紀伊半島縦断・廃校休校巡り(2015/07/25) | haiko-riderのブログ

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2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。

今回は、紀伊半島縦断・廃校休校巡りですが、

複数の県や市に跨り、特定することが困難であるという理由から

このようなタイトルにしています。

 

ルートは、大阪から国道168号を南下し奈良県十津川村を経て

 

新宮まで行きました。(途中、通行止め区間は迂回しました。)

 

 

さらに、国道311号(上図)を和歌山県田辺市本宮町から西へ進み、

中辺路町を経て、



和歌山県龍神村から国道424号(上図)を北上し、紀の川市まで進み、

大阪へ戻るルートです。

 

訪れた廃校休校の所在地は、奈良県十津川村、三重県熊野市紀和町、

 

和歌山県新宮市、那智勝浦町、田辺市中辺路町、日高川町です。

(再訪した校舎も含みます。)

走行距離は延べ572kmに上りました。

一般国道での日帰り(原付2種バイク)としては、自身の最長記録となりました。




平谷小学校7

 

平谷小学校2

 


平谷小学校4


平谷小学校5

平谷小学校3


平谷小学校1
平谷小学校(現役)※

深夜に大阪を出発し、国道168号を南下して行く途中、

奈良県十津川村折立地区の沿道から見える美しい木造校舎です。

早朝のため、霧が白い雲のように校舎の屋根まで下りていました。

現役ですが、もももと折立中学校(2012年閉校)だった校舎を引継ぎ、

耐震補強して使用しています。

平谷小学校は2011年に訪れました。

当時は、折立中学校体育館の裏に仮設されたプレハブの建物でした。

http://ameblo.jp/hiho-haiko/entry-11581129491.html

現役の中学校校舎としては珍しく貴重でしたので、取り壊されることも無く、

小学校校舎として継続使用されることは、大変嬉しいことです。

地元の方々の校舎を大切に守っていきたいという思いが伝わってきます。

玄関の表札は平谷小学校に変わっていましたが、入り口のフェンスには、

閉校になった折立中学校への感謝のメッセージが掛かっていました。

※2017年4月1日十津川第二小学校への統合に伴い閉校となりました。

 

 

不動滝

南紀の山々は滝が多いのが特徴です。

当日は、国道168号十津川村桑畑付近が、豪雨による土砂崩れ通行止めであることが判り、

国道425号まで引き返して迂回せざるを得なくなりました。

昨夜まで降り続いた雨で、滝は水しぶきをあげて落ちていました。


北山川(竹筒集落から望む)
北山川の悠然とした流れ(竹筒地区にて)

葛川集落を経て、瀞八丁(どろはっちょう)まで下りてから

峠を越えて、再び十津川村に入ります。

竹筒(たけとう)は十津川村最南端の集落です。

4年前に訪れた時は、竹筒小学校(1971年休校)校舎が残っていましたが、

http://ameblo.jp/hiho-haiko/entry-11585764062.html

今回は、取り壊されてしまったのか確認できませんでした。

残念です。。。


九重小学校2

九重小学校3

九重小学校1
九重(くじゅう)小学校(1991年休校、2005年廃校)
県境を越えて和歌山県新宮市熊野川町に入ってほどなく

沿道から見える木造校舎です。

4年前は無かった石窯パンの看板が掛かっていました。

窓から突き出た煙突は、パンを焼くためのものでしょうか。

 

上川小学校2

 

国道168号は河口に進むにつれて川幅も大きく景色も良くなります。

三和大橋を渡った向う岸にも廃校舎があります。

 

上川小学校1
上川(じょうせん)小学校(1994年休校、1996年廃校)

 

熊野川の向うは、三重県熊野市紀和町です。

4年前より樹木に覆われており、上段の上川中学校は屋根しか見えません。

小学校は、何とか全景が確認できる状態ですが、近い将来、中学校と同様に

木々に埋もれていくのでしょうか。。。

 

那智駅1

 


那智駅3
那智駅
熊野川に沿って国道168号をさらに南下し新宮市街を経て、

国道42号を南下し、那智勝浦町に入りました。

那智駅は、那智大滝、熊野那智大社の玄関口となっており、

駅舎も社殿を模した外観です。

行楽シーズンにしては、思ったよりも活気がありませんでしたが、

当駅から2つ下った紀伊勝浦駅に、商業施設や行政施設が集約されているのが

その理由と判りました。

ホームを覗いたところ、マリンブルーの普通列車がゆっくりと入ってきました。


那智駅2
那智駅前のビーチ

時間が早かったためか、人影もほとんど無く静かでした。

南国風の景色が広がります。

駅の目の前にあり、そのまま歩いて行けるのが魅力ですが、

那智駅に着くまでが遠すぎる。。。

 

浦神小学校7

 

国道42号をさらに南下します。

那智勝浦町南端は海岸は入り組んでいます。

穏やかな内海の向こう岸にも遠く家屋群が見えます。


浦神小学校8
次の目的地は、内海を一望できる場所にあります。

 

浦神小学校1

 

手前が体育館、奥の茶色の建物が校舎です。

 

浦神小学校2

 


浦神小学校6


浦神小学校4


浦神小学校5
浦神小学校(2013年閉校)

JR紀伊浦神駅から海に向かって徒歩数分の距離にあります。

校舎自体は特徴や目を引くものはありませんが、

体育館の目の前に、内海ならではの立地条件を活かした

学校施設があるのが魅力です。

 

 

 

 


浦神小学校3
「海のプール」

遠浅の内海に石積みの堤防で囲んだ「海のプール」です。

遠く熊野灘に続く内海を眺めることができる絶好の施設ですが、

閉校となった今は、生徒も勿論のこと、魚一匹も泳いでおりませんでした。

太田中学校1

次の目的地は、那智勝浦町の山間部にあります。

太田川に沿って県道45号を内陸に進み、南大居地区に差し掛かると

太田小学校(現役)の校庭奥にひっそりと木造校舎が残っています。

コンクリートの門柱には、太田中学校とあります。

 

太田中学校3

 

校門の傍にある学校跡石碑

かつて、太田実業学校が併設されていたようです。

校歌か寮歌なのか、続く歌詞も劣化により変色しており

判読できませんでした。


太田中学校10

平屋の木造校舎群が3棟見えます。

一番奥は講堂のようです。


太田中学校9

木造校舎の全景



正面玄関の近景



太田中学校8

太田中学校11

並んだ棟は渡り廊下で繋がっています。

 

太田中学校6

 

校舎裏側


太田中学校5

農機の倉庫にもなっているようです。


太田中学校7
廃棄(放置)されたトラクター

左手を挙げて挨拶しているように見えました。

愛嬌を感じるマスクです。


太田中学校2
太田中学校(2000年閉校)

濃淡斑な瓦屋根、ペンキの剥げかけた板張りの壁は

往時のまま残っており、味わい深い木造校舎です。

後日調べたところ、閉校後、校舎は介護施設として使用されていたようですが、

現在は閉鎖された状態となっております。


太田川の清流
太田川の清流

県道45号を太田川に沿って上っていきます。

南紀特有のエメラルドグリーンの透き通った川面が

続きます。

 

出合小学校1

 

次の目的地は、那智勝浦町小匠(こだくみ)地区にあります。

県道234号との分岐点手間の坂道を上がると広場に

目の覚めるような光景が。。。

深山に包まれてひっそりと佇む廃校舎です。

L字型に2棟の木造校舎が、その上段に講堂らしき建物が見えます。


出合小学校4

左側の建物は、立派な玄関ポーチが付いており

風格を感じます。


出合小学校10

職員室や給食室が入っていた建物です。

 

出合小学校6

 

表札は、まだ判読できる状態で掛かっています。

 

出合小学校11

 

鬼瓦には、しっかりと「學」の文字が刻まれています。


出合小学校2

正面に見える平屋建て校舎

寄棟造りで安定感のある木造校舎です。

 

出合小学校9

 

側面から見ると、窓ガラスを防護する施しがなされています。


出合小学校8

校舎裏から一段上の講堂には、階段廊下で繋がっています。


出合小学校3

石積みの擁壁に取り付けた簡素な滑り台

湿気が多いため、苔に覆われ、錆び付いていました。


出合小学校7
校舎の右端に小屋があり、見慣れない施設名が。

科学技術庁の高感度地震観測施設とあります。

廃校舎と科学施設が同居した不思議な場所です。。


出合小学校5

出合(であい)小学校(1989年廃校)

那智勝浦町北部は、色川、妙法小学校など4年前に訪れています。
http://ameblo.jp/hiho-haiko/entry-11609609925.html

南部は、大阪からさらに遠方となるため、なかなか行く機会がありませんでした。
情報は知っていましたが、実際に訪ねてみて改めて木造校舎の美しさを

感じることができ余韻に浸ってしまいました。

貴重な出合となりました。。。


熊野灘
熊野灘の風景

山間部から次の目的地に行くのに、

山から山へ越えるルートが無いため、都度、海側へ下りながら

進むことになります。

効率が悪いのですが、熊野灘の海岸美が疲れを

吹き飛ばしてくれました。


高田川
新宮市内に入り、熊野川に沿って北上します。

支流の高田川もこのようにエメラルドグリーンで

神秘的な光景です。


高田小学校旧校舎2


高田小学校旧校舎3

高田小学校旧校舎1

高田小学校旧校舎4

高田小学校旧校舎5
高田(たかた)小学校旧校舎(1992年移転)

現在の校舎は、集落に入る手前の高台に引越ししましたが、

旧校舎は高田地区の中心部に残っています。

高田コミュニティ消防センターの敷地に、ベージュのペンキ塗りの木造建物が

ありますが、かつての講堂と思われます。

そして、道路を隔てて向かいにある「杉の郷えぼし寮」敷地の奥、

石垣の壇上に、黒塗り平屋建て木造校舎が現存しています。

かなり年季が入っておりますが、倉庫として利用されている様子です。

由来は不明ですが、先人の功績を称える石碑が鎮座していました。


相賀小学校4

相賀小学校2

相賀小学校3

相賀小学校1
相賀(おうが)小学校(1980年廃校)

県道230号を国道168号へ引き返す途中、相賀集落の高台に

平屋建て木造校舎が2棟あります。

多いときで80名の生徒がいたそうですが、過疎化により減少し廃校を

余儀なくされました。

その後、山村留学センターとして外部からの生徒を受け入れて

存続を図りましたが、それも途絶えてしましました。

現在、手前の建物は地区の集会所として使用されています。

比較的新しく見えるのは、2006年に改修したからです。

奥の高台に見える残りの木造校舎は改修されずに残っています。

かつての校門は左右ともいびつで経年劣化した状態で立っていました。


皆地小学校3

 

皆地小学校4

 

 

皆地小学校1

 


皆地小学校5

皆地小学校2
皆地(みなち)小学校(1996年閉校)

国道168号を熊野川に沿って北上し、途中から国道311号を田辺市中辺路方面に

進みます。

皆地地区に美しい木造校舎が残っています。

校門より大きい案内塔は、「皆地いきものふれあいの里」とありますが、

現在は自然体験施設として使用されています。

4年振りの訪問ですが、校舎や校庭も変らず綺麗に手入れされていました。

しっかり管理されている印象ですが、調べたところ田辺市の条例で定められているのですね。

その名は「田辺市皆地いきものふれあいの里条例」

いつまでも美しく保存されているのは、条例があるからではなく、地元の方々が

地区のシンボルであり愛着のある木造校舎を大切にしたいからだと信じたいですね。

 

甲斐ノ川小学校2

 

 

甲斐ノ川小学校1

 


甲斐ノ川小学校3
甲斐ノ川(かいのがわ)小学校(2006年閉校)

国道311号を中辺路町栗栖川地区から県道198号に入り北上します。

龍神村に入り、甲斐ノ川トンネルを抜け2kmほど走ると沿道から見えます。

閉校後、校舎の一部は簡易郵便局として使用されています。

校舎の傍にある、ものものしい記念碑が目を引きましたが、

1973年に改築記念として寄贈された時計台でした。

時計はケースに収まっておりますが、動いていないようです。

校庭は一段下にあり、思ったより広くて荒廃はしておりませんでした。

1990年度の在校生徒は27名でした。

 

上初湯川小学校1

 

初湯川(うぶゆがわ)の清流

龍神村から国道424号を北上し、日高川町に入ります。

初湯川は日高川の支流ですが、流れが速く冷たそうです。

 

上初湯川小学校3

 

次の目的地に着きました。

 

上初湯川小学校9

 

ちょうど夏休みで多くの少年少女が野外行事を楽しんでいました。

キャンプテントも幾つか見えます。

 

上初湯川小学校8

 

校舎の全景です。

どっしりとした正面玄関ポーチ、屋根瓦も綺麗です。

改修されていますが、往時の面影は残っております。

落ち着いた感じの木造校舎です。

 

上初湯川小学校4

 

地元の美しい自然と子供達の笑顔、夢、希望を重ね合わせた

素朴な校歌ですね。。

 

上初湯川小学校5

 

廊下の天井や引き戸に木の温もりが感じられます。

掲示板にキャンプ記念に作ったトールペイントが掛かっていました。


上初湯川小学校7
生徒達の描いた絵でしょうか。

左の絵はとても上手に描けていますね。。


上初湯川小学校6
中央のモノクロ写真は運動会を撮影したものですが、

1987年に休校(実質廃校)となっていますので、1980年前後に撮影されたものと思われます。


上初湯川(かみうぶゆがわ)小学校(1987年休校)

何となく秘境に相応しい地名ですが、その通り山奥の秘境にある小学校です。

長らく休校中でしたが、校舎を改築し「上初湯川ふれあいの家」という

野外活動施設として2002年から再生利用されています。

当日はキャンプの子供達で活気がありましたが、普段は静かな佇まいなのでしょうね。

帰りは、国道424号に戻りひたすら北上し、紀の川を越えて大阪府に入り

長い日帰りバイク旅を終えました。