昨日はJIRAAトレーニングからの帰宅後、来月の工程組み作業に追われブログを更新する余裕が無かった。
例年この6月は暇なのだが、しかし去年や一昨年に比べるとやはり年々忙しくなっている印象。
だが来月はもしかすると我が平成め組の立ち上げ以降、最も忙しい月になりそうな予感で、有難い反面、「果たしてやり切れるか?」という不安も少なからずある。
さて、そうした状況の中での昨日のJIRAAトレーニング。
4月のIRATA、そして今回のJIRAAのトレーニングを通じて明白に感じた事。
それは「世間一般的に見れば私は最低レベルの物覚えの悪さである」ということ。
IRATAにしろJIRAAにしろ、基本的に先ずはインストラクターの方が手順を説明しながら各ロープ技術のお手本を見せてくれる。
そして直後に「では皆さんやってみましょう」という流れである。
そして多くの受講生たちはたった今目の前で見たインストラクターの動きを真似る形でそれをやり、未熟なりにもその技を自分のものとする。
だがしかし、私にはそれが出来ない。
ほんの数分前に見たはずの手順も部分的に覚えるのが限界で、とても最初から最後まで覚えていられない。
結果、いざ同じことをやろうとしても途中で手順が分からなくなり、そのまま動きが止まってしまう。
基本的にそんなことを繰り返しながら、あからさまに皆より遅れて、尚且つ辛うじてそれが出来るようになる。
今回のJIRAAトレーニングはIRATAレベル1を受講している4名の方々と同時進行で行っているが、傍から彼らの練習風景を見ていると案の定、皆インストラクターの説明を受けた直後からちゃかちゃかとその技をこなしている。
私の様に「あれ…この後どうするんだっけ…?」と、途中で動けなくなってしまう人がいない。
年齢的には私より年上の方もおられるが、しかし私よりも遥かに理解力があり、技をこなしている様に見受けられる。
こうした現実を鑑みると、やはり私は覚えが悪いということなのだろう。
ただ一方、随分前にもこのブログ上で書いたことがあるが、基本的に私の仕事上の考え方の一つとして「同じことを10回教えて11回目からその人間が一人でその作業を完璧にこなせるようになったのであればそれは覚えが良い」ということ。
どんな職種であれ、多くの先輩、あるいは上司たちは部下や後輩が同じ作業についてあまり間隔を空けずに2度3度と「教えてください」と言って来たら果たしてどう対応するだろうか?
恐らくは「こないだ教えたばかりだろう」と少々冷淡な反応をするに違いない。
しかし私から見れば「2~3回教わったくらいで覚えられるはずないでしょう?」ということである。
と言うのも、そもそも私自身が若い頃から何か一つの手順を覚えるのに随分と時間がかかった人間であるからだ。
1回説明を受けても「何となく」しか覚えておられず、2回聞いても「少し分かった」程度であり、3回聞いて「何となく一人で出来そう」と軽く誤解し、4~5回目でようやく少しは形になり、6~7回目で内容の7割までは何とか理解する。
結局「1人」でそれを行えるのはやはり10回目辺りからである。
だが現在受講しているJIRAAのトレーニングは1つあたりの試技にも時間がかかり、教える側も2~3回教えるのが限界で、同じことを10度も教えてはくれない。
それでは受講期間内にカリキュラムを終了することが不可能である。
なので私が彼らのスピードについていかねばならないのだが、前述の様な覚えの悪さゆえ、中々やりたくても出来ない。
言葉には出さずともインストラクターの方も内心、私の物覚えの悪さには呆れている部分も当然あるのだろうし、でも私は何事も10回やってようやく形になる人間。
時間はかかるが最終的には一人でこなせるようになる。
そんなことを40年以上こうして続けてきたわけで、でもその体質は世間一般のそれとは大きく異なるものなのだろう。
現在受講しているJIRAAレベル2はほぼ全ての技がロープ上でのレスキュー技術。
覚えの悪さに加え、やはり6~7メートルの高さまで上がってのレスキュー作業を行うのはかなりの恐怖感との戦いでもある。
昨日は課題をどうしてもクリア出来ず本日に持ち越しとなったが、インストラクターの方が20分程度で終わらせた技を私は90分近くかかって辛うじて終わらせるに留まった。
こちらはインストラクターの方による試技。7m近い高さから70㌔のダミー人形を引き上げるトレーニング。恥ずかしながら私は90分かけて何とか終えた。
明日はトレーニング最終日となるが、何せこの物覚えの悪さゆえ果たしてどこまでやれるのか、不安ばかりが先行してしまう。
ここまでの4日間のトレーニング、当初は「それなりに楽しくやれる」と思っていたものの、現実は肉体的な疲労もさることながら、その数倍、気持ちの方に疲労が溜まっている感じ。
「もうやりたくない」という思いに必死に蓋をしながら続けている。
とは言え、一度自分で「やろう」と決めて参加した以上、やり切らないわけにもいかない。
思えば全ての原点は25歳の頃、束の間でやめた高所ロープによる窓ガラス清掃の仕事である。
「ロープ高所作業カッコイイ!」と思って始めたはずなのに、しかし結局ものの数日で投げ出してしまった自責の念が未だ消えない。
22年前の己の不甲斐なさを叩きのめす意味でも、今回の苦労や辛さは私にとって「おあつらえ向き」とでも言ったところだろう。
乗り切った先に見えてくるものもきっとあるはずだ。