いつまでも たえることなく
友達でいよう
明日の日を 夢見て
希望の道を
空を飛ぶ 鳥のように
自由に生きる
今日の日はさようなら
また会う日まで
信じ合う 喜びを
大切にしよう
今日の日はさようなら
また会う日まで
また会う日まで
坂爪圭吾さんの ごちゃまぜの家@菊名を訪問して、その居心地の良さに浸りながら、この稀有な場を慈しんでいる愛すべき人々に対して、私ができることはなんだろうか、と考えた。
体力には自信がないし、フルタイムで勤めているので自由になる時間も限られている。
一番無理なく喜んでできることって、まあ、心ばかりのお金を定期的にダンクすることくらいかなぁ…でもさ、お金って便利だけど、なにかこう心が込められていないイメージがあるんだよな、自分の中に。
いやいや、現金だって真心を込めて渡すことはできるし、実際問題として交通費とか電気代とかそういう諸々の経費は今のところ現金で支払う以外の方法はほぼ皆無で、いくら圭吾さんや鉄砲玉の人々が「これやりますから、電気代はチャラで!」とか言っても電力会社の人には「?」って顔をされるだけなのだから(あくまで今のところ)、ちゃんと役立つし、喜んでもらえるよ。
などと思考がぐるぐるしていたのだが…
会話の中で ごちゃまぜの家がWi-Fi環境にないと判明して驚いた。
これまでは鉄砲玉のメンバー(だった?)たくちゃんのモバイルWi-Fiでネット接続していたのが、連泊禁止令により たくちゃんが放牧(?)されたことで、そういう事態に陥ってしまっていたらしい。
なんということ!
っていうか、早く言ってよ〜。
Wi-Fi環境って、
圭吾さんや ごちゃまぜの家にとっては
生命線じゃん!
「布団カバーほしい」とかいう前に、Wi-Fiほしい♡となぜ言わないんだ!
かくして、喜びとともにWi-Fi設置をさせてもらう運びとなった。
秘密にしておいてもらおうと思ったけど、Facebookのコメント欄でエリカ姫が名前を出しちゃったので、もういいや、と開き直りこの記事を書いている。
昨日、午前中に気功のレッスンを受けながら「夜 時間があったら行こうかな〜」とぼんやり思っていた ごちゃまぜの家@菊名に行ってきた。
( 午後の予定が急にキャンセルになったので「これは!!」と思い、駆けつけた。余談だけど、最近ぼ〜〜っとしている時に非常に素敵なアイディアが降りてくる気がする。受信力が増した感がハンパない)
外車だらけの高級住宅街で遭難しかかった(東京の東側で暮らしているため普段出くわすことのない坂道にまずヤられ、雨降らないでくれ〜と祈りつつ道に迷い、息も絶え絶えに到着した)けど、そのおかげで ごちゃまぜの家でやりたいと思っていた「畳の上でゴロンゴロンする♪」という目的を早々に達成してしまった。
自宅以外の場所が自分が寛げる心地よい場所なのかどうか判断する時に「その場所でうたた寝ができるかどうか」は かなり分かりやすい基準の一つだと思う。
うたた寝につなげる最初の一歩として、そこでどれだけ早くゴロンゴロンできるかが勝負だ(いや、べつに勝ち負けではないが)。
ごちゃまぜの家は、一言でいうと
超絶 心地いいーーーーーー!
畳に倒れこんでいてもほっといてくれるし、ちっちゃな子どもは勝手に走り回ってるし、(ほぼ初対面の人たち同士でも)あちこちで 話したり話さなかったりしてるし。
ああ、自由だ〜!
えりか姫がコーヒーを挽く音。その背後に圭吾さんが弾いてるギタレレのメロディーが小さく流れてて。。。そのうちコーヒーの芳しい香りが充満してきて。
もう、なんと言ったらいいのかわからない 静かな幸福感がこんこんと湧いてくる感じ。
幸せな光にあふれている。
夜になればなったで、なんというか、しっとりと落ち着いた雰囲気で。
そんな中、ガチで向き合うべきことに向き合った勇気ある人々がいて、図らずもそれを目撃することになってしまい……なんというか、キセキだなと思う。
そのキセキの裏側で夕食の仕上げ作業に邁進してくれていた人々もいて。
びっくりするほど美味しい食事は、凝り固まっていたその場の空気を柔らかくほぐしてくれて。
そんなわけで(どんなわけだ?)菊名の ごちゃまぜの家は私の別宅と相成った。
ステキな空間をありがとう!
6月30日の夕景@江戸川区
今現在 私のハートを鷲掴みにしている人が何人かいる。
中でも 坂爪圭吾さん は 私のハートを激しく揺さぶり続ける人である。
「かく生きたい!」と強く思う。
これまで生きてきた中で「かく生きたい!」と思うような生きざまの人に出会うのは稀なこと。
もしかすると、自分のハートに忠実&真剣に生きようとすることで、そのような人と自然に出会っていくのかもしれない。
これまではハートの声を聞き流すことも少なくなかったために、そのような出会いに気づけなかったのかも。
以前から 圭吾さんのブログ「いばや通信」を読んで彼の潔さにシビれていたのだけれど、
「ごちゃまぜの家をつくりたい!」という素敵な企画で直接 圭吾さんとの関わりが生まれた。
今回 圭吾さんに会えたのは、この企画のクラウドファンディングのリターンで 圭吾さんがお花を届けに来てくれたから。
過去記事 → 限りなく軽やかに率直に生きる
自己紹介もそこそこに、初対面の人相手にこれ以上はないレベルの自己開示で話をした。
(ここのところ、なぜか自己開示率が自然に向上している)
圭吾さんはブログでは饒舌?な印象だけれど、静かに聞いてくれた。
瞳が美しかった。
その美しい瞳で、薄衣を一枚まとっているような状態の「コアの私(私の本質)」を透かし見てくれた。
それを伝えてもらってから、そのことに関して自分に問いかけ続けていて、答えはまだ出ていない。
人生は続く( ← 「いばや通信」の完全なパクリ(^^;;)
いただいたお花たち
大好きなお友達 岡田歩ちゃんがサロンをお引越しするので、お部屋へのご挨拶も兼ねて歩ちゃんのハーモニックメディテーションを受けて来た。
ハーモニックメディテーションは、歩ちゃんが編み出した 最初は目を開けて行う瞑想。
これまでは数秘のセッションのおまけやグループで体験したことがあったけれど、がっつり1対1では初めて。
グループでの瞑想会の様子はこちら→ プレミアム瞑想会レポ
その日のメインの目的が歩ちゃんと久々に会うこととお部屋に挨拶することだったので、セッションのテーマとか特に決めては いなかったのだけど、なぜか(っていうか、まあ、必然なのだろうけど)弟の話になった。
過去記事 母のこと、弟のこと〜沖縄リトリートその2
私には躁鬱と診断された弟がいる。
躁鬱は躁の時期の激しい症状が目立つので、ちょっと怖い?病気みたいに捉えられがち?かもだけれど、誰もが日常的に経験している心の好調と不調の波——その振幅が大きすぎて日常生活に支障が出たり、社会生活上困ったことになったりすると「病気」とカテゴライズされるのだろうと、今のところ理解している。
弟の場合、ひどい鬱の時期は寝込んで入浴さえままならないのだけれど、躁の時期は仕事にも行くけど金遣いが荒くなり、稼ぐ以上に毎晩(たぶん おねえさまのいる飲み屋で)散財し、老母に無心する始末。ふだんは吝嗇家の母が思い切って買ったジュエリーを勝手に売っぱらったり、母のカードで買い物したり。
若い頃は やんちゃをしていた弟。
酒を呑むと はっちゃけるのか(?)、技術屋として入社した会社の歓迎会で無茶して右腕を骨折し、入社早々 肩身の狭い思いをしたり、住んでいるアパートの隣人の部屋で暴れてアパートから追い出されたり……酒絡みの数々の武勇伝(?)がある。
バツイチで、日韓共催W杯の年に自殺未遂をして病気が発覚。幸い一命を取り留め、フィジカル的には回復したものの、メンタル的には好調と不調を繰り返し(←まあ これは元気な人もそうだよね)、2015年の秋から不調のタームに入ったようで、勤めも辞めて現在 実家で療養中。
弟が元気な時期に、仕事の関係で2〜3日うちに泊まったことがあった。
私が眠った後も夫と二人で酒を酌み交わしていて、二人ともいい具合に酔っ払っていたのだろう。大きな物音で目を覚ましたら、なぜか喧嘩が勃発していて、弟が夫を殴っていた。二人の間に割って入って、なんとかその場を収めた。
夫は顔が痣になっていたけれど気にしている風はなく、翌日の夕方、弟と二人で出かけた行きつけの飲み屋では それを笑いのネタにしていたくらい。そんな夫に弟は「兄ちゃんには 敵わねえな」と言ったらしい…。
実はこのエピソード、話すのも聞くのも とてもとても嫌だった。
思い出すのさえ嫌なくらいで、自分の中で厳重に封印していた(この話が出ると、急に不機嫌になりその場から離脱したり、話を逸らそうとする自分に一応気づいては いた)。
歩ちゃんに何が一番嫌なのか訊かれ、考えて「度を越す感じが嫌だ」と答え…
その後、思いもよらないことが出てきた。
子どもの頃の苦い思い出。
父と二人で出かけた帰り道。冬で寒くて雪が降りそうだった。ほろ酔いを少し超えていた父は小腹が空いたのか、自動販売機のカップヌードルを買おうとした。だけど思うように出てこなかったらしく、自動販売機を叩いて正面のパネルを壊してしまった。家の近所だったから、その販売機の前を通るたび、いたたまれない気持ちになっていたこと。。
父はふだんはとてもシャイで穏やかな人だったのに、お酒に飲まれるタイプだった。
人間にこそ暴力を振るわなかったけど、酔っ払って物を破壊することは時々あった。飲んで帰って、なぜか外から台所の窓に石を投げてガラスを割ったり(怒った母が見せしめとして、しばらく台所の窓は割れたままにしていた)。
なんで そんなことができるんだろ?って思った。
私たち ここにいるのに。家で待ってる私たちの誰かに石が当たって「怪我するかも」とか、どうして考えられなくなっちゃうんだろ?
私たちのこと、どうして忘れちゃうんだろ?
私たちのこと、忘れないで。ちゃんと見てて。ずっと見てて。
度を越してお酒を飲むからこういうことになっちゃうんだ。
度を越すことはこんなに悲しい、嫌なことなんだ…
度を越してはいけないんだ…
思い出して、ぼろぼろ涙がこぼれた。
気がつかなかったけれど我慢してたんだ、私。
歩ちゃんに促されて、自分に「度を越してもいい」と許可を出した。
声に出して「度を越してもいい」と言うのだけれど、初めは弱々しい声しか出なくて。
その声の小ささと弱さが、いかに自分を制限してきたのかを物語っていた。
その後、歩ちゃんの誘導で自分の中を見ていった。
その時の心象風景↓
凍りついた大地に屹立する銀色に輝く諸刃の剣。
氷に覆われてどうにも動かせないと思っていたけれど、あっという間に氷は溶け、重くて危ないと思っていた剣も、実はそんなに重くも鋭くもなく、桃色の竜巻に吹き飛ばされて消えていった。
こんなふうに、自分の中の制限がまた一つ消えていった模様。
すると……夫と二人で行く予定だった温泉に、母と夫の母を一緒に連れて行く流れになった。この前この4人で何かしたのは20世紀中のこと。わお!18年も経ってる。
そして、これまでボーナス支給時にまとめて渡していた生活費を毎月渡して、母と弟を正式に扶養することにした。
坂爪圭吾さん曰く「家族の問題がクリアされると人生はボーナスタイムに突入する」。
まさにそう。
ボーナスタイム開始!である。