奈良県内の古代寺院と言えば、飛鳥・藤原京や平城京、それに斑鳩地区に集中する有名寺院が思い浮かびますが、斑鳩の西部にあたる「王寺周辺」も見逃すことはできません。
前篇に続いて今回の(後篇)では、片岡王寺跡(北葛城郡王寺町)と尼寺廃寺(香芝市)、それと王寺町の愛されキャラ、「雪丸くん」をご紹介します。ではレッツラゴー!
片岡王寺跡(かたおかおうじあと)
奈良県北葛城郡王寺町
訪問オススメ度 ★
前篇の最後にご紹介した、同じ王寺町内の西安寺から徒歩で南西方向に移動します。王寺町を南北に貫く国道168号線に出てきました。
王寺駅から達磨寺(左)までは「雪丸ロード」というウォーキングコースとなっています
片岡王寺は「王寺」という地名のルーツにもなった古代寺院(へー)。で、こちらも「四天王寺式伽藍」なんです。かつては、五重塔、金堂、講堂のほか、四方の門、経蔵や鐘楼、回廊に僧房も有する大伽藍だったようです。
国道168号線から見た片岡王寺跡(旧王寺小学校)
四天王寺式伽藍は王寺周辺に3寺院が存在。比較的古いとされるこの伽藍配置が多く見られるということは、仏教寺院が黎明期から建立されてきた地域とうかがい知れます。
片岡王寺跡の中心伽藍は、廃校となった旧王寺小学校の校舎群の東端に、堂塔が一直線上に並んでいたようです。明治期までは基壇跡らしき土壇や礎石が一部残っていたとのことですが、現在はその痕跡は失われてしまって、古代寺院を偲ばせるものは何も残っていません。
南側から。手前左側のプールとその後ろの校舎の間が塔跡、その北側に金堂跡、講堂跡と続く
北に隣接する放光寺(ほうこうじ)にも足を運びました。放光寺は片岡王寺の後身寺院とされ、境内をうろついてみると、布目の付いた瓦片が見られました。もっとも場所的には、古代寺院ではなく移転後のものかもしれません。
放光寺本堂
放光寺(片岡王寺)の案内板
左側二つが片岡王寺出土瓦(帝塚山大学附属博物館)
片岡王寺はこれくらいにして、近くの達磨寺に寄り道していきましょう。
王寺町観光の拠点、達磨寺
放光寺から国道を挟んだはす向かいには達磨寺(だるまじ)があります。達磨寺は本ブログでご紹介している古代寺院跡ではないようですが、聖徳太子の「片岡山伝説」ゆかりの場所として知られ、境内にあるのは古墳や達磨寺中興記石幢(重要文化財)、戦国武将松永久秀の墓など、盛りだくさん。
達磨寺境内。後ろが本堂
本堂は古墳(達磨寺3号墳)の上に建てられており、この古墳こそが達磨大師の墓であったと信じられていたとのこと。何やらエルサレムの聖墳墓教会のような感じですね。2002年に本堂の建て替えに伴う発掘調査をしたところ、本堂の基壇下から、元の古墳の石室を改造したらしい空間に石塔(宝篋印塔)があって、さらにその石塔内部には舎利が二重の容器に収められていたということです。
舎利をわざわざ石塔に収めて埋葬している点がなんともユニーク。「舎利は塔に収めなければならない」という考え方でもあったのでしょうか。
石塔埋納遺構の案内板
これは達磨寺1号墳。石室内部の様子が観察可能
さて、達磨寺で忘れてはならないのが、聖徳太子の愛犬、雪丸の像。この像がいつ造られたのかははっきりしないようですが、古文書の記述から江戸後期には存在していたことが確実のようです。
人語を解し、読経もできたという雪丸くん、死ぬ間際に「達磨大師の墓の北東に葬ってほしい」という遺言を残したとのことで、この地に葬られたのだとか(主人の聖徳太子のそばにじゃないのかよ....とか、無粋なことは言わない。言ったけど)。雪丸像も、もともとは達磨大師の墓とされる3号墳の北東にある1号墳の上にあったらしいですね。
雪丸像。ちなみに雪丸の墓と称するものは大和郡山市にもあります
先ほどの放光寺は人もいなくひっそりした感じでしたが、こちらの達磨寺は見どころが多いこともあってか、ボランティアのガイドさんも常駐しているようで、王寺観光の中心になっている模様。ハイジスト的には片岡王寺跡も観光ルートに取り込んでほしいところですが、遺構もなく難しいでしょうね。せめて瓦や模型の展示でも...と思うのですがね。
尼寺廃寺(にんじはいじ)
国指定史跡 奈良県香芝市尼寺二丁目
訪問オススメ度 ★★★★
お次は奈良交通バスで南に向かい「畠田八丁目」で下車、目的地は尼寺廃寺。「あまでらはいじ」ではなく「にんじはいじ」と読みます。
バス停にも雪丸くん。尼寺廃寺は王寺町のお隣の香芝市(かしばし)にあります
尼寺廃寺は発掘により金堂、塔、中門、回廊跡などが明らかとなったほか、南大門の代わりに東門があって、中門も回廊の東中央にあることから、南を正面としない東向きの「法隆寺伽藍」であると判明しました。
東から見た尼寺廃寺。手前が東門跡、その奥に中門跡。さらに左奥が塔跡、右奥が金堂跡
現地の解説プレート
さらに塔跡からは、わが国では最大級という地下式の巨大な塔心礎と舎利荘厳具の金環などが発見されて、当時は結構な話題に。塔心礎はデカすぎたのか、据え付ける際にしくじって割れてしまったそう。あちゃー....
塔跡。地下式塔心礎の部分は写真で分かるようにしてありました
金堂跡は礎石なし
史跡公園として整備
尼寺廃寺は発掘調査後に「香芝市尼寺廃寺跡史跡公園」として整備され、近隣の方たちの憩いの場になっています。堂塔などの跡は、解説板付きで基壇などが復元され、伽藍配置の全体像もよくわかります。
南西側から見た中心伽藍。左が金堂跡、右が塔跡
さらに、公園内には集会室的な用途を兼ねた「尼寺廃寺跡学習館」(入場無料)が設けられ、塔心礎のレプリカを床のガラス越しに見学することが可能となっています。塔基壇の剥ぎ取り土層などの展示もありました。
尼寺廃寺跡学習館
学習館の内部。床のガラス面の下に塔心礎のレプリカがあります。右の壁面は塔心礎周囲の土層
ガラス越しに見る塔心礎と舎利荘厳具のレプリカ
尼寺廃寺については、この学習館のほか、少し離れた「香芝市二上山博物館」にも展示がありますが、こちらは残念ながら撮影禁止(ケチw)。博物館では、縄と板で添え柱が固定された心柱の根元部分のレプリカが展示され、荘厳具や瓦などの出土品を見ることができます。
さらに少々マニアックな話になりますが、尼寺廃寺の西の丘陵上にある香塔寺には、塔の石製露盤(相輪の根元の部分)が江戸末期の僧聖阿の墓の台座に転用されているとのことです。ただし、こちらのお寺は一般には開放していないようで私も未見です。
二つの尼寺廃寺
ところで尼寺廃寺は実は2箇所あって、両者を区別するために「尼寺廃寺(北)」「尼寺廃寺(南)」、「尼寺北廃寺」「尼寺南廃寺」などと呼ぶこともあります。名称が同じものとしては、葛城市の「二光寺廃寺(東)」「二光寺廃寺(西)」がありますね。
一般に尼寺廃寺といえば、これまで見てきた北廃寺を指します。対して南廃寺の方は、北廃寺の南200mほどの般若院の一帯にあったとされる古代寺院。こちらも限定的ながら発掘調査が行われ、東に金堂、西に塔を配する法隆寺式伽藍の可能性が指摘されています。
東側から般若院を望む
般若院の本堂には、古代寺院の礎石が転用されているものもあるようですが、門は閉ざされていて境内に入ることはできませんでした(本日3回目)。
門扉の隙間から隙見ング。正面の本堂が塔跡。その手前の境内地が金堂跡のようです
般若院の少し東の空き地がなにやら「古めかしい雰囲気のコーナー」になっていて(薬師堂とのこと)、南廃寺との関連はよくわからないものの、古代寺院の基壇跡ともいわれています。
廃寺感の漂う薬師堂周辺
さて、これら二つの尼寺廃寺は近接していることから、黎明期の古代寺院によく見られる「僧寺」「尼寺」のペアだった可能性も指摘されています。出土した瓦の様式から、南廃寺が先に途絶え、北廃寺の方が焼失・再興を繰り返して後世まで存続したことが判明しているとか。
尼寺廃寺(北廃寺)は史跡公園として整備され、学習館も併設されているので、気軽に訪れるのにはオススメです。王寺周辺の古代寺院のご紹介は以上となります。
王寺町の愛されマスコットキャラ「雪丸くん」
JR王寺駅の雪丸くん
これまでにも登場していましたが、王寺町内を巡っているとあちこちで「雪丸くん」を見かけます。王寺町の公式マスコットキャラクターで、2次元・3次元、大きさもさまざま。
こちらは王寺駅前の石造雪丸くん
雪丸くん尽くし
なんとテーマソング「Love Love ゆきまる!」もあるのですよ!
王寺町のこのキャラ、オッサンぽい風貌ながら、とばけたような愛嬌もあっていい感じ。そんな愛されキャラの雪丸くん、私が一番びっくりしたのがコチラ。
こんなところにも雪丸くんが!
なんと、列車の行き先表示にも登場していました! 王寺町とJR西日本のタイアップ企画なんでしょうか。フルカラーLEDならではですね。プニュプニュ~♪
[訪問日]2023.8.6