大好きなお友達 岡田歩ちゃんがサロンをお引越しするので、お部屋へのご挨拶も兼ねて歩ちゃんのハーモニックメディテーションを受けて来た。
ハーモニックメディテーションは、歩ちゃんが編み出した 最初は目を開けて行う瞑想。
これまでは数秘のセッションのおまけやグループで体験したことがあったけれど、がっつり1対1では初めて。
グループでの瞑想会の様子はこちら→ プレミアム瞑想会レポ
その日のメインの目的が歩ちゃんと久々に会うこととお部屋に挨拶することだったので、セッションのテーマとか特に決めては いなかったのだけど、なぜか(っていうか、まあ、必然なのだろうけど)弟の話になった。
過去記事 母のこと、弟のこと〜沖縄リトリートその2
私には躁鬱と診断された弟がいる。
躁鬱は躁の時期の激しい症状が目立つので、ちょっと怖い?病気みたいに捉えられがち?かもだけれど、誰もが日常的に経験している心の好調と不調の波——その振幅が大きすぎて日常生活に支障が出たり、社会生活上困ったことになったりすると「病気」とカテゴライズされるのだろうと、今のところ理解している。
弟の場合、ひどい鬱の時期は寝込んで入浴さえままならないのだけれど、躁の時期は仕事にも行くけど金遣いが荒くなり、稼ぐ以上に毎晩(たぶん おねえさまのいる飲み屋で)散財し、老母に無心する始末。ふだんは吝嗇家の母が思い切って買ったジュエリーを勝手に売っぱらったり、母のカードで買い物したり。
若い頃は やんちゃをしていた弟。
酒を呑むと はっちゃけるのか(?)、技術屋として入社した会社の歓迎会で無茶して右腕を骨折し、入社早々 肩身の狭い思いをしたり、住んでいるアパートの隣人の部屋で暴れてアパートから追い出されたり……酒絡みの数々の武勇伝(?)がある。
バツイチで、日韓共催W杯の年に自殺未遂をして病気が発覚。幸い一命を取り留め、フィジカル的には回復したものの、メンタル的には好調と不調を繰り返し(←まあ これは元気な人もそうだよね)、2015年の秋から不調のタームに入ったようで、勤めも辞めて現在 実家で療養中。
弟が元気な時期に、仕事の関係で2〜3日うちに泊まったことがあった。
私が眠った後も夫と二人で酒を酌み交わしていて、二人ともいい具合に酔っ払っていたのだろう。大きな物音で目を覚ましたら、なぜか喧嘩が勃発していて、弟が夫を殴っていた。二人の間に割って入って、なんとかその場を収めた。
夫は顔が痣になっていたけれど気にしている風はなく、翌日の夕方、弟と二人で出かけた行きつけの飲み屋では それを笑いのネタにしていたくらい。そんな夫に弟は「兄ちゃんには 敵わねえな」と言ったらしい…。
実はこのエピソード、話すのも聞くのも とてもとても嫌だった。
思い出すのさえ嫌なくらいで、自分の中で厳重に封印していた(この話が出ると、急に不機嫌になりその場から離脱したり、話を逸らそうとする自分に一応気づいては いた)。
歩ちゃんに何が一番嫌なのか訊かれ、考えて「度を越す感じが嫌だ」と答え…
その後、思いもよらないことが出てきた。
子どもの頃の苦い思い出。
父と二人で出かけた帰り道。冬で寒くて雪が降りそうだった。ほろ酔いを少し超えていた父は小腹が空いたのか、自動販売機のカップヌードルを買おうとした。だけど思うように出てこなかったらしく、自動販売機を叩いて正面のパネルを壊してしまった。家の近所だったから、その販売機の前を通るたび、いたたまれない気持ちになっていたこと。。
父はふだんはとてもシャイで穏やかな人だったのに、お酒に飲まれるタイプだった。
人間にこそ暴力を振るわなかったけど、酔っ払って物を破壊することは時々あった。飲んで帰って、なぜか外から台所の窓に石を投げてガラスを割ったり(怒った母が見せしめとして、しばらく台所の窓は割れたままにしていた)。
なんで そんなことができるんだろ?って思った。
私たち ここにいるのに。家で待ってる私たちの誰かに石が当たって「怪我するかも」とか、どうして考えられなくなっちゃうんだろ?
私たちのこと、どうして忘れちゃうんだろ?
私たちのこと、忘れないで。ちゃんと見てて。ずっと見てて。
度を越してお酒を飲むからこういうことになっちゃうんだ。
度を越すことはこんなに悲しい、嫌なことなんだ…
度を越してはいけないんだ…
思い出して、ぼろぼろ涙がこぼれた。
気がつかなかったけれど我慢してたんだ、私。
歩ちゃんに促されて、自分に「度を越してもいい」と許可を出した。
声に出して「度を越してもいい」と言うのだけれど、初めは弱々しい声しか出なくて。
その声の小ささと弱さが、いかに自分を制限してきたのかを物語っていた。
その後、歩ちゃんの誘導で自分の中を見ていった。
その時の心象風景↓
凍りついた大地に屹立する銀色に輝く諸刃の剣。
氷に覆われてどうにも動かせないと思っていたけれど、あっという間に氷は溶け、重くて危ないと思っていた剣も、実はそんなに重くも鋭くもなく、桃色の竜巻に吹き飛ばされて消えていった。
こんなふうに、自分の中の制限がまた一つ消えていった模様。
すると……夫と二人で行く予定だった温泉に、母と夫の母を一緒に連れて行く流れになった。この前この4人で何かしたのは20世紀中のこと。わお!18年も経ってる。
そして、これまでボーナス支給時にまとめて渡していた生活費を毎月渡して、母と弟を正式に扶養することにした。
坂爪圭吾さん曰く「家族の問題がクリアされると人生はボーナスタイムに突入する」。
まさにそう。
ボーナスタイム開始!である。