■はじめに(このブログの目的)
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┣●サイトマップ(全体の目次)
┣●オウム時代の反省・総括の概要
┣●反省・総括に基づく各種の取り組み
┃ ┣オウム事件被害者への賠償
┃ ┣出版物・報道・講演等での反省・総括の公表
┃ ┗アレフ(オウム)脱会支援活動
┗●当ブログに対するマスコミ報道と識者の評価
■団体総括(本編)
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┣●『オウム真理教時代(1983~1999年)の総括』
┃ ┣【0】『オウム真理教時代(1983~1999年)の総括』目次
┃ ┣【1】1983年(昭和58年)~1985年(昭和60年)
┃ ┣【2】1986年(昭和61年)
┃ ┣【3】1987年(昭和62年)
┃ ┣【4】1988年(昭和63年)
┃ ┣【5】1989年(昭和64年・平成元年)
┃ ┣【6】1990年(平成2年)
┃ ┣【7】1991年(平成3年)
┃ ┣【8】1992年(平成4年)
┃ ┣【9】1993年(平成5年)
┃ ┣【10】1994年(平成6年)
┃ ┣【11】1995年(平成7年)
┃ ┣【12】1996年(平成8年)
┃ ┣【13】1997年(平成9年)
┃ ┣【14】1998年(平成10年)
┃ ┗【15】1999年(平成11年)
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┣●『アレフ時代(2000~2007年)の総括』
┃ ┣【0】『アレフ時代(2000~2007年)の総括』目次
┃ ┣【1】2000年、上祐代表の出所後からアーレフの設立まで
┃ ┣【2】2000年~2001年、被害者賠償契約の締結など
┃ ┣【3】2002年、上祐代表就任とその新たな宗教的活動の始まり
┃ ┣【4】2003年初頭、上祐代表の教団改革の試み
┃ ┣【5】2003年後半~2004年末、上祐代表の改革頓挫と「代表派」の発足へ
┃ ┣【6】2004年末~2005年末、代表派およびその思想の形成
┃ ┣【7】2006年初頭~夏、新団体構想の発表へ
┃ ┣【8】2006年秋~2007年、アーレフの脱会と新団体設立へ
┃ ┗【9】総括・反省の追加事項
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┗●団体総括のための会合の記録
■団体総括(テーマ別)
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┣●麻原の変遷の経緯の総括
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┣●『事件の要因に関する総括と今後の方針』
┃ ┣【0】『事件の要因に関する総括と今後の方針』 目次
┃ ┣【1】麻原と教団の神格化の総括と今後の思想・実践
┃ ┣【2】オウムの密教的な教えの総括と今後の思想・実践
┃ ┣【3】オウム真理教のヨーガ行法の総括と今後の方針・実践
┃ ┣【4】総括に基づく今後の償い(テロの抑止への貢献)
┃ ┗【5】オウム真理教型ヨーガ行法・密教瞑想の問題・危険と
┃ その解決・改善(※2024年6月追記)
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┣●『心理学の「影の投影の理論」に基づくオウム真理教と日本社会』
┃ ┣【0】『心理学の「影の投影の理論」に基づくオウム真理教と日本社会』
┃ ┃ 目次
┃ ┣【1】影と投影の理論
┃ ┣【2】ナチス・ヒトラーとオウム・麻原の関連性について
┃ ┣【3】麻原・オウムと大日本帝国の関係
┃ ┣【4】日本社会に残存する大日本帝国の要素の存在
┃ ┣【5】麻原・オウムが批判した国家権力は、自分たちの暗部の投影
┃ ┗【6】最後に――敵対する両者は、自分の暗部を相手に見る
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┣●『心理学的な視点に基づく、麻原・弟子・現代社会の人格分析』
┃ ┣【0】『心理学的な視点に基づく、麻原・弟子・現代社会の人格分析』目次
┃ ┣【1】オウム問題の解決のために必要な、麻原の人格分析
┃ ┣【2】「空想虚言症」に基づく、麻原の人格分析
┃ ┣【3】「誇大自己症候群」に基づく、麻原の人格分析
┃ ┣【4】「誇大自己症候群」の特質と麻原の言動の比較検討
┃ ┣【5】麻原の妄想的な信仰と「誇大自己症候群」
┃ ┣【6】弟子たち・信者の人格分析
┃ ┣【7】ひかりの輪の教え・方針
┃ ┗【8】付録
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┣●【動画】上祐史浩『オウム真理教の問題の心理学的な分析』
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┗●麻原・アレフを盲信する原因・落とし穴――盲信から脱却するために
■上祐史浩個人の総括
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┣●『上祐総括:オウム入信から現在まで』
┃ ┣【0】『上祐総括:オウム入信から現在まで』目次
┃ ┣【1】入信と麻原への帰依(1)
┃ ┣【2】入信と麻原への帰依(2)
┃ ┣【3】オウムの犯罪と武装化:1988年~1989年
┃ ┣【4】オウムの犯罪と武装化:1990年(1)
┃ ┣【5】オウムの犯罪と武装化:1990年(2)
┃ ┣【6】オウムの犯罪と武装化:1991年~1993年
┃ ┣【7】オウムの犯罪と武装化:1994年~1995年
┃ ┣【8】麻原彰晃とは何者だったか(1)
┃ ┣【9】麻原彰晃とは何者だったか(2)
┃ ┣【10】服役とアレフ時代:残存する麻原信仰との葛藤(1)
┃ ┣【11】服役とアレフ時代:残存する麻原信仰との葛藤(2)
┃ ┗【12】ひかりの輪としての歩み:2007~2012年
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┗●『上祐史浩からアレフ信者へのメッセージ2007』
┣【0】『上祐史浩からアレフ信者へのメッセージ2007』はじめに・目次
┣【1】「グルを絶対と見る教えの解釈の過ちについて」
┣【2】「ポワ、五仏の法則等の密教法則の解釈の過ち」
┣【3】「愛著の結果としての元代表への盲信」
┣【4】「元代表の復活や旧教団の予言について」
┣【5】「新団体: グルイズムを超えた修行法・宗教観」
┣【6】「新団体: 二元論を超えた一元論の実践へ」
┗【7】「仏法から見た今後の信仰実践の道」
■指導員・会員の総括
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┣●水野愛子「オウム・アーレフの総括」
┃ ┣【0】水野愛子「オウム・アーレフの総括」目次
┃ ┣【1】『オウム真理教・アーレフの総括』
┃ ┣【2】参考資料:2008年版『オウム・アレフの総括(詳細版)』(1)
┃ ┣【3】参考資料:2008年版『オウム・アレフの総括(詳細版)』(2)
┃ ┗【4】参考資料:2008年版『オウム・アレフの総括(詳細版)』(3)
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┣●細川美香『オウム・アーレフの反省・総括と今後の抱負』
┃ ┣【0】細川美香『オウム・アーレフの反省・総括と今後の抱負』目次
┃ ┣【1】『オウム・アーレフの反省・総括と今後の抱負』(1)
┃ ┗【2】『オウム・アーレフの反省・総括と今後の抱負』(2)
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┣●広末晃敏『私が起こしたオウム事件―オウム・アーレフ18年間の総括』
┃ ┣【0】広末晃敏『私が起こしたオウム事件』目次・はじめに
┃ ┣【1】第1 オウム真理教に出会うまで(~1989)
┃ ┃ ――入信の土壌を形成した時期
┃ ┣【2】第2 オウム入信から出家に至るまで(1989~1990)
┃ ┃ ――オウムへの確信を深めた時期
┃ ┣【3】第3 サリン事件に至るまでの出家生活(1990~1995)
┃ ┃ ――教団の変質、個人崇拝に追随した時期
┃ ┣【4】第4 事件後の混乱を経てオウム休眠に至るまで(1995~1999)
┃ ┃ ――社会対応に苦悩しつつ"グル肯定"した時期
┃ ┣【5】第5 アーレフ発足から「ひかりの輪」に至るまで(2000~2007)
┃ ┃ ――"脱麻原"へと歩んだ時期
┃ ┣【6】第6 総括とこれからの歩み――償いを胸に「一元の境地」へ
┃ ┗【7】※2008年以降の総括について(自己内省法「内観」体験を中心に)
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┣●宗形真紀子『麻原彰晃とわたしの魔境』
┃ ┣【0】宗形真紀子『麻原彰晃とわたしの魔境』目次・はじめに
┃ ┣【1】オウム・麻原信仰からの転換・脱却のプロセス(1)
┃ ┣【2】オウム・麻原信仰からの転換・脱却のプロセス(2)
┃ ┣【3】オウムに入った背景――20歳でオウムに入るまでの私(~1989)
┃ ┣【4】サリン事件までの出家生活を振り返って
┃ ┣【5】サリン事件後5年間を振り返って(1995~2000)
┃ ┗【6】おわりに
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┣●山口雅彦『私のオウム真理教総括』
┃ ┣【0】山口雅彦『私のオウム真理教総括』目次
┃ ┣【1】「オウムの反省・総括」
┃ ┗【2】参考資料「オウムに入る経緯と入信後」
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┣●会員A『オウム・アーレフの総括と反省』
┃ ┣【0】会員A『オウム・アーレフの総括と反省』目次
┃ ┣【1】『オウム・アーレフの総括と反省』(1)
┃ ┣【2】『オウム・アーレフの総括と反省』(2)
┃ ┣【3】参考資料:2008年版『オウム・アーレフの総括と反省』(1)
┃ ┗【4】参考資料:2008年版『オウム・アーレフの総括と反省』(2)
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┣●会員B『総括』
┃ ┣【0】会員B『総括』目次
┃ ┣【1】『総括』(2017年版)
┃ ┗【2】『総括』(2008年版)
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┣●会員C『オウムの事件と病理の総括』
┃ ┣【0】会員C『オウムの事件と病理の総括』目次
┃ ┣【1】総括の概要
┃ ┣【2】オウムと出会ってからひかりの輪になるまで(1)
┃ ┣【3】オウムと出会ってからひかりの輪になるまで(2)
┃ ┣【4】オウムと出会ってからひかりの輪になるまで(3)
┃ ┗【5】参考:生い立ちからオウムと出会うまで
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┗●会員の陳述書
┣【0】会員が公安審査委員会へ提出した陳述書について
┣【1】専従会員陳述書(1)
┣【2】専従会員陳述書(2)
┣【3】専従会員陳述書(3)
┣【4】非専従会員陳述書(関東)(1)
┣【5】非専従会員陳述書(関東)(2)
┣【6】非専従会員陳述書(東海、近畿)(1)
┣【7】非専従会員陳述書(東海、近畿)(2)
┗【8】非専従会員陳述書(東北、信越、九州)
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┗●オウム教団内部の信者死亡事例の情報
┣(1)の補足:週刊誌報道された「松本元死刑囚らの女性幹部信者殺害」