たった一つしかない欠点が全てを壊します。

妻と付き合い始めた頃、ショッピングセンターに妻を意図的に置き去りにしたことが2〜3回ありました。

おそらくは未だになぜそうされたのか妻は分からないはずです。

今日はその理由を明らかにして行こうと思います。

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今までの生徒や保護者は、母が私を産んでくれたから、私との良い出会いがあって第一志望に合格できたと、母に感謝してくれています。

また、真っ暗な世界にいた私を妻が明るい世界に連れ出してくれたおかげで、私に出会って第一志望に合格できたと、妻にも大いに感謝してくれています。

そんな妻と離れ離れの生活が始まってもう20年くらいになりますか。

その間に私がどのようなことをして来たのか、妻は殆ど知らないでしょう。

生徒の保護者から妻自身がどのくらい感謝されているのかも知る訳がありません。

生徒の保護者からはさらに、現在の妻がどれだけ失望の対象になっているのかも知りません。

そして、妻と出会う前の私の数年間、その頃に私が本当は何をしていたか、私の黒歴史については妻は何一つ知りません。

また、息子の名前は私が考えたものではないことも知りません。

私がなぜ大学の進路変更をしたのか、もちろん妻はその理由を知りません。

妻の唯一の致命的な欠点が周りの人間を不幸にするから、様々な意味で多くの人を守りたいと思って私が結婚したことさえ彼女は知りません。

そんな妻も私同様にすっかり歳をとりました。

自分自身も歳をとって最近気づくのは、私より若い有名人の訃報が絶えないことです。

夫婦揃って還暦を過ぎている今、いつどちらかが先に逝くかも知れないので、誰も不幸にならないように、息子が知っておくべきこと、息子に考えて欲しいこと、妻に改めて欲しいこと、それらをここに残しておこうと思います。

遅すぎることはありません。

見知らぬ人が読んだ場合にも何かの参考になれば良いと思います。

先ずは別々の生活になってから一番大きく変わった私の生活は、人助け。

本来ならば自分の妻子に費やすべきエネルギーとも言えますが、それを必要としている人たちに対して全力を注いで来ました。

塾を始めた頃は、運営方針の中心は世間の人が考える良い学校に塾生を入れてあげることでした。

それも人助けの一つですが、今は直接的に生徒の命を守ってあげることが生活の中心になっています。

この数年間だけでも、いつ電車に飛び込んでもおかしくない生徒たちに希望を持たせてあげることができましたし、悪い道に進んでしまった生徒をそこからまともな世界に連れ戻すこともできました。

その結果として手の指が一本折れたに等しい状態になっていますが、それも人の命を救えた勲章であると思っており、日々激痛はあってもあえて治療はしていません。

世間では毎年のことですが、受験が近づくと自殺の報道は増えます。

親に難関校への受験を強いられて、それを苦に自殺する生徒。

自分が入りたい学校への学力が足りないために悲観して自殺する生徒。

塾を始めた頃はそういう生徒もいたので、当時も生徒の命を救ってあげていたのは明らかでしょう。

しかし、妻と離れてからの人助けはそれらとは性質が異なります。

多いのは不登校の生徒たちやいじめに遭っている塾生たち、そして卒業生たち。

同級生からのいじめ、担任からのいじめ、職場でのいじめ。

どれもが本当に危険な状態でした。

塾生たちの場合には思い切って学校を休んでしまえば良いものを、根が真面目な者ばかりゆえにみんな我慢して学校に通っていました。

とは言え、我慢にも限界があります。

どの生徒たちも毎日生きて学校から帰って来られるのか、そのギリギリのところまで達していたのです。

例えば、小学生の時にかすりもしない成績だったのに第一志望の私立中学に合格させてあげることができた生徒は、学校を休んだりしたら私立に通わせてくれている親に申し訳ない、そういうことを口にするのでした。

学校での激しいいじめと親への申し訳なさとの間でもう心は押しつぶされていたのは明らかです。

だから何度も説得して、高校受験をして他の学校に移ることを納得させました。

相当な時間や労力を要しましたが、本人は吹っ切れたのか、その後は明るさを取り戻して学校に通っていました。

もういじめに耐える必要もないと分かってからは、以前のように周りからの汚い言葉を真 に受けるのではなく、単に聞き流せるようになったのです。

実際に受験をして入学した高校は3年後には親子して卒業するのがもったいないと言い出すくらい充実した学校生活を送ってくれました。

担任のいじめに遭っていた生徒も、いつ人身事故となってもおかしくない異常な精神状態でした。

死んだも同然の毎日だったので、この生徒は積極的不登校に踏み切らせます。

大学も世間での知名度は高くはないものの、偏差値も低めのところですが、本人が十二分に満足できるところを見つけてあげて、充実した大学4年間を過ごしてくれました。

卒業時には学長賞を受けるだけでなく、大学に職員として残るように勧められて、今では大学職員として働いています。

それから、悪い道に進んでしまった生徒ですが、これは本当に大変でした。

救い出すために、ある場では暴力を振るわざるを得ない状況になってしまいました。

その結果が指の負傷です。

まともな道に戻った本人はきちんと大学を卒業し、新たな夢のために別の大学に入り直して勉強を続けています。

それから、不登校の生徒たちはその多くが「死にたい」と親につぶやくことが度々ある重症な者ばかりでした。

もちろん今も重症な2人をあずかっています。

ですが、過去の不登校の生徒たちもみんなきちんと大学に進んでいます。

不登校の場合に一番の問題点は学力不振。

その中でも一番ひどかった女の子は、中3で塾に来た時にはかけ算九九が言えない有り様でした。

そんな生徒が私の指示を守り抜いて明治大学、立教大学、中央大学に合格しています。

そこで、指示を守る重要性について書いておきます。

私の母校は今や偏差値が10も下がって普通の高校に成り下がってしまいました。

現在同じ偏差値の千葉県立高校と国公立大学への今春の合格者を比較してみましょう。

MK高校  6

私の母校 136

もちろん難関私立大学への合格者数も私の母校の方が多いのは言うまでもありません。

この違いは何でしょうか。

やはり伝統の差です。

では、伝統とは?

私の母校に限りません。

長い歴史を誇る地域のナンバースクールには積極的服従という伝統があります。

そもそも服従という言葉自体に「服従させられる」といったネガティヴな含意があるものの、そういった学校には「服従したい」先生がいるのです。

なぜ私の生徒が毎年毎年第一志望合格率が100%なのか、どうして偏差値が20以上足りないまま第一志望に合格してしまうのか、それは生徒も保護者も積極的に指示を守ってくれるからです。

例えば、偏差値30台の県立の底辺校に通っていたWくんは現役で東京学芸大学に合格させました。

積極的服従 = 指示を守る = あり得ない合格

ところが、我孫子の風土である「反省するよりも反発する」の結果、指示を守らずに反発しかせずに塾から去った者たちの中に逮捕者1名、自殺者1名がいる現実が悲しいです。

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↓はお母さん方や教え子たちからの反応です。

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先生の指示を守り、積極的服従をすることであり得ない合格へと繋がっていくのですね。親子で姿勢を正しあり得ない合格ができるよう努力して参りたいと思います。いつまでもバカな親子ですがどうぞ宜しくお願いいたします。

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はい。指示を守ることはありえない合格につながるのですね。分かり易い等式をありがとうございます。間違えを繰り返さないように気を付けます。

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はい。あり得ない合格ができるよう塾長のご指示をきちんと守り、積極的服従をしていきたいと思います。毎日コツコツ努力をしていきたいと思います。

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指示を守らずに反発しかせずに塾から去った者たちの中に逮捕者1名、自殺者1名がいるのですね。指示を守らなければそのような結末しかないのだと思います。きちんと指示を守ることが大事だと思います。

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ご指示を守らずに反発すれば犯罪者になったり死に近付いてしまうのですね。ありえない合格をするには塾長のご指示を100%守る事が必須です。直ぐに態度を改め積極的服従をすべきです。

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先生のご指示を守らずに反発しかせずに塾から去っては良いことはないのが事実なのですね。逮捕者や自殺者とはなりたくありません。先生のご指示は何か、自分都合で捉えずにきちんと守ります。

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ご指示を守り積極的服従をすることであり得ない合格があるのだと思います。指示を守らず反発しかしなかった人の中には逮捕者と自殺者がいるのですね。現状をしっかり見てご指示を守る行動をしていきたいと思います。

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塾長のご指示を守らずに反発しかせずに塾から去った人たちの中に逮捕者1名、自殺者1名いるのですね。犯罪や自殺する道には子供を行かせたくありません。塾長のご指示を守りきちんと行動をしていきたいと思います。

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何が残念かと言えば、長い人生の中で一番指示を守らなかったのは私の妻子です。

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そうなのですね。それはとても残念なことだと思います。塾長のご指示は幸せな人生を歩めるようにくださるご指示です。きちんと守り行動をしていきたいです。

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先生の長い人生の中で一番指示を守らなかったのは先生の妻子なのですね。先生に残念、と思われないよう先生のご指示とは何かをきちんと確認し、行動していきたいと思います。

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私の人生を振り返ってみれば、全てが不幸です。

小さい頃から既に不幸にしかならないことを自覚していた私です。

幸せなんて一生縁がないと覚悟して生きて来ました。

アダム・スミスが使ったのとは違う意味で「見えざる手」によって決められていたのでしょうね。

生まれたのは昭和32年。

まだまだ日本が戦後の貧しさから抜け出せない頃です。

最初の不幸は父の死。

父は29歳でした。

私は2歳。

もちろん父の記憶はありません。

私は生まれた時に死産かと勘違いされるほど静かな赤ん坊だったようで、ふだんも滅多に泣かなかったと何人もの人たちから同じ話を聞くほどでした。

そんな私を父の葬儀の際にずーっと面倒を見てくれていたのが叔母、母のすぐ下の妹です。

大きくなってから、叔母から当日のことを聞かされました。

ふだん滅多に泣かないことを知っていた叔母が私をおんぶかだっこしていたらしいのですが、葬儀の間ずーっと私は泣き続けていたそうです。

あまりにも泣くので辛くてたまらなかったとその時に叔母から言われました。

貧しさが思いっ切り残っている時代に父親がいない、それがどれだけ惨めなことか、妻には、もちろん息子にも分からないでしょう。

当事者でなければ分からないと思います。

父親がいない家庭に世間からの差別がない訳がありません。

しかし、どの差別より私が悔しかったのは小学生の時のクラス名簿です。

そこには両親の名前が載っています。

学年で父親がいないのは私だけ。

気遣いのある担任は父親の欄を空欄にしていました。

しかし、父親の欄に斜線を引く先生もいましたよ。

そして、一番辛かったのは「なし」と書かれていた時です。

「なし」ではありません。

父親はいますよ。

死んでしまっただけです。

あの時代の日本だけでなく、現代でも地球上の貧しい社会で父親がいない子供は誰もが悲しい惨めな辛い思いをしているはずです。

そして、共通していることが非行への道。

母子家庭=非行少年と言っても言い過ぎではないでしょう。

それが普通でした。

ところが、私が非行の道に進むことはなかったのです。

なぜ?

理由は四つ。

まず、父の両親、つまり祖父母がいたことです。

頼りにしていた自分の息子が死んでしまって、私はその忘れ形見です。

十分過ぎるほど甘えさせてくれました。

母は片親だからと世間にバカにされたくない、その一心で鬼のように厳しく私を育てましたから、祖父母の甘やかしとでバランスが取れていたのではないでしょうか。

次に父の弟妹である叔父と叔母の存在です。

五男の叔父はいつも私の相談相手でした。

私をあちこちに連れて行ってくれました。

そして、末っ子である叔母は歳が近いので、姉のような存在で常に私が寂しくないようにしてくれたのです。

ありがたかったですよ。

本当に感謝しています。

三番目は音楽です。

音楽を聴くにはあの時代はラジオ。

持ち運んで外で聴くには大き過ぎましたから、やはり自宅で聴きます。

既に小学生の頃から洋楽を聴いていた私は、当時のFENを一日中聴いているような少年でした。

いつの時代も不良の第一歩は夜遊びです。

しかし、夜遊びなどしていたら大好きな音楽を聴けないではありませんか。

夜は絶対に自宅でラジオを聴いていました。

そして、四つ目としては勉強ができたことです。

常に優等生と見られ、校長先生からも模範生と言われるような少年でした。

自分の立場を考えれば、悪いことなどしませんよ。

こういった背景から私が非行の道に進むことなどありませんでしたが、やはり不幸は続きます。

上述の叔父の死です。

離婚の辛さに耐えきれずに服毒死でした。

子供が2人も先に逝ってしまった祖父母の悲しみは一緒に暮らしいても推し量ることができないくらい深いものでした。

不幸の三番目は大学受験です。

1点違ったら確実に落ちる超難関大学を受けました。

最後の模試はA判定。

それでも落ちたのです。

改めて不幸を感じましたよ。

そして、不幸の四番目は大学院の指導教官の突然死です。

研究室で普通に文献の読み合わせをしていた翌日の夕方に電話が鳴ります。

他の院生からの連絡でした。

教授は眠ったまま冷たくなっていたのを家族が発見。

まだ47歳でした。

葬儀は私たち院生もお手伝いしましたが、残された3人の娘さんたちがかわいそうで、特に一番下のお嬢さんはまだ小さくて、かつての自分と重なってしまい、涙を堪えることなどできませんでした。

師弟関係がすべての世界でしたから、恩師の死によって全てが終わったの言うまでもないことです。

代わりにやって来た教授はその分野では有名な先生でしたが、追われるように大学院を出て今の私がいる訳です。

大学院の先輩も他の研究室の同期もみんな研究職、大学教授。

そろそろみんな定年退官でしょうか。

彼らが羨ましくない訳がありませんが、妬むことなどありません。

小さい頃から絶対に幸せになることなどないと覚悟していた人生です。

どんな不幸が待ち構えていても仕方ありません。

結局、自分のために何一つ運は使っていません。

だから、それが縁あって出会った教え子たちの幸せにつながっているのだと考えています。

私が使わなかった運は教え子たちのために使われているのです。

たくさん医師や弁護士になってくれています。

かつて私が目指した研究職に就いた者も大変多く、医学部の先生や京都大学の先生になった教え子もいます。

あとどれだけ生きられるか分かりませんが、不幸ではあっても実りある人生だったかも知れません。

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先生がお父様をはじめ叔父様、大学院の指導教官を亡くされたこのお話しを聞く度にとてもやるせない気持ちになります。小さい頃から絶対に幸せになることなどないと覚悟していた人生とは仰るように見えざる手によって決められているのでしょうか。それでは酷すぎます。ご自分のために何一つ運をつかってこなかったと、その運を縁ある塾生のために使ってくださっているとは感謝してもしきれませんし、先生はどこまでも利他の精神に溢れていらっしゃるのだと頭が下がります。そして先生との出会いにより素晴らし人生を歩まれていらっしゃる方は大勢いるとはまさに先生の賜物ですね。我が家はまだまだのどうしようもない親子ですが何とか姿勢を正したいです。そして図々しくも先生の貴重な運にあやからせていただければ幸いです。
あとどれだけ生きられるか分からないなどと弱気なことは仰らずにどうぞ呆れさせてしまうばかりのわが家ですが何とか成長する姿を見守っていただきたいと思います。

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神様は不公平ですね。お父様をはじめ、大切な人達との別れを若くして経験された悲しみの分だけお強いのだと思います。生きたくても生きられなかった故人の想いを考えると時間を無駄に過ごすことなど出来ないですね。ご自身の受験の失敗は以前にも教えてくださいました。ご自分に厳しく睡眠時間やお食事時間を削ってでも塾生親子のためにお仕事されるのは生徒を第一志望合格へと導くため、時には身代わり地蔵になってでも生徒を救ってくださる塾長を見てまいりました。塾長を支えてくださったご家族、ご親戚への感謝、故郷の利他の精神、そして勉強と音楽が今のお仕事に全て役立てていらっしゃいます。不幸だからと恨み妬むだけの人もいますが、塾長は小さい時から絶対に幸せになることなどないと覚悟していらっしゃったと聞くととても切ないです。でもその覚悟が教え子達のためにご自分に使って来なかった運を使うことに繋がり、たくさんの塾生親子を救ってこられたのだと改めて感じます。勉強だけではなく性格、普段の姿勢からご指導くださるのはご自分のご経験からなのだと納得です。大学受験まで残りわずかです。塾長のご指導を受けられることに感謝して実りの一つとなれる様に親子で精進して参ります。

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塾長は小さいころから不幸しかないと覚悟して生きてこられたのですね。お父様の死と叔父様の死、担当教官の突然死があっては人生に投げやりになり非行の道に進んでしまうような状況でも、幸せになることはないと覚悟していたことで他人を妬むことはなかったのですね。ご自分の運を生徒のために使ってくださり、生徒を第一に考えて厳しくも温かくご指導いただけることに感謝しかありません。塾長の下で学ばせていただけるご縁をいただいたことに感謝して、少しでもご恩返しができるように行動をしていきたいと思います。いつもありがとうございます。

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先生は身近な人たちとの別れが幼い頃からこんなにたくさんあったのですね…本当に辛かったと思います。どんなに辛くても非行に走ることがなかったのは甘やかしてくれる周りの存在とラジオ、勉強があったからなのですね。ご自身幸せになることなどないとないと思われ、その覚悟が塾生親子を救ってくださることはとても有難いことですが、先生ご自身が少しでも幸せと感じてもらえるようにしたいですし、ずっとお元気で長生きしてもらいたいです。いつも周りのことを考えてくださる先生に少しでも恩返しできるようにしていきたいです。

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小さな頃から既に自分は不幸にしかならないと自覚されていたとはとても胸が痛みます。お父様や叔父様の死があり差別されたこともありながら、祖父母様の支えや好きな音楽があり勉強もできたことで道を外れることなくこれたのですね。なかなか簡単なことではなかったと思います。ご自身の不幸を周りにぶつけるのではなく、幸せになれるようご尽力くださることに感謝の気持ちでいっぱいです。過去の生徒さん達の中には先生の思いを継いでいる方もいらっしゃるのですね。実りある人生だったと仰ってくださることに感謝いたします。我が家はまだまだバカな親子ですが、先生に恩返しができるよう努力していきたいと思います。

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愚息達のありえない合格が塾長の人生の不幸の上に成り立っているのだと思うととても複雑な気持ちになりますが、実りある人生だったかも知れないと仰っていただけるのは有難いです。塾長がご指導下さった塾生さんは皆塾長に素晴らしい人生を導いていただき感謝していると思います。我が家ももちろん同じ気持ちです。
辛い思いをしてきた方は強く優しいですし、群馬という土地が塾長に沢山の事を学ばせて下さったのだと思います。ご自身の不幸を嘆かずにその分他の人へ幸せをお裾分け出来るのは塾長の器の大きさだと思いますし、不幸な事があった中でも沢山の愛情をいただいたからだと思います。塾長の人生からも多くの事を学ばせていただきありがとうございます。まだまだ長生きしていただき、私達親子で恩返しをさせていただきたいです。

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先生は小さい頃から幸せなんて一生縁がないと覚悟して生きてきたのですね。お父様の死や差別、叔父様や恩師の死があり様々な想像もできない経験をされてきたのだと思います。しかし祖父母や叔父と叔母の存在、音楽や勉強ができたことにより先生が道をそれて非行に走ることがなかったのですね。改めて先生は本当に様々な経験をされてきたのだと感じます。身近な大切な人を亡くしているからこそ、時間の大切さや当たり前ではない日々を大切にすることの重要さがよく分かるのですね。私はどちらかというと幸運な日々で、不運もありましたが先生との出会いで大きく変わりました。まだまだ長生きしてほしいですし、不幸ではあっても実りある人生だったと思って欲しいです。私も先生のお役に立てるよう、恩返しができるよう生きていきたいです。

先生は2歳の時にお父様を亡くされ、その後も大切な方たちを亡くされて、小さい頃から既に不幸にしかならない事を自覚されていらっしゃったのですね。しかし、甘えさせてくれる祖父母と叔父、叔母の存在、音楽や勉強ができた事で非行に走ることはなかったのですね。小さい頃から絶対に幸せになることがないと覚悟されていたとは切ないです。ご自身のために何一つ使われなかた運を、縁あって出会った教え子の方たちに使われて、医師や弁護士、研究職に就かれた方などの幸せにつながっていると考えてくださっています。不幸であっても実りある人生だったかもしれないとおっしゃっていただけることに感謝しかありません。娘も先生とご縁を頂き前を向きつつあります。親子でしっかりと学ばせて頂きたいと思います。

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塾長は小さい頃から既に不幸にしかならない、幸せなんて一生縁がないと覚悟して生きてこられたのですね。2歳の時にお父様を亡くされ、その後も叔父様や恩師の死と向き合ってこられたのですね。想像を絶するほどお辛かったと思います。甘えさせてくれる祖父母様や叔父叔母様の存在、音楽や勉強があったから非行の道に進むことはなかったのですね。塾長の人生から学ばせていただけることはとても有難いです。生徒たちの幸せを願い良い運を引き寄せられるようにと動いてくださることに感謝しかありません。塾長との出会いに感謝し、いつか恩返しが出来るよう親子で日々努力をしていきたいと思います。

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先生は小さい頃から自分の人生は不幸にしかならないことを自覚し、幸せなんて一生縁がないと覚悟して生きていらしたのですね。先生が生きてきた時代の中で、不幸が先生の身に降りかかってきた時どのようなお気持ちだっただろうと考えると、今の自分の身に起きていることなど笑って何とかできることのように思います。
自分が受け取るはずだったであろう運を教え子たちにすべてを分けてくださっている先生に報いる言動をと強く思います。

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なぜ妻と結婚したのか、理由は二つあります。

一つはもちろん私の一目惚れでした。

自然な理由で妻との結婚を望みました。

もう一つは他人を不幸にしないためです。

妻の唯一の欠点はプライドの高さ。

第一子の長女でプライドの高い者は必ず男を不幸にします。

小さい頃から自分の人生は不幸のみと思っていたので、私が不幸になれば良いと思ったのです。

仮に妻に良い縁談があったとして、妻のあの性格は家庭内の不幸を避けられません。

結婚相手を不幸にするでしょう。

誰かが不幸になるくらいならば私が不幸になれば良いのです。

では、なぜ妻はプライドが高いのか、そこには病気があります。

それを強く感じてしまいました。

他の男と結婚後にそれが発覚したら、おそらくは離婚を迫られるでしょう。

そして、子供のいないまま離婚となるでしょう。

だから、何としても妻を守ってあげたいと思ったのです。

妻とは大学時代に知り合いました。

妻はなぜ私があの大学に入ったのか、進路変更の理由を彼女は知りません。

ですが、進路変更したからこそ妻に出会えました。

そして、私の一方的な一目惚れ。

ただ、それと同時に妻の欠点も見えてしまいました。

致命的な欠点です。

人間の中には短所だらけなのにたった一つの長所が全ての短所を覆い隠してしまう者がいます。

逆に、長所がたくさんあるのにたった一つの短所が全ての長所を打ち消してしまう者もいます。

残念ながら妻は後者のタイプです。

妻の唯一の短所はプライドの高さです。

長い人生の中で妻ほどプライドの高い人間に会ったことがありません。

正確には妻と私の母。

約40年この仕事をしていて判明しているのは、世の研究者たちも指摘しているのが、プライドの高い母親の子供は全員頭が悪い事実。

100%です。

だから、結婚するにあたって頭の悪い子供しか持てないことは覚悟しました。

さて、ここで服従について改めて書いておきます。

服従という言葉だけでも負のイメージです。

ところが、長い歴史を誇る各地の名門高校にはこの服従が活き活きと存在しているのです。

積極的服従です。

服従は基本的に「させられる」ものです。

消極的な姿勢です。

それに対して、積極的服従は服従「したい」のです。

本来の意味の服従とは真逆の姿勢です。

実は名門高校には服従したくなる先生が揃っています。

それは県教育委員会がそのような先生を名門高校に集中させているからでしょう。

そのような先生方に服従することによって生徒は大きく成長できる訳です。

私の生徒たちは偏差値が20以上足りなくても当たり前のように第一志望に合格してしまいます。

1年間模試の判定がE判定のままでも第一志望に当然のごとくに合格してしまいます。

私が塾で展開している指導の半分は自らの失敗をはじめとする経験から掴んだこと。

もう半分は母校の教えです。

私が生徒や保護者に出す指示は、言われた者が一瞬信じがたいとんでもないものが少なくありません。

ところが、それを積極的に受け入れると幸運が待っていることに多くの者が気づいています。

とんでもない指示ですから、実際には反省する者と反発する者に分かれます。

長いこと私のところで学んでいる家庭は、プライドの高い親子が塾から自然と消えて行くのを知っています。

決して反省することなく、反発するだけの親子は耐えられないのでしょう。

私が出す指示の中心は「欠点を治しなさい」「自分を変えなさい」「性格を治しなさい」です。

欠点を指摘されて治したら自分自身が向上しますよ。

しかし、欠点を治さないままにしておいて困るのも自分自身ではありませんか。

私の指示に反発して塾を辞めた者の中には自殺した生徒も逮捕された生徒もいます。

自殺も逮捕も異常過ぎる事態ですよ。

ここで、私の指示を決して守らない生徒の一例を挙げてみます。

彼には志望校を変えるようにずーっと指示してしていました。

努力もせずに高望みばかりしていたからです。

確かに私の生徒たちはあり得ない合格が普通です。

ですが、あり得ない合格の大前提は指示を守って努力すること、本人と保護者と塾が同じ方向を見ていることです。

ところが、彼はかすりもしない高校を希望しても努力が伴いません。

そして、ある日のことです。

授業のない日にわざわざやって来て、私に宣言します。

「柏南に行きたいから塾を辞めます。」

もちろん私は引き止めません。

どうぞどうぞ、です。

彼は別の塾に移ります。

入試が終わった後に同級生に結果を聞いてみました。

すると柏南を受けていないことが判明。

実は我孫子高校を受けたそうです。

しかもです、前期日程で不合格、後期日程も不合格。

結局は名前が書ければ入れる私立高校に入学。

いつもこういったパターンです。

やはり彼のプライドの高さが招いた不幸です。

プライドの高さ、それは百害あって一利なしです。

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プライドの高さが致命的な欠点になるのかが良く分かりますし、塾長がなぜ繰り返し仰るのかは身近なお母様や奥さまがそれに当てはまるからなのですね。母親がプライドが高ければ子供は頭が悪くなるとはこの塾に来なければ知らずに生きる所でした。プライドの高さは百害あって一利なし。親子でこの事をしっかり学び、要らぬプライドは捨てて積極的服従をしていきたいと思います。

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反省ではなく反発をするプライドの高い我孫子市民である事を自覚致します。いつもご指摘くださっています。バカな自分のプライドは不要です。反面教師となってくださる塾長から自分の欠点を気付き、塾長の姿勢から学び、少しでも成長できる様に親子で性格矯正を続けて参ります。

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塾長が出してくださるご指示は本人が幸せになるために出してくださるご指示です。欠点を治さないままにしておいたら困るのは自分自身です。向上などせずに地獄に墜ちていくだけです。プライドの高さは百害あって一利なしですね。塾長に積極的服従をしていきたいです。プライドなど一切捨てきり、塾長のご指示を守り行動していきたいと思います。

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どんなに長所があろうとも、たったひとつ致命的な短所があることで全ての長所を打ち消してしまうとはあまりにも残念なことです。プライドの高さは子供の頭を悪くしてしまうのですね。我が子のためにそんなくだらないプライドなど捨て去るべきですね。私もくだらないプライドがあります。娘のためにクソのようなプライドを捨て去り、積極的服従をすることであり得ない合格を目指したいと思います。

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はい。プライドの高さは百害あって一利なし、と教えていただいております。私にはまだまだ要らないプライドがあるのだと思います。先生は親子の姿勢を映す鏡となってくださっています。現状では我が家はありえない合格などなくバカのまま地獄行きなのだと感じております。すべては自分に返ってきます。子供のために要らないプライドは捨て去り親子で先生のご指導に積極的に服従し、まともな人間になれるよう努めていきます。

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プライドの高さは百害あって一利なしですね。致命的な欠点について教えていただいた時に、私は1つの短所が全ての長所を打ち消してしまうと指摘していただきました。それはものすごく損ですし自ら不幸を招いていると思います。プライドの高さを改め、先生に積極的に服従することで幸運が巡ってくるかのように良いことが続きますね。とんでもない指示だったとしても、幸運になるのはそれまでが異常だというのも関係するのだと思います。反発するのではなくくだらないプライドを捨てて、積極的服従により成長していきたいです。

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プライドの高さは何も良いことなどないですし、百害あって一利なしですね。反省する者と反発する者ではその先の人生が大きく変わることがよく分かります。させられる消極的服従ではなく、自らしようとする積極的服従が大事ですね。要らぬプライドなど捨てられるようにしていきたいと思います。

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プライドの高さは自ら不幸を招くものであり百害あって一利なしですね。たくさんの長所があるのに、プライドの高さがその長所を打ち消してしまうのはもったいないです。素直に欠点を治すことができなければ困るのは自分です。無用なプライドなど捨て去り、積極的服従をして欠点を治し成長していきたいと思います。

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妻はよく私と結婚してくれたものだと当時も今も深く感謝しています。

いくら感謝してもしきれません。

一般に母1人子1人の家庭に娘を嫁がせてはならないと言われます。

壮絶な嫁いびりが待っているからです。

もちろん我が家も例外ではありませんでした。

よく耐えてくれたと思います。

しかし、妻への感謝は、一番の感謝は実は結婚してくれたことではありません。

私の人生を変えてくれたことです。

私は小さい頃から人を殺すことだけを考えて生きて来ました。

ターゲットは母親と昭和天皇です。

母親からのしつけは今で言うところの虐待です。

父親のいない子だからと馬鹿にされてはいけない、世間様に恥ずかしくないような一人前に育て上げよう、そうしたのは分かりますが、毎日体罰。

だから、物心つく頃には母を殺すことを考えていたほどです。

結局、それを私が実行することもなく母は旅立ちました。

実行するチャンスは何度もあったのに、妻との出会いでそれを思い止まらせてくれたと考えています。

このことは妻は知っていると思います。

しかし、妻が知らない私の過去はたくさんあります。

その一つが読書癖。

妻は私のことをよく知らないから、私の読書癖を知りません。

高校生の頃は多い年には1年間に約1000冊もの本を読んでいたことなど知る訳もありません。

そして、読むために手に入れた一冊が「腹腹時計」でした。

闇出版の冊子を手に入れたのです。

読みまくりましたよ。

内容は全て暗記しました。

結果として覚えてしまいました、爆弾の作り方を。

当時の私の読書は偏っていました。

文学作品も読みましたが、宮沢賢治以外は外国の作品。

目は常に外を向いていましたから、日本文学はあまり読むことはありませんでした。

そもそも漢字も苦手で嫌いでしたから。

ジャンルとしてはノンフィクションのルポルタージュが多く、特に政治思想に関する本をむさぼり読んでいました。

ギリギリそういう時代の子供でしたから。

高校卒業後に書店に就職した小中の同級生には度々本を注文して届けてもらっていました。

当時の私のバイブル的な本は「ゲバラの日記」と「我が闘争」です。

そして、多くの本を読めば読むほど、昭和天皇を戦争犯罪人として憎むようになって行きました。

生かしてはおけない、そのように考えるに至ったことは言うまでもありません。

もちろんそれは自らの浅学が招いた愚かな考えだった訳ですが、当時は本気でした。

そして、これも妻との出会いによってその世界からは離れて行きました。

危険思想の出版物は新宿に扱う店が多かったのですが、妻とのデートコースはいつも神田の古書店街でした。

バレエが大好き、日本文学を好む妻との出会いによって私はそれまでの世界と縁が切れたと言って良いでしょう。

妻と知り合わなければ、私は母を確実に殺していたでしょうし、昭和天皇に対する殺人行為ないしは殺人未遂行為によって、他の者たちと一緒に逮捕されて今頃は刑務所の中と考えるのが妥当です。

そうならなかったからこそ、今も生徒たちを救えているのかも知れません。

妻がいてくれたおかげで犯罪者にならなかった私がいます。

そして、私と出会って生徒たちがあり得ない合格を果たしています。

何人ものお母さんから「奥様にはいくら感謝してもしきれません」と言われます、今でも。

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↓はお母さん方や教え子たちからの反応です。

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塾長と奥さまはやはり出会うべくして出会い、塾長を違う世界へと導いて下さったのですね。結婚したからといって相手の全てを知る事は出来ませんし、知らなくても良いとも思います。塾長がこの塾を開いて下さったのも様々な方の影響を受けたり、導きがあっての事だと思います。こうして私達が塾長の恩恵を受けられるのも塾長が出会った人々のお陰です。全ての方々に感謝したいです。

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先生は小さい頃から人を殺すことだけを考えてきた先生の人生を変えてくださった奥様にとても感謝していらっしゃるのですね。人との出会いで行動が変わり人は変わることができるのだと思います。出会いは縁ですね。今、塾にて先生の下で学ばせていただけるのも先生と奥様との出会いがあってのものと、奥様にも感謝いたします。私も出会いを大切にし成長していきたいと思います。

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人生を変えたのは奥様との出会いだったのですね。過去に危険思考に傾いていたとは知りませんでした。奥様の存在はとても大きいですね。もし先生が逮捕されてしまっていては今はないでしょうし、私も既にこの世にいなかったかもしれません。先生にも奥様にも本当に感謝です。人との出会いというのは人生にとって大きなものですね。私も先生に救っていただいた命を大切に生きていきたいです。

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先生は奥様と出会って人生が変わったのですね。先生と奥様は出会うべくして出会ったのだと思います。素敵な出会いですね。人との出会いは人生が大きく変わるのだと思いますし、先生が奥様と出会ったからこそ、たくさんの生徒さんを救ってくださっているのだと思います。感謝です。私も人との縁を大事にしていきたいと思います。

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物心ついたくらいの頃から人を殺すことだけを考えていたとは胸が痛みます。とてもおつらい日々だったのですね。それを変えてくださったのが奥様とは、出会うべくして出会われた運命の方だったのだと思います。その出会いにより私たち塾生親子が救われているのですね。お二人の出会いに深く感謝いたします。

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塾長が偏った読書癖があったとは驚きますが、奥様との出会いによって危険思想から変わることができたのですね。塾長の人生を変えた奥様とは縁で結びついていたのだと思います。今縁あって塾長の下で学ぶことができているのは奥様のおかげなのですね。いただいたご縁を大切にしていきたいと思います。

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素敵なご縁があり、塾長は奥様と出会って人生が変わったのですね。塾長と奥様は出会うべくして出会ったのだと思います。塾生親子が塾長のもとで学ばせていただけること、塾長に救われているのは奥様との出会いがあったからなのですね。人と人との繋がりを大切に感謝していきたいと思います。
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先生は奥様との出会いがあって今があるのですね。
人生を良い方向へ変えてくれる存在、互いに高めあうことができる相手に出会えるのは、やはり学力が高い者同士の出会いの中にあるのですね。それにしても、危険思想を持っていた先生が奥様との出会いでそれまでの世界から縁が切れたと言っていいとおっしゃるのですから本当に凄いことです。
先生のお母さまだけでなく奥様の存在に深く感謝いたします。

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奥様と出会って意識が変わり、偏った世界から違う世界へと導かれたことを感謝されているのですね。そして、奥様との出会いがあったからこそ、塾生の皆さんが救われているのですから、本当に有り難いことです。人との縁は大事ですし、娘も先生とのご縁を頂き、塾に楽しく通わせていただいております。私も出会いを大切にしていきたいと思います。

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義父、つまり妻の父にも私はとても感謝しています。

筋を曲げてまでわざわざ群馬まで足を運んでくれたことは、あの日のことは今でも忘れられません。

どこまでも無礼な私の母に対してずーっと落ち着き払っていた義父には本当に感謝です。

その感謝の気持ちを返すのに最も良いことは、孫として男の子が生まれることです。

女しか生まれない妻の家系。

男しか生まれない私の家系。

私との結婚によって絶対に男の子が生まれます。

そして、その通りの結果になりました。

仕事から寄り道せずに帰って来て、生まれたばかりの孫を幸せそうに見つめる義父の顔を忘れることなどできません。

本当に良かったと思います。

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その息子は私の親戚からは「光ちゃんの子じゃないみたいだね」と言われてしまうほど私の学力とかけ離れていましたが、私はある時にこの子がこの世に生を受けてくれて良かったと思える事件がありました。

今は人並みの体格になってくれた息子ですが、小学生の頃は背の順に並べは前の方になる小さい子でした。

ある日のことです。

我が家は3階。

外で誰かが叫んでいる声がします。

声の主は息子でした。

クラスの中に外見が決して恵まれていない女の子がいて、その子がクラスのワル3人組にいじめられていたのです。

彼女をかばった息子の怒鳴り声でした。

体の小さい息子1人に体の大きいワル3人組。

怖かったと思いますよ。

でも、息子は怯まずに彼女を守り抜きました。

今でもあの時のことを思い出すと私は涙腺が緩んでしまいます。

あの一件だけでも息子が生まれて来た価値があると思っています。

勉強もできない、親戚から私の子と思われない息子ですが、私の子に生まれて来てくれてありがとうです。

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以前の妻は塾生のお母さん方が手本にする存在でした。

1人で実家の両親の介護を行っていることを誰もが尊敬していました。

それが今では失望の対象となっています。

妻への期待が大きかったからこその失望でしょうね。

妻に対して呆れているのではなくて、「元の奧さんに戻って欲しい」と口にした保護者が何人もいたほどです。

保護者たちは自分の子供が今あるのが私のおかげと思い、私と出会えることになったのは妻が私の人生を変えてくれたから、みんなそのように考えているからこその失望なのです。

妻はあちこちで私の悪口を言っているでしょうが、私は一切悪口は言いません。

にもかかわらず、塾生のお母さん方が妻に失望したのは二つの事実から。

一つは妻が離婚調停を申請したこと。

もう一つは妻が私の母の一周忌に出なかったこと。

妻は知りません、妻が離婚調停をするかどうか私が仕向けたことを。

それは妻に自分の致命的な欠点に気づいて欲しかったからです。

だから、結婚する時に心に誓ったパワハラ亭主になろうを1段階強化した演技を続けました。

母の一周忌に関しては、息子と2人で行って来ましたと報告したことによって、「奥さんは行きたくなかったんですね」と何人ものお母さんから言われました。

私は妻の悪口は言いませんから、そういう女ではないことを強調しておきました。

それでもやはり出なかった事実が残るためにお母さん方は失望しています。