1,事件の概要

 

 この事件は、1994年7月頃に起きました。男性の幹部信者Nが、ある女性の出家信者と男女関係の破戒をしたとして麻原から批判され、「50度の温度のお湯に15分入ることができるならば、その関係を認めてやる」と言われて、それを行いました。

 

 50度のお湯に15分入るということは、全く無謀なことであり、高温のお湯に入ることを温熱修行と呼んでいた当時の教団でも、47度以上の事例はありませんでした。

 

 しかし、Nは、それを行なうことを選択しました。その際に、幹部の新実智光(本年7月に刑死)や、他の男性幹部信者Vが付き添いました。Nは、50度の湯に入ってからまもなく意識を失い、死亡しました。

 

 この事件については、すでに発生直後から教団外部の人の知るところとなり、警察も把握していたことが、滝本太郎弁護士のブログに記されています(ウィキペディアの記事にも掲載されています)。


2,事件に関与した出家信者が明かした事実

 

 一見して、信者の修行中の事故死にも見えるこの事件も、実は、オウム教団幹部による傷害致死または殺人ともいうべき様相を呈する事件だったことを、当団体では把握しています。
 
 現場に居合わせた出家信者Vが、ある出家信者(後に、ひかりの輪のスタッフとなった者)に真相を語っていたのですが、その内容は以下の通りです。

 

 Nは、50度の湯に入ってからまもなく意識を失って、明らかに危険な状態になりました。それにもかかわらず、Vらは新実に従って、Nを救い出そうとせずに、15分の時間が経つまでは、浴槽の中に自分たちの力で(意図的に)Nを押さえ込んだのでした。「この事実が発覚したら、自分は終わりだ(逮捕される)」と、Vは述べていました。

 

 Vが言うように、Nが単純に自分の意思で湯に入って死亡したのではなくて、明らかに死を含む危険があることがわかる状況になった後に、新実やVらが意図的にNの体が浮かないよう押さえ込んだというのが事実だとすれば、これは少なくとも傷害致死、場合によっては殺人の責を問われてもやむを得ない事件だということになります。


3,警察が立件しなかった事情

 

 前記の通り、1995年時点から警察がすでにこの事件を知っていたことは確実です。それにもかかわらず警察が立件しなかったのは、N自身が自分の意思で行った無理な修行の結果として死亡したために事件性がないと判断したのか、または、事件性があったとしても、他のより重大な事件(地下鉄サリン事件等)を優先して、立件しなかったものと思われます。