づく。

[レビュアー]角田光代(作家)
1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。90年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2005年『対岸の彼女』で直木賞、07年『八日目の蝉』で中央公論文芸賞、11年『ツリーハウス』で伊藤整文学賞、12年『紙の月』で柴田錬三郎賞、『かなたの子』で泉鏡花文学賞、14年『私のなかの彼女』で河合隼雄物語賞を受賞。

新潮社 波 2022年11月号 掲載