約40年の間に様々な家庭を見て来ましたが、私はまだましな亭主なのではないかと思います。

色々な旦那がいましたから。

・・・・・

↓はお母さん方や教え子たちからの反応です。

・・・・・

私としては父と比べると圧倒的に先生の方が良いです。私の目線で見る父が全てでは無いことは分かっていますが、やはり面倒な部分が多いですし、お酒については本当に最悪です。色々な人がいると思いますが、やはり先生の方が良いと思います。

・・・・・

たくさんの家庭を見ていらっしゃいますから様々な夫婦の形をご存知なのだと思います。勤勉で丈夫ていらっしゃいますし、おまけに頭がよくてユーモアもお持ちでいらっしゃるではないですか。ましとは謙遜しすぎです。

・・・・・

過去には色々な旦那さんがいらしたのですね。先生は周りのことまで考えてくださって、そんな素敵な旦那さんは他にいないと思います。父にも見習ってもらいたいです。

・・・・・

先生は40年間様々なご家庭をご覧になり様々なご夫婦をご存知なのですね。私の周りにも本当に漫画にでも出てきそうなほどひどい言動に驚く旦那さんが何人もいます。先生は奥様と息子さんのことを大切に思う良い旦那様だと思います。

・・・・・

塾長は40年の間に様々な家庭を見てこられたのですね。一つとして同じ家庭はなかったのだと思います。塾長ほど先を見ていろいろなことを考えてくれる旦那さんは、なかなかいないと思います。

・・・・・

色々な(困った)旦那の一人を夫に持っておりますので、先生のような存在は「まだまし」ではなく「ずっと良い亭主」に思います。言葉に出さずとも行動することでご家族を守っていらっしゃいますし、感謝を胸に秘め常に相手をことを考えた言動をとっていらっしゃいます。
余談になりますが、ある時点から夫に対して疑問に思うところがどんどん増えていったのですが、そういう夫にも私に思うところがあるはずと意識して生活しております。

・・・・・

先生は40年の間に様々な家庭を見てこられたのですね。夫婦は鏡ですから、先生を見習い感謝の気持ちを持って、自分の欠点に気づけるようにしていきたいと思います。

・・・・・

塾長は40年の間に様々な家庭、その家庭の旦那さんを見てこられているのですね。塾長は奥様と息子さんを守っていらっしゃいます。とても素敵で優しい旦那様だと思います。

・・・・・

相手の気持ちを推し量って行動して下さったり、常に相手の事を気遣って下さる塾長は「まし」どころかずっとずっと素晴らしい旦那さまです。塾長には我が家はどのように見えているのか分かりませんが…我が家もなかなかな家庭だと自覚いたします。

・・・・・

先生は奥様と息子さんの命を守るために備えていらっしゃいますし、より良くなってもらいたいと願い先を見据えて行動してくださるとても素敵な旦那樣だと思います。色々なだんな、に我が家も含まれていると思います。

・・・・・

約40年の間に様々な家庭を見てきているのですね。塾長は奥様、息子様を守るために先を見て考えていらっしゃり、自分の事よりも他人の事を考えて下さる素晴らしいお人柄だと思います。奥様、息子様は大変幸せだと思います。

・・・・・



妻が報連相をしないために私がどのくらい不快な思いを続けて来たのか、何でも事後報告の姿勢が夫婦関係をぶち壊してしまうのかを身をもって気づいて欲しかったのが国民年金の集金が新木の家まで押しかけたことです。

あの時点で私は妻が住民票を柏から我孫子に移したことを事後報告として聞かされます。

またかと本当にがっかりしました。

報連相をしない、常に事後報告、それがどのくらい不快なのかを妻に知って欲しくて私は年金を、もちろん私の分も払わないでおきました。

あの直後に妻は憤慨して連絡して来ました。

私は付き合い始めた頃からずーっと妻の鏡を演じて来ました。

たくさんある妻の素晴らしい特徴を唯一の欠点であるプライドの高さが全てを打ち消してしまうからです。

40年経ってもまだ妻は気づいてくれません。

母はコロナ禍になる前に、施設にいた頃に「裕子さんはまだ気づいてくれないのかい」と悲しんでいました。

40年前に私が母に話しておいたことは以下の通り。

・必ず結婚は破綻する
・生まれる子供は頭が悪い
・必ずみんなが不幸になる

だから母は結婚に猛反対したのです。

息子を嫁に取られてしまうことを不満に思うヒステリーが半分。

もう半分は自分の息子だけでなく、妻自身も生まれてくる子供も不幸になることを冷静に心配しての猛反対でした。

指摘されて気づくのではなく、自分自身で気づいて欲しいがために40年間私は直接言うことをしませんでした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

息私の子供に生まれたくなかったと息子は妻に語ったことかありますが、考えて欲しいことが三つ。

先ず、それは昔も今も多くの者が通る道であること。

反抗期・思春期には殆どの者が思うことです。

はしかのようなものです。

だから、そう思って良いのです。

成長のためにそう思うべきですよ。

しかしです。

二つ目として息子には直接釘を刺しました。

将来自分の子供にそう言われた時に堂々と反論できる学歴や学力がある大人になっていないと困るのは自分であること。

息子は黙ってしまいました。

三つ目として、やはり昔も今も多くの者が親ガチャには悩みます。

隣りの芝生が良く見えるものです。

ですが、見落としてはならないことがあります。

親ガチャがあるのならば、子ガチャもあることです。

あんな親の子に生まれたくないと子が思えば、あんな子を持ちたくなかったと親も思う事実です。

私もあんな母親の子に生まれたくなかったと思いましたよ。

両親のいる家庭で育ちたかったのは言うまでもないことです。

では、そんなことを言ってみて何かが解決するかどうかです。

そんなことは無駄です。

解決する手段があるとすれば、それは勉強です。

頭が良ければ、どのような境遇でも、どん底から抜け出せますよ。

勉強は本当に平等です。

両親が揃っている子でも片親の子でもスタートラインは一緒です。

努力したら頭は良くなります。

・・・・・

↓はお母さん方や教え子たちからの反応です。

・・・・・

父があまりにも九州男児で面倒だったので私も母に「何であんな人と結婚したの?」と良く言ったものです。言ったところで解決はしませんし、親子の縁も切れません。自分が親になってみて色々と思う事もあります。親ガチャがあれば子ガチャもありますが、この世に生を受けた事自体に感謝しなければならないと思います。
解決する手段は勉強なのですね。育った環境や親の学歴に関係なく、勉強は自分自身の頑張りによって結果が変わってくるのですからコツコツと努力し続ける事が大切だと思います。

・・・・・

そうですね。あんな親の元に生まれたくなかったと思うと同時に子供もそのように思われているのだと思います。何を言っても状況は変わりませんが、解決してくれるのは勉強なのですね。努力すれば頭がよくなり、どん底から抜け出せることをよく覚えておきます。

・・・・・

あんな親の子に生まれたくないと子が思えば、あんな子を持ちたくなかったと親も思うこともありますね。親が変われば子供も変われると思います。どちらも自分以外の人のせいにして甘えていてはダメなのだと思います。頭が良ければ、どのような境遇でも、どん底から抜け出せるのですね。解決する手段は勉強ですね。どんな境遇でも年齢でも努力をすれば頭が良くなるのですから、勉強ができることに感謝し、日々努力をしていくことが大切なのだと思います。

・・・・・

あんな親の子に生まれたくなかったとか、こんな貧乏な家に生まれたくなかったとか未熟であるからこそ親の苦労も知らないで大きな口を叩いてしまいますね。私もそうでした。親も子もひとりの人間ですからその関係性に甘えてはならないと思います。子供の性格形成に間違いなく親の責任は大きいです。塾長にもそう教えて頂きました。親が変われば子も変わると信じて今からできる事は全部行っていきたいです。塾で観せて頂いた映画でも頭が良ければどんな境遇でもどん底から抜け出せると教えてもらえるものがいくつもありました。お金では買えないものを出来るだけ身に付けなさいと教えられてきましたが、まさに勉強はその一つですね。不平不満をただ言ってるだけでは時間の無駄です。今自分自身が出来ること、勉強をすれば必ず頭が良くなるのですから塾で学べることに感謝して毎日コツコツ勉強を続けて合格へ向けて親子で走り抜けいきたいです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は小さい頃から30歳まで生きることを目標にしていました。

父が死んだのが29歳だから、父より1歳でも長く生きるのが親孝行と思って生きていたのです。

30歳になった時は嬉しかったものの、実はその時点で次の目標ができていました。

大学院の指導教官の死です。

47歳でした。

だから次は48歳までは生きると決めたのです。

それもクリアして、残るは母の面倒を見ること。

ずーっと殺してやると思って私は生きて来た訳ですが、泣きながら私に謝る母の姿を見ていて、もうそのような気持ちは微塵もありませんでした。

そして、その母も亡くなりました。

もう私が生きている意味も必要性もありません。

ただ、母が亡くなった後に様々な処理が待っていました。

弁護士に手続きをお願いすることもありました。

立つ鳥跡を濁さずですから、息子が困らないように少しでも処理できることは今のうちに済ませておかなければなりません。

・・・・・

↓はお母さん方や教え子たちからの反応です。

・・・・・

目標とされる年齢を過ぎ、生きている意味も必要性もないと思われていると以前も教えて頂きました。そのような悲しいことは仰らずにずっとお元気で長生きして頂きたいです。先生のことですから、先々まで考えられて行動されているのだと思います。邪魔をしないように、気を付けます。

・・・・・


塾長は常に生きる目標を持ってこられたのですね。お母様が亡くなられて生きている意味がないなどとおっしゃらずに、塾長には長生きしていただきたいです。ご迷惑ばかりおかけしている我が家ですが、ご恩返しができるように成長していきたいと思います。いつもありがとうございます。
・・・・・
先生はずっと目標とされる年齢があったのですね。お母様が亡くなられ、生きている意味も必要性もなくなってしまったとは悲し過ぎます。今は息子さんのために立つ鳥跡を濁さずの処理をされているのですね。塾生親子にとっては先生がいてくださらなければみな地獄行きになってしまいます。生きている意味がないなどとおっしゃらずに塾生親子のために長生きしていただきたいです。ストレスをおかけしないよう気をつけてまいります。

・・・・・
目標としていた年齢を過ぎ、生きている意味も必要性もないと思っていると以前も仰っていたかと思います。私は先生のおかげで今生きていますし、助けていただいた1人のため、先生との出会いに本当に感謝しています。私としては少しでも長生きしていただきたいです。大切な時間を無駄にすることがないよう気をつけながら、今後も先生のそばで学ばせていただき、先生のお役に立てればと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最後に現在の借金について書いておきます。

金額は約760万円。

この借金は一体何に使ったのかです。

結婚して間もなく入ったがん保険があります。

夫婦のがん保険と、私に万が一のことがあったら毎月妻に15万円支払いがある収入保障保険。

毎月保険料は79800円。

そして、去年妻から聞かされたのは、自分でがん保険に入った事実。

またもやここでも報連相はなしです。

私のがん保険だけだったら毎月19800で済むのです。

つまり毎月6万円も無駄なお金を支払っていたのです。

年額72万円。

それが10年ならば720万円、15年ならば1080万円も私は無駄なお金を払い続けたことになります。

その妻のための保険に必要なので借金したのが約760万円です。

私が死んだら息子は相続放棄をすれば良い?

それでは教育になりません。

借金の多くは担保を必要としないところに依頼。

彼らは息子が相続放棄しても、息子の仕事場や自宅まで毎日押しかけて、息子が自死するまで追い込み続けるでしょう。

息子にも妻にも気づいてもらうための最後の手段が借りてはいけないところからの借金でした。

報連相の大切さを妻と息子に心底理解してもらうにはこうするしかありませんでした。

そもそもが私の母が施設に入った時に私は息子に入居費の分担を求めました。

しかし、息子はたった4回しか応じませんでした。

生徒の保護者たちは妻からの入れ知恵に違いないと指摘されました。

もちろん私はそれを否定しましたよ。

仮にそうであっても私は否定します。

妻を悪者にするつもりはありません。

ただ、母の世話を全て私1人に押し付けたのは事実です。

それで私は持ち金を使い果たしました。

だから、妻を守るための保険は借金せざるを得なかったのです。

プライドが高い者の症状の一つが報連相ができないことです。

それに気づいて欲しいがために、40年も気づいて欲しいと思っていたために、これが最後の手段です。

そして、溜まっている利子の支払いのためにも今月は新たな借金をしなければなりません。

妻も息子も反省して、3人で力を合わせてこの借金を減らす努力をするか、またもや私1人に押し付けて息子が惨めな最期を迎えるか、もう限界です。

このことは1人の保護者のみ知っています。

自分の子供の命を救ってもらえたからと、チラシ運びでも何でも自分ができることは積極的に手伝ってくれているお母さんのみが知っています。

「そこまでしなければダメですか?」

私が助けなければ子供が間違いなく死んでいた彼女は本当に我が家のことを心配してくれています。

悪いところを治すかどうか、妻子次第です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私が出す指示は塾生親子に対するものと妻子に対するものが全く同じです。

渡邉長男は今千葉大学の大学院に通っていますが、そのレベルはこの地域ならばトーカツの生徒です。

彼は柏中央高校。

この近隣の県立ではトーカツ、県立柏、小金、柏南の次。

それも私のところに来たのは入試が終わってから。

高校スタートの学年順位はビリから2番。

大学受験の時はあり得ないほど精神的に追い込んであげました。

一歩間違えたら自殺しかねないほど追い込みました。

それでも彼は逃げなかったのです。

あり得ないほど精神的に追い込まれた時に、人間の反応は大きく二つ。

逃げるか逃げないか。

表現を変えたら、反発するか反省するか、

逃げなかった結果が千葉大学大学院。

逃げていたら、たぶんろくでもない毎日を送っていたと思います。