「一人工の重み」 | 消防設備士かく語りき

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川崎の消防設備士、平成め組代表のブログ

 

ちょっと参った。

 

取引先の一社から突然来月に関してかなりの量の「応援キャンセル」のメールが入った。

日頃から度々の応援打診を頂いている御相手で、その意味ではこれまで相応の利益を齎してくれた取引先でもある。

 

だがしかし、だからと言ってこうしたキャンセルに「はい分かりました」と安易な返事をすると「キャンセルが利く相手」と大抵皆都合よく解釈する。

 

なのでどれほど日頃親しく付き合う相手であれ、これについては言わないわけにいかない。

ましてや今月最初の段階で「既に手配済みの人工数」について確認の意味も兼ねて私から一度連絡を入れていた中、もう来月まで10日を切った中での不意の大量キャンセル。

 

私は「こういうことがあっては困る」、「一度確認の連絡を入れているのにどうして今頃連絡があるのか」と少々強めに抗議。

「申し訳ありません」と返されたが、しかし私は信念を持って「次はキレます」と書いて送った。

 

これはつまり、「一人工の重み」に対する考え方の違いなのだろう。

私は今でこそ人を雇用する立場であるが、しかしほんの6~7年も遡ればまだ炙り棒の1本すら持たない単なる一人親方であった。

 

なので当時は当然、身体一つの「一人工分」の仕事しか出来ない身の上。

そしてその一人工分の仕事を求め、日々知り合いなどに働きかけ、とにかく自身の手帳を仕事で埋める為に奔走していた。

 

一人親方の主な仕事は応援業務。

だが応援業務の場合、依頼する側も「一度にまとめて人員を確保したい」という思いがあるから私の様な個人事業主より、先ずは知り合いの会社などに声をかける。

 

そこで人の手配が完了すれば当然自分にまで声はかからず、だから何とか「最後の一人工」に入れてもらおうと毎日が必死だった。

まさに「一人工に泣き、一人工に笑う」そんな日々。

 

だから嫌という程「一人工」の重みを理解している。

また同時にその理解があったからこそ、今こうして恐れ多くも人を雇用出来るだけの立場になれたのだと考えている。

 

自社の物件を任せる協力業者に対し「任せているある物件の契約が無くなった」と伝えるのも、一人工分の依頼をキャンセルするのも、物事の本質的な部分に変わりはないと私は考えている。

組織とは最終的にどれも「一人工の集合体」なのだ。

一人工の重要性を理解出来ずしてどうして組織運営が行えようか。

 

その「一人工」を軽視し、自身(自社)がかけた依頼を安易にキャンセルするのは端的にその者自身の「仕事に対する考え方の甘さ」でもあると思うのだ。

雇用されている身分ならいざ知らず、人を雇用する立場の者が一人工を軽視するようなことがあっては絶対にならない。

 

一人親方時代、やはり応援依頼をキャンセルされることほど辛いものはなかった。

そこからまた知り合いなどにあたってはみても、しかし大抵皆2ヶ月先くらいまで既に人員の手配を済ませてしまっている。

 

だから結局はその分の収入が無くなるだけ。

そうした思いをしてきた私としては、例えキャンセルの申し出があったところで、しかしそれに向けて私が手配した人員を私自身は決してキャンセルなど出来ない。

 

その分の人工代を自分自身が負担してでも彼らには現場に参加してもらわねばならない。

そうした日々の信頼関係の構築によって培われたその一人工の力が、いずれ私や、そしてこの平成め組の現場を支えてくれることに繋がる…そう確信している。

 

前述した取引先の責任者の方にも私のそうした考えの一端を伝え、「今後は決してないように」と念を押させて頂いた。

そうした私の姿勢に対し、もしも先方が「怖い人」、「もう付き合うのは止めよう」と考えたのであればそれならそれで良い。

 

私自身「一人工」を軽視する人間などとはそもそも付き合えない。

キャンセルされた分の人員、私は意地でも彼らの仕事を確保する。

それは人を雇用し、また手配する者の責任であり義務である。

 

そして何より、それこそが「一人工の重み」なのだ。

 

 

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