「勉強したことは、誰にも取られないからね!」
小学6年生の宿題嫌いの私は、また母に怒られると思った。
中学生の母は、本所深川に住んでいた。
6人兄弟の3番目。祖父母と共に10人の長屋暮らしだ。
「お金がないから、友達とお茶も飲みに行けない。だから友達は勉強」と
学校から帰っても、大好きな英語の勉強は欠かさない中学生だった。
1945年3月9日の深夜の東京大空襲。
300機を超える大型爆撃機 B-29 東京上空に姿を現した。
「逃げるよ!」「逃げるよ!」一番下の弟を背負った中学生の母。
「あっ、忘れた」と英語の教科書を忘れたことに気づいたが、
逃げてきた道は、火の海で、もう戻れなかった。
とにかく隅田川に逃げた。しかし、川の中には火傷を負った人で溢れていた。
「ここにいたら助からないよ。あっちに逃げよう」と家族で、
逃げて、逃げて、命だけは助かった。
数日して戻った家には、焼けて何もなかった。
家も、教科書も、大切なもの全てを失った母は実感した。
「物は無くなることもある。でもね、勉強して自分が得た
知識は誰にも、どんなことがあっても取られることはないんだからね!」
勉強嫌いの私に怒っていたのではなかった。
本当に実感して伝えたかった気持ちだとわかったのは
大人になり、子育てをして、子どもが勉強しない時に
私が母と同じ言葉を、勉強嫌いな子どもに伝えている時だった。
中学生の母はその後も勉強を続け、高校を卒業した。
努力は就職で実った。憧れのO出版社、初の高卒の秘書になった。