1.匿名 男性

 私は、オウム真理教に94年に入信し、以降アレフ、ひかりの輪と信徒、会員として信仰を続けております。

 今回、公安調査庁が出された更新請求書はあまりにも事実とかけ離れた内容であり、いったいどのような根拠があってあのような発表をされたのか全くもって理解に苦しみます。

 アレフ時代には、たしかにグルへの帰依が最大で最重要でした。そして、2007年5月のひかりの輪発足当初には、私の心の中にも、グルへの帰依はまだ十分には断ち切れていない部分もありました。

 しかし、ひかりの輪に入会してから現在にいたるまで、松本氏への帰依を肯定する言葉は、代表はじめスタッフの方々から一度たりとも耳にした事はありません。逆にアレフや松本氏の批判は何度も聞いております。

 特に吉田支部長に関しては、竹を割ったような性格の方で、公安調査庁が言われる"麻原隠し"をもし行っているとすれば、日頃の雑談、態度で何らかのそのような兆しを出されるはずです。

 しかし、まったくそのような素振りは感じたことも聞いたことも、一度たりとありません。逆に事件の真実を明らかにしようとする勉強会を開かれているし、ひかりの輪の新しい信仰の布教活動に骨身を削って一所懸命に奉仕されている姿勢を強く感じています。

 また、セミナー等の修行においても仏教、ヨーガのベーシックな内容を元に新たな修行方法が立て直されており、アレフ時代のものはほとんど排除し、ましてや松本氏の観想やビデオ、CDなどはまったくの皆無であります。

 そして、セミナー中に霞ヶ関への慰霊や事件の真実、オウム真理教、アレフ教団の誤った実態を何度となく聞かされることによって、二度とあのような悲惨な事件を繰り返してはならないという思いがさらに強まっております。私自身もひかりの輪の信仰を続けて行く事によって松本氏への帰依を消滅させることができたのです。

 あるときいつものように修行をしていたら、松本氏を観想しなくても強烈にエネルギーが上昇したという体験をしました。オウム真理教時代は、修行は必ずグルをしっかり観想するものという教えがしっかり入っていましたから、このような体験をしたときはびっくりしました。

 こんなことと思われるかもしれませんが、オウム真理教ではグルを観想しないことはタブーなのです。この経験以来、松本氏を観想しないでも心がダイナミックに広がる経験等いろんな素晴らしい経験を沢山するようになって、初めて松本氏は絶対とか、グルをはずしたら地獄に落ちるとか、いろんな脅し文句のようなことがしみ込んでいたがための呪縛から解き放たれるような感じでした。

 アレフ在籍中は決して、事件の真相をしらされることもなく、それどころか事件を肯定する雰囲気さえ漂っていたので、私は一種異様な感じを思ったこともありました。このような経験を経た私にとって、ひかりの輪に入会して初めてアレフ時代は洗脳されていたんだと思うようになりました。

 そして、事件の真相を勉強会や吉田支部長やスタッフの方々の話の中から何度も聞かされるたびに、事件の悲惨さをより深く理解することができました。

 そんな中2008年の3月20日はサリン事件の13年目でした。この日は大阪道場では改めて認識を新たにするべく勉強会がおこなわれました。私は、この日は仕事だったので数日後にそれを録画されたDVDをみることにしました。

 事件当日いかに大変だったか「プロジェクトX」という特集番組みることで改めて理解しました。そこでの多くの方々の大変な努力、パムという薬を使うかどうか決断をする一人の医師の姿、また多くの看護婦さんたちの必死の被害者を救おうとする姿、自己の身を省みずに乗客を助けようとした地下鉄職員の方の姿。

 どれを見ても旧教団では凡夫・外道を区別していたそんな方々が他を助けるために必死で働く姿を見たときに、仏教をやっていなくたって、こんなにも菩薩のような行動をとってる姿に改めて感動するとともに、この教団に所属していながら何もやっていない自分たちを大変申し訳なく思いました。

 仏教を実践していて救済だとか慈悲とか言ってる団体がこのようなことを起こし、逆に一般の方々のこうような素晴らしい姿をみたときオウム真理教の言っていたことの矛盾やおかしさを実感しました。

 そして、この勉強会を熱心にやっている吉田支部長の姿をみて、こんなことを言われるように、昔オウム・アーレフ時代から、変わったんだなと思いましたし、私自身としては、真剣に被害者賠償もこれからやっていかないといけないと改めて思いました。

 アレフ時代は、教団を守るために被害者賠償をやっていた、という感じですが、ひかりの輪になって、本当に事件を真剣に反省し、被害者のことを考え賠償をやっているという大きな違いも感じています。

 オウム真理教にいた一人の人間として、精一杯これから賠償の実践ほかやれることを精一杯やって頑張っていかなければと思っています。

 以上


2.匿名 女性

 現在私はひかりの輪の一般会員として在籍しています。

 今回、公安調査庁による観察処分更新の請求に事実と違うことがあったので、それを私の体験を交えて、私なりの思いを述べたいと思います。

 私のオウム真理教への入信は1995年で、事件直後のことでした。入信の動機は上祐氏への興味、また、オウム真理教の怪しげな雰囲気、松本氏の作った歌への興味からでした。

 事件そのものは、当時、上祐氏自身が否定していたこともあり、上祐氏自身がやってないと言うのならやってないのだろうと考えていました。また、実際に教団の人と接すると、優しくて誠実な感じがし、とても好感を持てるものでした。

 そして、そのまま活動したり活動しなかったりといった感じでしたが、2005年になり、代表派の吉田さんと電話で接することによって代表派との接触が始まりました。

 まずは、勉強会のDVDを見たりして、上祐代表の姿を間接的に見ました。そこではA派が主張するようなおかしなものは感じなかったので、実際に勉強会に参加し上祐代表に会ってみることにしました。

 上祐代表は、代表派の活動を始めた最初は、自分達の活動をグルの意思であると言っていました。

 しかし、その後、上祐代表は、様々な宗教的な体験等を経て、徐々に松本氏の呪縛から離れ、徐々に、自身の修行を行うに到った初心に帰っていくように、仏教本来が目指すものを追い求めていくように私には見えました。

 そして、その変遷に乗っていくような形で、私も、徐々に松本氏への思いが薄れていき、特定の人に依存しない宗教形態になじんでいくようになりました。その過程において、自然と旧教団の教材も、すべて破棄するようになりました。

 また、定期的に行われる説法会では、様々な視点から、オウム真理教で最高の教えとされてきた、松本氏が説いたヴァジラヤーナといわれる教えの間違いを学びました。このことは、私の偏った宗教的な観念を正して、ニュートラルな宗教観に導いてくれました。

 この私の中にできつつある新たな宗教観は、すべての人に奉仕するという、私が本来目指すものとも一致しており、とても新鮮で暖かな気持ちにさせてくれるものでした。

 また、話は少々変わりますが、私自身は、事故で父親を亡くしているのですが、その時の経験から、オウム真理教の事件の被害者・遺族の方々が、どういった思いをされたのだろうかと、想像することがあります。

 そういったことを思うと、公安調査庁の方々が主張するような「麻原隠し」などできようもありません。

 私は、間違いを犯した者が出来る精一杯のことを誠実に行っていきたいと思っていますし、団体もそのようであって欲しいと思います。


●吉田恵子大阪支部長等の変化について

 吉田支部長は、アーレフ時代の分裂直後は、まだ松本氏にたいして「尊師」と言ってましたが、ある時期から「尊師」という言葉を吉田支部長の口から聞くことはなくなりました。そして、私は、吉田支部長が尊師と呼ばなくなったこと自体に、大きな衝撃を受けたのを今でも覚えています。

 一般の方からすると、普通のことだとは思いますが、当時、オウム真理教・アーレフに入っている者にとっては、松本氏のことを「尊師」と呼ばないってことは考えられないことであり、松本氏とか松本死刑囚なんて呼ぶこと自体がタブーのことでした。

 これを示すエピソードがありますが、オウム真理教・アーレフの頃に、新しく入信した方がいらっしゃって、その方が尊師マーチという歌を「テレビで選挙の時は、尊師って言わずショウコーショウコーって歌ってましたよね?なので私からするとそっちの方が歌いやすいし親しめていいのでそう歌ってもいいですか?」と、サマナの人に尋ねたら、それまで笑顔で対応されていたサマナの人の表情が変わって、怒ったような表情になり、「ちゃんと、尊師とつけなければだめです!!」と厳しい口調で言われてたのを今でも覚えています。

 それだけ、尊師という呼び方はオウム真理教の時から大事にされていたので、吉田支部長の口から、尊師という言葉を聞かなくなったってことは、松本氏に対して気持ちや、未だに絶対者とみている部分っていうのはないというように、身近に接していて断言できると私は思います。

 事件に関しては、折に触れいろんな場面をとおして、団体の中で、話がなされていきました。2007年のGWのセミナーでは、サリン事件のことや、麻原という一人の人間を神にした間違い、人を絶対視した過ち等どこがどのように間違っていたかについて、詳細に書かれた冊子を順番に読んでいく、ということもやりました。

 こういうことを繰り返してやっていく中で、私の心も、少しずつ変わっていったのでした。

 特に強烈に心に残っているのは、2007年の年末年始のセミナーです。このセミナーでは、地下鉄サリン事件のことがとりあげられ、事件の詳細な説明を聞き、さらに、一連の事件の現場にも赴きました。

 そのときは、話やテレビ等で見たりして感じることとは違って、言葉では表現しにくのですが、なんともいえない気持ちになって、心が苦しくなり、『なんてことをしてしまったんだろう!!本当に申し訳ない、これは何度誤っても許されることではない!!』と思いました。

 そこの石碑に色々書かれているのを見て、また現場での事件の説明をききながら、一緒に行った会員さんの中では、声を押し殺して泣いている人もいました。そこに行った1人1人が、オウムの事件の重大さを痛感したと思いました。

 さらに、2008年の3月21日は(水曜日)今宮道場で、サリン事件についての吉田支部長の勉強会がありました。最初は、ホワイトボードを使って、サリンをまいた駅と路線を書いて、どこで誰が何袋のサリンを撒いて、被害者(死亡者)の方が、そこの現場では、何人でたのかといった説明を池田さんとともにしていました。

 その後に、二本のビデオを見ました。一本目は、サリン事件現場近くで、多くの被害者が担ぎ込まれた聖路加病院のお話でした。サリン事件当日、その病院ではどのような対応されていたのかというような内容でした。二本目は、実際にサリンで被害に遭われて、未だにサリンの後遺症によって、苦しまれている方のビデオを見ました。

 私自身も、そのビデオを見る事で、また改めて自分なりに考えさせられる事があり見ててとても胸が 苦しくなり、涙がでました。そして、被害にあわれた方に対して、もっと自分達は何かできることはないのか?とも思い色々と考えました。

 吉田支部長自身も、サリン事件に関して、具体的な勉強会をしようと思ったのは、そこに深い反省と、松本氏に対しての今までの気持ち(絶対的な帰依)が無くなり、皆でもう一度サリン事件に関して、そして、何故に事件が起きたのか、ということを深く考え、吉田支部長をはじめ皆一人一人の心の中にもう一度刻み込んで、真剣に考えてほしいという思いがあったからではないかと思います。

 もし、松本氏に対しての以前のような気持ち等が吉田支部長の中にそのまま残っていたならば、あのような勉強会をすることはなかった(できなかった)と思います。少しでも、吉田支部長の中に、松本氏への気持ちがあれば、それは、後ろめたいというか、以前のように、「こんなことをしたら、尊師にたいして申し訳ない」という気持ちの方が、先にきてしまうのではないかと思います。

 ですから、明らかに吉田支部長の中に、既に大きな心の変化があったからこそ、「松本氏」とか「松本死刑囚」などと呼ぶようになっていったと感じましたし、このような熱意のこもった勉強会をやるようになったと感じました。

 また、今年になって進んでいった在家の会員の教材の破棄について言うと(出家の会員の方は去年脱会時に全て破棄しています)、自分自身の教材破棄に関して言うと、何回か支部長から破棄しなさいと言われましたが、最初はどうしても破棄したくないという気持ちの方が強くて、何回か断りました。

 吉田支部長も最初の頃は すぐには無理でも、徐々にという感じで言っていましたが、ある時期からは、教材を持っていることによって不安に思う人が、たくさんいることや、被害者の方の気持ちや松本氏がやってきた事件に関しての話をするようになり、その話を聞いていて、自分なりに納得ができたので、私自身も教材を全て捨てることにしました。

 教材を全て捨てるにあたり支部長の話がなければ、もしかしたら今でも捨てることはできず手元に持っていたと思います。その時の吉田支部長の話を聞いていて思ったのは、吉田支部長の中に、以前のような松本氏に対しての気持ちは少しも残っていないのだなということでした。

 吉田支部長とは、ある程度長い付き合いなので、話をしていると、どのような思いで話されているかが自然と伝わってきます。ですので、教材破棄の時もそうですし、その後吉田支部長と話をしていても、もう以前のような松本氏への気持ちは、少しも吉田支部長の中にはもうないんだなってことを感じています。それは、この先も同じではないかと私は思っています。

 こうして、吉田支部長だけでなく、上祐代表、他の部長さん、スタッフ、会員さんたちが、今もって松本氏に対して帰依しているとか思うこと自体が、無理があります。

 事件に関しての反省の気持ちや、松本氏や誰かを絶対視しないことや、同じことを二度と繰り返さないという気持ちをもっていることは、一緒にいて見たり聞いたりする中で、私はすごく感じています。

 以上


3.匿名 男性

 大阪道場に通う、会員の者です。ひかりの輪ができたとき、私自身の意識は前教団(オウム、アーレフ)のままでしたので、上祐代表に面談していただいた時、「頭頂に上祐代表を観想していいですか?」と質問しました。前教団では、頭頂に麻原氏を観想する修行が通常だったから、そのような質問をしたのです。すると、上祐氏からは見事に拒否されました。

 この一件から、何となく、ああ、今までと違う感じだなあと思い始めましたが、説法でははっきりと個人を崇拝したり、神格化したりすることの弊害を何度も聞いているうちに、だんだん自分の中でも、特定のグルを信奉するのではなく、この宇宙そのものである大日如来をこそ礼拝し、尊拝すべきであるとの確信を持つに至りました。そして、今ではその大日如来の現れである全ての事象に感謝し、生活できるようになりました。

 また、教団の他の方の言動を見ていても、私が修行に必要な法具を忘れたのに気づくと道場のものを貸してくれましたが、こんな事は前教団では絶対あり得ないことでした。なぜなら、触れられると他の方の汚れたカルマが流入されると感じるからで、私などは他の方のカバンに触れただけで怒鳴りつけられた記憶があります。それが、聖なる法具に及んでの話ですから、根本的に意識が変わっていなければ、こういう事は絶対にできないのです。

 また、私の記憶に新しいのは、支部長の吉田氏が勉強会で、もののけ姫の歌手の方を題材に取り上げて、生まれつき体の骨が折れやすい逆境を乗り越えて強く生き、親に感謝を忘れなかったことを称賛しておられましたが、以前の教団ではあり得ないことで、ものの見方、価値観がこの人は完全に変わったなぁと感じました。

 このように、私たちの意識が変わったことは内部の人間には、自明のことですが、隠れキリシタンの歴史を抱く日本の文化の中では、外からはなかなか認めてもらえないのが実情です。

 しかし、教団としてもさらにねばり強く対話と強調を繰り返すことにより、いずれは誤解が解きほぐされることを信じてやみません。

 以上


4.匿名 女性

 私は、ひかりの輪の在家の会員ですが、以下の通り陳述します。

 私は、ひかりの輪が設立してから、道場での修行はもちろんのこと、バクティ(無償の奉仕業)で泊りがけでお手伝いをさせていただく機会が多くなりました。その中で、私が道場で目にしたこと、耳にしたこと、感じたことはいろいろありますが、公安調査庁の方々が、公安審査委員会に報告された内容と、あまりにもひかりの輪の実態が違うので、もっと真実をしっかり見てほしいと思い陳述させていただきます。

 私は、2007年に、宗教団体アレフを脱会し、ひかりの輪に入会しました。ひかりの輪になぜ入会したかと言うと、オウム時代の麻原さんをグルとして崇めるグルイズムでなかったからです。

 これは私にとってとても重要なポイントでした。もし少しでも麻原さんをグルとしているならひかりの輪にはきませんでした。私は、アレフ時代は、麻原教祖を絶対神としていることに対して、ずっと違和感を感じていました。説法などの話は素晴らしいものだと思うこともありましたが、違和感は取れませんでした。

 その時はアレフ大阪道場に所属していましたが、そこでの師(指導者)の導き方がかなり強引で押し付けの部分も多かったので、道場に通う気もうせていました。

 そんな頃、代表派と反代表派の分裂があり、代表派の上祐氏の話を聞いて新しい団体について行きたいと思うようになりました。サリン事件などの旧教団が起こした事件の真相の話から始まりすごく驚きましたが、その過ちを反省し、今後も同じ過ちを犯さぬように自分達は何をすべきか...。それを具体的にものの捉え方、考え方を上祐代表は話されていきました。私はその話を聞いてとても納得しました。

 以前のグルへの依存心から自己の魂の成長へ、教団以外の人たちへ慈悲の大切さ等の過去の教団の考え方がいかに間違っていたかが話されていきずいぶんと考え方が変わっていってるのを感じました。

 オウム真理教は「自分達は選ばれた魂であり、それ以外の人たちは悪業多き魂」と区別する考え方でした。ひかりの輪は「すべての人は仏性を持った人たち」と自他を区別しない考え方に大きく変わってました。

 また、日ごろ接していく中で、私よりも、かつてはずっとずっと麻原さんをグルとして帰依の心を強く持っていた吉田支部長や、スタッフの方々の変わり様には驚きました。

 アレフから脱会したひかりの輪は、まったく新しい団体であり、麻原さんの意思とはまったく別の団体であることを認識しています。

 いろんな場面を通して、事件を反省し、麻原さんも一人の人間である以上間違いを犯すこと、あのような悲惨は事件を起こさないためには事件に直接かかわってなくても、しっかり受けとめて自分自身を総括しなおすことが大切だということなどいろんなことがだされていきました。

 私自身もあの悲劇をしっかり受け止め二度とあのようなことにならないように今後も継続してしっかり考えていきたいと思っています。

 道場でもセミナー等でも機会あるごとに事件のことや、オウム真理教のどこがおかしかったかということを、たくさんきいてきました。

 また、2008年の大阪道場では吉田支部長やスタッフによる熱のこもったサリン事件をテーマにした勉強会がひらかれました。再度事件の詳細や(これは何回も教団でも聞いていますが)被害者の方々の人生をどのように狂わせてしまったか等々いろんな画面を使って、真剣に勉強会がなされていきました。

 これに参加して、私は、改めて二度とこのようなことを引き起こしてはならないと真剣に心に刻みました。見たくないものは見ないでそのまま放っておくのではなく、ちゃんと直視して心の整理をし、次は何をしていくべきかという姿勢を教えてくれました。

 昔から私は、日常生活でいろんな苦しみがあって、その苦しみをどう乗り越えたらよいか?という部分が多くて、その心のよりどころとして宗教に心が向かっていました。

 そんな中、ひかりの輪で日々の吉田支部長の勉強会や上祐代表の説法ではいろんなことを勉強をさせていただいています。旧オウムのように誰か一人を神として崇め、依存してついてゆくという考え方ではなく、一元の悟り(旧教団のように自他の区別をしない)がえられるように、また慈悲の心を培っていけるようにいろんな教材をつかったり、方便をつかったりして学びやすいようにしてくれています。

 上祐代表は、いろんな方便を使って、私たちに慈悲の心が芽生えるように導いてくれているように感じます。

 公安調査庁の報告では、ひかりの輪は「麻原隠し」をしていると見られているようですが、実際に私は道場へ足しげく通っていますが、そんな場面は一度も見たことはないし、聞いたこともないし、むしろ逆にいかに旧オウムの考え方が間違っていたかをいろんな角度から学びました。

 もっと本当のことをしっかり見ていただきたく思います。

 また私は、日ごろからよく道場に通っていますから、吉田支部長とはよく接していますが、吉田支部長の日ごろの言動を見ていても、いかに事件は間違っていたかの話を聞くことはあっても、今現在の吉田支部長が、麻原さんに対する帰依の心をもっているなどとは、とうてい感じることもありません。

 私は、もしひかりの輪が「麻原隠し」の団体なら、活動する気はさらさらありません。足しげく道場に通っていて、ひかりの輪をこの目でしっかり見ていますが、そんな「麻原隠し」とは無縁であると確信を持っています。もっと真実をしっかり見ていただきたいです。よろしくお願いいたします。

 以上
 

5.匿名 男性

 私は、ひかりの輪の在家の会員ですが、観察処分に関して、以下の通り陳述します。

 ひかりの輪の勉強会に参加したり、代表の説法を学んでいくうちに、私たちが日々生きていけるのは、多くの人の助けがあってこそであって、そのことに、私自身が感謝できていないことに気がつかされました。

 また、それと共に、オウム真理教の事件の大きさにも。胸が痛みました。2008年の3月20日のサリン事件の13年目にあたって、大阪道場では、この事件について改めての勉強会が開かれました。

 今まで事件のことは、ひかりの輪で詳しく勉強するまでは、あまり見ないように人事のようにしてきました。この勉強会以前にもいろんなところで沢山事件や、一人の人間を神として絶対視することは間違っているし、そうした間違いがこのような大変な事件をも引き起こしてしまうということにも気づかされていきました。

 改めて、この勉強会に参加して、事件の数も多いし、内容も酷いし、自分の知らないところでこんなすごいことがおきていたんだなと思いました。そして、私は、オウム真理教の教義が間違っていたんだなと思いました。

 麻原さんに帰依することは、結局自分が幸福になりたいとか、解脱したいとかいう自分のことばかり考えているエゴであり、他の苦しみが分からないようになっていたと思いました。

 そして、特集番組のビデオを見て、オウム真理教の事件が起こった際、病院関係者の人たちが、一生懸命被害者の命を救おうとしている姿を見て心を打たれました。

 私たちとどちらが素晴らしいかと考えたときに、当然このように自分を省みずに働いている人たちの方だと思いました。オウム真理教のしたことは、到底、許されないことで、早くオウム真理教はなくなったほうがいいと僕は思いました。

 事件のことは直接かかわってはいませんし、まさかオウムがやったなんて夢にも思ってなかったのですが、このような真実を知った以上は、自分も、かつてオウムに所属していたという事実がある以上は、これから事件の被害で苦しんでいる人に、心を込めて償っていかなければいけないと思いました。

 ひかりの輪では、釈迦の縁起の法から学んだこととして、全てはそのもの単独で存在することはなく相互依存によって存在しているということを学んで、自分たちは多くの人たちから支えや助けがあっていきているということに気がつきました。

 そして、身近な人、社会の人、すべての人から、学ぶことがたくさんあることに気づきました。本当は、目の前の、日常の、出会う人皆が、愛すべき人生の先生であったのです。ひかりの輪で学べば学ぶほど、その思いは深まっていくのです。

 オウム真理教の、松本氏を絶対神のように崇め従う、という教義から離れて、今、振り返ってみると、旧教団は自分たちは選ばれた魂でそれ以外の人たちは悪業多き魂と差別していました。その悪業多き魂を救わないといけないというある意味、見下したような考え方でした。

 麻原さんの説くその教義は、教団信者と、社会の人をひどく区別し、差別意識と傲慢さを生み出す教えであって、この信仰の行き着く先には、幸福はないと自分は経験者として、つくづく思います。

 それから、私が見ている限り、大阪道場の吉田支部長も、相当変わっていったと実感しています。

 まず、昔と違って、自と他の強い区別・差別をしていた麻原教から脱却しようと一生懸命にひかりの輪で学んだ一元の法則の実践をしようと努力しているのが良く伝わってきました。たとえば人の苦しみを聞くときも自分のこととして親身になって話を聞いてくれています。

 また、吉田支部長は、昔は「尊師一途」の人でしたが、そういう話や言動は全くかんじられないどころか、尊師ともよばす、麻原死刑囚とか麻原さんと呼んでいて、さらにはあの事件がどのように間違っていたかも話してくれています。

 みんなのことも思って賠償等が進むようにも頑張っていると思います。

 もしまだ心の中で少しでも麻原さんのことを信奉していたら、こんな勉強会を実践するなどを含めて、こんなにも変わることはできないと僕は、吉田支部長をよく知る者として感じています。

 これからもしっかりいろんなことを学んで皆と一緒に被害者賠償を含めた僕のやれる精一杯のことを頑張っていきたいと思います。

 以上


6.匿名 男性

 私は、大阪道場のひかりの輪の在家の会員ですが、このたびの観察処分に関連して、以下の通り陳述させていただきます。

 我々のひかりの輪の主要メンバーは、ほとんどが、オウム・アーレフ出身である為に、過去のオウム真理教の罪を背負っております。それゆえの観察処分なのだということならば、当然の処置ではありますが、公安調査庁の主張を見ると、明らかに事実誤認の部分がありますので、事実を知った上での処置をお願いしたく、以下の点を述べます。

 公安調査庁は、まず私達の団体を「麻原彰晃こと松本智津夫を教祖・創始者とするオウム真理教の教義を広め、これを実現することを目的とし、同人が主宰し、同人及び同教義に従う者によって構成される団体」と、このように言っておりますが、私個人は、そのような団体に所属しているつもりは全くございません。

 私は本来、仏教をやりたくてオウム真理教に入信しました。入信当初はオウム真理教が仏教の教えを信奉する団体だと思っていたのですが、事件を起こした1995年くらいには当初の仏教を勉強したいという思いが、いつの間にか麻原彰晃こと松本氏を信仰することに、目的が変わっていました。

 事件後数年はそのような状態が続いていましたが、松本氏の予言が外れ、多くの仲間が教団を離れ、松本氏自身も不可解な発言をするようになり、段々と自らの信仰の内容に疑問を持つようになりました。

 そのような思いが育っていく中で、教団内で上祐氏の改革運動が始まりました。その後、派閥というものが教団内でできるようになり、我々信徒にもその動きが伝わってくるようになり、教団では禁止されていましたが、思い切って上祐氏が大阪に来られた時に、会って自分の疑問を聞いてみることにしました。

 そして、上祐氏と話すことで、自分の目的が仏教を実践したいという当初の目的が、いつの間にか松本氏を拝むことに変わっていることに気づかされました。しかし、20年近くオウム・アーレフに所属していた私が、松本氏の影響というか、松本氏の教えから脱却するのにはそこから2年くらいの月日がかかりました。

 脱却の第一歩はひかりの輪で行われている、日本の神社仏閣等を訪れる聖地巡礼修行と言われるイベントでの体験でした。

 それまでは松本氏を拝むことによってしか得られなかった宗教体験が、日本の聖地といわれる場所を訪れるようになったことで、もたらされたのでした。

 これは、それを体験してみるまでは、私にとっては、松本氏なしではありえないはずの体験だったのです。この体験によって、私は

「ああ、もう松本氏を信仰する必要はないんだ。」

 という、解放感のようなものを味わうことができました。

 その後もこういう体験が繰り返されるようになり、自分の住む国である日本の中に眠る霊性の素晴らしさを感じつつ、また、上祐氏が行う説法の中でなされたオウムの信仰実践での間違いを勉強することによって、さらに松本氏への思いは小さくなっていきました。

 そして、個人的にもオウムの信仰実践での間違いを勉強することを始めました。林郁夫氏が書いた「オウムと私」、早川紀代秀氏が書いた「私にとってオウムとはなんだったのか」、加納秀一氏の書いた「カルトにはまる11の動機」、早坂武禮氏の書いた「オウムはなぜ暴走したのか」、高山文彦氏の書いた「麻原彰晃の誕生」等を読むことによって、自らの信仰を客観的に見つめられるよう努力し始めました。

 また、他の団体への勉強会にも参加したり、一般の仏教書等も50冊ほど読んで、教義面での比較、松本氏独特の教えからの脱却を図りました。

 さて、以上が自分の変化の経緯ですが、次に、スタッフの中でも、吉田支部長について、自分が知っていることをお話ししたいと思います。

 まず、吉田支部長は、最初は、まさに『麻原尊師教』のひとりでした。それが、ある時から、吉田支部長の心の中にも、(私と同様に)大きな変化があったように感じることがありました。ですから、それを少し述べたいとと思います。

 あれは確か2007年3月頃のアーレフ脱会直後のことでしたでしょうか、第一道場で修行していると、吉田支部長が入ってきたのです。そこで、いつものように雑談をしていた時のこと、支部長の口から驚くような言葉が出てきました。

 いつの間にか、松本氏のことを、いつの間にか「麻原さん」というようになっていたのです。うちの支部長は、アーレフ内でも有名なグル一筋の人だったので、その人が、崇め奉っていた人を、まるでどこか他所の人のように呼んだのです。

 宗教的観念を構築したことのない人は、なかなか分からないかもしれませんが、宗教を実践している人間にとって、こういったタブーを犯すというのは、心の変化がない限りは、決して出来ないものなのです。この何気ない言葉は、支部長の中で何か大きく変わりつつあるのを感じるものでした。

 その言葉は、まだまだ今のようには、オウム真理教の観念の抜けきっていなかった、当時の私には、ショックな言葉でした。そこで、思わず、「支部長までもが麻原さんって言うなんてショックやな~支部長もいよいよ変わってきたんやなあ」と言ってしまったことを覚えています。

 ところが、言われた本人の吉田支部長は、(心の変化の自然な結果なのか)。何がショックなのか全く分からなかったようで、「え?何が?」と私は言われてしまいました。

 ひかりの輪は、その前身であるアーレフ代表派が形成された頃、つまり、教団の分裂が始まったころまで遡れば、私自身を含めて、最初からオウム真理教からの完全な脱却を行おうという意図の元に始まったのではないことは確かです。

 しかし、私達みんなの全体の思いの流れから、アーレフを脱会し、新団体を設立して、先ほど述べたように、松本氏から解放され、脱却していくという、今現在の流れになっていきました。

 そして、この時の吉田支部長との出来事は、そのオウム真理教の流れから完全に脱却していく方向にいく、前ぶれのような現象だったと思います。

 我々の反省は、まだ始まったばかりで、まだ自分達で気づけていない至らない点もあるだろうとは思いますが、もはや、松本氏やオウム真理教から脱却したという、我々の主張、行動に嘘偽りはありません。

 その点だけはご理解していただきたく思います。

 以上