古墳だけじゃないぜ!羽曳野市の古代寺院(前篇)~西琳寺跡・善正寺跡 | 日出ヅル處ノ廃寺

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古代寺院跡を訪ねて

古代史ファンにとって「ハビキノ」といえば、応神天皇陵(誉田御廟山古墳)を代表とする「古市古墳群」を連想されるのではないでしょうか。仁徳天皇陵のある百舌鳥古墳群と合わせて2019年に「世界遺産」として登録され、昨今の古墳ブームの立役者となったことはまだ記憶に新しいところです。

 

さて、古墳ある所に古代寺院あり───。羽曳野市では古墳の方が有名すぎて、その陰に埋もれてしまっている感がなきにしもあらずですが、ご多分に漏れず同市内にも古代寺院が存在していました。市内で確認されている古代寺院は3箇所と、数の上ではそれほど多くはありませんが、出土品などがかなり特徴的で、おおいに興味をそそられるものです。

 

今回はこの羽曳野市内の古代寺院跡を巡ってみましょう。私が訪れたのは別々の日でしたが、以下のような順でなら、半日少々でも回れるかと思います。ではレッツラゴー!
 

 

  西琳寺跡(さいりんじあと)

大阪府羽曳野市古市二丁目

訪問オススメ度 ★★


今回は近鉄南大阪線古市(ふるいち)駅がスタート地点。ここから東に向かって10分ほど歩いて行くとたどり着くのが西琳寺。竹内街道と東高野街道とに隣接する現在の境内一帯に古代寺院がありました。7世紀前半に渡来系の西文氏(かわちのふみうじ)による創建とされる寺院です。

 

西琳寺山門。その手前の左右方向の道が東高野街道

 

境内に入ってまず目を引くのが、本堂左手前の巨大な塔心礎。元の位置からは移動されているそうですが、飛鳥時代としては最大級のもの。重量は約27トンにも及ぶとか。

 

西琳寺の境内。左に塔心礎。参道の奥は本堂

 

写真は撮り損ねましたが(というか高くて手が届かない)、上面には心柱の縁に添え柱用らしき窪みも穿たれています。窪みの形状はかなり複雑。

 

側面の丸い穴は移動用のものでしょうか。ウーパールーパーのような表情がカワイイ

 

そのほかにも境内には柱座の造り出された礎石がいくつか見られますが、基壇などの遺構は残っていません。昭和初期には基壇らしき土盛りが残っていたようで、法起寺式の伽藍が想定されています。

 


柱座の残る礎石。奥は「高屋宝生院の五輪塔」

 

 

日本一かっけぇ鴟尾!


西琳寺跡からは巨大な心礎の他にもう一つの「お宝」が出土しています。それがコチラ。

 

現地の案内板より

 

古代寺院の屋根を飾っていた鴟尾です。鴟尾の出土は破片も含めると各地で見られますが、完全形が復元できるようなものは20例ほどしかないようです。西琳寺の鴟尾がスゴいのは造形的な素晴らしさ。そのあたりを語ってみましょう。ちなみに現物は、最後にご紹介する「羽曳野市立陵南の森総合センター」内の郷土資料室で展示されています。

 

まず、その形状。上の先っちょ部分をご覧ください。とがっているのがおわかりいただけますでしょうか。本体の背骨にあたる部分に折れ角がついていて、それが尻尾の先まで続いています。

 

復元された四天王寺の鴟尾も西琳寺と同系統でしょうか

 

よく見かける鴟尾は背中も先端も丸みを帯びていて、いわば長靴を逆さまにしたような形状。対して西琳寺の鴟尾は背中の折れ角ととがった先端部分によって、シュッとした感じがあると思いますがいかがでしょうか?

 

逆さ長靴型の鴟尾。奈良時代になるとこんな感じのものが多くなるようです(愛知県高浜市内にて)

 

次に本体部分に描かれた文様。鳥の羽を模したという文様が口元から背中に向けて伸びていますが、見事なのはその先の火焔紋。どうですかこれ! かっこいい! 鴟尾の背後にも同様の文様。こちらも素晴らしい。


ガラスに室内が反射して見づらいですが火焔紋の部分を拡大

 

展示の解説板から

 

解説によれば仏像製作者が関与していたのではないかとのこと。確かにそう思えるような秀逸なデザインですね。ところでこれは火焔紋とされていますが、火事避けのまじないとしてはどうなのでしょうね? 燃え盛るようなものが屋根に乗っていると、火災を招いてしまうのでは....?? デザインが優れているから、そのあたりは不問にされたのかもしれません(笑)。

 

西琳寺本堂の屋根

 

西琳寺本堂を見上げると、火焔紋こそありませんが、出土したものとよく似た鴟尾が甍を飾っていました。軒先の丸瓦もよく見かける三つ巴文様ではなく、古代寺院で用いられている蓮華文様。本堂は比較的新しい感じでしたので、再建した際に古代の記憶をとどめようとしたのでしょうね。ハイジスト的にはうれしい配慮です。

 

 

  善正寺跡(ぜんしょうじあと)

大阪府羽曳野市はびきの二丁目

訪問オススメ度 

 

古市駅に戻り近鉄バスで西に向かいます。 10分ほどかけて丘陵地を登った所の「羽曳山住宅前」で下車。バス停の近くの狭い歩道際に案内板があり、ここが善正寺跡。まあ、正直この案内板以外に何もないので、下車せずにそのまま次の野中寺に向かっても良いでしょう。

 

善正寺跡。写真中央辺り、歩道の脇で茶色の裏面が見えているのが案内板です

 

古代寺院跡は歩道の南側の丘陵上にあったようです。古い写真を見ると雑木林の中に遺構が残っていたようですが、現在は宅地化されてしまってその痕跡はまったくありません。案内板の解説によると、かなり立派な寺院だったようで、失われてしまったのは何とも残念。

 

善正寺跡の案内板

 

宅地化される時に簡易な発掘が行われたようで、双塔式の薬師寺式伽藍であったことが判明。ちなみにですが、藤井寺駅近くの葛井寺もかつては薬師寺式伽藍だったようです(今回はパス)。

 

善正寺跡の伽藍配置図

 

善正寺跡には東西両塔の心礎が残っていて、両方とも民家の中にあった(取り込まれた?)ようですが、西塔のものは野中寺境内に移設されています。平面は正方形に近く、舎利孔も穿たれていないなど、ちょっと変わった心礎で、斑鳩の中宮寺跡などと同様の形式だそうです。

 

野中寺に移設された善正寺西塔の塔心礎(右)。左のものはよくわかりませんが、これも善正寺跡から移設されたものでしょうか

 

寺院跡から東方を見やると「河内六寺」のあった生駒山地の南端部分までよく見通せました。

 

奥の山並みのふもとに「河内六寺」がありました

 

(後篇)に続きます