こんばんわ!
プロ縄跳びプレーヤーの生山ヒジキです☆
引き続き
なわとびの歴史を紐解いていきたいと思います📚
パート4までの続きより
パート1☟
https://ameblo.jp/hijikiikuyama/entry-12586012300.html
パート2☟
https://ameblo.jp/hijikiikuyama/entry-12586226881.html
パート3☟
https://ameblo.jp/hijikiikuyama/entry-12586737198.html
パート4☟
https://ameblo.jp/hijikiikuyama/entry-12587908460.html
今日は
書物ではない
他の国の絵画や作品に触れながら
なわとびの歴史を紐解いていきます📚
ヨーロッパに目を向けると
1560年オランダの画家ピーテル・ブリューゲルにより
描かれた油彩画
「子供の遊戯」
を研究された
森洋子さんの
「ブリューゲルの「子供の遊戯」」
において
紹介された挿絵のなかになわとび遊びもあったことから
ヨーロッパではこの時代にはなわとび遊びが日常的なものとして存在をしていたということがうかがえる。
と、聖徳大学教授 百瀬定雄氏は27年前の論文(「循環運動の中間局面における運動構造に関するモルフォロギー的研究―短なわとび運動の場合―」)で述べている。
それを決定づけるかのように
オランダの詩人ルーメル・ヴィッセルが1614年に書いた
「寓意人形」のなかの「愚かな労苦」
という作品で
少年が風を切ってなわとびをしながら野原を走っていく様子が載っている。(詳しくはなわとび学で)
そして1618年に出されたオランダの詩人・政治家J・カッツによる
「寓意と愛の図像集」
の挿絵には長なわとびの様子も描かれている。
カッツの作品では他に
「結婚、その状態のあらゆる過程」の
第1章「娘時代」の挿画(1625年)
「子供の遊戯」
に縄を持って走る子どもが描かれている
※絵の右側です(わかりずらくてすみません(^-^;)
またオランダの銅版画家ヤン・ロイケンの
「子供は縄とびをして走る」
の銅版画にも
少年が走りながらなわとびをしている様子が描かれており。
この他、18世紀の木版画「48種類の子供の遊戯」には短なわとび、長なわとび
両方のなわとびが紹介されています。
※百瀬定雄氏 論文
「循環運動の中間局面における運動構造に関するモルフォロギー的研究―短なわとび運動の場合―」より一部抜粋
スイスのチューリッヒに住んでいた銅版画家マイヤー・Cは、
17世紀中期に子供の遊びの風景を26葉(葉とは木の葉のように手のひらに収まるほどの大きさのこと)の作品に残しているが、その1つに短なわとびに親しんでいる子供を掘ったものがある。
これなどは子供の膝の使い方などが非常にリアルに表現されていて興味深い。
と、山市孟・田渕規矩夫氏は
著書「たのしいリズムなわとび(1981年)」で述べている。
そして日本ではなわとびうたあそびから500年
江戸時代末期から明治時代初期にかけて活躍した浮世絵師歌川芳虎の
「子供遊び尽くし」(1848~1854年ころ)にて
なわとび遊びが描かれています(詳しくはなわとび学にて)
完全に江戸時代には子供たちのなわとび遊びが確立されています。
1895年みんながよく知っている、今の5000円札の顔にもなっている
小説家樋口一葉の
「たけくらべ」
にて
「龍華寺の信如、大黒屋の美登利、二人ながら学校は育英舎なり、去りし四月の末つかた、桜は散りて青葉のかげに藤の花見といふ頃、春季の大運動会とて水の谷の原にせし事ありしが、つな引き、鞠なげ、縄とびの遊びに興をそへて長き日の暮るゝを忘れし」
の分から学校の体育の授業のなかにすでになわとびが導入されていたことが推測できる。
ではどの時点で体育のなかになわとびが導入されてきたのか・・・
そもそも体育というのはいつはじまったのか?
次回は少し寄り道して
体育の誕生と体育になわとびが導入されるまで
を掘り下げていきたいと思います。
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それではさようなわ(縄)