怒らない子育てを選んできた、その先にある日常🌱
この文章は、
私が 「怒らない子育てをしてみたい」 と
心に決めた原点の話です。
🌱
1968年、東京・新宿区矢来町で
私は生まれました。
姉が生まれてから、11年後のことです。
父の反対もあり、
母はそれまでに2度の中絶を経験していました。
「最後だから」と決めて、
私を産んだのだと聞いたのは、
私自身が4人の子どもを産み、
病院から自宅に戻った日のことでした。
🕊️
父は、生後7か月で母を亡くし、
3歳で父を亡くしています。
その後は、親戚の家を転々としながら、
なんとか大人になったと話してくれました。
戦後間もない頃、
どの家庭も貧しく、
自分の子どもにご飯を食べさせるだけでも
精一杯の時代です。
親戚の家にはすでに子どもがいて、
ご飯の量も、内容も違ったけれど、
それでも父はこう言っていました。
「食べさせてもらえただけで、ありがたかった」
🍚
けれど、ある日、
物が無くなる出来事がありました。
その時、子どもだった父に向けられた言葉は、
「お前か」
「違う」
と伝えても、聞いてもらえず、
その日の晩ご飯は与えられなかったそうです。
自分じゃないのに…😭
でも、誰も信じてくれない。
誰も、話を聞いてくれない。
その日を境に、
何かあると怒られ、
殴られるようになったと、
大人になった父は、
とても寂しそうに話してくれました。
💔
だからこそ、
母と結婚した父は
「家庭を大事にしたい」
と思っていたはずだと、私は思います。
けれど父は、
友人からこう言われたそうです。
「結婚初日は、
夫は強いのだということを見せなくてはいけない。
だから、家には朝帰りをした方がいい」
その言葉をそのまま信じ、
父は初日から朝帰りをしました。
怒った母に対して父は、
「俺は夫だ。何が悪い」
そう言って怒鳴ったそうです。
それが、我が家の始まりでした。
🏠
その日から、
家の中のパワーバランスははっきりしました。
怒る父。
泣く母。
私が生まれ、
物心がついた頃も、
状況は変わっていませんでした。
父は、
酔うとタチが悪くなる、
いわゆる酒乱でした。
お酒を飲むと、
暴れることも多かったです。
暴れる父を止められない母。
姉はリビングの入り口で体育座りをして、
ただ耐えているように見えました。
その頃から気が強かった私は、
3歳の小さな体でも
「母を守りたい」と思い、
父に向かっていくタイプだったそうです。
跳ね飛ばされても、
また向かっていく。
そんな子どもだったと聞いています。
😢
今でも、
大きな声や、
食器の割れる音が苦手です。
体がピリピリして、
ドキドキするのは、
あの頃の怖い記憶と、
今も結びついているのだと思います。
🌿
だからこそ、
私は子育てを始めるとき、
心に決めていました。
「暴力のない、怒らない子育てをしてみたい」
それが、
私の子育ての原点です。
🤍
「怒らない子育てをしてみたい」と
一度でも思ったことのある方に、
この話が、そっと届いたら嬉しいです。











